関西に遊びに行った時と高知のよさこい祭りに参加した帰りと2回に分けて見学してきた大阪の交通科学博物館、旅の記録として別々にアップしていたページを見学した時期は違いますが一つにまとめてみました。
展示物は鉄道以外に船、航空機なども有りましたが鉄道物中心に撮影していたようで画像が無かったり・・見る方に夢中になりあまり撮影はしていませんが記録していた物をアップしてみました。
見学した時期は2回共に暑い盛りの夏・・野外展示物は汗をかきながらの見物になりました、場所は大阪環状線や地下鉄の弁天町、東京の交通博物館は駅と駅の中間に有るのですがこちらは駅のすぐそばにありあまり歩かずに済むのはこ良いですね・・歩道橋から屋外展示車両が見えました(左画)。 しかし博物館の玄関を撮影するのを忘れていたり・・夏の盛り、しかも最初の時は13時過ぎと一番暑い時間帯でもあり急いで冷房の効いている館内に飛び込んだ記憶もあります、1度目はこちら南口の正門?から入りました。 |
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この右側は弁天町の自動改札口です、うっかりすると見落としてしまいそう・・入場券を入れると一人ずつ入れるようにゲートが回転します、昔の地下鉄が採用したターンゲート式改札機ですね。 |
東京葛西の地下鉄博物館では独立した専用の券売機に自動改札がありますがこちらは普通の券売機に間借りしているような感じです。 |
順路と画像の順番は一致していませんが・・ここでしか見られない車両も・・上の画像・・こちらはディーゼル特急の80系先頭車キハ81型、未電化の東北方面に投入された特急車両です、常磐線経由の特急”はつかり”としてデビューしました、系列としては80系気動車と言われますがその先頭車でボンネット型のこの先頭車が81型、貫通路が付きボンネットの無い先頭車を82型と言います、ボンネットの中にはディーゼル発電機が納められ照明や冷房装置などの電源とされました。 それまで急行やローカル用気動車で使われていたディーゼルエンジンや液体変速機を利用して作られたのですが試運転期間が短かった為か当初は初期故障が多く発生しダイヤも乱れ苦労された様です、私も子供の頃に青森から平(今のいわき駅)まで乗った記憶が有りますが「エンジンから煙が出た・・」とかで林檎畑の真ん中に止まってしまったと言う事を覚えています。 新聞には”はつかり、ガッカリ、事故ばっかり・・”等とも書かれたとか・・、この当時は今のように気軽に特急は乗れず準急と言う列車を利用していました。 右の画像は今となっては懐かしい国鉄のマーク、Japan-National-RailWayの頭文字を図案化した物です、特急用車両の先頭に付く特急マークと共に一般から公募し採用された物とか・・今のJRマークよりかっこいいですよね・・。(^^) 先頭車の特急マークはJRになってからは改造などで外される車両が多くなりその姿を見ることは少なくなって来ました。 |
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そのキハ81型の室内、中には入れませんがデッキ部から覗く事が出来ます、先頭車はボンネットと乗務員室が有る関係で客室は小さくなります、二人がけのイスで回転させ向かい合わせには出来ますが確かリクライニングはしない構造だと思います、ロマンスシート・・と呼ばれていた様な・・。 車体と共に室内も床やシート、壁も綺麗に整備されまだ十分に現役として使えそうな雰囲気です。 |
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初代湘南電車として東海道線を走った80系電車、こちらも80系ですが先頭車のクハは86型を名乗ります、それに合わせてでしょうか・・運用番号の数字が086になっています、この3枚窓車は初期の車両で後に大きな2枚窓に変わり”湘南型”と言うデザインの元になりました。 その後の車両デザインにかなり影響を及ぼし地元西武にも同じ湘南スタイルの型式が有りました、各地で同じ様なデザインの列車が多数登場しました。 右は運転室・・運転室が広いのもこの車両の特徴で、と当時の電車は半室運転台タイプが多くとても狭かった為かこの80系先頭車の広い運転室は”社長室”と呼ばれていたとか・・。 |
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左の画像・・こちらは電動車のモハ80型、架線は無いもののパンタも上がり今にも出発していきそうな雰囲気になっています。 右はクハ86の車内、中には入れませんが窓が開いていてそこからカメラを持った手を伸ばして撮影、キハ81型と同じく綺麗に整備されこちらは室内灯も点いて良い雰囲気です、内部を見ると・・なるほど客車に近い構造ですね、年代的に冷房は有りませんが天井にはファンデリアの送風機も見られます。 |
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日本の代表的な上記機関車揃い踏み?・・左は日本の蒸気機関車では一番大型のC62型・・1750mmの動輪に大きく太いボイラを乗せたため車両限界ギリギリ、蒸気ドームや砂箱は平たくなり汽笛も斜めに取り付けられています、C62の17号機は狭軌鉄道蒸気機関車で最高速度を記録しています。 右は蒸気機関車・・SLの代名詞になったD51型蒸気機関車デゴイチです、この2号機は煙突から砂箱と蒸気ドームが繋がった形でその形から”ナメクジ”と呼ばれていました、1号機はキャブ・・運転席まで伸びていてそちらを”全ナメ”、こちらを”半ナメ”等と表現されたことも・・何か変な表現ですね。 |
