ぶらり鉄道博物館

東京神田の交通博物館が閉館したのが2006年5月・・そして2007年10月14日埼玉県の大宮に鉄道博物館として開館しました、開館初日は9000人を越える来館者で11時には一時入場制限をかけなければならないほどの状態だったとか・・”こりゃ遠分行けないなぁ・・”と思っていた所ちょっとした切っ掛けで平日に行くことが出来ました。
平日行けるとなったら狙いは今度新設された蒸気機関車のシミュレーション体験・・何でもリアル過ぎてかなり難しいらしい・・テレビでもかなり紹介されているので人気も凄いでしょうね、開館時間の30分前に到着できる様にぶらりと出かけてみました。

混乱を防ぐためかニューシャトル駅から直接入るコンコースは閉じられていて裏側の駐車場に待合い場所が作られてありました、なるほど・・平日の開館前30分でも既に100人以上並んでいる・・土日はどうなる事やら・・。(^^ゞ


車両が並ぶホールを2階の両側から撮影、ホームも再現され架線は一部を除き張って有りませんが今にも走り出しそうな雰囲気に。

館内の証明は少し暗く設定され展示車両の室内灯やライト類が光り良い雰囲気になっています、ストロボ無しでの撮影は辛いですが館内での脚立や三脚を使っての撮影は禁止になっています。


画像は順路通りではなくランダムになっています、またかなり偏った撮影になっていると思いますがカメラに収めた物から構図の良さそうな物を並べてみました、好きな場所になるので今後も複数回行く事になると思います・・少しずつ内容を変更していきたいと思います。
先ずは博物館の目玉・・人気のシミュレーターコーナーから・・。

交通博物館の時から人気のあった山手線205系のシミュレーター、CGではなく実写画像が使用されています、画像は交通博物館当時の物と同じと見られすれ違う列車が懐かしい・・京浜東北線はまだ103系がばりばりの現役で走ってきます。
鉄道博物館に移りグレードアップされたのはシミュレーターが雲台に乗り動揺装置が付いたこと、加速減速時のGは無理にしても起動時のショックやカーブにさしかかったときの揺れ、ポイント通過時の揺れが体感出来ます、しかも対向列車とすれ違う時の”バン!”と言う風圧も再現されているので高速ですれ違うとちっょとビックリします。
こちらも交通博物館から移設されたと見られる211系シミュレーター、画像はCGで動揺装置は有りません、説明によると実際に乗務員訓練用に使われていた機器だとか。 209系シミュレーター、交通博物館時代には左の211系と背中合わせに設置されていて車体幅の違いも実感出来ました、こちらも画像はCGによるものでワンハンドルマスコンにより運転操作します。
鉄道博物館になって一番の目玉となった蒸気機関車D51の運転体験ができるシミュレーター、蒸気機関車の運転を体感・・と言うより蒸気機関車の運転はいかに難しいかを体験してもらうために作った・・と言われ実際に走らない以外は実車を忠実に再現しています。
運転機器はD51の426号機の物を使用、この運転台は交通博物館のSLホールに展示してあった物ですがこの様に活用されれば機器類も本望でしょうね。
一般来館の方は上の左画像の様な角度からの見物になります、このシミュレーターのみ人数限定の予約制別料金となっていてフロアが仕切られて予約した方以外は入れません、しばらくの間は整理券配布の先着順と言うことで対応していました。
下の画像含めてこの様な角度での画像がカメラに収められたのは2時間30分並んで整理券をGET出来たからでした、それでも午前中は私の2人前で定員となり残念な思いをしたので午後は気合い?を入れて並びました。(^^;

写っている圧力計などのケージ類は全て動きます、バルブ類も運転に直接関わる物は操作することになりますが1人で運転するモードの場合は缶圧、缶水共に最適な状態となります。
2人で運転する場合は実際に模擬石炭をスコップで投炭しインジェクターや給水ポンプを操作し缶水を作ることになります。
機関士(今では機関士と言う職種は有りませんが)の担当する運転席、機器類やハンドルが並び狭いです、気をつけないと足をぶつけて痛い目に遭いそう・・。

