美術

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2007年11月10日   国立新美術館と日展

 日展は昨年までは、上野の東京都美術館で開催されていたが、今年は新築された六本木の国立新美術館で開催されている。新しい美術館へ行って来たので、建築と日展について雑感。

 国立新美術館は敷地面積30,000m2、建築面積12,500m2、延べ床面積48,000m2で、国内最大級となる14,000m2の展示スペ−ス (1,000m2展示室×10,2,000m2企画展示室×2)を有し、鹿島・大成・松村JV、清水・大林・三井JVの施工により、 総工費350億円で平成18年5月完成した。設計は先日亡くなったばかりの黒川紀章で、「10を越える美術展を同時開催できるように作品搬出入はあらゆる 面で機能性を有している。日射熱・紫外線をカットする省エネ設計でありながら、周囲の森と共生する建築である。」 とのこと。雨水再利用施設、地下自然換気による省エネ対策が考慮されているとのことだ。ポ−ルボキュ−ズ(レストラン)は22:00まで営業するが、ラン チは常に満席とのことだ。独立法人国立美術館が運営し、コレクションを持たず公募展や企画展を主体に開催する。アクセスは、地下鉄乃木坂駅と直結し、六本 木駅からも近い。
 建築意匠は外観の、縦に大きく波打つような曲線とエントランスの円錐が特徴。敷地が狭く全体を眺められる場所が限られるが、建物の前面はガラスと金属の 複雑な構造が大きな局面を作っていて遠目には美しい。ところが、近づくと安っぽく感じる。建物側面は平面ガラスのテ−ビングがさらに安っぽい。ガラスは紫 外線吸収タイプとおもうが、外壁が断熱の用をなしていない。空調負荷は大きいと思う。建物の前面内部はすべて吹き抜けになっているため、内部各フロアから 屋外の緑が感じられる点は良い。だが前面を支える金属の構造の施工がかなり粗雑に見える。
 展示室壁は無味乾燥の白いクロス張り。床はフロ−リングで、この床の出来の悪さが一番気になった。所々に段差がある。床下換気のため細孔の開けられた蓋 の部分があり、この上を歩くとガタつくし大きな音がする。天井も白で、吸音はしていないようだ。子供の泣き声が良く響く。室内照明は大変良い出来で、変な 反射や陰が無い。だが、壁も天井も白で煌々と部屋全体がただ明るくて病院のようだ。彫刻の展示室では、以前の東京都美術館が地下の吹き抜けや通路が変化の ある落ち着いた雰囲気だったのに比べて、倉庫に詰め込まれたような印象だった。建物背面側は休憩スペ−スなのだが、タイヤ跡のついた搬入路しか見えない。 上野の東京都美術館は狭かったが大きく育った木々がどの窓からも見え、赤い煉瓦に緑の大木が映え、落ち着いたたたずまいが好ましかった。新美術館は建物を 見せたいためか木本は少なく、十年経っても樹木が良い景観を作ることはないだろう。
 ル−ブルはピラミッド状のガラスのエントランスを作ったときに、市民から非難がわき起こったが、古い建物と不思議な調和があり、現在は高く評価されてい る。地下に新築されたモダンな空間から展示室の1階へあがる階段は、古い建築の荘厳なたたずまいのままで、正面のサマトラケのニケが訪問者を迎えてくれ る。ここで訪れる人は一挙に古代へ誘われるのだ。美術館や博物館、コンサ−トホ−ルなどは、訪問者の心を日常から切り離すために、いわば寺社仏閣の参道の ような仕組みが必要だ。レストランだけを目当てにやってくる客を引き寄せる、世俗のポ−ルボキュ−ズは、もってくるべきではなかった。(食べにはいきたい が)

 日展は広い会場になって、今年の入選数2,377点は昨年2,255点より増えた。彫刻、工芸は応募の半数強が入選するが、日本画は1/3、洋画は 1/4、書の入選数は応募数の1割に満たない。全体の応募数は15,000点近いが、このうち約1万点は書の応募である。今年から広い美術館へ移って、今 後はさらに入選作品が増えるのかもしれぬ。それでも洋画や書は高い位置にも展示され、壁面はぎっしりだ。人が多いのは圧倒的に日本画と洋画だ。書は展示ス ペ−スの広さの割に閑散としている。展示室は順路が定まらず行き止まりがあって、行きつ戻りつしないとすべてみることができない。
 日本画と洋画は、特にここ数年、レベルが落ちているのではないか。昔みた絵は現在でも覚えているものがあるが、最近は足を止める絵が少ない。今年楽しめ たのは工芸だ。工芸には、陶、磁、漆、染、人形、鍛、革、紙、織など様々な素材と作法がある。父母と各地の窯元を訪ねた経験から、これまでは陶磁器を熱心 にみてきたが、今年は陶磁よりもその他の工芸のほうが心にとまるものが多い。
 自宅へ戻って日展のウェブをみてみると、入場料1,200円が800円になる割引券があった。今年の日展は、ちょっと腹立たしいことが多かった。

 日展のホ−ムペ−ジ  国立新美術館のホ−ムペ−ジ  独立行政法人国立美術館

2006.11.4(土)  日展 上野東京都美術館 11.2〜24(京都12,16〜1.14、大阪2.24〜3.25)

