日本語教育能力検定試験の学習方法に関する一私見

20065月版)

 

文責 福地俊夫

 

1.はじめに

 学習方法についてはいろいろと言いたいことがあるのですが、なかなか授業中などではゆっくり時間がとれませんので、このように文章にしてみました。

 まず、これから述べることがどのくらい多くの人たちに役に立つかわかりません。もしかすると、こんなことはわかっているよという人もいると思われます。そのような方は、以下のことは一切無視して自分がいいと思う学習方法を選択することをお勧めします。それから、逆にここに書いてあることは全くそのとおりだ、すべて実行しようと鵜呑みにすることも間違っています。なぜなら、これはあくまで福地個人の「一私見」であり、普遍的な正しい学習方法ではないからです。また、そもそも学習という行為は自分の頭で考えて進めるものなので、他人の意見をそのまま鵜呑みにすることは学習という行為そのものに根本的に反する行為です。

 では、特に具体的にどんな人に向けて書いたか述べておきます。

 

・また新しいことを始めちゃったけど、どこまでやれるかわからないし、結局飽きるんじゃないかと不安という方

・今日から勉強を始めようと堅く決意したけど、だらだらテレビを見て、ぜんぜん勉強できない方

・計画を立てたけど、全くその通りにいかずにいつも自己嫌悪に陥っている方

・自分だけが頭が悪いんじゃないかと劣等意識をもっている方

・本当の勉強とは丸暗記とは違うと思いつつ、つい丸暗記の方法を実行してしまい、何か違うんじゃないかと感じている方

・手っ取り早い学習方法があるはずだという固定観念から抜け出そうと思いつつ未だに抜け出せない方

 

 実は上記はすべて私自身に当てはまることです。そう、以下の文章は自分自身に向けても書いているのです。学習が恐ろしく下手な自分自身に対して自戒を込めて書いています。その意味では、すでに検定に合格して日本語教師養成講座を担当している教師という「偉そうな」立場ではなく、学習方法や学習・教育のあり方に右往左往して、五里霧中の中をさまよい歩く、何が何だかわからなくなってしまった情けない人の立場です。ですから、外から見て偉そうに語るのではなく、内にいる当事者の声と思ってください。

 したがって、以下の文章を読まないほうがいいのは、手っ取り早く効率的な「やり方」「受かり方」を教えてよ、出題される所だけをできるだけ絞ってまとめてよという方です。全く期待に応えられないと思うので、読むのは時間の無駄です。

 以上を踏まえた上で、具体的にみていきましょう。

 

*以下、日本語教育能力検定試験を「検定試験」と略します。

 

2.「勉強して損した」

 表題の「勉強して損した」とは、検定試験に落ちた受講生の言葉です。検定試験に落ちたので「勉強して損した」というわけです。私は、「損」になるような勉強はするな、どんな勉強でも意味があるなどと当の受講生を批判するつもりはさらさらなく、むしろ、なぜ私<たち>は「勉強して損した」と考えてしまうのかという問題のほうが重要だと思います。もう少し一般化して言うと、結果がダメならその過程も無意味だということでしょう。もしかしたら近代社会が生んだ効率性に縛られているのかもしれませんね。確かに一生懸命に学習して検定試験に落ちれば、費やした時間や労力(お金も!)が無駄と感じる気持ちはよく分かります。また、結果が悪くても努力の過程のほうが大事なんだと諭したところで、気休めにしかならないでしょう(まさにオリンピックの「参加することに意義がある」)。しかし、そうは言っても、過程である学ぶ行為そのものにも大きな意味があることは否定できません。人間は生まれた瞬間から死ぬまで、毎日毎日、無意識にせよ意識的にせよ学び続けます。つまり、人間が生きることそのものが学びと言ってもいいでしょう。また実際、日常生活の中で私たちは様々なことに出会い、そして理解し学びます。「へ〜」「なるほど」「そうだったのか」「今わかった!」と声をあげて学んでいます。このようなときには常に感動や驚きを伴っています。そう、感動や驚きがあるからこそ学ぶことができるのです。

 学ぶ過程にも意味がある、この言葉は確かに気休め程度にしかならないのかもしれません。しかし、検定試験の結果重視に偏れば偏るほど感動や驚きが減ることは目に見えています。一般的な試験勉強は結果のみを重視して感動や驚きがないので、つまらないのでしょう。確かに結果は誰も保証してくれません。でもせめて、落ちても損をしたと思わない、無駄だったと感じない学習をしてみませんか(決して「〜てください」ではなく「一緒に〜ませんか」です)。試験に出るから覚えるのではなく、「なぜなんだろう」「どうしても知りたい・分かりたい」という子どものような気持ちを少しでも蘇らせて、感動と驚きをもって学習してみてはどうでしょうか。

