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南高来郡口之津町
玉峰寺
  口之津を訪れる時、忘れてはならない所、それは玉峰寺です。海に向かって右側の海岸線を歩いていくと大きな観音様が建っています。そこが玉峰寺です。
  この玉峰寺はかつて切支丹時代に教会があったところです。このお寺は、二つの意味で切支丹に興味のあるかたは忘れられぬ場所となっています。
  第一にここは、切支丹史上で有名な巡察師ヴァリニャーノ師が天正7年(1579)宣教師たちを招集して「口之津会議」を開いた場所なのです。これは当時の日本布教方法について非常に重要な意味をもった会議で、日本で布教する場合の具体的な内容が話され決定されています。
 セミナリヨ、コレジョなどの神学校の建設、印刷所、病院などを建設し、教育と文化面で日本の若い人たちを育て上げていくことなどが話されています。この会議を受けて、有家、口之津、加津佐などにセミナリヨ、コレジョが建設されていったのでした。
  第二にここは、切支丹迫害が慶長17年頃からこの有馬地方に始った時の刑揚になった場所でもあるのです。
 慶長19年、ここでは70人の信徒が5人ずつ呼び出され、撲られ、蹴られ、木に逆さづりにされ、指を切られ、額に十字架の焼印を押されて殉教しています。中でもトマス荒木長右衛門は2時問も頑張った後に息たえ、また朝鮮から秀吉の征韓戦役で捕虜として連れてこられた朝鮮人の百姓、ミゲルもここで殉教しています。
 私が訪れた9月24日は、お彼岸の後日でした。線香の香りがたちこめる境内を静かにのぼっていきましたが、往時を忍ばせるものは何一つありません。
 ただ、ヴァリヤーノ神父が宣教師を集めて会議したという、かろうじて切支丹との関わりを知るぐらいの案内がたてっていました。
 大きな楠の枝を通して海がみえます。右手は墓地です。その墓地がかつて切支丹が拷間、処刑された墓地と同じ場所なのか、どうかはわかりません。
ヴァリヤーノ神父は宣教師を招集し「日本布教の会議:口之津会議」を開いた
玉峰寺から見た口之津の港