ブレーキが強めにかかり停車中の状態です。
実物と違う所はスピードメーターの下に液晶モニタが有る事と、下側のブレーキ弁・・自弁と言われる列車全体のブレーキをコントロールするハンドルが”込め”位置に入らないようストッパーが設けてあること・・、不用意にその位置までハンドルを回すと繋いでいる列車のブレーキが緩まなくなると言う不具合が出るのです、そこまでリアルに作られているのです。
2時間以上並んで待っていたわけですが皆さん同じ様な周波数?を発しているわけですがらちょっとした事が切っ掛けになり鉄分の多く含まれたお話で盛り上がってしまい時間が過ぎるのも早く感じました。

←の画像、指定された時間が来て運転体験をしている私、私の前に運転された方が撮影して直ぐにメールで送ってもらえました、加減弁ハンドルを握る白い軍手の直ぐ左に丸い窓から二本のレールが少しだけ見えます、想像よりかなり視野は狭いですね。

運転体験はしばらくの間平坦で運転のしやすい区間のみを使用し機関助手が居なくても走行できる1人用のモードになります、列車の条件はスハ43系旧型客車5両編成に定員の乗客・・と言う設定だとか、単機(機関車だけ)ではないので不用意に加減弁を開きすぎるとちゃんと空転するらしいです。
運転には必ずインストラクターの方が付いて各機器の説明や取扱を教えてくれます、待ち時間にビデオでも扱い方を説明していますが実際にハンドルを握ると慌ててしまう方も多いでしょう。

私が運転席に収まると”操作は解りますか?”と聞かれたので”動作と働き方は解りますがブレーキの扱い方を教えてください”と返答し難しいと言われる自動空気ブレーキの扱いを教えてもらう事に。


逆転機ハンドルを右いっぱいに回し前進フルギア・・全開にしてパイパスバルブを閉じ、いよいよ発車・・足下のペダルを踏むと”ボォ〜〜・・”と力強い汽笛の音・・本物ではなくスピーカーからですがちゃんと上の方から聞こえてくる・・加減弁ハンドルに手をかけてロック解放レバーを握りチョンチョン・・と引いて開く・・”5K(g/cm)位で動き出します”の言葉にシリンダー圧力計を見て調整、加減弁を開いてから蒸気がシリンダーに流れ込みピストンが動き出すまでに結構タイムラグがあります。
横の風景が動くのと”ボッ”と言うドラフト音(蒸気の排気音)を聞いて前の逆転機ハンドルを左に回しカットオフと言う物を上げますがとりあえず山勘で70%位にセット、加減弁をまた少し開けながら左下に有るドレーンバルブを開く・・冷えたシリンダーに入った蒸気が復水・・水になって溜まるのでそれを吐き出すための操作です、開くと前の方から”シューシューシュー・・”と音が聞こえてきます、機関車の発車時にシリンダー付近から蒸気が出てくるあのシーンになります。
ドレーンバルブを閉め更に加減弁を開ける、逆転機のカットオフも上げる、またドレーンバルブを開け閉め・・を繰り返し加速していく、シリンダ圧力を9〜10K程度に上げて加速すると良いらしい、加減弁を開けても上がらない時はカットオフが足らない場合で蒸気が無駄に使われている事になるとか。
速度は50〜55Km/h位に上がりそのまま巡航・・遅く感じるが足下にある液晶モニタには動輪が回っている様子をCGで再現していてかなりの勢いで動輪が回りロッドが動いているのが解るようになっています、D51ではこの位の速度が良いのかも・・しかし前後左右に良く揺れます・・本物ならこれに縦方向の振動も加わりボイラーからの熱も有るため大変な仕事であることが想像できます、シミュレーターでは暑くないので・・。(^^;

