10月31日(月)「勝利にこんにちわでハローウィン(嘘です)」 |
月末なのでいつもどおりなら来月分のトップ絵の作業に移っている所ですが、現在投稿マンガ作業が佳境の真っ最中というか来月十日のガンガン月例賞〆切に確実に間に合わせるようにしたいので(多分まだ余裕はある筈ですけど)トップ絵は投稿マンガが完成した後に手を付ける予定でありんすでごんす(ごんす?) 光野水人です。 そういえば十月末ってハロインの時期なんですね〜。 あちこちのトップ絵見るまで忘れてましたけど。 ![]() ハロウィンの仮装をした外国人約四百五十人が電車に乗り込んで微妙に騒ぎになっていたのだそうで、考えてみれば海外ではハロインはお祭りもいい所なので多分ハメを外したかったとかそういう事になるのかしら。 まあ日本ではハロインの慣習はまだまだ無いので公共の場で迷惑をかけるのは微妙にアレな気もしますけれど、それを言ったら日本の祭りなんかでも神輿を凄い勢いでかついだりして民家の屋根を破壊したりたまに死者が出たりなんかもしつつ祭り自体は続いていたりもする訳で、こういう熱に浮かされる場では人間冷静になれない物だとそういう事になるのでしょうか。 そういう状況では多少の事は大目に見るべき(あるいは仕方ないと割り切るべき)だとは思いますけれど、状況を楽しむ事と守るべきルールをきちんと守る事というのは全く別の問題だとは思う。 何か気が付いたらもう年末と言っても差し支えの無い時期に入ってきていますね。 |
10月30日(日)「宮崎アニメに多いような気がしますが」 |
昨日の「BLOOD+」はここまで停滞していた状況が一気に動き始めたような感じで面白かったです。 やっぱりなんか、凄い長期的視点を前提にして話を組んでいる感じがするなあ。 ![]() アニメでも、あるいは映画やドラマなんかでもそうかもしれないのですけど、時々演劇口調の発音で声を当ててる作品ってあるじゃないですか。 実際演劇をやっている人が声を当てているからそうなっているのだと思うのですけど、あの手の発音って本当にリアルな会話からするとちょっとズレている感じがするといいますか、どうしてあの発音で作品が成り立つのだろうかと時々思ったりする訳です。 だって、リアルでない筈なのに大多数の人が納得して演技を聞いている訳ですよ? おかしいじゃないですか。 けれどもそれを言ったらマンガだって現実から逸脱しまくっている作品は数多く存在する訳で、要は何でしょう、いずれも現実から取ってきた要素をいかにディフォルメするかといった進化の結果で、その意味で「これはこういう事になっているのですよ」という一種記号的な表現になっているんじゃないかと思う訳です。 歌舞伎だって、あんな発音で言葉を喋る日本人なんて現実には皆無ですからね(待て) 色んなジャンルに色んな記号的表現があって、よりマニアックになればなる程一般には理解し難くなりますがその分面白さや深みも増していきます。 その意味で言うなら、演劇声にあまり違和感を感じないという事はそれがそれだけ広く世間に浸透しているという事であって、一ジャンルとしていかに成熟しているのかという事を示す一つの例であると言えます。 |
10月29日(土)「つまり人間、見たいものだけが見えるのだ」 |
ちょくちょく間が空きつつも屋根の工事がようやく終わったようで、これで雨が降ろうが大雨が降ろうが台風だろうが何でも来いだもん!(だもん?) 雨が漏らないって素晴らしい…! 光野水人です。 とか言ってたら今度は水道がまたおかしくなって(前々からですが)何だこりゃおかしければ笑えばいいさアハハハハハハ! 笑ってられるかー!Σ(T□T;) 光野水人です。 あ、二回も自己紹介しちゃったよ(待て) ![]() 不幸な事は連続して起こるとはよく言ったもので、いや実際は不幸が起ころうが起こるまいが、不幸率は全く同じの筈なんですけどね? ただ、不幸な事が起こってネガティブな気分になっている時は、些細な不幸でも過敏に反応してしまうが故に「不幸は連続して起こるのだわ!」という視点が生まれてしまったりする訳です(まあ実際に連続する事もあるでしょうけど) 屋根の事が無ければ今回の水道の事だって「あー、古いから仕方ないよなー」という感想になるのが普通ですしね? 逆に幸せな事が起こってハッピーな気分になっている時は、茶柱が立ったりなんかしても「あ!やっぱりツイちゃってるよ自分!ハハハ!」みたいに些細な幸せにも過敏に反応してしまう訳で、「幸せな事は続くのだわ!」という感想になったりします(逆に些細な不幸はあまり気にならなくなる) まあ物事を冷静に判断する視点を持ったほうが良いですよみたいな話?(そうだったのか!) |
10月28日(金)「火薬の付いたオモチャの地雷とかでよく遊んだなあ」 |
ようやくと言いますかやっと休日以外でも投稿マンガ作業が出来る環境になりましたのでもうバリバリ作業を頑張りますバリバリ。 光野水人です。 「ノエイン」がネットでも一応続きが見れるみたいなのでめっちゃ喜んでいる今日この頃(笑)(DiE BLOODさん感謝!) 本日のコント♪ ![]() A「あ、銀玉鉄砲だ、懐かしいなー」 B「え、何このちゃちいプラスチックで出来た銃のおもちゃ」 A「え、もしかして知らないの?これは銀玉鉄砲って言って、アルミで出来た玉をパスンパスン撃って遊ぶおもちゃだよ。駄菓子屋さんなんかでよく売ってたと思うけど」 B「へー、そうなんだ、それは知らなかったなあ。ほら、ボクってブルジョワだからさ」 A「じゃあそんなブルジョワなお前は何をやって遊んでたのさ?」 B「そりゃあもちろん!上品に金銀パールを使って出来た玉を使った宝石鉄砲をパスンパスンと」 A「何だその中途半端に庶民な金持ち遊びは」 |
10月27日(木)「迷子の迷子の子猫ちゃん」 |