 

3.人生にとっての検定試験

 みなさんにとって検定試験とは何でしょうか。自分の力を試したい、就職に有利だから、他の人を見返してやりたい、単なる記念のため、などいろいろな理由があるでしょう。理由の是非はここで問うことはしません。ただ、少なくとも自分の人生にとっての検定試験の意味をできるだけ明確にしていただきたいと思います。なぜなら、あとで少し述べますが、動機を高めることにつながりますし、結局は最終的に自分の人生に直接的に関わってくることだからです。その意味においては、徹底的に自分の将来を考えて、結果的に自分にとって検定試験は不要なのだという考えに至ってもそれはそれで素晴らしいことだと思います。

 何が何でも今年合格したいと思う人は多いと思います。確かにその意気込みは重要ですし、理解・記憶という点でも養成講座修了直後に受験して合格してしまったほうがいいです。しかし、人生の意味から考えて、仮に今年合格しないことがどれほどの意味を持つのか、ほんの少しは考えておいたほうがいいでしょう。なぜなら、何が何でも今年という意気込みの度が過ぎると焦りや不安、それに伴う体調不良などの逆効果にもなることがあるからです。これだけは注意しましょう。

 私の経験ですが、行政書士試験には3回目に合格しています。1回目から本気で合格するつもりでかなり勉強しました。特に2回目は絶対に合格するという覚悟で時間も労力も費やしました。しかし結局、最終的に合格したのは3回目でした。実は私自身は3回目に合格したことをむしろ感謝しています。なぜなら、もし1回目で受かってしまったら、おそらく法律の基本がわかっていなかっただろうし、さらには自分自身の勉強の足りなさを本当に自覚することがなかっただろうと思うからです。結果的に、私の人生にとって3回目に行政書士試験に合格したことは幸運でした。

 さて、ここで検定試験を受験した当時(1990年)の私の考えを述べておきたいと思います。私の人生にとっての検定試験の意味と言い換えてもいいでしょう。ちなみに検定試験には運よく1回で合格することができました。当時は将来は日本語教師になろうと決めていたので、そのために合格するのが当然・当たり前と自分に言い聞かせて動機を高めていました。つまり、検定試験に合格することは日本語教師のスタート地点にすぎず、合格して初めてそこから本当の学習が始まるということです。実際、私は検定試験に合格してから民間の養成講座に通い始めました(ただ、計画的・意図的にそうしたのではなく結果的になったというだけです)。

 言うまでもなく検定試験はただの目安に過ぎず、合格者のすべてが優れた教師ではありません。人生の意味から考えれば、はるかに重要なものがあるはずです。

 

4.個人差の激しさ

 学習方法に関して、私がいちばん強調したいことは個人差です。確かにみなさんは約420時間の講座を受けているので、学習している内容は基本的には同じです。しかし、それぞれ今までの学校・仕事・家庭・プライベートなどの経験がまったく違います。つまり、みなさんの頭の中は各人全く違う知識・経験が詰め込まれているわけです。具体的に挙げてみると、例えばすでに大学等で言語学や音声学の授業を受けたり、ボランティア等で日本語を教えたりしている人もいらっしゃいます。このような経験をしている人と全くしていない人では、一般的に当然前者のほうが検定試験に有利になります。ヒューマンの授業も理解しやすいはずです。また、日本語教育に関わる知識・経験とは関係なく、一般的な物事の理解・記憶のコツを熟知している人もいらっしゃいます。

 したがって最初に述べたように、極端に言えば原理・原則的に唯一の正しい学習方法はないと考えたほうがいいでしょう。それなら、どうするかと言えば、自分自身でその学習方法、合格する方法をみつける以外に方法はありません。では、どうすればその方法をみつけることができるでしょうか。一つの方法が過去問です。

 

5.過去問の重要性

 一般的に戦いに勝つには「敵を知り、己を知ること」が重要などと言われています。ここで「敵」とはもちろん検定試験です。すなわち、合格というゴールまでの距離や道順や険しさを知るということです。これらを知らずして闇雲に突き進んでも、仮に進む方向が違ったら合格からはかけ離れてしまい、全く無意味ということになってしまいます(もっとも、その「無意味」さを学んだという点での意味はあるかもしれませんが)。

 司法試験予備校の伊藤真講師はゴールへの道筋を明確に意識するには合格体験記を先に書くといいなどと述べています。私はなるほどと思いましたが、みなさんも試してみたらいかがでしょうか。本当に自分に向き合うことになるので、かなりしんどいでしょうが。

