はじめに (1997.9.1)

HP「自分さがしの仏教入門」は、寺の門を通り過ぎようとしておられる方や、門前で入ろうか、入るまいかと躊躇している方、また入ってみたものの居心地が今ひとつという方、そんな方に仏教を、浄土真宗を少しでも知っていただきたくて作りました。
   
制作者自身が10代から20代にかけて悩み続け、答えを求め続けた「生きることの問い」に応えてくれた初めての方が浄土真宗の開祖 親鸞聖人でした。
      
「自分」が信じられず、なんの為に生きているかも分からず、「自分」を見失ったまま、「自分」の重心を求めて彷徨い続けていたあのころの暗さを忘れることが出来ません。また忘れずにいたいと思います。
    
あのころの暗さがあったからこそ、差し込む一筋の光と出会うことが出来たのだから、同じ暗さの中にいる方たちに暗さを恐れることはない、暗さのゆえにいつか必ず光を見出すことを伝えたかったのです。
    
ところが、以下のように仰有るお方に出会わされました。
   
「自分をさがすよりも自分 をさがして下さっている阿弥陀様を大切にしようと思っております。 」
    
この方は「阿弥陀様がごいっしょです」という素晴らしいホームページを運営されておられますが、そのことについて、
    
「何かの目的のためや、他者を教化するようなページでは なく誰一人読んでくれなくても、阿弥陀様を讃嘆せずにはいられないという思 いでページの運営を行っています。自分で掲載したページの原稿を読みながら 喜ばせてくださる事ではあります。」
    
と、仰有ってました。私は思わず頭が下がりました。「自分が」「自分が」と自分が自分をさがしたつもりになって「さがしてくださっている阿弥陀様」を忘れ続けていました。
   
気づいてみれば、その方のHP「阿弥陀様がごいっしょです」に対して「自分さがしの仏教入門」は正反対です。
運営者の姿勢が正反対なのですから当然です。私は、いつもいつも阿弥陀様のもとから飛び出し通しです。それでも阿弥陀様は私を呼んで下さるのだと調子づいてこのHPを運営しています。
  
阿弥陀様を讃嘆せずにはいられないというその方の姿勢こそが浄土真宗の根本です。けど、わたしはどうしても阿弥陀様と出会う前の自分の暗さにこだわってしまい、このページを大切に思うわけです。
   
ですから、このページを訪ねて下さった方には、そんな情けない私が運営しているページであるということを頭の片隅に入れて置いていただきたいと願っています。
   
また、せめて、「大悲無倦常照我」のコーナーだけでも阿弥陀様の呼び声を聞かせていただく場にしたいと思います。
宜しくお願い申し上げます。
     
            
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