本日のコント♪ ![]() A「もしもし、君ひょっとして迷子かな?ご両親の名前分かる?」 B「もしかしておじさん人さらいであります?」 A「いや、見たら分かるでしょ?おじさんはここの警備員だから。あとおじさんじゃなくてお兄さんだから」 B「警備員に変装するとは、最近の人さらいはなかなか手が込んでいます…」 A「いや、だから人さらいじゃないから。さらわないから」 B「たすけてー。人さらいがいますー」 A「あ、大声出しちゃダメだって!ていうか何で棒読み!?」 ベチャ A「あ」 B「あ」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ A「ご、ごめん!うっかりアイスに触って落としちゃった!すぐに代わりのを買ってあげるから!」 B「食べはじめの時は五段でした…」 A「分かった五段アイスね!」 B「落としたアイスはどうします?」 A「え?そりゃあ勿体無いけど拾ってゴミ箱に」 B「ウソです。きっと拾って自分で食べてしまいます」 A「何でそうなる」 B「かわいい幼女の食べかけだからマニアにはたまらない一品であります」 A「何のマニアだよ」 B「…落としたアイスクリームを拾って食べるマニア?」 A「どこのマニアだよそれ!ていうかそんな人居ないよ!」 B「真犯人ほどその存在を否定するものであります」 A「ああもうとにかく五段アイスね!ここで待ってて!」 B「五段アイスの前はトッピングがスペシャルだったのであります」 A「五段アイストッピングスペシャルの大盛り一丁!」 B「更にその前はハイヤーに乗って遊園地を回っていたであります」 A「ハイヤー一台超特急!!」 キキーッ!バタン! A「さあ来たよ!はい乗って!」 B「苦しゅうないであります」 「キャーッ!うちの子がさらわれるわ!人さらいよーっ!」 A「え!?ちょ…!!」 刑事「それで?あの少女を誘拐しようとした動機は何なんだ!」 A「ああもう全部僕が悪かったんですとも!ええ!」 |
10月26日(水)「絵文字で何が身に付くかとか」 |
丁度今日が古本ゴミ回収の日だったので、この間の遺品整理や片付け関係で出てきた大量の古本古雑誌をヒモで縛っては捨てに行きヒモで縛っては捨てに行きとかやってたらその影響か何か知りませんが現在もボケボケ状態です。 光野水人です。 あ、何か日記を書くエネルギーが足りないなあ(笑) ![]() ↑の文章の(笑)とか、あるいはこういう大きな文字とかもそうなんですけど、この手の絵文字的な表現を使っていると、文章力が身に付かないのではないかという風な話をよく見る訳です。 (笑)と書くぐらいなら文章の流れで笑っていると分かるような文章を、大きく強調するなら文字の大きさでなく文脈の流れで強調したいのだと分かる文章を書くのが本当なのではないかみたいな話で、光野も割と一理あるかなと思ったり。 そう考えてみると、じゃあ(笑)とかこういう文字なんかは、表現としては文章力でなく一体何になるのかという話になってきたりする訳で。 多分一言で言うと「デザイン」だと思うのですよね。 文字の大きさを扱うのはフォントデザインでどちらかというと雑誌やポスター作りなんかに使う要素で、(笑)などの文字を作り出すのはええとちょっと知識がありませんけれど(待て)まあ言ってみれば小説というよりはどちらかというと絵やマンガに近いようなイメージはあります。 マンガの文字も、その大きさやあるいは扱い方なんかで印象が大分違って来たりしますからね〜(だから「デザイン」の領域になる訳ですけど) そう考えると、小説的な文章力を鍛えるという意味では絵文字はこれはどちらかというとNG寄りですけれども、マンガ的な文章力を作るという意味合いでは、これはそれなりに意味のある事なんじゃないかと思ってみたりする訳です。 |
10月25日(火)「あとはPC作業だけなんで大分楽です」 |
開始二十八日目にしてようやく昨夜ペン入れ作業が終了で今日からめでたく取り込み&仕上げ&印刷作業開始の助(すけ?) やっぱり休日にしか漫画作業が出来ない状況というのは少しばかり辛いと言いますか、それでも二ヶ月に一作くらいのペースはどうにかこうにか保ちたいので来月十日のガンガン月例賞の〆切を目標にして残りの作業に挑みたいと思いますよ? ![]() サイトを回っていたら「ノエイン」というアニメの無料視聴があって、時間があったのでついつい見る。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ す、凄えー!Σ( ̄□ ̄;) 久々に「アニメ」ならではの心地よい動きまくりっぷりにシビれさせて頂きましたーっ! あとキャラその他デザインのディフォルメっぷりが凄まじくいい感じなんですけど! ていうかこれも和歌山近辺じゃ放送してないのな! ギャフン! 何だかこの前からやたらと面白い作品を見つけては落胆している気がするのですけど、何でしょう、もしかして光野が気付いてないだけで世の中こういう作品で溢れまくっているのでしょうか…。 でも良いものを見たよ。 |
10月24日(月)「ホットホッターホッテスト」 |
本日のコント♪ ![]() A「寒いなあ、何だか最近急に冷え込んできたような気がするよ、ぶるぶる」 B「そんな貴方にご朗報!『いつでも簡単に暖かくなれる道場』より、熱山 熱衛門先生のご登場です!」 熱山「一日三分間のトレーニングで、キミも今日からポッカポカじゃよ!むわふむわふ!」 A「え、何この暑苦しいというより怪しげ過ぎる教祖とその助手みたいな人!」 B「何をおっしゃるバンビさん!熱山熱衛門先生は、かの有名なゴニョゴニョ大学の教授もお墨付きである偉大なホットセラピストなのですよ?」 A「え、今声が小さすぎて聞き取れなかったんだけど」 熱山「むわふむわふ!ハッハ、そこら辺にしておきタマエよ君ィ!恥ずかしくって、カオから火が出そうだゼ?」 B「おおっと熱山先生お得意の『カオから火が出そうだゼ?』攻撃ィ!恥ずかしさの余り顔が熱くなり、つまりホットする!さすがは先生だ!」 熱山「むわふむわふ!」 A「え、今の何か技とかそういう特異技能のつもりだったの?」 熱山「む、むわふー!?」 B「おおっとまたしても熱山先生お得意の『何!この技が通用しないだと!?』攻撃ィ!興奮のあまりの鼻息の荒さは、実に半径三十センチ内の温度を一度も上げてしまいます!」 熱山「むわふむわふ!」 A「え、何その勝ち誇ったような鼻息の荒さ」 B「さあ冬の寒さが辛いそこのキミ!この『熱山ホットゼミ』に入会すれば、今ならもれなく『熱山先生のホットほお擦り&熱い抱擁』が付いて来るぜ!?」 熱山「むわふむわふ!」 B「さあどうだ!?」 A「まだ寒い方がいくらかマシです」 |
