仏説無量寿経 巻上
曹魏 天竺三蔵 康僧鎧訳
第2章 正 宗 分
第1節 弥陀成仏の因果
(1)法蔵菩薩の発願と修行
1,法蔵の発願
四十八願
(22)たとひわれ仏を得たらんに、他方仏土の諸菩薩衆、わが国に来生して、
究竟してかならず一生補処に至らん。その本願の 自在の所化、衆生のためのゆ
ゑに、弘誓の鎧を被て、徳本を積累し、一切を度脱し、諸仏の国に遊んで、菩
薩の行を修し、十方の諸 仏如来を供養し、恒沙無量の衆生を開化して無上正 真の道を立せしめんをば除く。常倫に超出し、諸地の行現前し、普賢の徳を
修習 せん。もししからずは、正覚を取らじ。
私が仏になるとき、他の国の菩薩達が、私の浄土に生まれたなら、必ず菩薩最高の位にはいるようにしてやりましょう。しかし衆生を自由に救いたいという思いから、ひろい誓いの鎧を着て、功徳を積み、諸仏の国に行って菩薩の修行をし、それらの諸仏を供養し、無数の衆生を導いて最上の道をえさせたいというなものは、そのかぎりではありません。(菩薩最高の位にはいったものは)月並みの菩薩に超えすぐれ、菩薩の行のすべてが現れて、普賢菩薩のような徳を修めることが出来るでしょう。もしそれができないなら、私はさとりをひらきません。
【22】必至補処の願
仏道の修行 五十二段(十信、十住、十行、十廻向、十地、等覚、妙覚)
等覚の位はその一生をおわるとただちに妙覚の仏になるので、その位を一生補処という
還相の回向ととくことは
利他教化の果をえしめ
すなはち諸有に回入して
普賢の徳を修するなり 『高僧和讃』
往相廻向の大慈より
還相廻向の大悲をう
如来の廻向なかりせば
浄土の菩提はいかがせん 『正像末和讃』
(23)たとひわれ仏を得たらんに、国中の菩薩、仏の神力を承けて、諸仏を供
養し、一食のあひだにあまねく無数無量那由他の 諸仏の国に至ることあたはず
は、正覚を取らじ。
私が仏になるとき、私の国の菩薩が、仏の威神力をたまわり、諸仏を供養するにあたって、極めて短い時間のうちに、無数の国々にいたりつけるようにしてやることが出来ないならば、私はさとりを開きません。
【23】供養諸仏の願
(24)たとひわれ仏を得たらんに、国中の菩薩、諸仏の前にありて、その徳本
を現じ、もろもろの欲求せんところの供養の具、もし 意のごとくならずは、正
覚を取らじ。
私が仏になるとき、国中の菩薩が、諸仏の前で、供養の徳をあらわすにあたり、欲しいと思う供養の品を思いのままに得られないならば、私はさとりを開きません。
【24】供具如意(くぐにょい)の願
(25)たとひわれ仏を得たらんに、国中の菩薩、一切智を演説することあたは
ずは、正覚を取らじ。
私が仏になるとき、国中の菩薩が、あらゆる智慧をもって思いのままにに説法することが出来ないようなら、私はさとりを開きません。
【25】説一切智の願
(26)たとひわれ仏を得たらんに、国中の菩薩、金剛那羅延の身を得ずは、正
覚を取らじ。
私が仏になるとき、国中の菩薩が、那羅延のような、どんなことにも負けない堅固な身を得ることが出来ないならば、私はさとりを開きません。
【26】那羅延身(ならえんしん)の願
(27)たとひわれ仏を得たらんに、国中の人・天、一切万物、厳浄光麗にし
て、形色、殊特にして窮微極妙なること、よく称量する ことなけん。そのも ろもろの衆生、乃至天眼を逮得せん。よく明了にその名数を弁ふることあらば、正覚を取らじ。