初めて走る路線でもあり駅が何処にあるかも解らない状態で走っているわけで、液晶モニターには駅の停止位置までの距離も表示されています、停止位置まで500mを切った辺りで蒸気の供給を止め惰行に移る為の操作をします、まず加減弁を徐々に閉じ締め切ります・・シリンダー圧力計も下がり次は逆転機ハンドルを前進フルギア・・右にいっぱいまで回し同時に左下にあるバイパスバルブを開きます・・この操作も素早くスムーズに・・シリンダーの給排気に負荷が無くなりピストンがフリーに往復する状態になります。
後は停車ですがこのブレーキ操作がまた難しい訳でブレーキハンドルの操作に対し実際にブレーキ効き始めるのにかなりのタイムラグが有ります、なかなか効かないし一旦効くと効いたブレーキを緩めるのもなかなか緩まない・・自動空気ブレーキと言うシステムは反応が鈍い事は承知の上でしたが・・。
他の方の運転を見ていると大体が停止位置を行き過ぎて止まっていたので慎重にホームへ入って行ったら少し手前でポンと止まってしまいました、運転はもう一駅今度はほぼ自力で走ります。(^^;

私は前もって昔小さいながら蒸気機関車を運転していた父親に”勘所”を聞いていたり手持ちのビデオで機関士の動きを見てイメージしていたため自分でも驚くほど落ち着いて起動から加速、惰行までスムーズに各機器の操作が出来ました、予定時間を終え次の方と交代・・運転席から下りたら説明を担当してくれたインストラクターの方から「初めての方では今まで見てきた中で操作が正確でスムーズでした・・何処かで教わりましたか?・・」と言われました、また受付の方にも「走行時の音がきれいでした、良い運転だったようですね・・」と、音はそこまで再現できるようになっているのですねぇ・・ちょっと興奮気味でしたが何だか嬉しい気分で体験を終えました。
いや〜凄い物を造ってくれましたね、また今度体験出来る機会が有ったら各操作に余裕を持たせ踏切通過時にも汽笛を鳴らしたりしてみたい・・今回は最初の出発時だけでしたから・・鳴らせたのは。
No,9850マレー型機関車、この機関車も交通博物館から移されてここが安住の地になったのでしょう、昔の交通博物館の様に下からも見られるようピットが造られています、また二組有る走り装置の内前側は車輪がローラーの上に乗っていてこれも昔の博物館当時の様にモーター仕掛けで回せる構造になっているのかも知れません。 こちらも交通博物館から移された日本で最初に走ったとされる一号機関車の150型、同じく2軸客車と共に展示されています。
この機関車は重要文化財なのでこの場所でまた長くその姿を見ることが出来るでしょう。
左上、右上と左は1290形、善光号蒸気機関車、こちらも交通博物館より移され今度は室内に展示されました、交通博物館展示当時は見ることが出来なかった動輪の内側にある二組のシリンダーやバルブ機構、クランクシャフトにロッドをここではピットが授けられ下側から見られるようになりました。
シリンダーやバルブ機構を内側に設置することで全長を短くでき小回りが利いた機関車だった様ですがメカが内側に有るとその整備点検には苦労したのではないでしょうか。

交通博物館時代には屋根は有りましたが半分野外の展示・・錆止めのための塗装が何回もされているので厚化粧状態なのが残念なところです。
交通博物館では半野外に展示されていた弁慶号も客車と共に室内展示になりました、北海道を走った蒸気機関車はアメリカから輸入された為ダイヤモンドスタック煙突にカウキャッチャー・・牛除けの出で立ちで客車も開拓使の文字を除けば西部劇に出てきそうなスタイルです。
ヒストリーゾーンホールの真ん中、ターンテーブル上にデン!と落ち着いたC57-135号機、何だかうっすらと白く埃をかぶっています、交通博物館から搬送後少しの間野外に有ったからでしょうか?・・でも状態が良いのは変わらずで徐々に掃除され黒光りする姿になるでしょう。

正面を撮影し忘れている、また次回に撮りましょう。

ラック用歯車駆動用のクランク機構。
今は無き信越線の碓氷峠でアプト式時代に活躍したED40形電気機関車、実際にはこの型式の前にEC40形という輸入機のアプト式用電気機関車が使われていました、国鉄時代より前の頃で日本初電化路線になったと言う話です、ED40形はEC40を参考にして国産された機関車になります。