10月23日(日)「時々『この設定アリなの!?』と思う作品を見かける」 |
ドラマ「トリック」の秋のTVスペシャル放映が十一月十三日の午後九時からに決まったようでええと今からカレンダーに印を付けておかなきゃ! 光野水人です。 ドラマ「トリック」のシリーズは、あらゆる意味で筆舌に尽くしがたい微妙な空気を放っていると思いますが、この微妙な空気こそが作品の幅の広さを保っていると言うか、ぶっちゃけシリアスからコメディまで何でもありですよねこのシリーズ。 作品の空気というのは非常に大事で、例えば真面目な雰囲気の作品が突然異常なギャグに走ってしまったらこれは作者が壊れたのかと思いますけど、最初からある程度壊れている所をみせて置けば案外NGでは無い訳で。 どこからどこまでがOKで、どこからどこまでがそうでないのか、という空気を最初にキチンと明確に示しておくのは、これは(シリーズ作品にとっては)内容の面白さ以上に重要な要素である訳です。 例えばファンタジー作品と見せかけて実はSFなんて展開になったりしたら、これは下手にやったら作品世界が壊れる可能性がありますが、それが可能な空気という物も時には存在する訳で(例えばドラゴンボールなんかは途中から宇宙も視野に入ってきましたけど、あれはあの作品世界の空気が可能にした展開だと思う)、逆に言えば空気を上手く使う事によって作品の幅を広げる事が出来る訳で。 そういう意味で考えたら「ドラえもん」とかの幅の広さってなんか物凄い気がしてきた。 ![]() 昨日くらいから夜が何だか物凄い冷え始めてきました。 ぶるぶる(( ̄|  ̄)) |
10月22日(土)「残るもの、残らないもの」 |
![]() 祖母の四十九日も済んだので、一昨日くらいから改めて遺品整理だったり家の片付けだったり。 つづらだとか古い着物だとか掛け軸だとか、何この昭和初期チックな品揃えはと思いつつ、必要な物は残したり要らない物は捨ててしまったり。 祖母宛の手紙なんかも見つかったのですが、本人が居なくなった今となっては完全に無用の長物な訳で、ああ、こうして一人の人間が生きていた痕跡というのは消え去っていく物なのだなあ(あるいは薄れ去って行くものなのだなあ)と多少感慨深いです。 まあかつて生きていた人間の記録なりデータなりが全て残るような世の中だったら、今頃地球がパンク状態になっていると思いますが。 そういう意味で言えば、かつて人が所有していた品物なりあるいは肉体構成物質だったりが、またいつか新たに生まれてくる人の為に使われたりもする訳で、なる程 輪廻転生的な感じでありますね。 ていうか言ってる事は割と年寄りじみてる筈なのになんかドライな文章だな自分。 片付けの関係で一日で戸棚を三個作ったら右手が凄い痛い。 |
10月21日(金)「前にも似たような事書いた気もしますが」 |
![]() 例えばアニメの「ガンダムシード」なんですが、それまでのシリーズであったようなメカとかシーンが使われたりしていて「パクリだ!」という風な話をよく目にします。 その辺りが実際どうなのかについては、光野はシード以外のシリーズをほとんど見た事が無いので余り判断が付かないのですが、そういうネタ元を知らない視点からしてみると、ガンダムシードはこれは一応オリジナル作品に見える訳です。 実際どうなのかは別にして、ある一つの作品を「オリジナル」と呼ぶ視点と「パクリ」と呼ぶ視点の二つがこの世に存在する事になります。 そしてこの視点の差は、あらゆる創作物にとっても他人事ではないのです。 一つの作品をとってみて、それが「オリジナルであるか」「模倣であるか」を判断するのは、これは非常に難しい作業になります。 何かの作品に対して「これはこの作品と似ている!パクリだ!」と言うのは比較的容易なのですが、ではその作品が他のあらゆる作品と似ていない事をどう証明するのかというと、これは限りなく不可能に近くなる訳です。 この世に存在する全ての作品とチェックして照らし合わせたりしてみますか? あなたの知らない作品がこの世に存在しないと断言する事が出来ますか? このハードルをクリアしない限り、この世に存在するあらゆる創作作品は何かの模倣であるという可能性を完全に否定する事は出来ない事になります。 逆に言えば、ある作品が何かの模倣であったとして、問われるべきはそれが模倣であるかどうかではなく、その作り手側の意識が一番の問題であるという事です(パロディやなんかに関しても、つまりはそういう事だと思う) たけくまメモで某マンガ家さんの構図盗用問題についての記事を目にしたので、ちょろっと思った所を書いてみました。 |
10月20日(木)「タヌキタヌられ」 |
本日のコント♪ ![]() A「わははは!ワイは八百年ぶりに復活した化けタヌキやでー!とんでもない化けモンに化けて、いっちょ人間どもをビビらせたろか!」 B「じゃあ、タヌキソバに化けてよー」 A「…何じゃいこのガキは?あのな?タヌキさんは今めっちゃ忙しいねんからあっち行っててな?」 B「あー、エラそうな事いってて化けられないんだー!このただのタヌキ!」 A「ただのタヌキ言うな!よっしゃあタヌキソバくらい簡単に化けたるわ!行くでー!」 どろん! B「あ!本当にタヌキソバだ!凄いや!」 A「わははは、どないや!参ったか!」 B「…でも、何だかツユがぬるいね」 A「え?そ、そりゃしゃあないやろ。熱いツユなんかに化けたらワイがヤケドしてまうがな!全治一ヶ月やがな!」 B「揚げ玉も、なんだかビミョーに揚がってないし…」 A「う!そ、それもしゃあないやろ!油で揚げてまったらワイがヤケドしてまうがな!ていうか死ぬがな!」 B「おっちゃんはタヌキのくせに、タヌキソバにも満足に化けられないんだね…」 A「うぐっ!」 B「ていうか、むしろ本当にタヌキなの?って感じだよね…」 A「うげはあっ!」 B「何かもう、八百年もの人生は一体何だったの?って感じだよね…」 A「うううぐぐぐっ!そ、そこまで言われて黙ってられるかっ!男一匹タヌ五郎!八百年かけた生き様見せたらぁー!」 かくしてタヌ五郎は見事にあつあつのタヌキソバとなり、その生き様っぷりに全国のタヌキが涙したかどうかはまた別の話。 |
