如実知見(にょじつちけん)
事実を事実としてあるがままに、ものの真実の相を正しく見極めること。 正見(しょうけん)=人生に対する如実知見・・・人生にたいして、仏教の原理、普遍的な真理にもとづいて、あるがままにものを見ること 正見すると諸行は無常、諸法は無我・無自性であり、すべての現象は互いにもちつもたれつの関係に在ることが知れる |
「ものそのものになってものを見る」ことの出来る人がいないというのは傲慢だと思うけど・・少なくともわたしはそんな目はもてそうにない。
他の誰かじゃなく、わたしだ、わたしに「ものそのものになってものを知る」という知り方が出来るだろうか・・
林檎そのものになってりんごの痛みを知ることが出来るだろうか・・
出来はしない、それなのに、確かにたしかに林檎のいのちはわたしのいのちを支えてくれている。