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雲仙地獄
南高来郡小浜町雲仙

  一乗院・満明寺をおりてすぐそばに雲仙地獄があります。あちこちに湧出する熱湯には30余の名称がつげられており、それに仏教的な勧善懲悪を説くための地獄名がつけられています。
  なかでも血の池地獄、八幡地獄などにはキリシタン弾圧にまつわる悲話が伝えられ、三代将軍家光からキリシタン絶滅をきつくいいわたされた藩主松倉重政は、より以上の弾圧を強化しました。

  1627(寛永4)年、島原の内堀作右衛門以下16名が捕らえられ、雲仙地獄におくられました。そして「地獄責め」といわれる硫黄が煮えたぎる温泉の熱湯をかけられ殉教しています。翌年は中島修道士ら3人が殉教しました。
  長崎奉行竹中重義は雲仙で長崎のキリシタンを引き連れて背中に熱湯をそそぎ棄教を迫りましたが、64名のキリシタンはひとりも棄教しなかったと伝えられています。
 キリシタン信徒への雲仙地獄責めは「山入り」と呼ばれ、「温泉岳での拷問」を意味していました。この「山入り」は5年間続いたそうです。

 毎年5月の第3日曜日の長崎大司教区主催による雲仙殉教祭では、雲仙教会からお糸地獄までの巡礼が行われます。
 
昭和36年(1961)長崎大司教区建立