10月19日(水)「そのうち細菌とかも製品化されそうな」 |
屋根修理の二日目は前日の半分くらいの音量でどうにかなりましたよ。 光野水人です。 さて、三日目はどういう音量で来ますか…!(待て) ![]() 近くの文房具屋が新装開店したのでちょっと見にいってみたら、食玩を飾る用のぷち冷蔵庫やぷち台所とかいうのが売っていて、「ああ、食玩もついにここまで来たか」みたいな。 食べ物系のミニフィギュアを飾る用にこういうのがあるなら、ミニ雑誌の食玩用にミニ本棚とか、ミニロボットの食玩用に秘密基地とか、ミニ動物の食玩用に動物園とか水族館とか植物園とかええと何か色々考えられますね〜。 そんな感じに妄想してたら、食玩の理科室シリーズでカエルの標本を入れる用のホルマリン漬けとか人体標本を入れる用の台座とかそういうのがあったら凄いイヤだなと思いつつも念の為に検索してみたら。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 世の中って時々凄いと思った。 昨日くらいから秋に相応しい涼しさにちょっとなってきましたがいつまた暑くなるか分からないので油断は禁物ですぜ? そんな日常。 |
10月18日(火)「無駄に長い道のりというヤツですか」 |
ようやくと言いますか本日からやっとこせウチの屋根の修理が本格的に始まりました。 簡単に修復してはあっちが雨漏り、中途半端に直しては余計に雨漏りと泥沼を地で行く修復っぷりでしたが、なんだかんだでキチンとした修理にやっとたどり着きましたのでこれでもう風呂桶を部屋の中に常備しなくて済みます(待て) 本当は昨日始まる予定だったのに雨が降って延期になったのは秘密中の秘密だ! という訳で、本日は朝もはよからグッスリぴょーといい気分で寝込ませて貰っていたのですが、突然のドッカンガッツンゴッシャンという音にええー何この音ひょっとして近くで工事でもやってるの!?と思ったらウチの屋根でした。 ギャフン。 ていうか物凄い音だな! まずは瓦を全部はがして、下地の木の部分を張り替える工事という事なのでしたが、何このノミをカナヅチで叩いて瓦を爆砕しているような音。 ていうか耳を閉じても骨に響く程の衝撃音だよ! やっとまともな工事が始まったかと思ったらこういうオチかよ!(泣) ![]() そんなこんなで本日で屋根の下地部分の張替えはどうにか終わって、明日は瓦を置く作業という話でございましたよ。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 明日も今日みたいのだったらどうしようか。 |
10月17日(月)「要はバランスのよいウニっぷりみたいな」 |
人間、誰しも自分に無いものに憧れる傾向にあるようで、考えてみれば光野はやれ冒険活劇だのやれ推理物だのといった非日常が凄い好きなんですが、逆に言えばいかに穏やかで平凡すぎる日常を送っているかって事になりますか。 うわ、まさしくその通りだよ。 推理で事件を解決して名探偵とか言われた事って無いからなあ…(待て) 逆に言えば、サザエさんとかの穏やかで当たり前の日常を描いた作品に惹かれる人は、普段がいかにそうではないかっていう話になりますか。 人間、誰しもお腹が空いた時にはご飯を食べるだろうと思うのですが(当たり前だ)、そういう時に食べたいと思うのは、大抵その時の自分に足りない物だったりするのですよね。 肉を食べ過ぎた時には野菜が食べたくなりますし、喉が渇いた時には水を飲みたくなりますし。 足りない物を補充する、という意味では憧れに似ているんじゃないかと思う訳です。 そう考えると、人間には本能的に足りない物を補おうとする性質というかそういう物があって、心理的にだろうと身体的にだろうととにかく上手くバランスを取ろうと必死になっているような感じがしてくる訳で。 ああ、まるで不安定な自転車を漕いで人生のゴールを目指しているかのよう(待て) ![]() 相変わらず投稿漫画をサクサクとペン入れしてます。 ところで「とうこうマンガ」と書いたら「投降漫画」と最初に変換されたんですがこれは何かの挑戦でしょうか(待て) |
10月16日(日)「長サイクルと短サイクル」 |
![]() という訳で昨日の「BLOOD+」。 きちんとした背景設定を基にじっくりと余裕を持ってストーリーを進めているのが好印象。 実にプロらしい、かっちりとした作りですね〜。 この手の作品って、一話の中に十分な面白さを求める子供的視点ではきっとあんまり面白くなくて、一話だけでなくその先の面白さも含めて期待する事の出来る大人視点ならではの楽しみがありますよね。 要するに、短期的な面白さを求めるか、長期的な面白さを求めるかの違いだと思う。 まあ光野はどちらかっていうと前者の方が好きなんですけど(待て) ペン入れマンガを描いていて思う事は、子供の頃のとにかく作品を早く仕上げてしまおうという気構えではペン入れマンガは時間がかかりすぎてきっとダメで、ある程度長期的な視点を持っておかないと、時間のかかる作品を描き続けて行くのは難しいのだろうな、という事。 ある程度の未来予測、そしてその結果を想像出来うる状況でないと、時間がかかりすぎて自分が何やってるんだか訳が分からなくなりますからね〜。 その作品が大作であればある程、全体を見据える視点がしっかりとしていないと、個々の作業の評価についてもあやふやになってしまいがちです。 |
10月15日(土)「光野もなんか落ちそうな気がしてきたよ」 |