私が仏になるとき、国中の人々や天人が用いる一切のものが、みな清らかでうるわしく光輝き、その形は特にすぐれ、微妙であることはとても計り知れないぐらいにしましょう。人々が天眼通(てんげんつう)を得て、そのありさまやや数を知り尽くすことが出来るようであるならば、私はさとりを開きません。
【27】所須厳浄(しょしゅごんじょう)の願
(28)たとひわれ仏を得たらんに、国中の菩薩乃至少功徳のもの、その道場樹
の無量の光色ありて、高さ四百万里なるを知見す ることあたはずは、正覚を取
らじ。
私が仏になるとき、国中の菩薩で、たとえ功徳の少ない者であっても、高さ四百万里の光り輝く菩提樹を見ることができないようなら、私はさとりを開きません。
【28】見道場樹(けんどうじょうじゅ)の願
(29)たとひわれ仏を得たらんに、国中の菩薩、もし経法を受読し諷誦持説して、弁才智慧を得ずは、正覚を取らじ。
私が仏になるとき、国中の菩薩が、経法をいただいて読誦し、これを人々に説き述べ、さわりのない弁才智慧を得られないならば、私はさとりを開きません。
【29】得弁才智の願
(30)たとひわれ仏を得たらんに、国中の菩薩、智慧弁才もし限量すべくは、
正覚を取らじ。
私が仏になるとき、国中の菩薩が、智慧や弁才に限りがあるならば、私はさとりを開きません。
【30】智弁無窮の願
(31)たとひわれ仏を得たらんに、国土清浄にして、みなことごとく十方一
切の無量無数不可思議の諸仏世界を照見すること、なほ明鏡にその面像を覩 るがごとくならん。もししからずは、正覚を取らじ。
私が仏になるとき、国土が清らかで、光明が十方無量の世界を照らすことが、ちょうど磨き上げた鏡に姿をうつすようにしましょう。もしそれが出来ないならば、私はさとりを開きません。
【31】国土清浄の願
(32)たとひわれ仏を得たらんに、地より以上、虚空に至るまで、宮殿・楼
観・池流・華樹・国中のあらゆる一切万物、みな無量の雑宝、百千種の香をも
つてともに合成し、厳飾奇妙にしてもろもろの人・天に超えん。その香あまね
く十方世界に薫じて、菩薩聞かんも の、みな仏行を修せん。もしかくのごとく
ならずは、正覚を取らじ。
私が仏になるとき、大地より虚空にいたるまで、宮殿、楼閣、池水や川の流れ、樹木や花など、私の国のすべてのものがみな無数の宝と無量の香りからでき、その美しい荘厳は世にこえてすぐれ、ゆかしい香りは方世界に薫じわたり、これを聞くものはみな仏道にいそしむでしょう。もしこのようでないならば、私はさとりを開きません。
【32】宝香合成の願
(33)たとひわれ仏を得たらんに、十方無量不可思議の諸仏世界の衆生の類、
わが光明を蒙りてその身に触れんもの、身心柔軟にして人・天に超過せん。も
ししからずは、正覚を取らじ。
私が仏になるとき、十方世界のあらゆる衆生で、私の光明に照らされこれを身に触れるものは、身も心もやわらいで、人天のそれよりもはるかにこえすぐれることでしょう。もしそうでないならば、私はさとりを開きません。
【33】触光柔ナン(軟)の願
(34)たとひわれ仏を得たらんに、十方無量不可思議の諸仏世界の衆生の類、
わが名字を聞きて、菩薩の無生法忍、もろもろの 深総持を得ずは、正覚を取ら
じ。
私が仏になるとき、十方世界のあらゆる衆生が、我が名を聞いて、涅槃を得るに間違いのない身となり、もろもろの深い智慧をえることができないならば、私はさとりを開きません。
【34】聞名得忍(もんみょうとくにん)の願
無生法忍 不生不滅の真如の理を智慧をもって心にさとること。真宗では信の一念に正定聚不退の位に住すことをいう。