樫山と喜長谷


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■長崎市樫山
  滑石から西へ進み畝刈の集落を過ぎると新長崎港が目の前に飛び込んできます。そしてサーと視界が開けて外海に出ます。そこが私の生まれ故郷・長崎市三重町です。昭和48年に長崎市へ編入され、最近では急速に都会化が進み出しています。
  三重崎にある樫山、三重の平地の手前にある畝刈地区は隠れキリシタンの集落で知られています。東樫山にあるバスチャンの神山(赤岳)には、七人の殉教者の墓があったと伝えられ、キリシタン信仰の地でした。いまは弁財天をまつった鳥居が雑草の中に埋もれています。
■樫山の殉教者「茂重」のことについて
  安政3年(1856)浦上の3番崩れの時、浦上の多くのキリシタンが捕らえられて牢に入れられ拷問をうけた。そのためキリシタンの印の御像やメダイを持っている者は、皆身の危険を感じ、ある人は山に、ある人は家庭の中の器の中に入れて隠すとかして、役人に見つからないようにした。しかし、探索は厳しく、隠し終えないと感じ、浦上から熱心なキリシタン頭目の茂重に、御像とかメダイを預けた。迫害が日増しに激しくなり、次々と捕らえられ拷問にかけられ遂に御像メダイ等を茂重に預けたことを白状してしまい、役人は茂重に預かったものを出すように迫ったが茂重はしらを切り、捕らえられて佐賀の牢に1年余り入れられたが牢を脱走し、樫山に帰った。危険を感じ、浦上の熱心なキリシタン三八の物置に隠れていたが、遂に発見され深堀の牢に入れられ、拷問を受け牢死した。茂重の記念碑とその墓が樫山の奥に静かにひっそりと建っている。
  こんど帰省したときにお祈りをしなければ………。

  樫山から東の海を望むと野母半島が見えます。ひときわ高い山が八郎岳。その麓に樫山とは切っても切れない集落、深堀大籠地区・善長谷です。

■深堀大籠地区・善長谷
  深堀の南に大籠に標高250メートルの城山があります。山頂には八幡神杜を中心に鉢巻状の城塁跡と五条の空堀があり、また自然石とはおもわれない俵石という米俵状の石が多数ころがっています。 古い時代に城があったので、防御の武器ではなかったかといわれていますがわかっていません。
  山頂に近い西斜面に善長谷という集落があります。十字架をいただく天主堂がカトリック集落であることをしめしています。19世紀のはじめ、三重・樫山から移ってきた佐八という人が開いたキリシタンの集落です。
  長崎半島に、大山・岳路(たけろ)など西彼杵半島とともに隠れキリシタンの集落が散見されています。けわしい溺れ谷で陸路の不便な半島部は、禁教の目をさけるのにつごうがよかったからでしょうか。
善長谷教会
善長谷教会から長崎湾の沖合を望む
善長谷教会から香焼方面を望む