極楽・天国・浄土ってなあに?ホントにあるの?どこにあるの?


 

死んだらどうなるのだろう
亡くなった大切な人はどこにいるのだろう
また会えるのだろうか・・
  
誰でも一度は考えたことがあるよね。
でも、考えても考えもてわからなかった。
 
米沢英雄先生というお医者さんが
私の問いにこう答えて下さいました。
 
校庭は、運動会や遊んでいる時には狭いけど、石拾いや草取りの時には広くなる
同じ広さの校庭が狭くなったり広くなったりする
時間も辛いときと楽しいときで長くなったり短くなったりする
 
そんな私たちの目に本物の浄土が見えるだろうか?
    
その時からゴシンの自分さがしが始まりました。
  


ゴシンのQ&A [C1]

「死んだら、キリスト教徒は天国、仏教徒は極楽へ行くの?」

「どこへって・・天国とか極楽とか、そっち方面がいいよね」

「まあホントに天国なり極楽なりがあるのなら、一応なってもいいかなって」

「楽しいところ、苦しみのないところ・・・アーよく分からない」

「ともかく、わかってることは死んだら行くところってことでしょ」

「死んだ人に決まってるじゃない」

「エー?なに?違うの?ゴシンは死んだらどうなると思う?」

「ふざけないで、真面目に答えなさいよ」

「ごめん。そうだったよね。それで、高校生の時は教会に通ったんだもんね。

「で、次は仏教だ。仏教は信じることが出来たんだ?」

「信じなくていい道?信じなくていいの?」

「へーーわかるような・・わからないような・・で、死んだらどうなるの?」

「エライ!教えて教えて!その答え」

「エーー?わからなかったの?ま、私はわかるかも知れないよ。」

「因果の道理、業、縁、輪廻・・ゴシン言葉の仏教口座じゃないの?」

「うんうん、わからないところ仏教用語入門でしょ。それで?」

「じゃ信じない者は救わないわけだ。へー冷たいんだ。神も仏もあったもんじゃない」

「それで?」

「死んだらどうなるかの答えがこれ?ゴシンがわからないはずだよ」

「どうして、いまはこの説明でわかるの?」

「また、わからないことを言い出した。悪い癖だよ。」

「極楽と浄土は違うの?」

「ふうーん。なんだか答えになってないような・・」

「あーまたこれか。言わなくてもいいよ。もう暗記した。

人生は自分を見つける旅。このページは自分探しのページ。

問いの答えを見つけるのでなく自分の問いの中に自分を見つける」

            
人生は自分を見つける旅。このページは自分探しのページ。
問いの答えを見つけるのでなく自分の問いの中に自分を見つける

「なんだか仏教Q&Aって看板倒れだよね」

「ハイはいハイハイ」

           
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