 いわゆる資格試験等では一般的に過去問が大変重要と言われています。どの資格試験であっても、合格者で過去問が重要ではないという人はまずいません。ですから、過去問の重要性は強調しすぎるということはありません。また、特に試験作成者は過去問をみて試験を作成すると言われています。理由は簡単です。内容と難易度を今までのと合わせるためです。今までとまったく変わってしまえば、いろいろなところから批判や文句が出てしまいます。このように考えると、過去問は今後の試験の内容・難易度を最も明らかに示している最も信頼できる情報です。これに触れずして他に何に触れようかということになるわけです。

 また、「己を知る」ためにも過去問は重要です。過去問を解くことによって自分のわかっている部分・わかっていない部分が明らかになります。当たり前ですが、わかっていない部分に学習時間を割くべきです。得手・不得手を明確に自分自身で自覚することにより、自分の学習方法を見出すことが可能です。当然、ヒューマンの授業の受け方も変わってきます。授業中に「このあたりは過去問に出ていたな」「過去問にはなかったと思うけど、先生が重要と言っているということは今後狙われそうだ」と、より授業に興味をもって集中することができます。

 さらに、過去問を実際に解くことにより時間配分や形式に慣れることができます。特に多肢選択式の場合は消去法的に考えていって答えを導き出すことが多いです。その場合には正当らしきものを選ぶ一種の勘が重要です。実際に過去問を解くことによりその勘を養えます。

 過去問の解き方として大事なことは、特に間違えた問題をきちんと納得することです。解説がないのでわかりにくいかもしれませんが、できた・できないに一喜一憂しても意味がありません。なぜできたか、なぜできなかったのか、どうすればできるようになるのかを自分で納得することが重要です。そして、自分で調べてもどうしてもわからない問題は授業や検定対策講座などで先生に質問すればいいでしょう。

 私自身の経験を言うと、行政書士試験のときは約10年分を約10回繰り返し解きました。検定試験については回数はよく覚えていませんが、2年分を5回前後ではなかったかと思います。

 

6.自分を知ろう

 上記で、過去問により自分の足りない知識・能力を知ることはお分かりいただけたかと思います。今度は自分自身の行動面に目を向けたいと思います。

 一般的に、自分自身の行動を変えることは大変なことです。三日坊主などという諺が示すように、新たにある行動を長期的に継続することは至難の業です。今日から勉強しようと決めても、ダラダラとテレビを見て何もしかなった自分を不甲斐なく思うのが大抵のオチです。この点、私もまったく変わりません。でもやはり自分の行動を変えるには、自分のことを自分で知る以外の方法はありません。情けなくてどうしようもない自分自身と真に向き合わない限り、情けくてどうしようもない自分を乗り越えられません。

 そもそも私自身ができないことを他人に勧められるのか大きな疑問ですが(というか疑問を通り越して欺瞞ですね)、ヒントになりそうなことをいくつか挙げておきます。

 まず、行動を変えられない自分を責めても悪循環に陥るだけです。理想の自分と現実の自分とにギャップがあり、そのギャップに悩むのが人間の常ですが、あまりに度が過ぎると病気になります。理想を高く掲げることも確かに大事でしょうが、まずは現実の自分を正確に理解することです。特に自分は意志が弱いと嘆いてもあまり効果はありません。意志が強かろうが弱かろうが合格するために具体的に行動するしかありません。

 次に動機に関してですが、既述しているように、自分にとって検定試験は何か、できるだけ明確にしたほうがいいでしょう。就職のためでも、自己啓発でも何でも構いません。すくなくとも自分で納得できる動機を明確にすることです。それが明確にならず、あやふやだと結局、行動面を変えることは難しいでしょう。

 そして時間管理に関してですが、おそらく多くの人は学習時間がとれないことを嘆いているでしょう。また時間をかけなければと考えて無理な計画を立てて、その計画を実行できずに自己嫌悪に陥ることが多いと思います。ですから、まずは自分の生活時間の把握が必要です。具体的には、1週間の自分自身の行動を記録してみることです。1時間単位、できれば30分単位で記録してみましょう。かなりいろいろなことがわかるはずです。ここでも重要なことですが、無駄な時間が多いと嘆くのではなく、なぜ自分自身は無駄な時間を使ってしまうのか、できるだけ冷静に自己分析してみることです。自分自身の生活時間がわかってくれば、実現可能な計画も立てられるはずです。過去問と接した経験を基に具体的に計画を立ててみましょう。何をどのように何時間すれば合格できるのか、できるだけ具体的に考えてみましょう。検定試験まで残り何か月・何日ということはすぐに分かると思いますが、後何十時間・何百時間学習できるか計算した方はいらっしゃいますか。時間が「見える」ように考えなくてはいけません。

 

7.出題予想

 何が出題されるのかと聞きたい人も多いと思いますが、残念ながらヒューマンで学んだことすべてとしか答えようがありません。個別具体的にこれは重要か否かという問いであれば、その時はそれなりに答えられると思います。ただ、これは出るのか出ないのか、もし出ないのなら学ばないという発想はあまりにも学びに対して打算的であり、すでに述べた、落ちたら損する学習です。学ぶことを支援する教師を目指す人たちの発想ではないような気がします。