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左の画像・・ちょっとホームは狭いですが京都駅をイメージして作られています、しかし昔は”きやうと”と書かれていたのですね・・駅名札、東京の地下鉄銀座線開業当時はやはり”うえの”ではなく”うへの”になっていたとか。 車両には窓から乗客が・・これは20系寝台特急に組み込まれていた食堂車ナシ20、休日のみの様ですが実際に食堂として使われています。 その食堂車車内、イスは(テーブルもかな?)当時の物とは違いますが内装はそのままだと思われます、流石に冷房装置は利用出来ないので車端部にエアコンが設置されています。 厨房も改造はされていますが実際に使われ、食事はカレーなどの軽食となりますがちょっと食べるには丁度良い量でした。 |
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最初に来たときは裏に展示してあったこれらの車両を見そびれていました。 左はDF50型電気式ディーゼル機関車、この機関車は日本初の量産(電気式ディーゼル機関車としては試作として作られたDD50が有りました)電気式ディーゼル機関車で、ディーゼルエンジンで発電機を回しその電力で台車のモーターを駆動し走ると言うシステム、現在では出力やメカニズムが違いますがJR北海道のDF200という機関車が同じく電気式ディーゼル機関車です。 エンジンはスイスのズルツァーとドイツのマンと2種類採用され共に1200馬力ほどでしたが使われたモーターが当時の101系電車と同じMT46(出力100Kw)を元にしたタイプを6台・・600Kwの出力とかなり非力でした、四国に1両運転可能な動体保存された機関車が有るとのことです。 右の機関車は液体式変速機を用いた最初のディーゼル機関車量産タイプ、駅構内での貨車入れ替えが主な仕事でしたがローカル支線での貨物や客車も牽引、登場当初は370馬力のエンジン2台、ライトもセンターに1個でしたがその後エンジンも500馬力2台にライトもこの画像の様に2灯化され台車も変更されて量産。 この画像の車両はその中でも600番台で分けられた重連総括制御が可能なグループになります、4両が台車を1435mm軌道用に履き替え新幹線での工事車両牽引用に改造された他は貨物列車の減少などで活躍の場が無くなり全車JRに移ることなく廃車になりました。 数は少ないですが一部は地方私鉄に譲渡されたり同じ仕様で作られた私鉄用機関車が残り今でも見ることが出来ます。 |
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こちらは私も好きな型式のディーゼル機関車DD54型・・ただこの機関車は”悲運の機関車”と言われた型式です。 何故か”54”と言う型式の機関車は短命だったと聞きます、40両作られましたが故障が多く大きな事故も有り1号機が作られてから僅か12年で全て廃車になったとか・・とても短命の機関車でした。 この保存機は後期型で窓ガラスがHゴムと言う物で取り付けられています、個人的には量産間もない2次型と言われる窓のガラスがステンレスの押さえ金で取り付けられたタイプが好きです、残念ながら保存はされていない模様。 |
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左の画像はDD54の動力台車です、他の機関車と違い車輪がむき出しの様に見えますが軸受けなどが付いた台枠が車輪の内側にある構造になっています、この機関車はディーゼルエンジンと液体変速機が外国製の機器をライセンス生産したのですが性能は良い物の故障が多発し、変速機と車輪を結ぶプロペラシャフトの継ぎ手が破損する事も発生、外れたシャフトが路盤に刺さったため”棒高跳び”の様な状態となり機関車が脱線・・横転すると言う大事故も起きました、継ぎ手に関係する不具合は多発していた様です。 右の画像は車体中央に有る1軸の中間台車、動力の伝達は無く車体重量の一部を担い軸重を軽減し線路が細めの支線でも運転出来るようになっていました、ただ空気バネでは無いので軸重の調整は出来なかったと見られます。 この機関車は40両作られたのですがその内半数がトラブルで休車状態、実際に運用されていたのは10両程度だったとか・・複雑だったがため短命に終わった機関車ですね、余談ですが電気機関車のED54型もスイス製で時計のような精密な構造、駆動装置がやはり当時の国鉄では扱えず短命に終わっています。 |
