諏訪神社参道から新大工町の商店街に入って、「春徳寺はすぐですか」と訪ねると「桜馬場中学校から山の方へ」とのこと。
  商店街がつきたところに桜馬場中学校があり、その左手の坂道をのぼりつめると、つきあたりの石垣にはめこまれた白大理石の板碑が目につきました。「ルイス・デ・アルメイダ」1567年、医師・宣教師として長崎にはいった最初のポルトガル人』とポルトガル語できざまれています。

  1567(永禄10)年アルメイダがはじめてキリスト教を長崎に伝え、かわってガスパル・ヴィレラも布教し、長崎の領主長崎甚左衛門純景から廃寺をあたえられ、卜ードス・オス・サントス会堂(県史跡、ポルトガル語で諸聖人の意味)を創建しました。長崎で最初の教会です。
  近江の安土と肥前の有馬に創設されたセミナリヨ(中学校程度)も、各地を転々としたのちここにおちつき(1612年)、豊後の府内(いまの大分市)につくられたコレジヨ(大学)も一時ここにおかれたそうです。
  肥前の加津佐におかれた印刷所も、コレジョとともに天草をへてここにうつってきました(1597年)。 こうしてトードス・オス・サントス会堂は、ヨーロッパ式学制をしいた教育の場としても栄えましたが、1614(慶長一九年)幕府の命令でとり壊され、そのあとに臨済宗の春徳寺が岩原郷、いまの県立美術博物館のあたり)から移ってきました(1640年)。
  教会当時の遣構としては外道井とよばれる井戸が本堂うらの庭園の片隅に残っているにすぎませんが、その水はいまも使われています。
 南蛮人が掘り、その底は地下道となって長崎港までつづき、万一のときはキリシタンがここをとおって逃亡できるようにしたという伝説もあります。また井戸の近くの植込みには、祭壇につかったたとおもわれる一枚石もみられます。春徳寺の下のあたりは、わが国の煙草栽培発祥の地で、1599(慶長4)年はじめて輸入されたタパコが、当時の宣教師の指導で試作されたところ。


 
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トードス・オス・サントス教会跡春徳寺
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