歴史の小窓
  大音寺坂「葉隠れ忠臣蔵」
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万屋町法務局界隈
  県庁前の大通りは、県警、県庁、国の出先機関などの官庁街や銀行や保険会杜のビルが林立する通りとなっています。そのまんなかの長崎地方検察庁と長崎地方法務局のあいだに、古風なかたちをとどめた石段があります。築町市場にぬける坂で、大音寺坂とも天満宮の坂ともよばれている。
  この坂のおり口に『ミセリコルディア本部跡』という石碑がたっています。
 長崎が耶蘇会領だったころの天正11年(1583)、熱心な篤志家のキリシタンが寄付金をあつめて、本博多町(いまの万才町、法務局のあたり)にミゼリコルディア(ポルトガル語で慈悲の意味)の家を建てました。
 慈悲屋とよばれる養老院や、養生屋とよばれるライ病院・孤児院などで、長崎初の民間の社会福祉施設として注目され、豊臣秀吉などの厳しい弾圧にも屈せず、江戸時代のはじめまで存続したが、ついに元和6(1620)年、長崎奉行長谷川権六のとき破壊されました。
 長崎奉行はミゼリコルディアの跡地に、キリシタンの転宗に実績をあげていた僧伝誉のために一寺を建立しました。これが浄土宗の大音寺です。寺域がせまいので寛永15年(1683)に今籠町(いまの鍛冶屋町)の現在地にうつされた。そのあとに建てられたのが坂の上天満宮でしたが、原爆で被災したため、いまは坂の下にうつされています。


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ミゼリ・コルディア本部跡  大音寺坂
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