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投書・雑文など

福地俊夫


目次


ジャグリングと私(→目次へ)

 私がジャグリングを始めたのはハンガリーに住んでいた時のことだ。正確には「私」というよりも「私たち」と言ったほうがいいだろう。なぜなら、当時恋人、現在の妻(ハンガリー人)とともにジャグリングを始めたからだ。

 私はなぜジャグリングを始めたか。実はジャグリングを始める前段階として、ハンガリーでのけん玉紹介があった。青年海外協力隊員としてハンガリーの大学で日本語を教えながら、日本文化の一つとしてけん玉を紹介する機会が多かった。子どもの時かなり練習していたので、それなりには上手だった。ハンガリーの子どもにしてみると、エキゾチック・ジャパンから日本の伝統的な遊びの名人がきたという感じで、真剣に見てくれて、また驚いてもくれた。私も調子に乗って、ハンガリーに行ってからずいぶん練習をして、腕を磨いた。ハンガリーの首都であるブダペスト以外でも、様々な地方でけん玉を紹介した。もともと私はいわゆる「目立ちたがり屋」で、子どもの時は人前に出て注目を浴びるのが好きだった。ハンガリーでけん玉を紹介しているうちに、その「目立とう精神」が徐々に復活してきた。

 恋人とパリへ旅行に行ったときのことである。小さな広場でジャグラーたちが練習していた。何人かの人たちがクラブの練習をしていた。私はこれだと思った。これでまた人を驚かすことができる、目立つことができると考えた。すぐにそこにいるジャグラーたちにそのクラブはどこで売っているのか聞いた。そしたら、近くのおもちゃ屋さんを教えてくれて、クラブ4本と説明ビデオを買った。

 ブダペストにもどって、すぐにビデオを見て練習を始めた。そして、恋人と2人で毎日何時間も練習した。もうよく覚えていないが、2週間ぐらいでなんとか3本で100回投げ上げることができるようになった。この時は本当に嬉しかった。その後、ビデオを見ながら様々なテクニックを練習したが、どれも中途半端でものにならなかった。というか恋人と2人でするパッシングを覚えて、その魅力にとりつかれたのだ。最初は4本のクラブしか買わなかったので、パッシングを実際にできなかったし、どんなものかよくわからなかった。でも、ブダペストのサーカス学校で教えてもらうようになり、パッシングの面白さが分かってきた(4本でも1人のパスの練習はできる)。やはり、誰かに教えてもらったほうがいいと考えて、ブダペストのサーカスに相談に行ったら、個人的に教えてくれることになったのだ。そこでパッシングの基礎を教えてくれた。そして、クラブを2本追加で買って、6本で本格的にパッシングができるようになった。

 日本で大活躍中のピーター・フランケル氏を教えたというカールマン・バラージュ氏にも教わった。彼は世界中でサーカスの一員としてジャグリングを披露した経験をもつ人で、人間的にも素晴らしい人だった。札幌でサーカス公演をしたことがあり、しきりに日本を懐しがっていた。私たちは最初はクラブから入ったのだが、カールマン氏にはボールのテクニックも教えてもらった。

 ハンガリーにいる時はジャグリングを見せる機会はほとんどなかったが、日本に帰ってきてからは、いろいろなところで見せる機会が増えた。半分ボランティア、半分仕事の感じで紹介している。私たちのちょっとしたルーティンは、私一人でする風船、ボール、けん玉、そして妻と2人のパッシングである。幼稚園、小学校、老人ホーム、企業の祭などで、ときどき披露している。技術的にはまだまだ未熟だが、夫婦2人の趣味・仕事として、楽しみながらやっている。

注:以上の文章は、『ジャグパル・第13号(2001.9.1)』に掲載されたものです。



忘れられない出来事(日高山脈での事故)(→目次へ)

 私は大学時代、山岳部に属していた。大学時代は山にはじまり山に終わるような生活をしていた。年間100日以上山に入ることを目標にし、実際にそうしてきた。冬山もいったし、岩登りもした。山登りの技術もそれなりに自信をもっていた。

