お母さんを亡くしたAさんへの手紙 (抜粋)
                          goshinより 
  

今月の言葉 97年9月の【「懸ける願い」 と 「懸けられた願い」】にも掲載

「こうもしてあげたかった」「ああもさせてあげたかった」

「せめて、あと一年生きていてくれたら」

と、母を亡くした貴女は何度も何度も繰り返します。

                              

大切な人を亡くしたときの底なし沼のような悲しみの中で、

「もう戻ってこない」と絶望します。

こうもしてあげたかった。ああもさせてあげたかった・・

もっと親孝行してあげたかった・・・

貴女がお母さんに懸ける願いは何一つ叶うことがありません。

                           

私たちはいつも願いを懸けて生きています。

願いを懸け続けて生きているのが人間です。

ところが私たちは、願いを懸けるのに一生懸命で、懸けられた願いを忘れがちです。

                              

懸けられた願い

                          

懸ける願いがあるということは懸けられた願いもあるということですね。

さあ、ほんのいっとき、涙を拭って、

貴女に懸けられた願いを見つけてみましょう。

                                

そう、亡くなったお母さんから

貴女に懸けられた願いを見つけることが出来るでしょう。

「元気で幸せに」と願い続けられているのではありませんか?

亡きあとも、いつも願い続けられているのではありませんか?

懸けられた願いは貴女が生き続ける限り、

懸けられ続けているのではありませんか?

                         

貴女がお母さんに懸ける願いは、

お母さんの死によって、届く術がなくなったけど、

お母さんから貴女に懸けられた願いは、今も貴女に届くはずです。

懸けられた願いの中にお母さんがおられるのではありませんか。

                               

ほんの時々、悲しすぎてたまらないとき、

お母さんから貴女に懸けられた願いを思い出して下さい。

悲しすぎてたまらないとき、

ほんの時々、願いを懸けてばかりの自分を見つめて下さい。

                        

悲しみは、願いを懸けてばかりの私たち人間に、懸けられた願いを教えてくれます。

だから、悲しめばいい、悲しみから逃げる必要などないのです。

悲しみの中で初めて懸けられた願いに出会うことができるのだから。

                             
              
  

  
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