◇一◇ 「虚空の月……覚悟するが良いッ!」  私立愛聖学園高等部二年・岬創が殺人事件の現場にこっそりと忍び込んでいた時、背後から 襲い掛かってきた金色の髪の小さな少女は、そう叫びながら手に持っていた金槌を、創に向かって 思い切り振り下ろしてきた。  かくして、当然のように警備の警察官に見つかった二人は、事件現場から追い出される事と なったのである。 「……貴様が大人しく殴られんから、あの場所から追い出されてしまったではないか」  少女は、ぶつぶつとそんな勝手な事を言う。  時刻は夕暮れ。学園の外に追い出された創は、その少女の姿を改めてじっくりと観察してみる。  おそらくは外国人、それもまだ一桁台の年齢なのだろう。随分と背が低く、肉体がまだ発展 途上であるその少女は、しかしその外見には似つかわしくない鋭い眼光で非常にむくれた顔を している。  似つかわしくないといえば少女のその服装である。  一見巫女装束のように見えるが、肩当てやマントが付いているので何やら和洋折衷といった 感じの格好だ。少女が着るには随分と重苦しそうに見える。あるいは、創が知らない国の民族 衣装なのかもしれない。 「……何をじろじろと観察しておる」  少女が、やはり見た目に似つかわしくない言葉を創に向けた。  だが少なくとも、あの現場に居たという事は何らかの形で事件に関わっている人間の筈だ。  ならば、創の取る手段は一つしかない。 「……キミが、どこの家の子供でどうしてあの事件現場に潜り込んでいたのかは知らないけど……」  相手が子供だとはいえ、創はあくまでも慎重に行動を進める。 「情報を、交換しないか?僕はあの現場で僕が知った限りの情報を君に話す。君は、あの現場で 君の知った限りの情報を僕に話す。ギブ・アンド・テイクって事で」  相手の年齢を考慮しつつ、創はあくまでも優しく、しかし内容は全くドライに少女にそう提案 する。  少女は創のそんな言葉を聞き、ニヤリとこれまた外見に似つかわしくない笑みを浮かべると。 「ふむ……貴様は随分と話が早そうで助かる。まずは先程の非礼を詫びておこう。事件現場で 怪しい真似をしていた為に、てっきり『虚空の月』の手の者かと思ってしまったが……済まなかったな」  そう言って、少女は仰々しく頭を下げる。  実際問題、創としてもあれはかなりヤバい状況だった。  いかに非力な少女の攻撃とはいえ、凶器がよりによって金槌なのである。  まともに命中していたら、それこそ創の大切な姉を悲しませる事になっていたかもしれないではないか。 「……この世界の人間は、あんな小さな凶器が頭に当たっただけで容易く絶命してしまう物なのか?」  似つかわしくない喋り方を続ける少女が、命の概念が分からぬとばかりにアンバランスな一面 を見せる。 「まあいい、それはいいよ。オーケー、僕から話そう。……僕は、あの事件の真相を知る為にあの 中庭に忍び込んだ。目的は、当然事件の真犯人を探す為だ」  私立愛聖学園高等部の中庭で、殺人事件が起こったのはほんの三日前の出来事である。  死亡したのは高等部の女子の先輩。生前はその美貌で随分と男子生徒を誘惑しまくっていたら しいが、まあそれは創にとってはどうでも良い。  重要なのは、その殺人事件の容疑者として浮かんでいるのが彼の姉だという事実である。  事件当日、天候は見事なまでに雨だった。  当然、中庭に出る生徒もほとんど居ない。  だが、殺害された先輩が発見されたのが、まさにその人気のない中庭のど真ん中だったのだ。  中庭はコの字型の校舎に囲まれてはいるが、木々がやたらと多く校舎からはその様子を視認する 事は難しい。従って、事件の目撃者はなし。  コの字型の出口部分は物々しいフェンスで遮られており、また中庭に面する校舎の窓も、球技に よる破損防止の為全てに金網が張られているので、それらからの出入りは不可能。  また屋上の扉も完全に閉ざされていた為、そこから中庭に降りる事も出来なかった。  よって、中庭への出入り口は校舎一階からの北口・南口の二箇所のみ。  更に事件当日、南口の扉は鍵が壊れていた為に通行する事が不可能だったのである。  つまり犯人は事件発生時、間違いなく北口の扉を出入りしている筈なのだ。   そして、ここから先が創にとっての問題だった。  事件が起こったその日の放課後、中庭に唯一繋がっていた北口の通路前では、約一時間ほど 何人かの女子生徒がずっとお喋りをしていたらしい。  そして彼女たちが知る限り、その扉を通った人物は僅か三人。  一人目は被害者である先輩。三人目はそれを発見した男子生徒。  そして、二人目。最も犯人である確率が高いであろうその人物は、よりにもよって学校の保険医 ――創の姉、岬秋だったのである。  そして、第一発見者――高等部一年のその男子生徒が被害者を発見した時には、既に遺体の 血は乾き、死亡してから随分時間が経っていたという事だった。  さて、一体犯人は誰なのか?  創が必死でかき集めた情報を総合し常識で考えてみる限り、答えは一つしか有り得なかった。  だが人間、常識だけで納得出来る物ではないのである。 「……姉さんが犯人だなんて事は有り得ない。あの人は、誰よりも優しくて誰よりも綺麗で、誰 よりも正しくて聡明で華麗で且つ完璧な女性として存在している人なんだ。それに何より、姉さんは 死んだ先輩とは、はっきり言って接点がなかった。殺害する理由がない」  創は、前半は随分と感情的に、後半はギリギリ理知的な感じにそう語る。 「ふむ……貴様の話を聞く限りでは、その姉さんとやらは大変な御仁であるらしいな。ならば、貴様が 窮地を脱してほしいと願うは自然な感情であろう」  小さな少女は、うんうんと納得したような顔で頷く。 「……ここまでは僕があの事件現場に居た理由。次は、君があの事件現場に居た理由を聞かせて 貰おうか」  創がそう促すと、少女は随分と真剣な顔をして。 「その前に、自己紹介が遅れたな。我が名はカウル・メリル。――世界の滅びを早める者『虚空の月』 を追って、この宇宙にやってきた神の使いである」  その言葉を聞いた瞬間、創は唖然とするより他に方法がなかった。 「――あらゆる世界には崩壊の時が設定されている。新たな世界を構築する為、それは宇宙になく てはならない時限装置だ。だが、永遠の無を欲するが故にその崩壊の時を意図的に早め、この世の バランスを崩そうとする連中が存在する。それが『虚空の月』と呼ばれる異次元知性体の集団だ」  カウル・メリルと名乗ったその少女は、随分と流暢な口調でそんな突拍子もない話を語る。  やっぱり、漫画か何かの設定なのかな。そういえば自分も、小さい時にはヒーローのセリフを丸暗記 した記憶があるな……。  創は、そんな事を考える。 「それに対抗する為に神が作られたのが、『有限の天使』と呼ばれる我々魔法生命体の集団だ。 我らは『虚空の月』を狩る為、あらゆる次元、あらゆる宇宙を飛び回り、奴らの存在を探し続けて いた。そして――」  カウルは創に、その深い色の瞳を正面からぶつけて。 「――この宇宙にてようやく奴らの気配を探知出来た。その気配の内の一つが感じ取れたのが、 あの事件現場だったという訳だ」  カウルは創の前に仁王立ちになって、そこで一旦話を切る。 「うん……まあ、良く分かったよ」 「ふむ、やはり貴様は話が早いな。大抵の宇宙の生命体は、この話をすると我から意識を逸らして 何事もなかったかのように立ち去るものだが」 「キミがとんでもない電波だって事は良く分かったよ」 「信じてないな!?」  カウルは噴飯やるせないといった表情で地団太を踏み、創の顔を睨みつけてくる。 「まあ、そりゃあね。流石にそう簡単にそんな話を信じられる程、低脳でもなければ飲み込みも 良くない。人に信じて貰おうと思ったら、ちゃんとそれなりの証拠は示して貰わないと」 「ふむ、それは例えばこういう物か?」  言うが早いか、カウルは右手の指先をパチンと鳴らすと、手の平に野球のボール大の燃えさかる 炎を発生させた。 