本日のコント♪ ![]() A「本日の発明品は『立体ペンキ』〜♪」 B「へえ、今日はどんな失敗品なの?」 A「失敗品言うな!…このペンキはだね〜、何と!立体的に空中にも色を塗る事が出来てしまうという、正に全世界のデザイナー垂涎ものの発明品なのだよ!」 B「ふ〜ん、じゃあやってみせてよ」 A「望む所さ!こうやって、こうやって書いて、屋根を…」 B「あ!本当に空中に描いちゃってるよこの人!ていうか描いた絵の家の屋根に乗っちゃってるよ!凄い!」 A「ふっふっふ、そこがこのペンキの最大の特徴と言った所だね!更に絵を追加して、今度は東京タワーを…」 B「あ!高い高い!凄い凄い!あ、でもちょっと絵が歪んでるかも、バランスが…、あ!危ない!」 A「ぎゃーっ!」 「で、何であんな高い所から落ちちゃったりしたの?原因は?」 B「デッサン力の無さだと思います」 |
10月14日(金)「緊張感と緩やか感とか」 |
日々季節が移り変わってどんどん気温が低くなっていっていわゆる夏から秋、秋から冬への突入という何だか勝手に目的地に到着する季節列車に乗らされているような感じのする今日この頃ですが皆さんはいかがお過ごしでしょうか。 でも無賃乗車はいけませんぜ? 光野水人です。 「オレ達の夏を返せ!」と竹ヤリを持って空に突撃していったら、夏が取り戻せる代わりに人間の無力さをイヤという程思い知る事が出来るだろうという二十一世紀の昨今ですが(どんな昨今だ) ウワー何だか思考が混沌としてきていますね。 熱でもあるんじゃないだろうか自分。 多分風邪です。 でも続きを書くよ。 ![]() キチンと頭を使ってピシッと書いた文章というものは読んでいる側も頭をピリリと刺激させられるものですが、逆にダラダラと訳の分からない思考をとりとめもなく書いた文章もまたその滑らかな連続性がまったりと心地良い場合があります。 楽しさには、新しい物に触れて思考を広げていく楽しさと、既知の物に心地よく触れてまったりと過ごす楽しさの二種類があると思うのですよね。 個人的には前者が若者寄りで、後者が年寄り寄りだと分けてしまいたい(待て) とか何とか書いていたら、今日の日記がまとまった風に感じるでしょうか(どうだろう…) |
10月13日(木)「いわゆるアニメっぷり話」 |
![]() 昨日の夜から関西でアニメ「ガンパレード・オーケストラ」の放送が始まったのでビデオ予約をセットしてぐうたらピーと惰眠をむさぼっていたら、夜中の放送なので曜日がずれる事も忘れて水曜日録画にしてあったので見事に録れていませんでした!ハハハ! 畜生!Σ(T□T;) とはいうものの、微妙な評判しか見てないのであんまりガックリ来ていない自分にガックリしたよ(何なんだ) 前作(?)のアニメも微妙な再現ぶりだったしなあ…。 来週は頑張って録画しようと思った 前述の内容とは全く関係無しに、ネットを回っていたらガン×ソードというアニメのHPを見つけて、十月三十一日まで第一話を無料配信していたので何とはなしに見てみたり。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ うわ、光野の好みのツボにメロリン大ヒットのアニメですよΣ( ̄□ ̄) 西部劇風SFロボットアクション物なのですが、何が面白いかって幸運をひたすら信じまくるイカれた敵キャラの変態っぷりに何かもう惚れすぎです(待て) そういう敵キャラを正義っぽい人がとっちめるストーリーなのですが、何かにパターンが似ていると思ったら光野が初めてハマったアニメの魔神英雄伝ワタルですよ! あれもイカす変態敵キャラを正義のヒーローとロボがとっちめまくりですよ! ああ、そりゃツボにヒットする訳だわ(笑) そんなこんなで関西で放送していたら是非見ようと放送枠を調べてみたら、テレビ東京一局のみでしか放映していないという事実。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ おのれ東京県人めー!Σ(T□T;) 近所でレンタルとかしてないかなあ…。 |
10月12日(水)「昔はよく焼きましたけどね〜」 |
本日のコント♪ ![]() A「いい感じに秋真っ盛りだ!という訳で焚き火をしよう!」 B「この辺は条例で焚き火するのは禁止の区域だよ」 A「何だとぉ!?じゃあイモは一体何で焼いたらいいんだ!電子レンジか!?」 B「水に塗らした新聞紙でくるんで暖めると美味しいんだよねー」 A「そんなもんは本当のヤキイモじゃねえ!いいか!本当のヤキイモってのは、アルミにくるんだイモを焚き火の中に放り込んでじっくりと焼きあがるのを待つのがホンモノなんだよ!」 B「ふーん、それって電子レンジのよりも美味しい?」 A「あたぼうよ!焚き火でヤキイモを焼いた日には、うっかり忘れてイモは焦げ付くわ、下手に手で触ればヤケドするわ、生焼けだったら苦い思いをするわで電子レンジには無いハプニングばっかりだ!畜生!もうレンジでいいや!」 B「よっぽど失敗の思い出が多かったんだね…」 |
10月11日(火)「流れるように秋」 |
近頃雨ばかりが降り続けると思っていたら、とみに寒くなってきやがりました。 光野水人です。 中途半端に暑いよりはましかな〜とか思っていたのですが、何だか体調不良というかいかん風邪を引きかけていますよ?という事でもう暖かくてもいいですお天道様(待て) ![]() 春はわくわくして楽しくなるような季節で、秋はしんみりと物悲しくなるような季節だという風なイメージが一般的にあると思うのですが、気温とか天候的には春も秋もそんなに変わらない筈で、じゃあ何が違うのかと思ったら、事前に夏が来るか冬が来るかの違いなんでしょうね、やっぱり。 熱エネルギー的に言うなら冬は明らかに欠乏している状態で、春になると暖かくなってエネルギーが充填される分明るく楽しいイメージが強く、夏は逆にエネルギーが有り余りすぎる状態で、秋にはそれが少しづつ失われていくから何となく物悲しく感じてしまうという理屈。 「悲しい」っていう感情は、基本的に何かを失った時に現れてくるものですからね。 とか何とか書いていて「いやそれは余りに情緒が無いよ」と思いつつも「いや、これはちょっと斬新な解釈ですよ?」と思ったりもしつつでああ心の意見という物はそうそう一つにまとまる物ではないのだなあという人間心理の不思議。 まるで逆の心理状態を同時に内包出来る辺りが人間の素晴らしさだと思うのですがどうでしょう(どうもこうもないよ) |
