「人は何故大切な人と『死別』しなくてはならないの? 」

(2001.1.11現在 ご投稿件数 9件

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問いかけのご投稿

  

subject=別れ _

message=

こんな事書いていいのか迷いましたが、
どうしても皆様の意見が聞きたくて書く事にしました。
  
人は何故、愛する人・大切な人と『死別』しなくてはならないのですか?
何時か『死』という別れが訪れると判ってて何故、人は人を愛してしまうのですか?
  
半年前、思いを傾けていた人の『死』を知らされました。
会いたくて、会いたくて、でももう二度と会えない−
その事実に胸が張り裂けんばかりの『痛み』を抱えたまま 毎日を過ごしました。
  
今では『踏ん切り』が付きましたが、 (それでもその人の事を思うと辛いです)
人を好きになるのが恐くてたまらなくなりました。
又『死』によってその人を失うのではないか
あんな辛い事を繰り返すのかと思うと、 人を好きになれないのです。

name=小夜


小夜さん問いかけをありがとうございました。
 
「何故?なぜ?」と問いかけられる小夜さんはきっと何故と問いかけても
答えなど出てこないことを知っておられるんだと思います。
 
答えが出ないことを分かっていて尚、なぜ?何故?と問いかけずにいられない・・そんな
小夜さんの底なしの悲しみを想っています。
 
ご投稿お礼のメールにも書かせていただきましたが、
拙HPの「大切な方を亡くしたあなたへ」にまこっちゃんが書いて下さったお言葉を思い出してます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
大切なのは(少なくとも私にとっては) 悲しいということではなく、
亡くなった方と 過ごした日々、時間、言葉を交わした一瞬なのだと思います。
あなたが死んでしまいたいほど悲しいのは、
その日々、時間、一瞬がそれほど 幸せだったからなのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
答えのでない人生に答えを欲しい私、割り切れない人生を割り切りたい私、
そんな私を教えてくれるのが仏教だと思います。
悲しみや苦しみがそんな私に出会わせてくれるのだと思ってます。
そんな私に出会うとき、亡くなった大切な方との尊い一瞬一瞬が甦ります。
 
なんだか理屈っぽいレスになってしまいました(^^ゞゴメンナサイm(__)m
皆さんのご意見をどうかお聞かせ下さいね。心からお願い申し上げます。 
  

_subject=主人の形見
  
message=
  
主人が子ども達と私を残して死んでしまったとき、
何故何故とどれだけ尋ねても死ぬときは死んでいくのだということを
主人が教えてくれたと思います。
いってみれば覚悟というか、私も いつ死ぬか分からない、
もし私まで死んだらと思うと子ども達のこ とが心配で心配でなりませんが、
それでも死ぬときは死んでいかな きゃなりません。
この覚悟みたいなものを主人が私に残してくれた。
だから私は今日一日を悔いのないように大切にしたい。
明日子ども達を残して死んでいけるくらい大切にしたい。
子ども達を愛し、今日出会う人を愛したい。
主人が残してくれたように私もこの形見を愛する人たちに 残したい。
  
name=アン
 

 
ご主人の形見の「覚悟」
先に逝かれた方々はこうして、いつもいつまでも私たちを導いて下さるんですね。
 
どん底の悲しみの中のアンさんから初めてのメールをいただいて一年半
アンさんに励ましていただいてばかり、お教えいただいてばかりです。
ご投稿ホントにありがとうございます。


subject=人は何故、愛する人・大切な人と『死別』しなくては

message=

 なぜ「死別」しなくてはならないのでしょう。わからないのでひっくり返して考えてみました。なぜ愛する人と出会うのでしょうか。その理由がわかりますか?愛する人との出会い、なぜ出会ったのか考えるなんてことがあるでしょうか。無いですよね。ただ「出会えて良かった」、「出会えて私はとても幸せだ」...。それ以外に何か理由を考えるでしょうか。

 長男が生まれたとき、僕は躍り上がって喜びました。6年7ヶ月の間、長男は笑ったり泣いたり、僕も笑ったり怒ったりしながら幸せに暮らしました。そして長男が死んだとき...つめたくなった息子の前で僕はこの自分の命と引き替えに長男が生き返り、また笑ったり泣いたりできるのなら、悪魔に命をくれてやっても良いと思いました。息子と同じ溺死で死んでやるから息子の命を返してくれ、と。

