第11回定期演奏会 ステージ紹介 

(第11回定期演奏会プログラムより転載)

1st stage...  訪問演奏から

1.みかんの花咲く丘
 昭和21年(1946年)、放送を翌日に控えて作詞作曲されたといわれています。川田正子(故人)の大ヒット曲。日本人なら知らない人がいない・・・と云えたのはしばらく前のこと、団員の中にもこの曲を知らないメンバーがいました。時代は動いていますね。

2.平城山
 明治生まれの歌人北見志保子が昭和9年に詠んだ二首の和歌に、平井康三郎が昭和10年に作曲した名曲。北見志保子は情熱的な歌人であったといわれていますが、平城山を訪れた際自らの恋の悩みを仁徳天皇の皇后の物語に重ね合わせて詠んだといわれています。この曲は琴の響きを取り入れて作曲されています。

3.もみの木(O Tannenbaum)
 ドイツの民謡。クリスマスには欠かせない曲となっています。歌の内容は「冬の雪にも夏の暑いときでも緑を保っていることをたたえている」という単純なものです。クリスマスよりも「緑の音楽会」にふさわしい曲といえそうです。

4.小夜曲(Standchen)
 セレナーデ、愛する人の窓の下に立って歌う歌。ドイツの曲で、男声合唱のなかでも非常に親しまれている、哀愁あふれる魅力的な曲です。

5.野ばら(Heidenroslein)
 ゲーテのこの詩につけられた曲は100曲を超えるといわれています。そのなかで合唱曲では「ウェルナーの野ばら」、独唱曲としては「シューベルトの野ばら」が最も有名です。ご承知の通りこの曲は世界中の合唱団に演奏されていますが、曲の解釈、演奏スタイルも実にさまざまです。興味深いのは、同じウィーン少年合唱団の演奏でも、その時代、指揮者によってまったく異なった演奏がされていることです。さて「一ノ蔵」の野ばらは?

6.この道
 “この道はいつか来た道、ああそうだよ…”多くの人に親しまれている北原白秋、山田耕筰コンビの名曲。独唱曲として男声、女声問わず多くの名歌手に歌われています。本日演奏するのは福永陽一郎編曲によるもので、1番から4番まで順次転調しながらメロディーがいろいろなパートへ移っていきます。

7.箱根八里
 滝廉太郎の名曲。箱根の奥深く険しい景観を中国の名称地と比較して作られた歌詞です。その当時(鳥居忱が活躍していた、今から100年前)に、100年前の武士と当時の益荒男を比較して歌っています。東京音楽学校を卒業したばかりの滝廉太郎はひとつの音符に2語、または3語を当てるという当時にはなかった大胆な手法で勇壮な曲に仕上げた曲といわれています。歌っていると活力がみなぎってくるような感じがします。

2nd stage... 帰ってきたヨッパライたち 〜お酒の歌 特集 パート2〜

1.南部流酒造り唄
 かつては酒造りのあらゆる工程において作業歌が歌われていました。「南部流酒造り唄」は、以前私たちが一ノ蔵の蔵元を訪問した際に、働いておられる南部杜氏の方に歌って頂いたものを団内で採譜したものです。今回は、「山卸し」という過酷な作業と共に歌われる「荒もと摺り唄」と、酒造りの最終工程である「留添え」の際に、おめでたい歌詞で歌われる「留仕込唄」を歌います。

2.黒田節
 時は戦国時代、酒豪で知られる九州・黒田藩の武将・母里太兵衛(もりたへい)が福島正則との飲み比べに勝ち、名槍・日本号を手にしたというエピソードから生まれた民謡です。元唄は平安時代に流行した「今様」であり、さらに中国・唐伝来の「越天楽」に遡ることが出来ます。JR博多駅前には母里太兵衛の銅像があるそうです。