10月10日(月)「いわゆる一つの無限階段」 |
本日のコント♪ A「砂山で階段を作って登ってみよう!Bくん!」 B「まあ、だいぶ馬鹿らしいけどいわゆる青春の思い出というヤツだね!Aくん!」 ザクザク。ザクザク。 A「やや、かなり高い階段が出来たけど、砂の量が足りなくなったよどうしようBくん!」 B「どうもこうも砂がなくなったんだからここまでだよ。いい汗かいたねAくん!」 A「あっ、そうだ!階段の上の段に砂が足りないのなら、下の段から取ってくればいいんじゃないかなBくん?」 B「あっ、なーるほど!って出来る訳がないよAくん!」 ![]() 「しかし彼の一念は物理法則すらくつがえし、ついに階段は月にまで到達したのです!そしてその彼こそが後に我ら教団の教祖さまと」 「帰ろうここインチキだ」 |
10月9日(日)「外来語の筈なのに『吸血鬼』って日本語があるのは凄いよね」 |
本日のコント♪ ![]() A「くっくっく、私こそは有名なドラキュラ伯爵。キミの生き血を頂きに来ましたよ!」 B「えーっ!あの美女の生き血しか吸わない事で有名な吸血鬼!?キャー!私ってば美女なのね!」 A「え、いやあの驚きどころが違うと思うんですが」 B「でもぉー、私ってば日光浴とか好きな人だからぁ、えいっ!十字架☆」 A「ギャー!?じゅ、十字架だと!?」 B「おまけに、えいっ!夕食のギョーザも付けちゃおう♪」 A「ぐわっ!?く、臭ぁーッ!!」 B「更におまけに、日焼け用の紫外線ライトもとどめにくらっちゃえ!」 A「あ、あづっ!熱ーッ!?ああくそこんなのやってられるかー!」 B「あーっ!逃げたーっ!」 A「という訳で我々一族は病院に輸血用血液を盗みに入らねば生きていけないという有様で」 B「父ちゃん!何かもう泣けてくるよ、おいら!」 という訳でガンダムシードDの後番組「BLOOD+」を見てみたり。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ガンダムといい、相変わらず夕方の六時台に放映する内容とは思えないハード&血まみれアニメっぷりですね!(汗) 吸血鬼ものって、おおまかに分けて耽美で怪しい恋物語系と血まみれハードアクション系があると思うのですが、今のところ、限りなく後者っぽい雰囲気かな。 明らかに連続ストーリーなので来週も一応見てみようかと思った。 |
10月8日(土)「がしがしゆんたりペン入れ中」 |
投稿漫画の下描き完了から十二日は経っていますが未だ大してペン入れが進んでいないと言うあらビックリまあ!な事実。 諸事情で休日以外にほとんど漫画作業が出来なくなったのが原因ではあるのですけど、う〜ん、このペースはなんか微妙にヤバいなあ(汗) 月末までには多分改善される筈なので、たまにはスローペースを楽しみつつつらつらと作業を進めていく事に致しますよっていうかそれしか出来ないのだ!畜生! そんな訳で今日もヤケ牛乳です(待て) 何であっても最初は初々しさというのがあって、段々と慣れてくるにつれて、鈍さというかそれが当然みたいな状況に陥ってくるのはまあほとんどの事態に当てはまる事だと思うのですが。 ペン入れを続けて行くにつれて、多少は前よりも慣れてきたと言うかラクな気持ちで線が引けるようにはなってきたのですが、その分細かい所に目が行かなくなったと言うかあまり気にならないような状況になってきた感じが少し。 最初の内は定規で線を引いて「あ!ここが一ミリ以下だけど歪んだ!やばっ!」みたいに神経使いすぎかってくらいの所まで気になったりしていたのですが、最近は多少の誤差は「まあ、いいか」みたいに気楽に対処出来るようになったというか。 かといって前より絵が汚くなったかというと全然そんな事は無くて、迷いが無い分、以前より多少多分もしかしたらキレイな線が引けているような感じが少し。 本当に神経を使いすぎていたら最初の一本の線さえきっと引けなくて、鈍さがある故にちゃんとした線が引けるようになるっていうのは、ええと、何でしょう、世の中不思議な事もあるもんですな!(待て) そんな事を考えていたら枠線が乾かないうちに定規を載せて引きずってとんでもない事になったりしたので返せあの頃の初々しさを畜生みたいな(何なんだ) ![]() |
10月7日(金)「臨時だけど始まってた」 |
一昨日の日記に書いた森博嗣氏の日記が始まっていたので早速見に行ってきた訳ですよ。 うん、やっぱり前回の日記と似ているようでちょっと違う所を突いてきている感じですね〜。 で、その森氏の十月一日付けの日記の中で「物凄い大勢の人がネットで日記を書いていて、いったい読み手はいるのだろうか」という風に書いておられたりするのですけど、うん、まあ、確かに言われてみればその通り。 光野が知っているだけでも、物凄い数の日記サイトがネット上に存在していますからね〜。 まあ秋色日記の場合は日記閲覧者の存在以外に、ほぼ毎日更新して本人が生きていますよという事実とあと毎日何であれネタを書き続けて行く事で鍛えられるものなり維持出来るものなりがあったりするんじゃないかという非常に希望的且つ刹那的予測の基に成り立っているので、ある意味読み手の存在だけが全てでは無い所はあります。 あ、でもこれは日記だけじゃなくてマンガに関しても似たような事が言えるのかな。 鍛える事と、読み手に読んでもらう事と、あと何より自分が描いて楽しむ事が、自分の創作の基本になっていますので。 ![]() |
10月6日(木)「何ていうか、愛ゆえに」 |