「ファイアーボールだ!」 「こういう事も出来る」  カウルはその炎を掴み取ると、それを空に向かって思い切り投げる。  野球のボールなどより遥か高くに飛び去ったその炎は、やがて雷のように凄まじい光を放った かと思うとばらばらに散り、やがてその一つ一つが再びカウルの手元に戻ってきた。 「本物だ!」 「敬え三次元人」  カウルは胸を張り、誇らしげにそんなセリフを創に向ける。 「本物の魔法だ……」 「ふむふむ、それは明らかなる尊敬の視線であるな?賛辞の言葉の一つも浴びせてくれて構わんぞ」 「姉さんが僕に惚れるように、恋の魔法を掛けて下さい」 「調子に乗るな三次元人」  創の提案は却下された。 「貴様はあれだな、魔法というのは何でも出来る力だろうと、そんな勘違いをしているのか?もし そう思っているのならばお門違いだ。この世に理屈で動かぬ力などない。貴様らがただ不思議な力 だと思っている魔法に関しても同様だ」  カウルはフンと鼻を鳴らす。 「けれども、普通は手の中に炎球なんて作れない」 「だからそれがカン違いだと言っている。貴様らはそこに理解出来ない事象があれば、すぐにこんな 事は有り得ない、常識から外れていると大して考えもせずに言うだろう。――だが、それが間違って いるのだ。理解できない事柄ならば、そこに貴様らの預かり知らぬ理が存在すると何故思わぬ?例え 観測者に理解出来ずとも――そこには、確かな法則が存在するのだ。つまり、それが理解出来ぬ者は それだけ世界が狭いという証拠なのだ」  何だか随分無茶苦茶言われている気がする。 「……まあ、その話はいいよ。とにかく本題は」  創は一旦空を仰いでから、カウルの方に向き直ると。 「事件の情報だ」 「全く持ってその通りだ」  カウルがきっぱりとそう答える。 「貴様は確か、情報交換はギブ・アンド・テイクだと言っていたな?」 「うん、まあ、確かに言ったかな」  創は自分の知る限りの事を話したのだから、次はカウルが話してくれればそれで終わりだ。 「そこで提案なのであるが」 「何でしょうか」 「我は貴様に必要以上の情報を与えてやろう。それこそ、事件の全てを解決するに足りるだけの情報 をな。だから、貴様はその見返りとして我の行動に協力するのだ」 「……それは、具体的にはどういう協力?」 「それはだな……」  カウルはそう言うと、まるでスローモーションのようにぱったりと地面に倒れこんで。 「とりあえずは、食事であるな……。流石に限界だ……」  カウルのお腹から響く情けない音が、夕暮れの町に木霊した。  三日も何も食べていなかったらしい。  これまでの間は、ほとんど気力だけで動いていたらしい。 「この世界で受肉した以上、我もある程度はこの世界の理に縛られねばならん。全く難儀な事で あるな」  そう言いながら、カウルは十杯目のご飯のお代わりをする。 「少しは遠慮しろ、こいつ」 「ギブ・アンド・テイクと言っただろう。見合うだけの情報は払ってやる。あと、味噌汁をもう一杯」  思わず殴ってやりたくなるのをぐっと堪えて、創は出されたお椀に味噌汁を注ぐ。 「あらあら、カウルちゃんって沢山食べるのね〜。姉さんとっても気に入っちゃった」  創の姉・岬秋はそう言ってニコニコしながら、ご飯をかっ込むカウルを惚れ惚れと見つめている。  当年取って二十五歳。ピンクのリボンにフリフリエプロンという、本来その年齢には似合わない 格好を、岬秋は平然と着こなす。 「創くんが女の子を家に連れてくるのなんて初めてだから、姉さんもうドキドキだわ〜。それも、 こんなに可愛い外人の彼女さんを連れて来るなんて」  …………………………。 「ちょっと待った、秋姉。それは誤解だ」  創の笑顔があからさまに引きつった。 「僕はそんな特殊な趣味は持っていないし、それにこいつとは、ただ単に利害関係が一致したから 夕食をご馳走してるだけで決して秋姉が思っているような関係じゃ」 「あら〜、でも、利害関係の一致している恋人同士って、それはそれで素敵だと私は思うわよ?」  笑顔に似合わず、ドライな内容を岬秋は口走る。 「うむ、恋という幻想は、互いの利害が一致するからこそ価値のある関係だとも定義出来る」  うるさい、黙れこの異次元生命体。  創は視線でカウルに向かってそう語ると、カウルは何故か顔を赤らめ茶わんを持ったまま俯いた。  その様子を見た岬秋は、きゃっと両手を口に当てて恥ずかしがると。 「あらあらやっぱり〜、うふふ、このお・ま・せ・さん」  いや、だから、違うんだって!  創がそう口にする前に、岬秋は鼻歌を歌いながらご機嫌で洗濯物を干しに庭に出る。  後には完全敗北した気分の創だけがただ残された。 「……何のつもりだ、この異次元生命体」 「なに、ああ思わせておいた方が、今晩この家に泊まる説明の手間が省けると思ってな」  更に図々しい事を言い放つカウルを前に、創は割と本気で約束を破棄し、カウルをこの家から 追い出せない物かと思案した。 「犯人だと疑われている割には、貴様の姉はなかなかに元気そうではないか」  食後のデザートまでしっかりとご馳走になった後、カウルは岬家二階の創の部屋で、くつろぎながら そう呟いた。 「……事件の容疑者って事で、秋姉、学校の方にはしばらく出てこなくていいって言い渡されてる みたいだからな。その分、家では元気に振舞ってるみたいだ。警察の取調べから戻ってきたのは、 本当につい最近の話なんだよ」  創は、本当に悔しそうにそう語る。 「ふむ。……ではそろそろ本題に入ろう。我が『虚空の月』を追って、この町にやってきた所までは 説明したな?」  半ば話半分に聞いていたので実はあまり覚えていないが、流石にその奇妙な名称は覚えているので 創はとりあえず頷いておく。 「奴らの発する気配はあまりにも大きく、ちょっとやそっとの手段では隠れ場所を覆い隠す事は出来ぬ。 故に我らが、奴らの潜伏場所周辺にまで足を伸ばすのは簡単だ。だがその気配の大きさは、逆にその 正確な位置を特定するのを不可能にしている」 「……つまり大体の位置は分かるが、その後は細かい捜査をして行かないと、奴らがどこに居るかは ハッキリとは分からないって事か」 「その通りだ。……故に、奴らは我らに対し、常に強力な対抗手段を手に入れておく必要性にかられて いる。敵に確実に居場所が掴まれてしまうのならば、逆にそれを利用し、返り討ちにする算段を整えて おくのは仮にも知性体ならば当然だからな」  カウルはそこで、ほんの少しだけ話を切る。 「――我ら、そして『虚空の月』の武器たる魔法の力は、この世界の物理法則と同じように、 特定の理に縛られておる。その意味では、我らも、そして奴らもほぼ互角の力を持つと言って 良い。だが、もしそこに理の盲点――すなわちトリックを仕掛ける事が出来たならば、どうな ると思う?」 「トリック?……トリックって、あの、密室とかアリバイがどうのこうのっていう、TVの推理物でよく あるヤツか?」 「TVとやらは良く知らんが、まあ貴様の言う通りだ。推理物のトリックとやらも、あれは、三次元の 理に縛られているにも関わらず、犯人に鉄壁のアリバイが存在するなどという不可思議な現象が 起きたりするだろう。……もしそれを、魔法の理で実行する事が出来たならばどうなるか?」  創はほんの少し、血液を脳に巡らせて考えてみる。  創にとっては、カウルの扱う魔法というのは非常識以外の何物でもない。だがカウルにとっては、 それこそ地球上に重力があり、酸素があるのと同じように、それは当たり前の力、当たり前の理である のだろう。  だが、もしそこにトリックを仕掛ける事が出来たならば。  それは、カウルにとってさえも不思議な力――まるで魔法のように映るに違いない。  そして、もし戦いにおいて、そんな得体の知れぬ力を相手にする事になったとしたら――。 「……無茶苦茶不利だな」 「そうであろう」  カウルは創の理解の早さに感心するが、しかしその感情は表に出さない。 