大音寺坂と葉隠れ忠臣蔵

 大音寺坂といえば、葉隠れ忠臣蔵とたたえられている深堀騒動の発端の地として有名である。元禄13年(1700)12月19日の昼過ぎ、深堀藩主・鍋島茂久(佐賀鍋島藩の飛び領高6000石)の家臣、深堀三右衛門と柴原武右衛門の両名が 長崎町年寄筆頭高木彦右衛門の若党二人とこの大音坂寺ですれ違ったとき争いをし喧嘩がおこった。
 主人の威光をかさにきた高木家の若党たち20数名は、五島町の海ぎわにある深堀屋敷になぐり込みをかけて乱暴を加えた。それを無念に思った深堀藩士は,長崎から南へ三里の山道をはしりぬけ深堀藩に急報。深堀から駆けつけた20余名の侍は、翌20日の未明高木屋敷(いまの銅座町で東京銀行長崎支店のところ)に討ち入って町年寄り高木彦右衛門の首をあげた。当の深堀三右衛門は高木家の玄関先で、柴原武右衛門は浜の町と築町にかかる大橋の(中央橋のすぐ上流にかかっている鉄橋)の上で切腹したという。この騒ぎで、深堀藩士10名が切腹を命ぜられ、9名が五島に流罪となった。また、高木家は彦八(彦右衛門の弟子)が長崎から追放のうえ、家財・屋敷は没収されて高木家断絶という喧嘩両成敗が言い渡された。