 死ぬ順番が違うじゃないかって、運命を呪いました。親子で死ぬ順番が違うとこれほど苦しいのかと。なんで俺が息子の墓参りをしなけりゃいけないんだと。いつかは誰でも親、配偶者、兄弟、子供と「死別」の時がくるでしょう。残されたものにとっては実につらいものです(父は息子の死の一月前になくなりました。そのときも僕は悲しくて悲しくてやりきれませんでした)。でもその人との想い出は永遠に残ります。悲しみと表裏一体のものになってしまいますが、記憶の中の幸せは一生忘れないと思います。思い出すのも切なく、つらいことですが、忘れることなど決してできません。

 でも長男が生まれてこなければ良かったなんて一度も思ったことなどありません。未熟な親で申し訳なかったとは思えども、短い間だったけど、よくぞ僕たち夫婦の所に来てくれたと心から感謝しています。長男のおかげでどれほど楽しかったか、どれほど僕たちが成長できたか。

   「死別」のつらさと、愛する人との想い出はセットメニューなんです。どっちかだけをとることはできません。ひとは幸せを求める生き物ですから、愛する人との出会い、思い出を捨てることはできませんよね。ならば「死別」の悲しさも覚悟しておかなければならないのだと思います。

 アンさんの「覚悟ができた」という言葉、わかるような気がします。「死別」の悲しさがあまりに大きいと、自分の命なんかどうでも良いような気がしてきます。なにをしていても無気力になり、いつ死んだって良いやって考えてしまう。でも苦しんで死んだ人のことを思うと、何かを僕たちに伝えたいんじゃないかと感じてしまう。自暴自棄になって酒に溺れていたとき、それは息子の声となって、息子の心配そうな顔となって、僕の頭の中に直接響いてきました。「お父ちゃん、生きてね」という声となって聞こえてくる。「僕の妹のために、お母ちゃんのためにも生きてね」って聞こえてくる(アルコール依存の幻聴かもしれませんね)。すると死ねなくなってしまう。

 息子の死から二年経った今では「死ねない」と言う気持ちが、「長男や下の子供たちののおかげで生きていられる」に変わりました。いつ死んだって良いやって言うのはちょっとのこっていますが、それは「いつ死んだって悔いがないように子供たちや妻と接していこう」という考えに転換しようといつも思っています。いつ「死別」が訪れるかなんて誰にもわかりませんから。決してシニカルにならず、「今」生きていかなけりゃいけないですから。  ただ、怖いものは無くなりました。て云うか、怖さの度合いが違ってきました。死んだ息子のことを思うと、仕事のつらさなんかどうでも良いことに思えて(静電気とムカデはいまもにがてですけど)。

 アンさんの「今日一日を悔いのないように大切にしたい。明日子ども達を残して死んでいけるくらい大切にしたい。」という言葉、全く同感です。いくら覚悟ができたと云っても、自分にもしものことがあったときのことを考えずにはいられない。妻や子供たちの将来が心配でしょうがない。でもだからこそアンさんの云うように毎日を大切にしなけりゃいけない。  ...でも今一番怖いことは、妻に先に逝かれることですけどね。

name=まこと


まこっちゃん、尊いご投稿を拝ませていただいてます。

愛別離苦に苦しむ方からメールや問いかけをいただくとき、私は何の言葉ももてずに、いつも、まこっちゃんのお言葉をお伝えさせていただいています。その方の深い深い悲しみを前に「仏教では愛別離苦の因を・・・」云々などと語ることが出来ない私ですが(げ、演説してるって(^^ゞ)、「大切なこと」は必ず「大切なもの」が語りかけ、教えて下さるのだと、悲しみや苦しみは大切なこと、大切なものを教えてくれるのだと、まこっちゃんのご投稿を拝読させていただいてつくづく思います。私の場合はそれを親鸞聖人の「お念仏」にお教えいただいてますが、まこっちゃんにはいつも洋介ちゃんがお教え下さるのですよね。そして今、洋介ちゃんはまこっちゃんだけでなく私までもを導いて下さってるんですよね。

小夜さん、きっと小夜さんの大切な方もまた洋介ちゃん同じように、「あんな辛い事を繰り返すのかと思うと、 人を好きになれないのです。」と仰有る小夜さんに「大切なこと」を教えてくれる悲しみや苦しみを恐れないで、大切なものにいっぱい出会っていただきたいと願って下さってるのではないでしょうか?