3.北酒場
 1982年、ホテル・ニュージャパン火災、日航機墜落事故、教科書問題といった暗いニュースが相次いだこの年に、細川たかしが歌って大ヒットしました。非常に調子のいい軽佻浮薄とも言えるメロディは「新演歌」として多くの人に受け入れられました。2年前の第10回演奏会に引き続いて、黒人音楽風のリズミカルなアレンジで歌います。

4.ウィスキー・ジョニー
 「ウィスキーは我が人生そのもの」と歌ったイギリスのシーシャンティ(船乗りの歌)です。作家のC.W.ニコルさんが歌ったものを元に、団員がアレンジしました。訳詞も団内のオリジナルですが、居酒屋一ノ蔵でご一緒させて頂いた際に、ニコルさん本人からお褒めの言葉を頂きました。1999年の第7回演奏会以来の演奏となります。

5.終電車のブルース
 昨年結成50周年を迎えたデューク・エイセスが1965年〜1970年に発表した、永六輔、いずみたくのコンビによる「にほんのうた」シリーズの中の1曲です。元々は埼玉県の歌で、通勤ラッシュや日頃の憂さを酒で晴らす、「埼玉都民」と呼ばれるサラリーマンの悲哀を歌っています。今回は団員の生活拠点に合わせて、歌詞を一部変更しています。

6.帰ってきたヨッパライ
 フォーク・クルセダーズの1967年の大ヒット・ナンバーです。早回しのテープと奇想天外な歌詞で一躍大反響を呼びました。作曲家・青島広志がミュージカル風にアレンジしたものを、団内で男声合唱としてリメイクしています。最近、飲酒運転による悲劇が大きく取り上げられていますが、これは決して許されることではありません。私たちも「飲んだら乗るな」を肝に銘じてお酒と付き合っています。

7.お酒の歌
 アメリカ民謡をベースに、酒好きの彼氏のことを様々な酒の銘柄とともに歌った、高石ともやとナターシャセブンのレパートリーです。過去にも歌っていますが、今回新たに、日本酒と銘酒一ノ蔵を愛する我々合唱団員に相応しい歌詞を付けました。私たちのお酒と一ノ蔵への思いを、伴奏陣と共に賑やかに演奏します。

3rd stage... 男声合唱組曲「三崎のうた」

 日本を代表する詩人の一人、北原白秋(1885-1942)の創作は詩、短歌、童謡、民謡など多岐にわたり、中でも、山田耕筰とのコンビによる歌曲は今も広く歌い継がれています。その白秋にとって、三崎の時代はとても重要な意味がありました。九州柳河から上京し、詩集「思い出」で一躍詩壇の寵児となった白秋は、姦通罪による拘留というスキャンダラスな事件でその名を落とし、失意の内に三崎の地を訪れました。そこでは、温和な気候と人々の素朴な営みに、白秋の心身は次第に癒されていきました。白秋は三崎での生活を次のように書いています。「この約九ヶ月間の田園生活は、極めて短日月であつたが、私に取つては私の一生涯中最も重要なる一転機を劃したものだと自信する。初めて心霊が甦り、新生是より創まつたのである。」(「雲母集余言」より)。
 作曲家、多田武彦は1930年大阪生まれ。銀行に勤める傍ら日曜作曲家として創作活動を続け、60曲を越える組曲は男声合唱のレパートリーとして高い人気を集めています。男声合唱組曲「三崎のうた」は1969年に明治大学グリークラブの委嘱により初演されました(初演当時は「海雀」を除く4曲)。詩集「畑の祭」から3編、創作民謡集「日本の笛」から2編の詩が選ばれています。農作に汗する人々の一途な姿、届かぬ想い、よるべのない不安感、三浦三崎の自然と日々の営み、鮪漁師の勇壮な姿。白秋の詩情を生かしたメロディラインと、緩急、ダイナミクスに富んだ構成は、「日本の詩と西洋音楽との複合芸術」としての合唱音楽の魅力を存分に引き出す組曲となっています。

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Last update : 29 April 2007

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