本日のコント♪ ![]() A「仕事と私と、一体どっちが大事なのよ!?」 B「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 A「もう!何とか言いなさいよ!」 B「いや、仕事とキミとどっちが大事とか言われてもなあー。生きるのに水と食料どっちがより大切かと問われているみたいなもので」 A「そ、そんなので誤魔化されないわよ!」 B「いやいや誤魔化すとか何とかじゃなくてさ、例えば仕事を六甲の美味しい水と例えるならば」 A「例えるならば?」 B「キミはさしづめ百円のお買い得カップラーメン」 A「実家に帰らせてもらいます」 B「いやいや俺は六甲の水より百円ラーメンの方が好きなんですよ?」 A「そんなもん知るか!バカ!」 例えば仕事と恋人とどっちが大事かと言う質問があって、「どっちも大事だ!」とかいう風に答えたら多分納得行かない人が過半数という風なイメージが光野的にはあるのですけど、こういうのをもし数値で表せるようになったら、それはそれでどうなんでしょうね? 誰と誰を比べて明らかに数値的にはこちらの人の方が大事で、誰々は誰々よりも明らかに格下、みたいなのがもし実際に分かるとしたら、それはそれで問題があるんじゃないだろうかという気がしないでもない。 みたいな事を、コントを書いてて思ってしまった訳ですが。 |
10月5日(水)「推理物について書くのも久しぶりな気もしますが」 |
かつて森博嗣の浮遊工作室内で連載されていた森博嗣氏の日記が、WEBダ・ヴィンチ内で復活するそうで地味に楽しみ。 ただ、日付が数日遅れて更新されていくスタイルのようなので、日記としての臨場感というかリアルタイムだからこその価値みたいな部分が薄れたりしないだろうかというのはちょっと心配。 WEBならではの利点というのは、やっぱり限りなくリアルタイムに近い速報性にあるんじゃないかなとちょっと思ったり致しますので(けれども以前の「日記」とは基本的に別物と考えておいた方がいいのだろうなあ) ![]() 最近記憶に残るような推理物を読んだ記憶が無いので、読みたい推理作品が少なくなってきているのかなと思っていたら、古畑任三郎もトリックも新作が放送予定だし、金田一君も復活しているし(この間TVスペシャルもやってたし)、コナン君は現役だしQEDは今月新刊が出る予定だしジャンプで脳噛ネウロもやっているしで何か考えてみたら滅茶苦茶沢山ありますぜ、ダンナ?(ダンナ?) けれどもそのいずれも「推理ものとして」ではなくて、最近はどうも別ベクトルで評価しているような気がするのですよね〜。 むむ、これだけ作品が揃っていながらトリックどっかんの正統派推理作品という意味で期待している作品が一つも無いのは一体どういう状況なのか。 あんまり「トリック!ミステリ!」と期待しながら作品を読むのも期待を裏切られた時のショックが大きすぎるのでアレなんですけど、たまには期待を裏切られても良いから期待したくなる!みたいなハラハラドキドキさせられる作品が読んでみたいです。 もう自分で描くしかないんじゃろか。 |
10月4日(火)「古畑任天三郎堂(待て)」 |
![]() 古畑任三郎の完結作品が来年のお正月に三夜連続で放映されるようで、えーと、あれ?確か前のスペシャルの時にも最後とか何とか言ってたような…。 でもまあ「これが最後!」とか言いつつ新作が作られるのはあんまり珍しくない訳ですし(待て)なんだかんだでまた古畑さんが見られるのは楽しみですね。 古畑任三郎は、第一期、第二期と段々ミステリ部分に磨きがかかって、第三期はミステリ分の薄れをコメディ分で補っていたような感じなのですが、さて最終作品はどう来ますか…。 そういえば「トリック」も、後半に行くほどコメディ寄りになっていったという意味で古畑さんに流れが似ているかもしれない。 …あれ?そういえば「トリック」のTVスペシャルを秋に放映するとかいう話はどうなったんだろう。 この前修理に出したニンテンドウDSが早くも帰ってきました。 九月の二十六日に発送したので約八日間で修理されて戻ってきた事になりますね〜。 うむむ、やるな任天堂! 修理明細票というのが付いていたので修理内容を見てみたら、「上画面映像不良」で部品交換が「LCDユニット」と「スクリーンカバー」。 ははーん、なる程LCDユニットの故障でしたか! 薄々そうなんじゃないかと思っていましたよ、光野は! あの丸くてなめると甘いユニットね! ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 御免なさい今嘘付きました(LCDユニットって何だよ!) とりあえずこれでまた毎日脳が鍛えられそうです。 |
10月3日(月)「世界には我々がまだ見ぬキノコが」 |
本日のコント♪ ![]() A「香りマツタケ、味シメジ!」 B「え、何をいきなり口走ってるのキミ?」 A「秋といえば当然ながらスポーツの秋!そしてスポーツの後には美味しい食事が欠かせない食欲の秋だと思うんだ!」 B「最初から普通に食欲の秋言えば」 A「という訳でマツタケを探しに出かけようと思う!その辺の山に生えてないかな?」 B「生えるか!マツタケって言うのは、アカマツ林の、更に特殊な条件でしか育たないの!その辺の山なんかにポンポン生えてる訳が」 A「見つけた!」 B「早いな!」 A「これは見事な白マツタケ!」 B「白マツタケなんか無いよ!ていうかそれ明らかにエノキダケだよ!キミもしかしてマツタケを見た事ないんじゃあ」 A「ば、バカにすんなよ!それくらい、知ってらい!」 B「じゃあどんなのだよ」 A「とりあえず、引き抜くときは耳に栓をしておかないと発狂死します」 B「どこの世界の何マツタケだそれは」 |
10月2日(日)「そしてガンダムシード・デスティニー」 |