 むしろ、自分自身で予想すること、つまり予想できるほど学習することが大事だと思います。確かに、参考書や雑誌や教師の予想も大事ですが、なぜそのような予想ができるのか、その根拠に納得した上で焦点を絞って学習することです。そうでないと、参考書や雑誌に書いてあったことはウソだった、先生が出ると言ったところは出なかったという単なる責任転嫁になりかねません。

 

8.私の具体的学習方法

 当時の検定試験の出題内容・形式と現在のとはかなり違うので、細かいことは述べませんが、私が実践した学習方法のみ簡単に記すことにします。

 まず基礎知識を蓄えるために行ったのは、各分野の有名な参考図書(確か約10冊程度)をそれぞれ数回熟読して要点をノートにまとめることです(このノートは今でも残っていますので、お見せできます)。次に過去問を解きました。私が合格したのは検定試験第3回だったので、過去問は2年分しかありませんでしたが、その過去問は繰り返し解きました(5回前後)。他にアルク出版の予想問題集なども解いた記憶があります。過去問も予想問題もわかりにくいところ、記憶すべき事柄などはノートにまとめました。

 聴解試験対策に関してはあまり記憶にありませんが、過去問や音声学のテープを何度も聞いたように思います。

 

9.具体的学習方法(基本編)

 徐々に具体的な方法に入っていきたいと思いますが、方法を考える上で重要なことを最初に述べておきます。

 しつこいようですが、学習方法は具体的な行為なので、何が正しいか、決まった正答はありません。つまり、正しい生き方(まさに具体的行為!)がないのと同じです。ですから、最も重要なのは極端に走らないことだと思います。この方法を続ければ必ず合格できるという唯一の方法はないと考えて、様々な方法を試しながら徐々に修正していくことです。

 具体的な例を挙げますが、例えばノートを作るか作らないかという問題があります。いろいろな学習法の本を見ると、はっきり見解が分かれます。賛成派はその過程で理解・記憶が深まるし、結果として作られたノートで復習ができると述べます。一方、反対派は参考書等のまとめを見ればわかることだから、ノートを作るのは時間の無駄だと主張します。要は自分自身にとってノートが必要かどうか、自分で判断すればいいだけの話です。人の話に左右されてはいけません。参考書だけで理解・記憶が進む人はそれでいいでしょうし、自分なりにまとめないと頭に入らないという人は作ればいいでしょう。

 それから、わからない問題は考えないですぐに答えを見て答えを暗記せよと言う人も結構います。わからないのだから考えても無駄という理由です。確かに一理あるでしょうが、少なくとも試験は全く新しい問題が出て、その場で考えて答えるものです。常にすぐに答えを見ていて、本当に新しい問題を考える力がつくか疑問です。かといって、わからない問題をひたすら考え込んでも、それこそ時間の無駄でしょう。ほどほどに分からなさを残しつつ、先に進むことも大事なのです。

 つまり、バランス感覚なのです。私自身はいつも極端に走って失敗しているので、よくわかります。結局、学習が上手な人はこのバランス感覚が優れているのだと思います。自分自身にとって、何に時間と労力をかければ、どんな成果があるのかよく分かっているのです。その意味でも、すでに述べた、相手を知ることと自分を知ることの重要性は強調してもしすぎることはないでしょう。

 

10.具体的学習方法(本質編)

 

(1)全体像を知る

 「本質編」では、一般的な学ぶということについて考えていきたいと思います。

 まずは全体像を理解することの重要性です。一般的に断片的な知識は理解しにくいし、記憶にも残りません。体系的に様々な知識と関連づけることにより、理解も促進され記憶にも残ります。

 日本語教育分野を全体的に把握した上で、個々のテーマに入っていったほうがいいということになります。具体的には参考書や用語集の目次や検定試験の出題範囲をよくみることです。ある学習方法の本には目次をコピーをして常に持ち歩いてすべて記憶してしまえと書いてありましたが、これも一つの工夫でしょう。一度、全体象を把握してしまうと、それが頭の中の引き出しや枠組みとなり、その中に個々の細かい知識を入れられるというわけです。つまり、スキーマ(既存の知識構造)を予め意図的につくり、それを利用するのです。

 

(2)理解のために

 理解したか否かの確認で最も簡単な方法は自分の言葉で説明してみることです。とくに日本語教育を勉強していない人(例えば家族・友人)に説明してみてわかってもらえるか、これが理解しているか否かの基準です。専門用語の説明でも、文法・音声現象、外国人問題、何でも構いません。理解があやふやなときは、他者に説明できるかどうか自問自答してみましょう。