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左の画像はDD54型ディーゼル機関車の運転席です、以外とシンプルにまとめられています、右側のマスコン(車のアクセルに当たる物)ハンドル・・レバーがかなり長く感じます、左側のブレーキレバーと共に実際に操作、動かす事が出来ます、実際に動かして見るとマスコンハンドルは電気機関車のそれと比べて結構動きが重くこの位の長さが必要だったのかも知れません、まあ整備されていないので動きが渋くなっていることもありますね。 右は機関室を覗いてみた画像です、奥の方にちっょと見えるのがドイツのマイバッハ製エンジン、86000ccの排気量でしかもDOHCなのでかなり大柄のエンジンです、出力は1820馬力・・この出力をメキドロ社製の液体変速機にて変速制御し走行していました、性能的には良い物だったとの事ですが構造が複雑でその液体変速機のトラブルも多発し、ライセンス生産だったことも災いし当時の整備担当者では手に負えなかった模様です。 手前に見えているのは客車の暖房用蒸気発生器・・ボイラーになります、当時の旧型客車は暖房に蒸気機関車からの蒸気を利用する物が多く、そのため電気機関車やディーゼル機関車にも暖房用のボイラー・・”湯沸かし器”を積んだ車両が多く見られました。 実際に走っている所を見たり撮影したかったですね、ただ雑誌などの記事によるとエンジンの騒音はかなり酷かったとの事でした。 |
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室外展示品にはこの様な物も・・ |
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左上の画像・・ちょっと見るとジェットエンジンみたいな物・・これは交流を直流に整流して鉄道用の電力に変える機器です、”回転変流機”と言う装置・・半導体整流器はもちろん水銀整流器などが実用化する前の機器になります、簡単に言うと交流モーターで直流の発電機を駆動し直流の電力を得る物です。 今は無き横川、軽井沢間の信越線碓氷峠電化の際作られた丸山変電所でも使われていたとか、各地の路面電車路線でも直流給電に活躍していたと雑誌で拝見しました。 右上の画像回転変流機を反対側から・・こちらが交流電動機になります、頑丈な装置ですが起動や運転制御に手間がかかったと言う事です、軸受け部に付いているメーターは温度計?。 動いている所を見てみたいです。 ←、回転変流機の説明看板と共に置いてあるこの物体も機構部品の一つですがよく見なかったので何なのか解りませんでした・・接触機かな?、ご存じの方・・いらっしゃいますか。(^^ゞ |
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このUFOを逆さにしたような物も交流を直流に変換する整流器・・水銀を用いた水銀整流器です、まだ半導体を用いた大電流用の整流器が登場する前に使われていました、交流用の電気機関車では変圧器と共にこの整流器を搭載し車内で架線からの交流を直流に変えて直流モーターを回していました。 動作原理等は専門書でも見ないと解りませんが結構大きな電流を扱えたのですね、またインバーター的な動作も可能らしく直流を交流に変換する能力も持たせることが出来たと何かの本で読んだ事があります。 この中はどうか解りませんが交流用電気機関車搭載された水銀整流器は中のガラス容器がタコの様な形をしていたらしく”タコ整流器”と呼ばれていたと聞きます。 |
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館内を散策・・ |
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左の画は私の年代で新幹線と言うとこの顔になります”団子っ鼻”等とも言われましたが愛着のある0系新幹線車両です、ライト(標識灯)が左側だけ尾灯用の赤いフィルターがかかっていますが実際には左右同時に変わります、東京駅で見物していたときには色が変わる瞬間を待っていたものです。 先頭部や先頭車のみを展示してあるのは他の展示でも見ることができますがここでは中間車を含め4両を連結した状態で展示してあります、これはなかなかすごいですね、 右の画は当時の新幹線ホームに有ったパタパタ式の案内板、これは動きませんが他の場所(↓)には自分で設定し動かせる物も展示してあります。 |
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左画、自動改札機が並んでいます新幹線乗り換え口に設置してあるタイプかな?、その向こうに見えるのは上の新幹線車両中間車の車体、真ん中の画は改札口上の案内板のアップ、これも今となっては懐かしいパタパタ式のタイプです、右の画の操作盤で表示を変えることができ行き先や列車種別、発車時間をセットしてスタートボタンを押すと”パタパタパタ・・・”と動きだしセットした表示になります、ある歌番組でも順位表示に使われていたためその動きを見ていて”今週の第一位は・・”と言うフレーズを思い出したり・・しっかり遊んでしまいました。(^^ゞ 行き先は新幹線だけではなく関西の私鉄、在来線の駅名も入っている模様ですね。 |
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やはりこの特急色と言うのは見ていていいですね。 |