「そういった理由により、奴ら『虚空の月』の連中はそんな仕掛けが存在する事件の周辺に現れ、 犯人に取り憑き……そしてそのトリックに込められた力を利用するのだ」 「……秋姉は、その力に嵌められたっていう事か?」 「まあそういう事になるな」  そう言うとカウルは懐から、創を襲った時の小型の金槌を取り出し始める。 「先程、念の為に確認しておいたが――少なくとも貴様の姉は『虚空の月』には取り憑かれておらん。 故に、貴様の姉は事件の犯人では有り得ない」 「殴ったのか!?」 「いや、殴る必要はない。もしその人間が奴らに取り憑かれているのならば、この聖槌に触れるだけ でもダメージとなる」 「じゃあ僕の時は何で殴り掛かってきたんだよ」 「貴様は簡単には触れさせてくれそうになかったからな。力ずくで意を通そうとしたまでだ」  カウルはそれが当然であるかのようにさらりと述べる。 「……その聖槌で事件関係者を全員調べれば、それで済む話じゃないのか?」 「いや、なかなかそういう訳にもいかん。手当たり次第に魔力を消費していては、いざ戦いとなった 時に魔力が底を突いてしまうからな。今はこれ以上の使用は危険だ」 「じゃあ僕と秋姉とで打ち止めって事か」 「いずれにせよ『虚空の月』だけを見つけた所で、貴様の目的が達成される訳ではないだろう。 きちんとこの世界の理に沿って謎を解き、犯人の犯人たる証拠を見つけない限りは、貴様の姉の 無実が証明される事はないのだからな。――そしてそれは、我の目的とも一致する。事件の謎を 解かない限り、我が不利な事には少しも変わりがないのだからな」 「……オッケー、分かったよ。確かに僕らは、相互に協力すべき関係にある。君の目的に協力しよう。 だから、君は僕に事件について知っている事を教えてくれ」 「うむ、良かろう。……では、我が知る限りの情報を、貴様の脳に教え込んでやろう。覚悟するが良い」 「まず、被害者殺害の凶器は金属製の細身のナイフ――これは、貴様は知っているか?」 「いいや。……死体に傷があったらしい事は人づてに聞いて知っていたから、まあ刃物の類だろうとは 思ってたけど」 「ふむ、この世界の人間の事件に対する認識というのはそんな物か。まあ少なくとも斧や戦槍の類 でない事が分かっただけでも、捜査が一歩進められるという物だ」 「……言っとくけどな、この世界の一般的な空間には斧や槍なんて存在しないぞ?せいぜいナイフか 包丁くらいが関の山だ」 「そうなのか?まあ、その辺りは貴様が判断すれば良い。我はただ、貴様に知る限りの情報を与える だけだ。……正直な所、我らはいわゆる推理といった類の発想の飛躍は苦手なのでな。それが慣れぬ 世界の理であるなら、なおさらだ」 「……そんなだから、『虚空の月』にそこを付け込まれるんじゃないのか」 「いや、その手の発想の飛躍というのは基本的に『虚空の月』も苦手としておる。故に、奴らがそこに 目を付けたとも言えるがな。いずれにせよ我らも、そして奴らも、その点に関しては貴様ら人間に頼らざ るを得ないのが実情だ」  カウルはそう言って創の顔をじっと見つめる。 「話を続けるぞ。……遺体は発見時、何故か蔓で体を巻かれ、中庭の木に固定されていた。 故に、警察はこの事件を自殺や事故ではないと判断したようだ」 「蔓で固定……?確かに中庭の木の中には、蔓が巻いてた木があったとは思うけど……。随分 変わった状況だな。でも確かにそれなら、事故や自殺の可能性はないと判断せざるを得ないだろうな」 「木霊や食人植物の生息地帯でなかったのが幸いしたな」 「そんな生き物はこの世に居ません」  体から力が抜けそうになるのを何とか堪えて、創はカウルに言い放つ。  この先会話に修正を入れる回数を考えて、創は大いに嘆息した。 「……木の蔓で体を巻いてたって事は、犯人は少なくとも中庭には入ってるって事だよな」  創にとっては当たり前の事実ではあるが、改めて突きつけられるとそれは非常な難問に思えてくる。  犯人が最初から中庭に潜み、事件の発覚のどさくさにまぎれて逃げた可能性も考えたが、遺体が 発見されて警察がやってくるまでの間もずっと女子生徒たちは入り口に居たのだ。彼女らが共犯でも ない限り、中庭から逃げ出すのは不可能だった。 「……中庭の外からじゃ、蔓を巻いたりとか出来ないだろうしな……」 「いや、別にそうでもあるまい。自動魔法人形の類を使う事が出来れば、庭の外からでもそれくらいは 十分に」  創はカウルの目を思い切り睨みつけて黙らせた。 「う、う、うるさいわ!我はまだこの世界に来てから数日しか過ごしておらんのだ。そんな事、 いちいち知った事か!」  カウルは駄々っ子のように言い訳する。  だが、待てよ……?遠隔操作出来る装置か。  創は頭の中で考えを巡らせる。ゴーレムは無理でも、この世界にはラジコンやリモコンと いった類の機械が幾らでも存在するではないか。  …………………………。  不可能だ。  創はそう結論付ける。 「もしそんな怪しい装置があったら、流石に警察が気付いてるよな」  それに、中庭の入り口には相変わらずお喋りをしている女子たちが存在していたのだ。  彼女らにまるで気付かれずに、そんな物を持ち出せる筈もない。  そもそもラジコンの小さな力では、人一人を持ち上げて中庭の木に固定する事など不可能だ。 「では次に行くぞ。……遺体は死後、何故かしばらく経ってから再び凶器によって傷付けられて いたのだそうだ。つまり、遺体には殺害時に付けられた傷と、殺害後しばらくしてから付けられ た傷との二箇所が存在する事になる」 「……そうなのか」  ていうか、そんな詳しい情報を一体どこから仕入れてきたのだ。 「ふむ。我はこの事件の発生直後から『虚空の月』の気配を察知していたのでな。警察がやって くる頃には、既に現場に潜り込んでおったのだ」  カウルは魔法で姿を隠し、堂々と警察の話を盗み聞きしていたらしい。 「いずれにせよ、先の話と合わせて犯人が中庭に入り込んだのは確定であろうが……、最たる問題は、 犯人が何故そんな事を行ったかという理由ではないか?」 「…………………………」  確かに、それはそうかもしれない。  現場の状況が非常に特殊であった以上、犯人にはそれを行う必然性があったという事である。  創もその点は最初から気にはなっていた。  だが、まだ何かが足りない。  おそらくは、事件にとって決定的とも言える、何かが。 「……とりあえず、先を続けよう。詳しい事を考えるのはそれからだ」


                          ◇二◇  創たちが事件の細かい情報を聞いては考え、互いに意見を出し合うというのを繰り返してい る内に、いつの間にか窓からは新しい朝日が眺められるようになっていた。  一晩中事件の話を聞いていたせいか、創の目の下にはひどいクマが出来上がっている。  一方のカウルは、つい先程まで熟睡していたかのようにぴんぴんしていた。 「……どうしてお前はそんなに元気で居られるんだよ」 「ふふ、我らの精神構造は、貴様ら三次元生命体の物とは基本が違うからな。精神活動に関し ては、我らは一週間眠らずとも活動を続ける事が可能だ」  カウルはここぞとばかりに胸を張り、いばる。 「まあそれはそれとして。忘れない内に貴様にこれを渡しておこう」  そう言うと、カウルは懐から何やら短剣のような物を取り出す。 「我の魔力がほんの少しだが込めてある。これを持っていれば、貴様も僅かながら我の世界に 属し、我と連絡を取る事が可能となるだろう。……念の為に、持っているが良い」 「これって銃刀法違反になるんじゃないのか?」  そう言いつつも、まあカバンに入れておけばバレないだろうと創はそう考える。  ふと部屋の時計を見ると、普段なら創が既に目覚め、登校の準備をしている時間帯だった。 「ああ……もうこんな時間か。早く準備をして出掛けないと、学校に遅刻しかねないな」 「ふむ、では我も朝食を頂くとしよう。