 それから、わからないときや記憶しにくいときは手を使いましょう。箇条書きにしてみる、表にまとめてみる、図式化してみるなどは大事です。バカにする人もいますが(実際、私がそうでした)、手を使うことは頭を使うことです。時間がかかるので面倒かもしれませんが、理解・記憶のためには遠いように見えて一番の近道です。まさに学問に王道はありません。

 理解する段階で気をつけることは定義と具体例です。特に専門用語の定義です。日常の言葉がそのまま専門用語として使われている場合には、専門用語としての意味に注意しましょう(例えば「談話」)。わからない用語は用語事典等をすぐに引く癖をつけましょう(『新・はじめての日本語教育 基本用語事典』がお勧めです)。また、専門用語だけではわかりにくいことが多いので、その具体例も必ず思い浮かべるようにすることが重要です。例えば、「文脈依存性」という用語があります。コミュニケーションにおいて文脈に依存しないとわからない場合は「文脈依存性」が高いなどと言われます。具体例はどうでしょうか。「A:あれ、やった?」「B:ああ、あれ、もう終わっているよ」という会話文は、文脈に依存していることがよくわかります。第三者には何のことかさっぱりわかりませんが、一定の情報を共有している当事者にはわかります。逆に文脈に依存しない例は「三角形の内角の和は180度である」という文で、これはどこの誰でもこの文のみで理解可能です。このまま直訳しても大抵の言語で通じることでしょう。これは文脈に依存していない(つまり文脈依存性が低い)からです。このようにして定義と具体例を意識的に考えることは重要です。

 

(3)なぜわからないのか追究

 私は実はこれがいちばんしんどいことだと思っていますが、自分が分からないときに、なぜわからないのかを考えてみることです。また、問題を間違えたときに、なぜ間違えたのか自問自答してみることです。これは、できるだけ具体的にしなければ意味がありません。例えば、単なる情報としての日本語教育の知識が足りないのか、日本語教育外の常識的な知識が足りないのか、文章の論理関係を誤解したのか、さらに似たような不理解は過去にもあったか、何をすれば、そしていつ頃までに分かるようになるのか、自分自身を追究することです。私も書きながら逃げ出したくなるほど厳しいことだと感じますが、まともにやると相当の力がつくでしょう。自分自身の無知さ・無能さ・やる気なさに正面から向き合うわけですから、こんなしんどいことはありません。

 

(4)記憶とは理解そのものである

 記憶に関わるある認知心理学の考え方を紹介しておきます。これは私が大変気に入っている考え方で「事態の必然性」などと言われています。具体例を挙げますが、現在の日本の外国人登録者数は約201万人(2005年末)です。この数字は検定試験の必須知識で、最も重要な数字の一つと言っても過言ではないでしょう。では、みなさんならこの数字をどのように記憶しますか。例えば、単語カードの表に「外国人登録者数」と、そして裏に「約201万人」と書いて覚えますか。もちろん、そのような方法も効果があるに違いありません。ただ、おそらくその方法だけでは検定試験が終った途端に忘れるでしょう。なぜなら、検定試験のためのみに、または記憶のためのみに記憶した数字だからです。したがって、検定試験のための学習は検定試験合格のためだけであって、合格の瞬間にすべてを忘れても構わないという人は、これ以上読むのは無駄です。

 では、「事態の必然性」という考え方を紹介します。これは理解のときに「なぜこうでなければならないのか」とその「必然性」を追究することにより記憶が確かになるという考え方です。先に挙げた例で言えば、「なぜ日本に201万人の外国人がいなければならないのか」「別にいなくてもいいじゃないか」「もっといてもいいじゃないか」「なぜ201万人なのか」と追究していくことです。より具体的には「なんのために日本にいるのか」「どのような仕事をしているのか、留学か」「日本のどこかの地域に偏っているのか」「前の年の統計は何人なのか、10年前、20年前はどうだったのか」「年間の増加率または減少率はどのくらいで、10年後、20年後はどうなると予測できるのか」「他の国の外国人数はどうなのか」などと追究していくことです。このような態度によって記憶が確かになるというわけです。これで明確になりましたが、大事なのは記憶の方法ではなく理解の態度なんですね。つまり、理解してから、さあこれから記憶しようではなくて、理解の態度そのものが記憶そのものだということです。もっとも、一つの事柄についていちいちそんなことをしていたら時間・労力がいくらあっても足りないよと言われてしまうかもしれません。まったくその通りです。最初に述べたように、どのような学習方法を選ぶかは最終的にはみなさんの選択・決断・責任です。ただ、私自身はどちらかというと、記憶のための記憶という学習方法をしてきた苦い経験(今でもその傾向はあるでしょう)があるので、自戒をこめて紹介しました。試験が終った途端に忘れる学習方法は、あまりにも空しくありませんか。また、学びには時間・労力がかかります。残念ながら時間・労力をかけた人にはかないません。「効率的」な学習方法がないということを本当に自覚したときにこそ、本当に「効率的」な学習が始まるのではないでしょうか。