(それにしても、まこっちゃん、どうして私のレスはいつもこんなに舌っ足らずで強引なのでしょう、直りません(^^ゞ、ですから、実はまこっちゃんのご投稿がとても有り難かったです。いつもいつも優しさと温かさをありがとうございます。)


subject=小夜さんへ

message=

正直もうして私には「なぜ大切な人と別れなければいけないか」はわかりません。
しかし、これが自然の摂理とだけ認識するようにしています。
  
しかし「死別」をその人との「永遠の別れ」とはとらえていないのです。
というのは、その死別された方のお心は、私の心の中に、私が死ぬまで、いえ、私が死んでも、私の心の伝わった人の心の中に、いつまでも生きていると思っているからです。
  
確かにお話はできません。でも、その人のお心とのふれあいはあるのではと・・・・  
  
物理的な別れは確かに、悲しいことですが、お心の別れはないので、いつまでのその方は私の心の中で生きておいでになっていると思っています。
その方が今の私をお作りなっているもでもあるのです。今の私は、その方のお陰で・・・・
  
こんなことを  小夜 さんに伝えたくて。
  
同じ話を今年、ある女性にしたことがあります。彼女は、少しは変わってくれましたが。でも、若い方には、難しいのでしょうか?
   
私は、来週の日曜日、母親の17回忌を行います。
   
母は、今でも私の心の中にいます。
忘れられるものでも
別れられるものでもありません。

name=鬼頭


>  物理的な別れは確かに、悲しいことですが、
>   お心の別れはないので、
>   いつまでのその方は私の心の中で生きておいでになっていると思っています。
>  その方が今の私をお作りなっているもでもあるのです。
>   今の私は、その方のお陰で・・・・
  
拙HPの「大切な方を亡くしたあなたへ」で繰り返しお伝えしたいと私が思っていること も、
そのことです。ところが、鬼頭さんのお言葉は、同じ事をいってるつもりの私の言葉 と全く違うので
すね、優しさというか、あたたかな血が通っているというか、そう「大悲」の お言葉そのままです。
 
本当に本当にありがとうございました。
どうかこれからも、お念仏から飛び出しどおしのgoshinをご教示下さい。
 
> 母は、今でも私の心の中にいます。
> 忘れられるものでも
> 別れられるものでもありません。
 
「別れられるものでもありません」と言いきって下さる鬼頭さんのお言葉に、励ましていただいてます。
 

subject=人は何故大切な人と死別しなければならないの

message=

なぜなのでしょうね。私にもわかりません。
なんでこの人なのか?なんで私がこんな目に遭わなければならないのか?
理不尽でなりません。
  
でもひとつだけわかったこと。
  
自殺じゃない限りその人は死にたくて死んだんじゃない。
一生懸命その瞬間まで生きたんだってこと。
  
主人が心筋梗塞で突然亡くなって二年。
ようやくそんなふうに思えるようになりました。
ひとはいつ死んじゃうかなんてわからない。
 
だから臆病にならないで。
自然にきっとこころが解き放たれるときがきますよ。
 
そういう私もまだまだ主人のもとから離れられないでいるんですけどね・・・。

  

name=♪真由美♪


2年前、お腹の赤ちゃんが流産しそうになって入院している、その病床で
ご主人の突然の死を知らされた真由美さんが、今こうしてあの時の赤ちゃんと二人で一生懸命
生きて下さっている・・そのことがただただ有り難いです。
  
そしてその事実が、肉体の「死」を超えた真実の「生」を私にお教え下さいます。
 
ご主人は亡くなられたけれど、ご主人はいまなお真由美さんたちお二人を思い続けて生きて
いていて下さる。だからこそ、あのような苦しみを超えて真由美さんがこんなふうにしなやかに
生きて下さってるんだと思います。
 