睡眠は必要なくとも、栄養分は我にとっても不可欠な 要素であるからな」 「……少しは遠慮しておけよ」  そう捨て台詞を残し、創は顔を洗いに一階の洗面所へと降りて行った。  どうやらカウルの辞書には、遠慮の二文字はまるで存在しなかったらしい。 「……お前の胃袋は異次元にでも繋がっているのか?」 「ふむ、我は確かに貴様らから見れば異次元人かもしれぬが、流石にそんな訳はあるまい。我 は我の胃袋で、可能な限りの栄養を摂取したまでに過ぎぬ」  だが幾らなんでも朝っぱらから十五杯は食べすぎだろうと創は思う。  そんな不毛な会話のキャッチボールを繰り返しながら、創とカウルは愛聖学園への道を急ぐ。  さすがに時間ギリギリなせいか、現在登校している生徒の数は非常に少ない。だが高校生と 奇天烈な格好の金髪幼女の組み合わせは、やはりというか随分と目立っているようだ。 「……一つ、提案があるんだが」 「聞いてやろう」 「学園での捜査は、互いに別行動という事にしないか?一緒に行動した所で、色んな意味で互 いに益はなさそうだしな。放課後に校門の所で落ち合おう」 「ふむ……昨日我と貴様が追い出された、あの場所あの時間帯に待ち合わせという事であるな? 良し分かった。ならば我は我で捜査を進めよう」  カウルは割と簡単に納得する。  昨晩創が聞いた話によると、『虚空の月』はその正体が見破られない限り、追っ手を襲う事 は滅多にしないという事だった。 「基本的に連中は人間に取り憑くという形でなければ、この世界に影響を及ぼす事が出来んか らな。それに、追跡者を葬る事の出来る『トリック』の力の持ち主となると、その数は極端に 限られる。――故に、その地位における外聞という物を可能な限り守ろうとする傾向にある」  カウルによると、例えば奴らが下手な事をし、取り憑かれた人間が命を落としてしまったと するならば、その時点で『虚空の月』は、この世界での行動が極端に制限されてしまう。故に 奴らが人前でなりふり構わず襲ってくるなどという事態は、滅多な事では有り得ないという事 だった。だが、人気のない場所での闇討ちに関してはその限りではないらしい。 「まあ、この世界にとって奴らは普通の殺人犯とほとんど変わりがないからな」 「世界を崩壊させる連中じゃなかったのか?」  創は、思った疑問をそのまま口にする。 「その通りだ。だが、奴らがこの世界に影響を及ぼせる魔法というのは、その力も範囲もたか が知れている。……故に奴らによる世界の崩壊は、取り憑いた人間を操る事による犯罪の増加 という――この世界にとってごくごく当たり前の理に沿った物なのだ」  宇宙の滅びを早めるなどと言ってた割には随分地味な内容である。 「……それで世界が崩壊するのか?」 「する。例えば『虚空の月』に取り憑かれた人間が、この世界における中枢を担う人材だった ならば一体どうなってしまうと思う?」  …………………………。  例えば『虚空の月』がどこかの国の最高責任者になったとして。  核ミサイルのボタンの一つも押してしまったとするなら。 「……場合によってはかなりヤバいな」 「そうであろう」  カウルは創の顔を見ながらうんうんと頷く。  昨晩のそんなやりとりもあって、学園で別行動を取る事には大した問題は存在しないと創は 判断する。  むしろカウルと行動を共にする方が、今後の学園生活に支障をきたしてしまいかねない。  そんな事を考えながら、創は学園への道を急いだ。  創が自分の教室に駆け込んだのは、担任が教卓に立ち、今にも朝のホームルームが始まろう かというまさにギリギリのタイミングであった。 「珍しいな、創。お前がこんな遅くに登校してくるなんて」  創の一つ前の席に座っている男子生徒――来生優介は、後ろを振り向きながら創にそう語り かけてくる。 「まあ、ちょっと昨日色々あってな」  息を切らしながら、創はゆっくりと席に着いた。  担任による朝のホームルームが始まったが、いつものように中身のない話だと分かると優介 は本格的に創と雑談をし始める。 「そういえばさ、昨日、知ってるか?中庭の近くを、妙な金髪の綺麗な女の子がちょろちょろ うろつき回ってたって話」  優介の語るその話を聞いて、創の顔が微妙に引きつった。 「それで、同じように中庭に忍び込んでいた男子生徒と一緒に、見回りの警察官に捕まって追 い出されたって話なんだが……」  そこで一旦言葉を止めると、優介は創と目線を合わせて。 「お前じゃないよな?」 「そんな訳ないだろう」  創は即座にきっぱりと否定する。 「そうか。秋先生が疑われてるから、てっきりお前ならそれくらいやりかねないと思ったんだ がな」  優介は納得したのかしないのか、それ以上は追及せずに創との話を続けていく。 「……そもそも、秋先生もよりによってあの時間、あのタイミングで中庭になんて出て行かな ければ、犯人だなんて疑われずに済んだのにな」 「だから、それは前にも言っただろう。朝方、晴れてる間に散歩をしてて落としたサイフを、 放課後に探しに行ってたんだよ」 「その上第一発見者の生徒は、被害者に手紙で呼び出されたって言うんだろう?うーん、やは り作為を感じる。オレは絶対この第一発見者の生徒が犯人だと思う」  それは、創も考えていた事ではある。  創は、岬秋は絶対に事件の犯人ではないと思っている。  カウルが聖槌とやらで調べた結果も、どうやらそれを証明しているようだからこれはほぼ間 違いのない事実だと言って良いのだろう。  そして、事件は決して事故や自殺では有り得ない。  ならば犯人は誰なのか?  常識的に考える限り、第一発見者の生徒が疑わしいのは明白であった。  ただ、それはそれで疑問点が幾つかある。  まず第一。彼が中庭に入った時点で既に血は乾き、被害者は完全に死亡していた。故に、彼 には被害者を殺害する事は不可能である。  第二。もし彼が犯人だとするならば、状況があまりにも限定されすぎてはいないだろうか。  仮に彼が犯人だとするなら、もっと犯人を不特定多数にするか、あるいはなるべく自分が関 わらない形で事件の発覚を計画するのが自然である。  これが計画的殺人事件であった場合、この偏りはいかにも不自然であった。 「それにな、その第一発見者の生徒と被害者の先輩とが、同じクラブの部員同士だっていうの は確かこの前話したと思うが、噂によると二人は以前大分仲が良かったって……」  優介は小耳に挟んだゴシップ情報をとくとくと創に語ってくる。  その会話の中の単語の一つが、創の脳裏にある想像を浮かべさせた。 「……昨日、カウルの奴は確か……」 「……でな?おい、聞いてるのか創?おい」  優介の非難の声も、今の創には聞こえない。  周囲を省みず大声を出す優介に向けて、担任教師が得意のチョーク投げを披露した。  いい音が鳴った。 「ふむ、この餡こというのはなかなかに美味な物であるな。小麦食品は他の宇宙にも存在した が、このあんぱんなるものには初めてお目にかかったぞ」  昼休み、食事をねだりに創の元に現れたカウルを、創は慌てて周りに人気のない屋上にまで 連れて来た。  その際クラスメイトとちょっとした悶着はあったのだが、まあ、その、あれだ。忘れておい た方が自分の精神安定の為にも良いのではないかと創は思う。 「……そうか。ついに秋先生を諦めて、まともな彼女に手を出すつもりになったのか、創」  来生優介がハンカチを片手にそんな事を言っていたのを思い出す。 「しかし、幼女かー。お前はあれだな、ひたすら修羅の道しか歩む事の出来ない男なのか?」  とりあえず優介の頭は殴っておいた。  一方で問題のカウルはというと、購買で買ったパン十数個を随分と美味そうに租借している。 「ふむ、やはりなかなかの美味であるな。これに合わせてあの味噌汁とかいうのがあれば、ま さに最高の昼食であるのだが」 「言っとくけどこの世界には、あんぱんに合わせて味噌汁飲む奴なんてのは居ないからな?」  多分どこの宇宙にもそんな奴は存在しないと思うが、創はとりあえずそう言っておく。 