 

(5)記憶の量

 みなさんは記憶する量は少なければ少ないほど記憶しやすいと思いますか。認知心理学の研究では、長期的に記憶に残すのなら、決して少なければいいというものではないと言われています(『間違いだらけの学習論』(西林克彦)を参考)。

 例えば次のような並べ替え問題があったとします。過去問ではありませんが、検定試験で日本語教育史の流れを聞く問題は出ています

 

年代順に並べ替えよ

a.1回日本語教育能力検定試験

b.1回日本留学試験

c.1回日本語能力試験

 

 こんな試験が出たら、みなさんはどう思いますか。やっぱり年号を覚えなくちゃダメなんだと思いますか。でも、年号など覚えなくても記憶は可能です。なぜその事柄が起こったのか、理由・根拠とともに覚えればいいのです。まず世界中の日本語学習者の増加とともにc.が実施されました。当然、学習者が増えれば、その能力を認める認定試験ができるのは予想がつきます。就職のときに日本語能力を証明する必要があるでしょうし、学習者の動機にもなりますね。そして、学習者が増えれば、当然、教える教師が必要になってきます。そこで教師のための資格試験である検定試験ができたわけです。需要と供給という経済原理の一種と言ってもいいでしょう。b.に関してはこれは特有の理由が必要になるかもしれません。b.が実施されるまではc.が専門学校・大学への入学時の日本語能力を測るのに使われていました。しかし、その内容では不十分ということで大学生活で通用するか否かを測ることに特化した試験を作ろうという流れがあったのです。これはより一般化すると、一般的な学習者のための試験があって、その後にさらに特定の学習者のための試験ができたという流れです。このようにして、歴史的な事実を社会的な変化や理由とともに覚えることにより記憶の定着が図れるわけです。

 実際、理由とともに歴史の出来事を覚えたほうが長期的に記憶できることが認知心理学の実験でも証明されています。つまり、この場合に記憶の量が多いほうが記憶に残るということです。ですから、常に記憶する量が少なければ少ないほどいいと短絡的に考えないほうがいいと思われます。記憶の定着のために本当に何が必要なのか、真剣に考えてみるといいでしょう。すでに述べた「事態の必然性」とも関係があるのがわかるでしょう。

 私自身、大学受験のときに語呂合わせにより1000の世界史年号を記憶しました。しかし、現在すべて忘れています(笑)。いかに間違った方法であったか今さらながら自分にあきれかえります。

 語学教育でも全く同じですね。単語の記憶でも、その単語が使われる文脈を示すことによって記憶が確かになります。文脈を示せば記憶の量は確実に増えますが、単に単語と意味だけでは記憶に残りません。これと同じことです。

 

11.具体的学習方法(戦略編)

 

(1)動機

 検定試験を受ける人の中にはそもそも動機が低い人はいないと思うので、この項目は不要かもしれませんが、それでも集中できない時ややる気を失う時があるかもしれませんので、少し触れておきます。

 一番大事なことは動機が低まったときに何をするのか、動機が高いときに決めておくことです。例えば、日本語教師になったときの自分を想像してみたり、日本語教育の学習を始めたときのことを思い出したりすることです。すでに述べたように自分の人生にとっての検定試験を考えてみることもいいでしょう。また気分転換のための散歩でもスポーツでもいいのです。好きな音楽を聞いたり、好みのDVDを視聴したりすることでもいいでしょう。いちばんよくないのは、意味ないテレビやお酒に走り、学習しなかったことを後悔することです。消極的にではなく積極的に休む、積極的に気分転換を図るというわけです。時間の使い方の上手な人は、気分が乗らないときの工夫を様々もっている人です。

 

(2)環境・人間関係づくり

 動機とも関連しますが、学習のために意識的に環境・関係を作っていくのも一つの工夫です。環境とは例えば学習する場所です。図書館や喫茶店や電車の中など、いろいろ工夫してみましょう。また自分のまわりの家族や職場の人たちとの人間関係も利用してみましょう。場合によっては誰かに合格宣言をして自分自身を鼓舞することもいいかもしれません。また、知り合いや友人と学習会などを作って、お互い質問し合うことなどもいいでしょう。ただし、飲み会になることだけは注意しましょう(過去の受講生で実際にいらっしゃいました)。

 要するに自分自身がそうせざるを得ない環境に追い込むことです。例えば、テレビをだらだら見てしまう人はテレビを捨てることです(ちなみに私自身は数年テレビ番組を見ていません)。自分自身の覚悟や態度を目に見える形で外に示すことは大事です。案外、人間は単純なもので形によってその気になるものです。

