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聖徳寺 浦上キリシタンの檀家寺(銭座町)
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  JR浦上駅はその昔、長崎駅と呼ばれていました。明治中期、この浦上駅付近から現在の長崎駅付近までの埋立工事が実施され、鉄道も延長されました。そして当時新しい駅としてできたのが現在の長崎駅です。それまでの長崎駅は浦上駅と改名され今日に至っています。
  長崎駅から浦上方面へ戻ると道中に銭座町バス停があります。その丘のうえにあるのが聖徳寺です。1626(寛永3)年、稲佐の悟真寺の開租聖誉の弟子、専誉が建てた浄土宗の寺院で長崎港と浦上との間に突き出たでた丘陵の先端に位置し、むかしは浦上平野の奥深くまで海水がはいっていたので、港湾一帯を見わたす絶景の地でした。
  この寺は山里村・渕村一帯を管轄し、浦上キリンタンの檀家寺でもあり、“浦上四番崩れ“はこの寺との関係をやめようとしたところからはじまったのでした。この寺は原爆で焼失、いまの建物は昭和46年再建されたものです。
 
■女の一生・キクの場合(遠藤周作)
  キリシタン作家の遠藤周作氏「女の一生/一部・キクの場合」のなかで、「ペーロンの銅鑼と太鼓の音がきこゆいばい」という下りがあります。なるほど明治の当時は、この寺のすぐそばが海、そして浦上川が流れ込んでいった地形。ここに来てあらためてそれを実感したしだいです。

  遠藤周作氏の「女の一生第一部」は、ここ聖徳寺や大浦天主堂などを織り込みながら、長崎の商家へ奉公へ出ていった浦上の農家の娘キクを主人公に、彼女が思いを寄せ津和野へ流されていく基督教信者の清吉、いとこのミツを登場させ、幕末から明治の長崎を舞台にして語られています。
 切支丹弾圧の嵐が吹き荒れるなか、信仰のために流刑になった若者にひたむきな思いを寄せた娘キクの短くも清らかな一生を描き、基督教と日本の風土との関わりを鋭く追及しています。(新潮文庫)

■浦上村自葬事件
  元来、彼杵郡浦上村山里の地は本原郷、中野郷、家野郷、里郷、馬込郷の五集落から成っていた。その中の四郷では秘かにキリシタンの信仰が受け継がれていた。そのため元治元年(1865)以来、本原郷、中野郷、家野郷には四ヶ所の秘密礼拝堂があり居留地から宣教師が巡回していた。
  慶応三年(1867)3月、茂吉、久蔵、たかなどの死により檀那寺である馬込郷の聖徳寺に頼まず自葬してしまった。そこでキリシタンが発覚して信徒代表7人が長崎代官所に呼ばれ取り調べを受けたが更に6月13日長崎奉行は捕吏170人を遣わし四郷の中心人物68人を桜町の奉行所牢に入れてしまった。 浦上四番崩れの端を発していく(聖母の騎士2001.4月号から転記)