「……それで?我をわざわざ屋上に連れ出し、貴様もこの場に残るという事は、事件について 何か進展があったのであろう」  その通りだった。 「ああ。多分だけど――事件の謎と、その犯人がようやく分かったよ」  カウルは目をしばたたかせると。 「……真か?」  創に向かってそう驚きの言葉を述べる。 「ただ、それを言う前に一つだけ質問をさせてくれ」 「聞いてやろう」  創は、カウルの方に向き直ると。 「この事件の犯人は……まさかとは思うが、実はお前だったりしないだろうな?」  カウルの動きがあんぱんを齧ったままピタリと止まる。  カウルは口からパンを外し、口元についたあんこをゆっくりと舐め取ると。 「……随分とユニークな発想をするではないか、三次元人」 「幾つかの可能性は考えた。……でも、お前が絶対にこの事件の犯人ではないと言い切れる推 理も浮かばなかった」  カウル・メリルは異次元世界に住む、この宇宙とは異なる理を持つ住人である。  もしその異界の理を如何なく発揮する事が出来たとするなら。  ……あるいは、あらゆる不可能犯罪が可能かもしれないではないか。 「魔法は万能ではないと言わなかったか?」 「聞いた。……でも、それはお前が自分でそう言ってるだけの話だ。それが本当なのか嘘なの か、究極的には僕には判断する事は出来ない」  もし相手が万能の力を持つ存在で、そしてそれを偽ってここに存在しているのだとすれば。  ――創には、それを確認する為の術はない。  いや、もしそんな者が存在するなら――あらゆる論理、あらゆる思考は無意味な物となって しまうのだ。 「ふむ、面白いな。実に面白いぞ……岬創。それで、もし我がこの事件の犯人ならば、貴様は 一体どうするつもりなのだ?」 「犯人なのか?」 「そんな訳がないだろう」  カウルはあっさりと否定した。 「……確かに貴様の言う通り、もし我が万能の存在で、それを偽ってここに存在するのだとす るなら貴様にそれを見破る為の術はあるまい。だが、貴様の目的は我が犯人かどうかではなく、 貴様の姉――岬秋の無実を証明する事だったろう。もし我が犯人だったとするなら……、この 世の理で捕らえる事が不可能な以上、貴様の姉を助ける事も不可能という事になってしまうで はないか」  確かにカウルの言う通りだった。 「万が一我が事件の犯人であったとしても、貴様はこの世界の理にならい、事件を解決しなけ ればならん。それこそが――貴様の使命であろう」 「ああ、分かってる。ただ……事件の真相を考えた時、お前が犯人だっていう説をどうしても 否定する事が出来なかった。だから、ただ確かめてみただけだ。例え、お前が犯人であろうと なかろうと――僕の行動は変わらないという、その事実を」 「ふむ……、納得して貰えたようで何よりだ。ではそろそろ本題に入るとしよう。貴様にこの 事件の謎、そして犯人が分かったとして、これから我らは『虚空の月』に対してどう動くべき なのか?」  カウルは最後のあんぱんを飲み込むと、白い牛乳でゴクゴクと音を立てながら喉を潤し。 「最後まで誓約は果たして貰うぞ……岬創よ」  口の周りを牛乳の白い輪で飾りながら、カウルはそう言葉を発した。


                          ◇三◇  その日の放課後、創は事件の第一発見者である男子生徒を近くの公園に呼び出した。  創にはほぼ確信があったものの、それでも万が一、彼が犯人でなかったとしたらどうしたも のかと少しは心配していたのだが。 『ほほう……、理解したぞ小さき者よ。汝の要求に応じ、余の時間を与える事を特別に許可し てやろうではないか。――ありがたく思うが良い』  こいつが犯人だと創は間違いなく確信した。 「……昨日までは、もっとまともな話し方をしてたんだけどな……」 「ふむ……、おそらくは今日になって、『虚空の月』による体の乗っ取りがようやく完了した のであろう。それ故今日貴様と話したのは、『虚空の月』の意識体と思ってどうやら間違いは あるまいな」  カウルはそんな事を言っていたが、それなら数日待てば誰が犯人なのかは確実に分かってい たのではないだろうか。  だが今更そんな事を言っても始まらない。  創は、呼び出した男子生徒――いや、『虚空の月』に取り憑かれたその哀れな被害者と―― 夕闇の公園で対峙していた。 『それで……?余をわざわざ呼び出したからには、さぞかし有益な時間を過ごさせてくれるの であろうな?……小さき者よ』  もうあからさまに違和感しか感じられない喋り方で、目の前の男子生徒はそう語る。 「うん、まあ、何て言ったら良いのか非常に判断に苦しむんだが……」  そう言うと、創は男子生徒の顔を見つめて。 「……この前学園で起こった殺人事件の犯人はお前だ。いや――お前が取り憑いているその男 子生徒がこの事件の真犯人だ。……そして」  創がそこで言葉を止めると、背後のアスレチック山からひょっこりとカウルが姿を現す。 「我が名はカウル・メリル。世界の滅びを早める者『虚空の月』を狩る為、この宇宙にやって きた『有限の天使』――神の使いである」  カウルはアスレチック山のてっぺんに立つと、腕を組み、堂々とした態度で男子生徒にそん な口上を告げた。  男子生徒は、カウルの姿を見ると驚いたように。 『ほほう……これはこれは。一介の小さき三次元人に過ぎぬこの余に、わざわざ異界の神の使 いが御用とは……。果てさて一体どのようなご用件でありますかな?』  おそらくは誤魔化しているつもりなのだろうが、全然誤魔化せてない口調で男子生徒―― 『虚空の月』はそう語る。 「ふむ、とりあえずは、そこな三次元人によるこの事件の真相――すなわちこの世界の理にお ける真実という物を貴様に拝聴して貰おう。間違いなく貴様がこの事件の犯人であり、つまり は『虚空の月』に取り憑かれた者であるという証拠を突きつけた後に――我が貴様を滅ぼすの が世の道理というものであろう」  いや、そんな事をしなくても間違いなくこいつが犯人だと思うが。  創は心の中でそう突っ込むが、男子生徒はカウルのその言葉に目を丸くすると。 『ほ……ほっほっ!まさしく道理!道理である!ならば余に聞かせてみるが良い、その貴様ら の言う真実とやらを。夢、幻に過ぎぬこの世を、真実とやらがどこまで証明し得る物か……見 ものである』  男子生徒は、本当に愉快そうにそう笑う。  ……ここまで来たら、もう話すしか仕方ないよな……。  創は、ようやく覚悟を決める。 「……お前は……いや、お前が取り憑いているその男子生徒は、以前は被害者の先輩と大分仲 が良かったそうだ。けれどもつい最近、随分とひどい振られ方をしたという話を聞いた」  男子生徒は無言のまま立っている。 「……まあ動機はどうでもいいか。異次元の存在にとっては、流石にそんな事は瑣末だろうし な。とにかく理由はどうあれ、男子生徒は先輩を殺す為の計画を考えた」  カウルは、男子生徒と対峙するように山のてっぺんに仁王立ちでいる。 「計画はこうだ。雨の日、人気のない中庭にあの先輩を呼び出して、どこでも構わんが……ま あ雨宿りの出来る校舎寄りの位置だろうな……。金網の張られた窓の近くか、あるいは中庭の フェンスに近い位置にまで来てもらう」  創の推理に、男子生徒が僅かに反応した。 「そうして中庭の外――フェンス越しに被害者と相対した男子生徒は、隙を見て被害者を凶器 で刺し殺す」 『……待つが良い、矮小なる者よ。人を阻む格子がその間に存在する事を、汝の小さき知性は 取り溢してしまったのか?短剣の類では、それを通り越して被害者を死に至らしめるは不可能 ……』 「フェンシングの真剣なら、可能だろう?」  創は、微塵の疑いもなく男子生徒にそう告げる。 「――その男子生徒と被害者の先輩とは、同じフェンシング部の部員だった。それでピンと来 たんだ。実際はフェンシングの剣ではなく、現場から発見された凶器――細身のナイフを先に 取り付けた棒みたいな凶器だったろうとは思うけど……」  男子生徒――いや『虚空の月』は、創の勢いに押し黙る。 