 環境・人間関係づくりを意識的にすることは重要です。学習や時間の使い方の上手な人は、意識的にせよ無意識的にせよ、このようなことをしています。

 

(3)暗記のために

 すでに丸暗記を否定的に述べていますが、そうは言っても試験勉強は時間が限られていますので、丸暗記が必要なときもあるでしょう。以下にヒントを挙げておきます。

 まず記憶に重要なのは、意識的に記憶の時間をとることです。これは間違いなく記憶しておかなければならないなと思うことに関しては、記憶の時間をとりましょう。毎日寝る前15分でも、電車の中15分でも、またはトイレの中10分でもいいのです。記憶のための時間だと意識することが重要です。

 記憶の方法ですが、最近の認知心理学では処理水準説という考え方があるそうです。処理水準が深ければ深いほど記憶に残るという考え方です。処理の水準には3種あり、記憶の深さの順に、形態的処理、音韻的処理、意味的処理となります。例えば「教師」という言葉の意味・漢字を知らない子どもが、「複雑な形の漢字だな」と思いそのまま記憶するのが形態的処理、「きょうし」と読むことを理解して、口で「きょうし、きょうし」と言って記憶するのが音韻的処理、そして「教師とは先生のことか、そういえば僕の思い出の先生は〜」と意味を考えながら記憶するのが意味的処理です。言われてみれば当たり前のことですが、常に意味を意識することが重要というわけです。歴史年号や英単語を語呂合わせで覚えるのは形態的処理や音韻的処理を意味的処理に変換している典型的な例です。

 また意味的処理と関係のあることですが、自分に関心のあることは記憶に残りやすいので、専門用語等が出てきたら具体例と自分にとっての意味を意識的に考えてみるのも重要です。例えば「文脈依存性」に関しては、過去に文脈を無視して言葉の通り解釈してケンカになったことがあったなあと自分の具体的経験と結びつけてみることです。

 時々、自分は記憶力が弱い、忘れっぽいという人がいらっしゃいますが、記憶力が弱い、忘れっぽいと言う人は、もし本当に自覚しているなら人の倍、3倍時間なり労力なりをかけることです。ただ自分の弱点を嘆いているだけでは結果は出せません。検定試験はある一定の水準を超えなければ合格しない試験ですから、一定の水準を超えるのに他人より時間や労力が必要と自覚する人は、一定の水準まで必要な時間と労力をかけるしかありません。

 

(4)聴解試験対策について

 聴解試験対策について述べたいと思います。時々聴解試験がとても苦手だという人がいます。今まで私はそのような人たちに、とにかく時間をかけて繰り返しCDまたはテープを聞くことが重要ですよと助言してきました。しかしながら、このアドバイスに納得しない方もいらっしゃることがわかり、もうすこし説明が必要と思いました。

 時間をかけてCDまたはテープを聞く意味は大きくわけて2点あります。1点目は経験的事実です。検定試験合格者の体験記には「聴解試験が苦手だったので、何度も繰り返し聞いて練習した」という意見がしばしば出てきます。ヒューマンの過去の合格者でも繰り返し聞いたという人がかなりいます。これが経験的事実という意味です。2点目は具体的根拠です。具体的根拠は3点あり、1点目はそもそも聴解が苦手な人は聴解に時間・労力をかけていない可能性があるということです(もちろん断定ではありません。あくまで可能性です)。一般的に言って苦手なことは誰でもやりたくありません。そこでそもそも苦手な聴解に対する時間・労力が少ないというわけです。ですから、意識に時間・労力をかけることによってできるようになるというわけです。2点目の根拠は時間をかけることにより、自分自身の弱点が徐々に自覚できて、それを補おうと意識的に行動するようになることです。3点目の根拠は聴解テストの形式に慣れることです。特に聴解テストは、時間の限られた形式にしたがう試験なので、時間をかければその形式に慣れることができると思います。

 「聴解試験が苦手な人はとにかく時間と労力をかけろ」という意見は一見、精神論的に見えながらも上記のような意味があると思われます。量(時間・労力)によってすべてが解決するわけではありませんが、量によって質を高める意味もあるということをある程度は認めなければならないでしょう。逆に言うと、量のみに徹底するのではなく、量をこなしながら、質(自分は何がわからないのか、自分の弱点は何か)を意識することがより重要と言えましょう。

 

