7月20日
(朝拝)
説教者 久保浩文 牧師 
『何を誇りとして生きるか』
コリントの信徒への手紙二 11:16−23

11:16 もう一度言います。だれもわたしを愚か者と思わないでほしい。しかし、もしあなたがたがそう思うなら、わたしを愚か者と見なすがよい。そうすれば、わたしも少しは誇ることができる。
11:17 わたしがこれから話すことは、主の御心に従ってではなく、愚か者のように誇れると確信して話すのです。
11:18 多くの者が肉に従って誇っているので、わたしも誇ることにしよう。
11:19 賢いあなたがたのことだから、喜んで愚か者たちを我慢してくれるでしょう。
11:20 実際、あなたがたはだれかに奴隷にされても、食い物にされても、取り上げられても、横柄な態度に出られても、顔を殴りつけられても、我慢しています。
11:21 言うのも恥ずかしいことですが、わたしたちの態度は弱すぎたのです。だれかが何かのことであえて誇ろうとするなら、愚か者になったつもりで言いますが、わたしもあえて誇ろう。
11:22 彼らはヘブライ人なのか。わたしもそうです。イスラエル人なのか。わたしもそうです。アブラハムの子孫なのか。わたしもそうです。
11:23 キリストに仕える者なのか。気が変になったように言いますが、わたしは彼ら以上にそうなのです。苦労したことはずっと多く、投獄されたこともずっと多く、鞭打たれたことは比較できないほど多く、死ぬような目に遭ったことも度々でした。


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