という訳で昨日のガンダムシードD五十話の最終回! ![]() (以下ネタばれ) や〜〜〜〜〜〜も〜〜〜〜〜〜〜 光野的には大満足の最終回でした!(笑) そうか〜!まさか最後にああ来るか〜! 大局的な決着は全く着いてないような気がしますが、個人間の決着はこの上無くきちんと着いてむしろ予想以上な感じに。 そもそもが議長の独断に近いディステニープランに対して、そもそもがキラ君の独断に近い(待て)運命でなく自由を選ぶ世界。 戦争ものの皮をかぶった男同士の戦いって感じでしたので、こういう決着が着くのはある意味で必然の流れと言えます(世界とか国家とか巻き込んじゃってますけど、まあ些末な事です(待て)) という訳でストーリー感想。 幾らか途中で変更はありましたが、戦いの目玉としてはキラ君VSレイ、アスランVSシン・ルナマリアといった部分がメイン所だったでしょうか。 キラ君とレイの戦いに関しては、前作のラストのようにお互いの信念をぶつけ合った上での戦闘の決着な訳でして。 レイの機体が爆発しつつも「あ、これは生き残りそうな」爆発具合でしたのでこりゃ生きてるなと思っていたら案の定CM後に生きてました(笑) ていうか、レイがあんなに簡単に改心(?)するとは思わなかったな〜。 あ、でもこれまでレイの周りにああやって真面目に諭す人間って、考えてみれば議長しか居なかったような気もしますね(隠してたんだから当然ですが) シンは諭す側じゃなくてむしろ諭される側だったから論外ですし(待て)、案外ストレートにぶつかってみれば説得出来る相手だったのやも。 あー、でも「あの台詞」を「あのキラ君が」、「戦闘に勝った上で発言した」からこその説得力だったのかもしれないな、とも思わないでもないですね〜。 ラストシーン近くのキャラ描写から見ても、案外「敗北」とか「折れる事」に非常に弱いタイプのキャラだったみたいですし。 結局、レイが欲しかったのは「安心できる場所」、すなわち「家族」だったという事で、レイの物語はひとまずの決着。 そして今作の主人公の筈の最大の問題児、シン・アスカの登場な訳でして。 結局の所、アスランから真面目に真正面からぶつかって諭されれば、一言も言い返す事の出来ないそんな正義をよりどころにしたのがシン君の最大の敗因だったと言えます。 まあ、そういう強さ(自分で考え、自分で行動する力)が無かったからこそのシン君であり、そしてその側に居るしか出来なかったからこそのルナマリアであり。 敗者が居るからこそ勝者が輝くという意味で、最終回に相応しい実に見事な負けっぷりだったと言えます。 もしかして死ぬかな〜、ともちょっと思っていたのですけどね〜。 しかし敗者はただ地に這いつくばり、敗北の味を噛み締めるのみ。 テーマ的に、それをきちんと描写したのはかなり評価したいと思われます。 あ、でもステラは何故に出てきたんだろう? 素で分かりません。 何言ってるのかもちょっと良く分からなかったし。 そして、前半でレイ、後半でシン・ルナマリアと来て「あれ?議長は?」とか思っていたら、レクイエムが破壊されーの、メサイヤが破壊されーので「あれもしかしてこのまま大爆発で死んじゃってそれで終わりエンド??」とかかなりビクビクしていましたが、あー、まさか沈み行くメサイヤに一人残る議長の前に、キラ君が単身乗り込んで行くとは予想もしていませんでしたね〜。 あ〜、でもこれは必要な出会いですよ、ええ。 互いに銃を突きつけていますけれども。 ていうか、更にタリア艦長はともかくレイまでやってきて銃を構えるとはさすがに予想もしていませんでしたっていうか、この組み合わせの場面が見れただけで光野的にはもうかなり十分ていうか満足でした。 しかも、この状況で議長を銃で撃ったのがレイだったって言うんですからもう!奥様!!(奥様?) 間違っていると薄々分かりつつも、大人として、そして軍人として命令を遂行し、そして戦ってきたタリア艦長。 世界の真の変革を望むべく、様々な物を裏切り、操り、己の信念の為に戦い続けてきたデュランダル議長。 そして、おそらくはただ自分自身の居場所が、家族が欲しいと嘆き、自分のような人間を二度と生み出さないために戦う事を誓ったレイ・ザ・バレル。 その戦いの最後に辿りついた場所が、例え刹那の時間であってもそれぞれが欲した望みそのものであったのは、悲しくも非常に美しい結末だったと言えます。 ていうか、ラストにED曲がかかってくるのは大体予想していたので、「悲しみを振り切って希望を掴むような」結末はどんな風なのかな〜とちょっと思っていたのですが。 こんな風でした! 改めて、光野的にはもう大満足な結末でしたね〜。 …あ、でもディアッカとミリアリアの話が全く無かったのはちょっとだけ残念かな(笑)(流れ的に会話させるのが不可能だったですからね…) あと、まあ敢えて苦言を呈するなら、これをガンダムという戦争ものの枠組みでやる意味はちょっとだけ疑問だとは思いますが。 面白かったです! 来週はBLOODとかいう吸血鬼バトルモノですか! どうしようかな!(笑) (ネタばれ終わり) 先日、何だかよく分からない着ぐるみを見かけたので「あれは何だ!?」と思っていたらこれでした。 紀の国戦隊「紀州レンジャー」! ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 和歌山って…(汗) |
10月1日(土)「ゲーム未収録曲のベルディアも入ってるでよ」 |
![]() という訳で十月になりましてございましてトップ絵更新でございます。 ていうか、前に描いた事あるようなイメージのトップ絵ですが(汗)そこそこイメージ通りに仕上がったような気がしないでもない。 たのみこむの通信販売で注文していた「メタル・サーガ」のサウンドトラックが届いたのでトップ絵を描きながら聴いてみたり。 あ〜、やっぱりメタルシリーズの曲は良いですね〜( ̄ω ̄) 特に「お尋ね者との戦い」とか(笑) もしかして自分、あんまり意識していないけれどもこのシリーズがめちゃ好きなんじゃないかという風な気がしてきました(笑) ところでPS3向けソフトタイトル予定の一覧が発表された訳ですが。 サクセスの「RPG(仮)」が滅茶苦茶気になってしまうのですけど。 …メタルシリーズだと良いなあ(笑) しかし、気付けばもう十月で残すところあと三ヶ月で二〇〇六年で来年ですね。 頑張らにゃ〜。 |