 大学4年の最後の夏休みのことである。夏休みは当然山岳部は長期的に山に入る。毎年北アルプスなどの一般的に人気のある地域に入っていたが、その夏は恒例に従わず部の独自性を発揮し、少し変わったことをしようということになった。私たちの山岳部は伝統的にあまり人が入らない地域に入るということがあり、北海道の日高山脈に決定した。日高山脈は道も十分になく、稜線上でも藪をこがなくてはいけないところも多い。また、北海道でも特に熊が多い地域といわれている。私たちはその日高山脈で沢登りをすることに決めた。当時部員は5人いた。残念ながら1年生はいなかったので、ある程度技術の必要なルートも可能であった。私たちは2本の沢を登り、2本の沢を下るという計画を立てた。

 日高の沢は大変うつくしかった。そしてある程度の困難さもあった。途中、ザイルも使い岩登りのようなこともするし、水の中をおよぐこともある。夏だから気持ちがいいなどと思ってはいけない。残雪から溶けだしている水である。温度は限りなく0度に近い。数秒間泳いだあとでも、水から上がれば歯をガチガチ鳴らすことになる。しかし、とにかく私たち5人は沢の美しさに驚嘆し、山の深さを実感しながら沢を前進した。

 10日ぐらい経ったある日、3本目の沢を登っていた。この沢を登り切れば稜線にでて後は簡単な沢をくだるだけというところだった。つまり計画成功まで、ほんの一息だった。不覚にも私はここで滑り落ちた。ほんの小さな滝を登っている時のことである。右足が安定した場所に決まらず、どうしようかと思っている時、左足が滑り、2メートルぐらい落ちた。一瞬何が起きたかわからなかったが、口の中から血があふれ出てきた。血がとまらなかったら死んでしまうのかと思ったが、なんとか止まった。すこし冷静になり舌で口の中を探ってみると、下唇の下が3、4センチ完全に貫通してパックリ開いているのがわかった。口の中は最初ぐちゃぐちゃでよくわからなかったが、何本かの歯が根こそぎないことが確認できた。怪我はこの口のあたりだけで、手足は何ともなかった。この後も自分自身で歩けたということは不幸中の幸いだった。

 他の部員の判断でヘリコプターを呼ぶことにした。夏は通常無線機をもっていかなかったが、その時はある部員が個人的にもってきていた。このことも幸いだった。ある程度平らなところまで登り、無線機で民間の人を通して警察に連絡してもらった。警察のヘリコプターはすぐにきてくれた。そして私を札幌の病院まで運んでくれた。

 病院でレントゲン写真をとってみると、あごの関節の骨が折れていることが新たにわかった。すぐに5、6時間の手術を行った。その後1か月半入院することになった。

 この事故を通して、自分の技術の未熟さをあらためて痛感した。そして忘れかけていた山の恐さを再びおもいだした。私にとってわすれられない出来事である。

注:以上の文章は、97年6月に大学院のコンピューターに関する授業で、コンピューター操作に慣れるという名目のために書かされた文章です。



印鑑は本当に必要なのか(→目次へ)

 あまり問題にはならないことのようだが、読者のみなさんがどう思っているのか知りたくて、書いている。

 はっきり言って日本の印鑑制度はたいへん不便である。理由は簡単、1.常に印鑑を持ち歩いていなければならず、なくす恐れがある、2.印鑑を盗まれたら悪用される、ということである。印鑑のかわりにサインを用いることは、いけないのだろうか。サインの筆跡は個人によってすべて違うもので、全く問題がないと思う。

 外国籍である妻は銀行の口座をつくるのに印鑑をもとめられた。しかたがないのでカタカナで妻の印鑑をつくった。妻は印鑑の必要性がまったく理解できなかった。私も日本の印鑑制度について説明できなかった。

 日本では、なぜ印鑑制度がなくならないのであろうか。どなたか教えていただきたい。

(1997年6月 「週刊金曜日」不採用投書)



コンピューターは本当に便利なのか(→目次へ)

 私はほとんど毎日のようにコンピューターに向かっている人間である。インターネット、パソコン通信、ワープロ、データベースなど、様々なソフトを勉強や趣味に使っている。確かに便利な道具だと思う。

 でも、ときどき思うことがある。本当に便利なのだろうかと。例えば、使い方が分からないときや、何かの拍子にコンピューターが言うことを聞かなくなった時、莫大な時間を費やすことがある。私の経験不足、知識不足と言ってしまえばそれまでだが、私もそれなりにコンピューターには時間をかけてきた。それでも、わからないことが多すぎる。いらいらしてストレスがたまる。