片運転台の機関車で反対側は抵抗器が収まるスペース、展示ではそこに人形を置きベテランと新入り整備士が点検している風景をあらわしています、見物人が近づくとセンサーで感知し、整備をしながらお喋りしている雰囲気を出します。
アクリルで再現されたラックレールとかみ合う歯車、車体の下にピット状のスペースを作ってありこの様に下からその構造を見物することが出来ます。

この機関車は廃車後私鉄に譲渡されて居ましたがその後大宮工場に復元保存されていました、アプト用機器は撤去されていたのですが博物館での展示用にそのメカニズムが再現されたのでしょう、再塗装したとしてもシャフトや歯車が他の部品に比べきれいです。(^^;
粘着走行(通常の車輪による走行)用車輪を駆動するモーターとラック用歯車を駆動するモーターは独立しています、と言うことは粘着走行時は出力が半分になったのですね、通常走行用車輪もラック用歯車駆動も蒸気機関車の同じくロッドによる駆動・・モーターはそれぞれ車体の中に設置されています、当時は台車の中に収められる小型で出力の高いモーターは製作できなかった為です。

ED17形直流用電気機関車、形式から見ると貨物用ですが勾配区間の有る路線では客車列車も牽引したとか。
新製ではなく存在したED17は全て他形式からの改造でこの1号機はED50形からの改造車。

私は実際に走っているところは見たことが有りません、ED16形は地元路線を走っていたのですが・・ED16形は青梅鉄道公園に保存展示されています。
ED17の運転台をガラス越しに撮影・・ちょっと移り込みが有りますが。

大きな主幹制御器とメーター・・架線電圧計と電流計、圧力計が並びますが何故か電流計の針が上がっています。
このメーターの針、トランプのスペードの様な形をしていてクラシカルな雰囲気です。

左側にブレーキ関係のレバーが有るのですが角度的に上手く写せませんでした。
高速コンテナ列車牽引用に登場したFE66形直流電気機関車、展示機はその試作車で登場当時はEF901を名乗っていました、出番は減りましたが今ではブルートレインの先頭に立つEF66も見られます。 スッキリとまとまったEF66の運転席、マスコンも自動進段の小型の物になり空気バネ台車も採用され機関車ながら乗り心地は良かったと言うことです。
EF66の前に展示されている66の動輪と主電動機、モーターはツリカケ式という駆動構造ですが66の場合”半ツリカケ式”と言う構造とか。
展示用に駆動用歯車が露出していますが実際には潤滑油の入った歯車箱に収まります。
交流区間の代表的な機関車、ED75の700番台車、まだ現役の機関車が多い型式ですがこの775号機は安住の地に住むことが出来た機関車です、700番台車は交流機関車の特徴でもある屋根の機器が車内に収められスッキリしています、ちょっと寂しい気もしますが。
蒸気機関車のシミュレーターが出来たのならこの交流機関車のシミュレーターも欲しいですね、凄い段数の直接制御マスコンも操作してみたいです。
各地で貨物の入れ替え作業に活躍していたDD13形ディーゼル機関車、JRに引き継がれた車両は無いと言うことで今はその姿を見られませんが1号機は当初この様な色をしていたのですね、後期型は前照灯が2灯になりましたが私の年代ではこの1灯タイプの方が記憶に残ります。 DD13形ディーゼル機関車の運転台、入れ替えで頻繁に進行方向を変えるためか運転機器は室内の真ん中に線路方向・・縦に配置されています、運転士は進行方向が変わっても首を左右に振るだけで前方注視が出来ますが何だか肩がこりそう・・。
実は私小学校2年の頃入れ替え作業中の運転室助手席に10分ほど乗せてもらったことが有ります、今はその様なことは無理ですね。
気動車のキハ41307号、液体式変速機を備えた初期のディーゼルカーになりますが型式番号の付け方が今とは異なり何処までが型式を表しているのかがはっきりしません。