(5)記述試験対策について

 出題傾向・内容に関してはヒューマンのオリジナルテキストや市販の対策本に譲るとして、特にヒューマンの受講生には授業の課題の経験を生かしてほしいと思います。普段の授業の中で記述試験に関係する充分すぎる課題をこなしているということです。それに自信をもってください。ただし、常にやらされているという意識で課題に取り組むだけはダメで、具体的に検定試験の記述試験の問題ならどう出題されるかと考えてみることが肝要です。そして、課題について一つの解答を求める・探すのではなく、もっと別の方法はないのか、なぜこの方法のほうがより効果的と言えるのか、多角的な視点で考えてみることです。

 また模擬授業は常に外国人学習者を意識して行っています。すなわち、どうすればわかりやすいのか、どんな例文が理解を促すのか、どのように誤用を訂正するのかを重視しています。記述試験も基本的にはこのようなことを求めています。ですから、この模擬授業の経験と記述試験とを関連づけてほしいのです。具体的には、例えば「いる・ある」の違いを入門学習者に説明するとどうなるのか、「〜として」「〜にとって」を使う典型的な例文・場面とはどのようなものか、中級学習者に対するプレタスクの内容はどうすれば効果的かなどを具体的に字数を決めて説明してみること、できれば書いてみることです。

 決してヒューマンの授業と検定試験内容とを全く別々のものとは考えずに、常に関連づけを意識するようにしてみてください。検定試験に必要なことはすべてヒューマンの授業で行っています。

 

12.おわりに

 さて、最後になりました。いちばん最初に書いたことをより徹底し、明確に述べておこうと思います。

 

認識の徒は、おのれの敵を愛することができるばかりか、おのれの友を憎むことができなくてはならぬ。

いつまでもただ弟子でいるのは、師に報いる道ではない。なぜ君たちはわたしの花冠をむしり取ろうとしないのか。

君たちはわたしを敬う。しかし、君たちの尊敬がくつがえる日が来ないとはかぎらないのだ。そのとき倒れるわたしの像の下敷きとならないように気をつけよ。(略)

君たちはまだ君たち自身をさがし求めなかった。さがし求めぬうちにわたしを見いだした。信徒はいつもそうなのだ。だから、信ずるというのはつまらないことだ。

いまわたしは君たちに命令する、わたしを捨て、君たち自身を見いだすことを。そして、君たちのすべてがわたしを否定することができたとき、わたしは君たちのもとに帰ってこよう。

(『この人を見よ』から)

 

 大哲学者・ニーチェの言葉です。教師のあり方を考えるとき、私はいつもこの言葉を思い出します。要は、教師に頼るな、教師の言うことを聞くな、そして教師に頼らない、教師の言うことを聞かないことにより真に学ぶことができる、ということでしょう。極めて厳しく、ある意味、極端な言い方だとも思いますが、私の基本的な姿勢は全く同じです。

 ニーチェの言葉に倣って検定試験について言えば、ここに書かれた私の「一私見」を「否定」することにより、初めてみなさんは合格できるというわけです。ある意味、最大の逆説ですね。「否定」とは、もちろん具体的に全く従わないことや無視することではありません。私の「一私見」と対等に向き合い、みなさん自身で最終判断・最終決定することです。本当にくどいようですが、それ以外に方法はありません。過去の受講生に「先生が出題すると言ったところは出ませんでした。だから、落ちました。もう2度と受けません。」という人がいました。ニーチェに言わせれば、そんな教師を信用した自分自身の愚かさを自覚せよといったところでしょう。

 受かるのはみなさん一人ひとりです。学習するときに理解するのも、試験のときに問題を解くのも、みなさん一人ひとりです。誰のものでもない、みなさん一人ひとりの心と頭で学習に向き合う以外の方法はありません。

 だから、自分を信じてください。自信をもって前へ突き進んでください。

 

13.感謝の言葉

 以上、思いつくままみなさんに言いたいことを書いてみました。

 こうして書いてみると、最初に述べたようにこの内容が本当に役に立つのか甚だ疑問でまったく自信もありませんが、部分的にでも役に立つと思われる方はぜひいろいろと具体的に実行してみてください。

 教育という仕事に約15年も関わってしまいましたが、ますます、学びを支援することの困難さと自分自身のその能力の無さを痛感するばかりです。最もわからないのは、人間は、いつ何をすれば学ぶのか、わかるのかということです。ですから、このような文章が果してみなさんの学びを支援することになるのか皆目検討がつきません。にもかかわらず、こんなことをしたのは、受講生のみなさんの学びに対するエネルギーであることは間違いありません。このことを最後にお伝えしておきます。本当にありがとうございました。

 

参考図書

『勉強法が変わる本』市川伸一 岩波ジュニア新書

『学ぶ意欲の心理学』市川伸一 PHP新書

『考えることの科学』市川伸一 中公新書

『学習と教育の心理学』市川伸一 岩波書店

『「わかり方」の探究』佐伯胖 小学館

『間違いだらけの学習論』西林克彦 新曜社