(質問メール)荘厳作法「goshinにも教えて下さい」 −2−

お墓やお仏壇にお参り出来ないときの供養の仕方


実は、2ヶ月前に彼を交通事故で亡くしました。 私自身、まだ事実をありのまま受け止めることができずに います。

彼は外国人で、交際もまだ短かったため、彼の両親は私の ことを知らないので、彼の墓前で手をあわせることも出来 ません。

彼の冥福を祈るために、現在自分の部屋には写真、隣には 花と水を供えています。こういう時、供養するためには何 をしたらいいのでしょうか。

何かアドバイスをいただければと思い、メー ルを書きました。

死んでしまいたい、命を自ら絶ってしまいたいと思いまし たが、彼の死を悲しんでいる人は他にもたくさんいるし、 これからも彼は私の中でずっと生きているんだと思えるよ うになりました。


どんなにか お辛い毎日をお過ごしのことかと、お慰めする言葉も持ちません。

「死んでしまいたい、命を自ら絶ってしまいたいと思いましたが、彼の死を悲しんでいる人は他にもたくさんいるし、これからも彼は私の中でずっと生きているんだと思えるようになりました。」

と、仰有って下さるSさんの深い深い絶望的なお悲しみを思うと 胸が詰まります

どんなにかどんなにかお辛いことか・・それなのに、この悲しみを 一生懸命引き受けようとして下さっているSさんのお心を思うと、 あなたの恋がどんなにか素晴らしいものだったか、そして、亡くな られた彼がどんなに素晴らしいお方だったかと思わずにいられま せん。

「彼の冥福を祈るために、現在自分の部屋には写真、隣には 花と水を供えています。こういう時、供養するためには何 をしたらいいのでしょうか。」

とのご質問ですが、Sさんさんはもう、じゅうにぶんにご供養されてお られます。

「彼にご供養を」というならば、今、この絶望的な悲しみの 中で一生懸命その悲しみを引き受けておられるSさんのお気持ち こそがなによりのご供養です。それ以上のご供養はありません。

お墓やお仏壇の前で亡き人を拝んだり、お経をあげたりするのが、 ご供養ではありません。あなたの心に今なお生き続けて、あなたに 力を下さっているに違いない彼の「おかげさま」に出会うことこそが ご供養です、その他にご供養などありません。

本当は供養をしてくださっているのは彼のほうなのです。彼がして 下さってる供養に私たちはお礼を申し上げるだけです。

私が心の重心とする親鸞聖人のみ教えでは「死者への供養」という ことなどは、生きている者の僭越だと教えられます。それよりも、亡 きお方より供養をしていただいているのがこの私なのだと教えます。

ですから、お墓やお仏壇へお参りをしたり、お経をあげさせていただ くのは、亡き人の供養のためではなく、亡き人こそが私を仏縁に合わ せて下さるのだと捉え、亡き人から大切なことをお教えいただく場であ り、亡き人のおかげさまを喜ばせていただく場とします。

亡き人からご供養されていることすら忘れどおしで、亡き人 にご供養など出来る私ではないと気付かせていただくのが仏教ではないでしょうか。

なんだか独りよがりに演説してますが、適当に聞き流して下さい ね・・

仏教は頭で分かろうとする必要はありません、だから分かるぶん だけでいいのです、わからないところは聞き流しておいても、聞いたことは、分からなく てはいけないときには自然にわかるようになってます(^o^)v

> 彼は外国人で、交際もまだ短かったため、彼の両親は私の ことを知らないので、彼の墓前で手をあわせることも出来ません。

彼のご家族と悲しみを共有することの出来ないSさんの孤独と お辛さを思っています。 けれども、彼はお墓に眠っているのではありません。いつもSさんと 一緒に生き続けて下さってます。これは唯の願望でも慰めでもありませ ん、確かな確かな事実です。事実というのはこういうことをいうのだという ほどに確かな事実です。

彼の「おかげさま」はずっとずっとSさんの中に生きています。それこ そが本当の彼です。一番大切なことをこれからも教え続けてくださるはず です。

拙HPの「今月の言葉」1998-4月に私の友人のことを取り上げさせていた だいているのですが、彼の場合は、10年前長い付き合いだった彼女との 結婚を家の事情で断念し、その後彼女は他の方と結婚しました。

それでもお互いに忘れず事が出来ず、ようやく二人でやり直すことを決意 したとき彼女は病に倒れました。

そして、病院に見舞うことも出来ない彼は、毎日病室の窓の見える場所に 立って彼女の回復を祈り、彼女もまた彼と桜をみるのだと楽しみにしてい たのに、会うことすら叶わないまま彼女は亡くなりました。

お見舞にもいけず、お葬式にも出られなかった彼は、彼女の最後の手紙、 「桜の咲く頃には元気になってあなたのもとに行きます」と書かれたものを、 皆に内緒で自分の家のお墓にいれました。そのことについて、ご先祖のお 墓に、勝手にこんなことをしてバチがあたるかもしれないと私に言ってきた ので、大丈夫、大丈夫と応えながら、彼の切なさを思い涙が止まりません でした。

その彼もその悲しみを 引き受けてくれました。

Sさん、あなたの悲しみを思うと言葉もないけれど、

> これからも彼は私の中でずっと生きているんだと思えるようになりました。

と仰有って下さるSさんに、この方ならと喜ばせていただくことにします。

Sさんの彼がどんなにか素晴らしい方だったが、この短いメール の中からうかがえます。なぜなら、Sさんが今、生きようとなさってくださっ てるのは、彼のおかげだと私は思うからです。

彼が、そして彼との日々がSさんに今なお力をくださってるんだと、そして これからも力を与え続けてくださるに違いないから・・私はSさんを可哀相 だと思いません。

ご無礼を省みずにもっと言わせていただくなら。

素晴らしい恋をして素晴らしい出会いをして、幸せな方だと思います。 そして彼もまた、こんなSさんに愛されてお幸せな方だと思います。

だから、これからもうんと泣いてうんと悲しめばいいんです。 悲しみを嫌うことはけっしてありません。 悲しみの中にはいつもどこでも必ずほんとの彼がいてくれます。

      


合言葉は「作法についてはgoshinに聞くな♪不作法goshinを知らないか♪」

「goshinにも教えて下さい」コーナーでした。

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