気動車登場当時は以前の横須賀線の様な塗色だったのですね。

←の気動車の運転台、運転機器を見るとマスコン、主幹制御器は今も現役で走っている旧型気動車とあまり変わりませんがブレーキ弁が質素です、重連運転が可能と思われるので直通ブレーキではなく自動空気ブレーキの元祖とも思える物かも知れません。
キハ41307の走行用エンジン、客席の床を一部強化ガラスにしてエンジンが見えるようにされています。
最近まで使われていたDMH17形機関(排気量17000cc、8気筒)の初期タイプと見られます、この車両ではシリンダーが縦になるよう取り付けられていますがその後の気動車ではこのエンジンをシリンダーが水平になるように取り付け床の高さを抑え、点検蓋を無くして室内に騒音が入りにくくしたと言う工夫がされていました。

今では一部の私鉄を除き見られなくなりましたが独特のアイドリング音を響かせる代表的なエンジンでした。
出力が180馬力と排気量の割には小さく設計も古いため現在のJRや私鉄の気動車では排気量は小さいですが高馬力のエンジンに積み替えられています。

キハ41307の客室、白熱電球の光が当時の雰囲気を出しています、客車列車の様な座席が並びますが手前のつり革は通勤対策で晩年に付けられた物かも知れません。
郊外型電車の元祖とも見られるナデ6141、”ナデ”の識別記号は何から来ているのでしょうか・・解説板を見てこなかった私。(^^ゞ
トロリーポールが2本有り架線も2本、直流電源の+と−共に架線から供給されていたのですね、展示車では赤と青の発光ダイオードランプを用い架線からトロリーポールへ流れる様子を解説されていました。
今では−側、帰線はレールを用いていますので架線は一本で済みますがポイント・・分岐部分はどうなっていたのだろうか。

室内も見忘れているし次回行ったらよく見てきましょう。
交流直流両用特急形電車の481系クハ481・・ボンネット形と言われる先頭車で151系こだま以来特急と言うとこのデザインが思い浮かぶ年代です。
同じく交直両用の電動車モハ484形と共に展示されています、やはりこの”特急色”は良いですね。

演出で黒子のような人形が愛称板を交換しているシーンが再現されホームにはそれを見守る家族連れも表現されています。
交流直流両用急行形電車の455系クモハ455、このカラーリングは私も小さい頃にお世話になりました、福島県の勿来・・今のいわきにいた頃に東京に出るときに電化後はこの455系、当時は451系だったと思いますが急行の”ときわ”として乗った記憶が残ります。
まだ今のいわき駅が平駅と呼ばれていた頃に上野からでる唯一の客車列車に乗り平までブラリとでかけ特急の”ひたち”出はなくこの急行形を使用した”松島”で帰ってきたことが有ります。
晩年は車内が一部ロングシート化されローカル運用に付いていましたが乗れると何か得した気分になりましたね・・。
好きな車両の1つです。

455系の運転室・・時代を感じさせますが運転台・・と言うとこの様な機器配置、メーターパネルが思い出されます、展示に際しきれいに整備されつつも現役時代の使い込まれた雰囲気も残ります、メーターパネルのランプも点いていますが惜しいのはダミーでも良いので元ダメ圧力計や架線電圧計の針が上がってて欲しい所です。

クモハ455の車内、やはり一部はロングシート化され吊り手も増設されていますが当時の急行列車の雰囲気がよく残っています、面白く感じたのはこのクモハ455と特急形の485系の車内は飲食が可能で休憩しながら飲み物や買い求めたお弁当を食べることが可能になっています、でも車内を汚さないよう・・出たゴミは必ず所定の場所に分別して処理してもらいたいですね、何時までも飲食可能でいられるように。

初代ブルートレインとして登場した20系客車のナハネフ22、私が小さい頃に見ていた鉄道の絵本には特急こだまと共に必ず出てきた列車でした、それまでも寝台車は有りましたがその設備から走るホテルとも言われ寝ている内に長距離を移動出来るというサービスが売り物。
しかし今見ますと2等寝台、今のB寝台がベット巾が52cmの3段と言う構造でかなり窮屈な印象を受けます、晩年は東京大阪間の急行銀河として走っていました。

先ずは今回ここまで・・少しずつ画像を増やして行きたいと思います。