 また、バージョンアップにも疑問がある。新しい便利な機能が増えるのはいいのだが、覚えるのが大変だ。便利になるというよりも、ますます複雑化してわかりにくくなっている気がする。そしてお金もかかる。かつて作ったデータがバージョンアップのせいで使いにくくなったこともあった。

 それからコンピューター用語の問題もある。カタカナ語を使うのは仕方ないが、簡単に変えないでほしい。例えば、ウィンドウズ3.1ではファイルマネージャー、ディレクトリとあったものが、ウィンドウズ95ではエクスプローラー、フォルダーに変わっていた。同じものを指しているのだから、名前を変えてしまうと混乱する。

 私はコンピューターの全面否定をするつもりはないが、もう少し使いやすくならないものかと思う。普段はあまり気にならないのだが、何かわからないことが起こると莫大な時間を費やさなくてはいけない。そんなとき本当にコンピューターは生活を便利にしているのだろうかと疑問を抱く。

1997年6月 週刊金曜日 不採用投書



なぜか「環境にいいもの」は高い(週刊金曜日投書)(→目次へ)

 先日、スーパーにいってトイレットペーパーを買おうとしたときのことである。今まではかたい紙の芯があるトイレットペーパーを使っていたが、同じ品質でその芯のない種類のものが置いてあるのに気づいた。「これはかたい紙のゴミがでなくていい」と考えて、買おうとした。しかし、なぜか値段が高い。芯のない分、長さが長いから高いのかと一瞬納得したが、袋に入っている個数が違う。仕方がないので、その場で一袋のすべての長さを計算してみた。その結果、「芯あり」は720メートル、「芯なし」は600メートルであった。それにもかかわらず、「芯なし」は2割か3割ほど高かった。

 企業がいくら「環境にいい」と宣伝しても「環境にわるい」ものより高くては多くの人が買う気分になれないだろう。ちなみに私は「芯なし」トイレットペーパーの存在に気づいてから、一度は「環境にわるい」安いほうを買ったが、二度目からは「環境にいい」高いほうを買うようにしている。しかし、生活が苦しくなったら「環境にわるい」ほうを買うかもしれない。

注:以上の文章は「週刊金曜日」(1997年5月23日(bP71)号)に掲載されたものです。ただ、一部加筆があります。「週刊金曜日」の購読申込・問い合わせなどは03-3221-8521まで。



「文化二都物語 / ブダペスト サーカス通いで気持ちも通う」(朝日新聞1998年1月8日付 朝刊 17面)(→目次へ)

 ブダペストに滞在している時、サーカスに通うようになった。日本でもヨーロッパの都市でも、サーカスは大抵移動式のテントだが、ブダペストには珍しいサーカス専用の建物がある。プロになるための学校もあり、子どものころから英才教育を施す。

 私がサーカスに通うようになったのは言葉の問題がある。映画や演劇はハンガリー語が分からなければ面白くない。その点、サーカスには言葉はいらない。動き、表情、音楽、衣装で表現するから、見てすぐ分かり、面白い。同じプログラムを何度も見に行った。飽きないのである。観客の質によって演技者の動きが変わるからだ。

 サーカスに通ううちに私自身も何かしたくなり、ジャグリングの道具を買って恋人と練習を始めた。最初はビデオで自己流に練習していたが、指導者が必要と思い、サーカスで相談したところ、学校には入れないがプライベートで教えてくれることになった。

 私たちのジャグリングの先生は札幌で公演したことがあり、しきりに日本を懐かしがっていた。その先生が言うにはブダペストのサーカス施設は経済的に大変苦しいそうだ。政治体制が変わり、国の支援がなくなりつつあるらしい。文化予算が削られたのだろう。社会主義か資本主義か、私にはどちらがいいか分からない。しかし、文化にお金を使うという考えがかつてのハンガリーの政治体制にあったなら、少なくともその考え方は評価してもいいのではないだろうか。

注:本文は1998年1月8日付 朝日新聞 朝刊17面に掲載された原稿です。転載にあたっては朝日新聞社の了解を得ています。また、福地俊夫または朝日新聞社に無断で複製、改変、送信するなど一切の著作権侵害行為を禁じます