「それを使って被害者を殺害した男子生徒は、凶器とフェンスに付いた血をぬぐい、その場は 一旦現場を離れる。……袋を用意しておけば、分解した凶器は簡単にしまっておけるしね」  創は更に話を続けていく。 「男子生徒はしばらくの間どこかで待ち、第一発見者として遺体を発見しても疑われない程度 に血が乾くのを見計らってから――中庭に入る」  その際、中庭の入り口近くで女子生徒がお喋りをしていたのは、おそらく彼にとっては誤算 だっただろう。  ――そして、秋姉が中庭に落し物を探しに入ったのも。 「男子生徒は中庭に入ると、その隅っこで倒れている先輩の遺体を中庭の真ん中にまで運んで から――蔓で巻き、分解した細身のナイフで遺体を再び傷付けた。……それらは犯人が確かに 中庭に入り、被害者を殺害したという事を警察にアピールする為の行為だった」  男子生徒は押し黙ったまま動かない。 「……血の跡は全て雨が洗い落としてくれるから、遺体を動かしたとは気付かれない。そうし て男子生徒は自分に鉄壁のアリバイを作り、犯人を自分以外の不特定の誰かに誘導するつもり だったんだが――状況がそれを許さなかった」  犯人による計画と、偶然入り口で会話していた女子生徒たち――そして中庭に落し物を探し に入った、岬秋の行動による状況の限定。  それらが――この事件を必要以上にややこしい物に見せていたのだ。  男子生徒はやはり押し黙ったままだ。 「……警察にはもう全て話したよ。その結果、現場近くのフェンスから検出されたルミノール 反応――それは、お前が犯人である事を明確に指し示している。……言い逃れは不可能だ」  創はそこまでを一気に語ると、一旦小さく息をついでから。 「――お前が、犯人だ」  小さく、だがはっきりとした口調でそう告げた。  男子生徒は、黙ったまま後ろを向いた。  創の背後のカウルはじっと男子生徒の様子を観察していたが、やがて。 「……避けろ!創ッ!」 「え……?」  創が気が付くと、男子生徒はいつの間にか手にしていたナイフを構え、創に向かって突っ込 んできた。 「な……!?」  創はギリギリでそのナイフをかわすと、男子生徒の手を掴み、全力でそのナイフを奪おうと する。 「……たわけがッ!」  カウルはその間に突っ込んでくると、蹴りで綺麗にナイフを弾いて男子生徒を突き飛ばす。  ナイフは地面を滑って植え込みにぶつかり、その動きを停止した。  男子生徒もまた、倒れこんだまま動かない。 「……来るぞ!」  その言葉に、創の背中に悪寒が走る。 『……は……ははははは!、どうやら余の『表の偽術』はしっかと破られてしまったようであ るな。『有限の天使』も控えておる事だし。どれ、ここは一つ――』  地の底から響くような――そんな強大な声が創の頭に響いたかと思うと。 『我が創術、『妖精の穴』の披露と行こうか……!』  男子生徒の背後から、とてつもない気配が流出する。  それはまるで煙のように噴出し、上空に巨大な影を形作ったかと思うと。  黄金色に輝く、山のような有翼竜へと変化した。  その威容は、この小さな公園を覆いつくしてまだ余りある程の大きさである。 「『鋼竜皇』ゾールフィールだと……!?まさか貴様が、この宇宙に来ていたとは……!」  カウルが、目の前に現れた巨大な竜を前にそんな驚嘆の言葉を漏らす。  一方の創は……眼前で展開されている光景にただひたすらに圧倒されていた。 「い……幾ら何でもでかすぎるだろこれ……!」  こんな質量が、あの男子生徒の一体どこに入っていたというのか。  いや、そんな事よりも。 「カウルはこいつと『戦う』とか言ってたな……、もしこんなのが、街中で好き勝手に暴れた としたら……!」  姉の安全どころではない。  この街そのものが崩壊してしまうのではないか。  だが創のそんな思いを知る由もなく、『有限の天使』カウル・メリルと、『虚空の月』の大 幹部『鋼竜皇』ゾールフィールとの戦いの火蓋は切って落とされた。  物凄かった。  物凄すぎて、創は動く事すら出来ないままに、ただただ目の前の出来事を呆然と眺めていた。  カウルが手の中に無数の火球を発生させたかと思うと、それを次々と巨大な竜に向かって打ち 出していく。  だがその攻撃は、ドラゴンの周囲に展開されている見えざる防御壁によって阻まれ――決して その本体に届くことはない。  カウルの攻撃が終了すると竜はその口から燃え盛る灼熱の炎を吐き出し、周囲を紅蓮の色に染 め上げる。創は二人とは随分と距離を取っているのだが、それでも近付く事が出来ない程にそれ は圧倒的な火力だった。  炎に包まれたカウルが、まるで消し炭のようになってこちらに弾き飛ばされてくる。 「だ……大丈夫なのか、カウル!」 「……下がっていろ、岬創……。貴様が我の近くでもたもたしていると、本当に焼き殺されてし まいかねんぞ……!」  だが当のカウルが既に焼き殺されかかっているのだ。  それを見捨てて遠くに逃げる事は、今の創には出来なかった。 「……確かに鋼竜皇は強大な魔力の持ち主だ……。だが、我の攻撃が全く届かないというのは、 解せぬ」 「あの見えない壁の事だろう?あんな防御壁を攻撃の度に張られたんじゃ、幾らなんでもお前に 勝ち目は……」 「……あの壁は『創術』と言ってな……、魔力により物体を作るというただそれだけの魔法であ り、一度作ったら――そのままで存在し続ける物なのだ。故に奴はあの防御壁を、我の攻撃の度 に展開し、また自らの攻撃の度に消失させているという訳では決してない」 「いや……、そうなのか?魔法の事は良く分からんが」  鋼竜皇ゾールフィールにより展開される『妖精の穴』は、破壊不可能な無敵の防御壁である。  だがそれ故に、その展開には非常な時間とエネルギーを消費してしまう。  従って、戦闘においてあの防御壁は常に鋼竜皇の周囲を覆ったままであるのが普通なのだ。 「だがそう考えていると理解出来ぬ事が一つある。我の攻撃は届かぬのに――何故奴の攻撃は壁 をすり抜け、我に到達する事が可能なのか?」  確かに、言われてみればそれは奇妙な話であった。 「……『虚空の月』は人間の生み出すトリックに引かれ、その力を利用するというのは貴様に話 したな?」  そういえばそんな事を言ってたような気はするが、今の創に、そんな事を思い出している余裕 はない。 「……奴が展開している『妖精の穴』は、おそらくそれを利用しているのだ。トリックの力を使 い、鋼竜皇の防御陣の力を最大限に引き出している。まともに戦えば決して敵わぬ相手であろう が……、もしその謎を解く事が出来たならば、万に一つの勝機はあるやもしれぬ」  そう言って、カウルはちらりと創の目を見つめる。  …………………………。 「ちょっと待て」 「我がこの世界の理に詳しくないように、貴様も我らが理に不慣れは十分承知であるが……、頼 んだぞ、創!」  そう言うと、カウルは再び鋼竜皇に向かって突進していく。  再び激戦が展開されるのを目の前に、創は呆然と立ち尽くしていた。  いやいやいや、ちょっと待ってくださいよカウルさん。  今ここで起こっているこの非常識な状況に、ただの人間が立ち向かえる物かどうか、普通に考 えて分かりませんかね?  創は頭の中でそうカウルに向かって文句を言うが、あいにく当のカウルは炎に焦がされ消し炭 にされている真っ最中である。  それは確かに非常識にすぎる光景だった。  だが、それは確かな現実なのだ。  もしカウルが敗北してしまったなら、おそらく鋼竜皇は次に創を襲ってくるに違いない。  そうなれば、岬秋が悲しい思いをするのは明白だ。  そんな事は、創には許せる筈もなかった。  それだけは――。 「……魔法にトリックを仕掛けるったってな……」  カウルの攻撃は、相変わらず見えない防御壁によって完膚なきまでに弾かれてしまっている。  