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こちらは昔の駅を再現したコーナー・・昭和30年台前半の駅になっているとか、改札口や駅舎等は実際に使われていた物を移設したのかも知れません、木造の改札口が時代を感じさせます、駅舎の中にはその当時の信号システム・・安全運転の要”通票閉塞機”の装置(赤い箱)が展示されています、通票閉塞はタブレットと言う物をやりとりして運転されるため別名タブレット閉塞し言われる事も多いですね。 中間駅では上り側の駅と下り側駅との連絡用に2組置かれます、それぞれ信号を受信したときの音が違い、片や”チン・チン”とベルの音ならもう片方は”ボン・ボン”と低いこもった音のドラの様な音になります、今では実際に聞くことは出来なくなってしまいました。 |
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穴の形状は隣同士の駅では重複しないように変えてあり特殊な例として楕円穴のタブレットも用意されていました。。 ←画像のタブレットは実物の1/2サイズ、今は無き日立電鉄にて限定販売された物です、中には小さいながらも”玉”も納められていました、右の金色の物がそれです。 |
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上の画像2枚は国鉄時代初の新性能電車101系のシステムを利用した電車の構造説明展示物、車内のちょうど台車の上とパンタグラフの下を透明なアクリルにして見える構造にしてあり、運転機器の操作で実際に動作させその動きを見られると言う物です。右上画像に有るマスコンハンドルを操作すると前に有る主制御器(画像左)が動作しモーターが回り車輪を駆動する様子が見えます(左下画像)、マスコンをオフにしてブレーキを操作するとブレーキ作用装置が動き車輪にブレーキがかかります、ただ車輪だけが回っているためちょっとブレーキがかかるとあっけなく止まってしまうのはやむを得ない所です。 マスコンとブレーキの間にある赤と白のスイッチ・・これの操作で天井に有るパンタグラフの上げ下げを操作出来ます(下右画像)、パンタグラフのタイプがPS-13と古いのはご愛敬?、実際にこのパンタを乗せて走っていた101系も有りました・・後にPS-16と言う本来のパンタグラフに乗せ変えられました。 展示物ですがたまにはメンテナンスをして欲しい所で主制御機のカムが回るとキィキィ油切れの音が賑やかでした。 |
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アクリル板で見えるようになっている床下の台車、モーターなどと屋根上のパンタグラフ。 |
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操作卓の左は本の頁のようにめくれる様になっていて、ページの部分を指定列車や利用区間に合わせパタパタめくりピンを差し込んで設定していくと言うやり方でホストコンピューターと交信し座席の有無確認と指定席の予約が出来ました。 普通の乗車券のみを発券する事も出来、以前山形に行ったとき窓口で近距離の乗車券を頼んだらマルスを操作し始め「あれ?、切符だけでいいのに・・」と思ってみていたら出てきたのは普通乗車券・・でも大きくて普通の切符と言う感じがしなかったですね。 今でも長距離の乗車券はマルス発券になりますが昔の券に比べると半分くらいの大きさかな?・・。 ←左の機器は初期のマルス、プロジェクトXと言う番組にも登場した日立製の機器です、残念ながら動作している現物を見た記憶が有りません、まだ自分で指定席券などを買うことの無かった時代に使われていた物だと思います。 |
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左画像はやはりここでしか見られない物、長崎リニア実験線で最初に走ったリニアモーター車ML-500の車体です、基礎研究用のため座席などはなく人員を乗せて走る事はできません、テレビでしか見たときは有りませんでしたが近くで見ると思っていたより大きな物です。右画像は国鉄時代に気動車・・ディーゼルカー用標準機関として作られた排気量17000cc、8気筒ディーゼルエンジンDMH17型のカットモデル・・画像は初期の縦置き型ですがシリンダーを水平に寝かせた横置き型として改良を加え最近まで全国の気動車に使われていました。 室外に展示してあったキハ80系もこのエンジンを使用、しかし1機関の出力が180馬力では非力なので今のJR各社は新型エンジンに積み替えする事が進みこのエンジンのアイドリング音を聞くことはできなくなってしまいましたが・・割と低めの音でカラコロカラコロ・・と言った音、最近の新型エンジンは甲高くカリカリカリカリ・・と言う感じに、まあ8気筒と6気筒の違いも有りますね。 エンジンと共に変速機と逆転機も展示され気動車の走り装置を見ることができます、これは交通博物館には無かった様な・・。 |
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他にも航空機、船舶関連の展示物、鉄道関連も色々展示されていましたが自分が見るのに夢中になり記録にはとどめて居ません、やはり実際に行ってみるのが一番でしょうが東京からでは簡単に見に行くのはちょっと辛いところもあります、また大阪方面に行く機会が有ったら散策したい所です。 |