どんな苦難の人生の中にもその人生の尊い真実を指し示して下さるはたらきがはたらき続けて
下さっている、真由美さんがそれを実証して下さってます。
 
> そういう私もまだまだ主人のもとから離れられないでいるんですけどね・・・。
 
離れられないときは離れなくていいとき、 離れるべきときが来たら離れられるようにちゃんと
ご主人がさせてくれるんですよ、そうですよね、真由美さん♪
 

subject=人は何故大切な人と死別しなければならないの

message=

答えとして一番明確なのは生きてるから。

 この問い自体が、むずかしいよね。だって人は死ぬでしょう?死なない人なんかいないし、どこかで誰かが死んでいるのが日常なんだと思う。 同時刻に死亡しない限り確実にそうなるわけでいっぺんにみんな死んで、死別がないとしてもそれが幸せとは思えない。

 死別を経験した実際ほとんどの人が悲しいしやりきれないって考えている。実際そんなに次から次へと死別はしないから、まだ生きてられる。そ こらじゅうで死別だったら悲しくて人類がみんな死んじゃうんだろうなと思う。

  死別するのが辛いんじゃなくて、死別して愛する片方だけが取り残されるのが悲しいことというのはどうでしょう、愛していなければ悲しくないわけ ですし。愛が双方だと思うので感情の洪水にやられてしまうんでしょうかね、愛してるってことのカウンターパンチでノックダウンしてしまう。

  うう、だめだこの辺で難しすぎて思考の限界。

name= 佐藤信顕 


佐藤さんのあたたかいご意見を拝読させていただき、ふっと、幼い息子さんを亡くされたご両親へのまこっちゃんの言葉を思い出しました。
  
「悲しいのは○○君との幸せの裏返しですから、幸せを思い出すときにもれなくついてくる切ない思いは想い出の重さそのまんま です。つらくもあるでしょうけど、そのつらさを逆に誇りに思っても良いんじゃないでしょうか。」
 
「生きているから死ぬのは必然」と分かっていても、大切な人に生きていて欲しい・・「見えない永遠のいのちの中に生かされて生きているのだから」と教えてもらっても、大切な人の「見える命」に生きていてほしい・・「愛執が苦を生む」と分かっていても、大切な人を愛し、大切な人に執着せずにはいられない・・愛することをやめられはしない・・「う、だめだこの辺で難しすぎて思考の限界。」と仰有って下さる佐藤さんのお言葉の向こうに、この問いを問いかける人の悲しみを共に悲しんで下さるあたたかさを感じさせていただきました。
 

subject=人は何故大切な人と死別しなければならないの、『死』という別れが訪れると判ってて何故、人は人を 愛してしまうのですか?

message=

皆さんの投稿された文章を読んでいるうち、わたしも書かずにいられなくなりました。

 わたしはちょうど一年前に父を亡くしました。今でもそのときの事が眼に焼きついています。心拍数がゼロになり、機械からピーという音が聞こえて、緑色の線が直線になった瞬間・・・。「何故大切な人と死別しなくてはならないのか」私も、ずっとこの一年自分自身に問いかけ続けてきたことでした。  わたしは今大学生で、心理学を勉強しています。ゼミの研究テーマに、死別についてとりあげて勉強中です。まだ答えは見えません。もちろん、正解などないと思いますが、自分なりの答えを見つけたいと思っています。そして、大好きだった父からもらった命を大切にしていきたいと思っています。

name=むむ


「大好きだった父からもらった命を大切にしていきたい」と仰有って下さるむむさんを
お父様はどんなにか喜ばれておられることでしょう。思えば「親」が子に願うことといったら、
そのこと一つではないのかなぁ・・「賜ったいのちを大切に」
先立たれた方々は皆いのちがけでそのこと一つをお教え下さったと思うし、今も教え続けて下さっているのだと思う。
 
むむさん、ご投稿をホントにありがとう。ゼミでの研究楽しんで下さいね。そしてまたgoshinにもいろいろお教え下さいね。

 ご投稿をありがとうございました。心より御礼申し上げます。

皆さまからのご投稿を無駄にしないようページを充実させていきます。

  
  

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