一方鋼竜皇の攻撃は、まるでそこに壁など存在しないかのように強力な物だ。 「壁の形は固定されているとか言ってたよな……」  カウルの攻撃により方々で上がる爆煙は、透明で分かり辛い壁の形状を少しずつだが明らかに していく。  それは、美しいまでに完璧な球状。  そして、その壁は確かに一瞬たりとも途切れる事なく、常に展開され続けているようで――。  ――あれ?  創の脳裏に、一瞬だがおかしな想像が浮かび上がる。  確かカウルは、『虚空の月』は事件のトリックの力を利用すると言っていた。  ならばもしかしてこの防御壁も、創が解き明かしたあの謎と構造は全く同じなのではないだろ うか?  創は脳に血を巡らせながら考える。  事件の現場は、ある意味で密室と呼んでも良い状況だった。それは、目の前で展開されている 防御壁も同じ事だ。  透明の壁に守られた、その内部は完全なる密室の筈なのである。  だが、鋼竜皇の攻撃はその密室を自由に通過する。  ならばそこに仕掛けられた発想とは――。 「……『妖精の穴』か……!」  カウルが再び吹き飛ばされてきた。 「……流石に、もう我も限界のようだ。我はこれから、鋼竜皇に対し最後の特攻をかけようと思 う」  カウルはそんな言葉を口にする。 「我が最大の攻撃魔法で、奴に対し攻撃を仕掛ける。半径一キロ以内は完全に吹き飛んでしまう であろうが、まあこの際止むを得まい」 「止むを得ない訳がないだろうが!」  創はカウルにそう突っ込みを入れる。 「一キロ以内が吹き飛んだら、秋姉まで巻き込まれてしまうだろ!」 「……貴様はさっきから一体何を見ておったのだ?岬創。我らが戦いは、この三次元世界に影響 を及ぼす物では決してないぞ。我が攻撃も、そして鋼竜皇の炎も、全ては精神世界による攻防で あり――見ろ、この世界の物体は一つたりとも破壊してはおらんだろうが」  そう言われて創が周辺を見渡すと、確かにあれ程の戦いがあったにも関わらず、公園は未だ綺 麗な状態で存在していた。  良く見ると、公園の前で幾人かの主婦たちが、買い物袋片手にのん気に談笑したりしている。 カウルたちの戦いには全く気付いていない様子だ。 「我らの魔法も、そして鋼竜皇の姿も、一般人の目には全く届いておらん。前に一度言ったであ ろう。我らの力は現実世界に対し、ほとんど干渉は出来んとな」  確かにそう言われてみればそんな事を言ってた気がする。  ……という事は周囲の人間からするとカウルと鋼竜皇の戦いは、外人のちびっ子が何やら意味 不明の踊りをしているようにしか見えなかったのではあるまいか。  創はちょっと恥ずかしくなった。 「……いや、ちょっと待て。じゃあどうして僕にはお前たちの戦いが見えるんだよ」 「この前、我が力を込めた短剣を手渡したであろう」  そう言えばカウルに貰ってカバンに入れたままだった。 「我の近くに居て魔力の影響を受けるか、あるいは魔力の込められた物体の近くに居て影響を受 けるか。いずれかの状態ならば三次元人とて我らの世界に参加出来ない事はない」 「……ちょっと待て」  それじゃあ、もしかして短剣を受け取ってさえ居なければ。 「……こんな戦いに、僕は巻き込まれずに済んだんじゃないのか?」 「その通りだ」  カウルはキッパリと言い放った。 「だが我が負ければ、いずれにせよ『虚空の月』は我の協力者であった貴様を見つけ出し、その 体を乗っ取っていただろう。その場合、当然トリックの力は使えなくなるだろうが――我が敗北 した後ならば、『次』が来るまでに奴らには十分な時間があるからな。敢えて対抗手段を手に入 れておく必要はないのだ」  そう言ってカウルは目を細めると。 「先程、犯人がナイフで襲ってきただろう。もしあれに貴様が触れていたなら、貴様の意識は鋼 竜皇に少しずつ食われ――やがては物言わぬ操り人形と成り果てた筈だ」  そう言われて、創は先程男子生徒に襲われた時の事を思い出す。  あのナイフは、創を殺す為ではなく――肉体を乗っ取る為の物だったのか。  その事実に、創は今頃になって戦慄する。 「現に今、鋼竜皇は我らに手を出してきておらんだろう。……おそらくは、貴様の体を破壊した くないのが理由だ」  いつの間にか、カウルは創を安全地帯代わりに利用していたらしい。 「……故に」  カウルはボロボロの格好で、しかし眼光は鋭く。 「――貴様は我に協力するしか方法がない。それと引き換えに、我も命に代えても貴様と、貴様 の姉を守って見せよう。つまりは――」 「ギブ・アンド・テイクって事か」 「そういう事だ」  カウルはニヤリと嬉しそうに笑う。 「……一つ、思いついた事がある。ただその為には僕が、一度でいいから鋼竜皇を攻撃出来る能 力を持っていなければならない」 「ふむ……ならばその短剣を使うが良い。込められた魔力はほんの僅かだが――、集中すれば、 一撃くらいは小威力の閃光を放つ事が出来るであろう」 「……それなら多分大丈夫だ。カウルはこれまでと同じように、鋼竜皇と戦っていてくれ。そし て、僕が合図したら――」  創はカウルの瞳を見つめて。 「最大の攻撃魔法とやらで、奴に攻撃を仕掛けて欲しい」 「……だが、それでは貴様も一緒に吹き飛んでしまうぞ?」  先程特攻を仕掛けるとか言ってた割に、カウルは心配そうにそう呟く。 「……多分大丈夫だ。もし、『妖精の穴』が僕の考えた通りの構造を持っているとすれば――」  創は、迷いの一切ない瞳で告げた。  「必ず、勝利への道は開ける」 『ふむ、『有限の天使』よ……。最後の別れの挨拶は、済んだのかね?』  鋼竜皇ゾールフィールは、悠然と空に舞い、ちっぽけなカウルの姿を見下ろしている。 『余と貴様の圧倒的な力の差については、もう十分に理解したであろう。我が宿主たるこの三次 元人も、この宇宙の理の内で謎を見抜かれ、もはや裁きを回避する事は敵わぬ状態だ。……むし ろ、ここまでよくやったと言える』  鋼竜皇の表情は明らかに勝ち誇った者のそれだ。 「だが、貴様はその肉体を使い捨てた後、今度は岬創に取り憑くつもりなのであろう?……その 程度の成果を持って、我は『有限の天使』たる使命を終える訳にはいかん」  カウルは鋼竜皇に向かってそう言い放つ。 『まだ理解出来ぬのかね?小さき神の使いよ……。所詮、世界にはどうにもならぬ事など山程あ る。いかに努力をしようとも、突き抜けられぬ壁が幾つもある。幾つもの絶望が――存在する。 我らは、その悲しき運命からこの世の全ての者を解き放ってやろうというのだ。その大儀、所詮 貴様らには理解出来ぬか』 「何が大儀だ。笑わせるな――所詮、それは世界に絶望した敗北者の言い訳にしかすぎん。負け たなら何度でも勝つ為の努力をすれば良い。絶望など己が希望によって吹き飛ばせば良い。生命 とは、そして生きるというのはつまりはその過程の事だ。絶望に負け、世界に負けるのは別に構 わぬ。ただ、それに全ての者を巻き込もうとするのならば――」  カウルは、眼前の鋼竜皇にも負けぬ力を視線に込めると。 「我らは、決してその存在を許さぬ――『虚空の月』よ」  そう、高らかに言い放った。 『くくっ……、余の存在を負け犬と抜かすか。良かろう。ならば貴様の体に、精神に、魂に刻み 込んでやろうではないか。『虚空の月』の大幹部『鋼竜皇』たる我が力の――その全てを!』  言うが早いか、鋼竜皇はその口からこれまで以上に赤く熱せられた灼熱の大火炎をカウルに放 つ。  カウルはギリギリでそれをかわすと、鋼竜皇に向かって再び無数の炎弾を打ち込んでいく。  だが、それらは全て見えない壁によって遮られて鋼竜皇には届かない。  その様子を眺めながら、創は少しずつ、気付かれないように鋼竜皇の背後に回っていく。  確かにこうやって見ている限り、『妖精の穴』による防御陣は完全かつ無敵に思える。  だが――それはおそらく、一人を相手にした時だけの話なのだ。  学園の中庭で起こった事件は、複数の生徒たちによる偶然の行動を目の前にしていとも容易く 変容し、その本質を崩していた。  ならば――この防御壁とて同じ事だ。  鋼竜皇はカウルから放たれる攻撃の防御に集中し、まるで創の方を見ていない。  吹き上がる爆煙は、『妖精の穴』の形状をはっきりと創の目に告げてくる。  カウルが上空に飛び上がる。そこからの攻撃を防ぐ為、鋼竜皇は意識をそちらの方に向ける。 「……今だ!」  そのタイミングを見計らって、創は手に持った短剣を鋼竜皇に向けると――カウルから教わっ た呪文を唱える。  短剣の先から眩い閃光が放たれると、それは一直線に鋼竜皇を目指し、見えない壁を通り抜け ……爆発した。 『なに……!?』  背後からの突然の攻撃に、鋼竜皇の意識が一瞬削がれる。  『妖精の穴』の内部で起こった爆発は、防御壁の形状をこれまで以上に明確に、創に、そして カウルに示した。  それは球状の壁のほんの一部に穴が開いた――まるで金魚鉢のような形をしていた。  創術とは、物体を作り出す、ただそれだけの魔法であるとカウルは言った。  だが、それだけでは創には納得の行かない事が一つあった。  簡単な事だ――何故あの防御壁は、触れてもいないのに鋼竜皇の周りに当たり前のように浮い ているのか?  おそらくは、それも魔力によるものなのだろう――『妖精の穴』を戦闘に使用するならば、盾 のように持って扱うよりは宙に浮かせた方が明らかに有利な筈だからである。  多分カウルたちにとっては、それは説明する必要さえない程当たり前の理屈なのだ。  だが、理を知らぬ創にとっては、それは非常に重要なポイントである。  もしあの防御壁が、魔力によってその位置を操作されているのだとするなら――。  気付かれないように、回転させる事が可能ではないか。  まるで金魚鉢のように、球の一部に穴の開いた形状――もしそれを、自由自在に回転させる事 が出来たとするなら。  相手の攻撃は壁面部分で完全に防御し、自らの攻撃はささやかに空いたその穴から展開する事 が可能である。  おそらく鋼竜皇の攻撃が火炎放射に限定されているのも、それが理由によるものだろう。  放射状に放たれるその攻撃であるならば、いかに小さな穴だろうとも効果的に攻撃を行う事が 出来るからだ。  だから創は背後に回った。  鋼竜皇がカウルの攻撃を真正面から受け、その背後に――確実に『妖精の穴』がやってくるの を狙う事が出来る――その位置に。  タイミングは、成功だった。  鋼竜皇は、反射的に『妖精の穴』を創から見て背後の方に回転させる。次の瞬間、今の攻撃が 取るに足らない単なる陽動であった事に気付くだろう。  だが、その時にはもう遅い。  その一瞬――『妖精の穴』が、完全にカウルの方を向いたその瞬間。 「カウル!今だ!!」  鋼竜皇はその言葉を認識する。  今、岬創が叫んだ言葉に、一体どんな意味が込められていたのか。  その意味に気付き、鋼竜皇が背後に意識をやったその時には。  既に――カウルの最大攻撃魔法『白き天閃』が轟くような爆音を響かせていた。  本来ならば、半径一キロの精神構造物を消滅させる程の破壊力である。  故に、カウルは本当に追い詰められた時にしかこの技を使う事はない。  だが――『妖精の穴』から防御壁に入り込んだその白き閃光は。  鋼竜皇の体を砕き、更に外側までを破壊せんとするそのエネルギーは。  絶対物理防御を誇るその見えざる壁に阻まれ。  その内側を完膚なきまでに焼き尽くし。  ほんの一部のエネルギーだけが――『妖精の穴』から上空に向かって放たれた。  ――かくして『虚空の月』の大幹部・鉄壁の防御を誇るといわれた魔神――鋼竜皇ゾールフィ ールは、この世界から塵芥さえ残さず消滅したのである。   カウルは、上空から落ちた状態で倒れこんだままである。  衣服も、その肌も、髪も、そしてその顔も。黒焦げだった。  これまで動いていたのが――不思議なくらいだった。 「カウル!」  岬創は、急いでカウルの元に駆け寄る。 「ふむ……どうやら、本当にあの『鋼竜皇』ゾールフィールを打ち滅ぼす事が出来たようだな。 我が生命の幕引きとして、これ以上のものはあるまい……」  カウルはそんな、不吉な言葉を口にする。 「何を言ってるんだ……?」  その言葉にカウルは敢えて答えない。  創はポケットから携帯電話を取り出すと、すぐに病院に電話をかけて救急車を呼ぼうとして。  ――カウルの真っ黒な手に遮られた。 「……良い。岬創よ。――既に互いの目的は果たされた。あの男子生徒は『虚空の月』に操られ てはいたが、事件に関しては間違いなく本人が自らの意思で起こしたものだ。……『虚空の月』 に取り憑かれて以後の、多少の記憶の混濁はあるだろうが――時が経てばいずれはその意識も戻 るであろう。後は警察に任せれば……それで、貴様の姉は晴れて無罪放免だ」 「いや、そんな事は分かってるよ!そうじゃなくて、お前のその火傷の事だよ!……幾ら精神的 な傷とはいえ……」 「良いのだ」  カウルは、創にそう言葉を告げる。  何が良いのか創にはさっぱり分からない。 「……我らが神によって作られた魔法生命体であるという事は、既に貴様に話したな?」 そういえば、最初に会った時にそんな事を言ってたような気がする。 「我らに課せられた使命はただ一つ。『一人一殺』――。一人の『有限の天使』につき、一体の 『虚空の月』を打ち滅ぼす事が出来さえすれば――それで我らの生命は終わるのだ。体に負った 傷とは関係なく、な」  カウルはまっすぐに創の目を見つめている。  創はその言葉を聞き――ただ呆然とカウルを見つめていた。 「――故に、我の時間はこれにて終了だ。後はただ、泡のように儚く消え去るのみ」  その言葉を合図にしたかのように、カウルの体が少しずつ薄くなっていく。 「互いの目的は既に果たしたであろう、岬創よ。故に貴様は、今後ともこれまで通りの生活を送 っていればそれで良い。『虚空の月』が再びこの地を襲う事は、おそらく有り得ないだろうしな」  ――何故だろう。  こうなる事は、何となく分かっていたような気がする。  カウルに最初出会った時から、自分は非日常の世界にずっと足を踏み入れていたのだ。  だが――そんな状態が長く続く筈もない。  使命を果たして消え失せるのがカウルたちの理ならば、この別れもまた、必然。  ならば――尊重し、納得しなければ失礼に当たるというものだ。 「……分かったよ、お別れだな、カウル」 「む、相変わらず物分りが良すぎる男だな貴様は。もっと『カウル様消えないで!』とか、思う 様取り乱してくれて構わんのだぞ?」  カウルは、相変わらずそんな生意気な事を言う。  と、ほんの一筋。  カウルの頬に――涙が伝った。 「この世界では、別れには付き物なのであろう?」  そう言って、カウルはニヤリと笑う。  …………………………。  反則だった。 「全くお前は……、最後までそういうヤツなんだな」 「ふふ……、他人の理を重んじる貴様の流儀に従ったまでだ。借りを作ったままで死するは、 『有限の天使』の恥だからな」  ――カウルの体は既にその半分以上が消えかかっていた。 「では、さらばだ岬創よ。――貴様はなかなかにユニークな存在であったぞ」  創はその言葉を正面から受け止め、カウルの目を見ながらまっすぐに。 「……お前もな、カウル」  ただ一言、そう告げる。  それが、別れの言葉となった。  カウルは残された顔の部分だけで僅かに微笑むと。  やがて――その姿さえ掻き消えるように消滅した。  カウルの居た場所から小さな光の玉が一つ、遥か上空に向かいゆっくりと浮かび上がって行 く。  創はその光が完全に見えなくなるまで――そして見えなくなってからもずっと、ただ、ひた すらに天を仰ぎ続けた。  残された短剣を握り締めながら。  今日という日の光が落ちる、その時まで。  ずっと。                            ◇了◇


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