 前身の文展から通算して今年は99回目。来年は六本木に建設中の新しい国立新美術館で100回記念と銘打って開催される。都美術館入り口横の見事な銀杏 は、11月というのに美しい明るい緑色をして日差しを浴びて輝いていた。新美術館について。六本木ヒルズも、恵比寿ガーデンプレイスも、屋外にはそこそこ 大きな木が植えられているのだが、まるでコンクリートに植えられているように、根本まで金属のプレートで覆われていて、とても痛々しい。おまけにイルミ ネーションの電線が枝を覆っていて、夜はただのオブジェと化す。こういう木は生きている意味がない。都心の新しい建築物の生命を拒絶するような景観が私は 大嫌いだ。夜の森は、暗くひんやりとして植物の密かな呼吸を感じて、木々の長い命の営みに圧倒されつつ、動物たる自分を感じるのが夜の森というものだ。新 しい美術館はきっと、花を生けられない花器のような、大木の似合わない建築のための建築物に違いない。(違ってたらごめん)
 さて、古びた自己主張しない東京都美術館だ。同時開催中のエルミタージュ展は90分待ちでごった返していたが日展は直ぐに入れた。だが、前日オープンし て3日は初めての休日のため、ブラックスーツの先生やお弟子さん達が多くあちこちで挨拶やら立ち話をする人達でちょっとしたサロンと化していた。ゲージツ カも権威ある日展に入選するような人は不自由な人達のようだ。
 東京の日展は唯一全点出展されるので膨大な数である。1階はすべて日本画。二階は洋画。三階は書と工芸で、工芸は陶芸、金工、漆芸、木工、織物など様々 な素材を使ったオブジェが並び楽しい。地下一階は彫刻である。一通り眺めるのと優に半日はかかる。私はいつものパターンで、陶磁器をじっくり眺めてあとは ぶらぶら歩く。
 陶芸は漆器との区別は何とか付くが、金属との区別が付きにくい物もある。白磁や青磁のおとなしい形が好きだが、目新しい釉薬を使った物も目に付く。金賞 は、外側全面にマッチ棒のような小さな陶片を貼り付けた器だった。技法は新鮮だが、色は織部のような柔らかい緑で好ましい。
 彫刻は相変わらず女性の裸立像が半数以上を占める。それがみんないかにも一昔前の日本人体型なのはなぜか。今時の若い女性は貧相な体型で、女性の優しさや穏やかさや強さや母性といったようなものを表現できないのかもしれん。ともあれ、芸術の秋をしてきました。 

2006年8月26日  国宝の陶磁器  (Usefull or Usenessに収蔵)

唐物(からもの:中国製)
(1) 曜変天目(静嘉堂所蔵)
  黒い上薬のかかったやきものを天目といっている。曜変天目というのは建窯(中国建陽県)で作られ大小の円がシャボン玉のように虹色に発色しており、釉 薬(ゆうやく:うわぐすり)は現在も完全には再現されていない。現存する3点は日本にあり、すべて国宝に指定されている。器の内外共に最も良く発色してい るのがこれである。
(2) 曜変天目(藤田美術館所蔵)
(3) 曜変天目(大徳寺龍光庵所蔵)
(4) 油滴天目(東洋陶磁美術館所蔵)
  元安宅コレクションである。油滴天目というのは、深い茶の地色に細かい米粒大の銀色の発色があるもの。これは現在再現されているが、この器は内側全面にムラの無い発色がすばらしい。
(5) 玳玻天目(個人所蔵)たいひてんもく:「たい」は実際には「王」偏に旁を「我」と書く) 
(6) 青磁鳳凰耳花生[銘万声](東洋陶磁美術館所蔵)
  重文のものと比較すると、形に柔らかさがある。東洋陶磁のものは重文のほう(銘千声)ではなかったか。
(7) 飛青磁花生 (東洋陶磁美術館所蔵)
(8) 青磁下蕪花生(個人所蔵)
島物(しまもの:朝鮮製)
(9) 喜左衛門井戸 (大徳寺狐逢庵所蔵)
  井戸茶碗というのは、(横から見て)角形をして高台(陶器の土台の部分)が小さく、筒のような形のものをいう。
国焼(くにやき:国産)
(10) 秋草文壺 (慶應義塾所蔵、東京国立博物館に寄託)
  昭和25年の文化財保護法により国宝が再指定されたが陶磁器部門の第一号である。常滑焼とされている。
(11) 色絵藤花茶壺(MOA美術館所蔵、仁清作)
(12) 雉香炉 (石川県立美術館所蔵、仁清作)
(13) 光悦片身替り[銘不二山](サンリツ服部美術館所蔵、本阿弥光悦作)
(14) 志野茶碗(三井記念美術館所蔵)

国宝の陶磁器は現在14点であるが、天皇家御物(正倉院御物)が43点ある。正倉院御物は国宝に指定されないとのことだ。
項目はSACHIKO調べ。簡単な説明はTAKUYA作成。

2006年6月4日(日) アルベルト・スギ氏の絵画盗作問題

 国画会会員で洋画家の和田義彦氏が、イタリア人画家アルベルト・スギ氏の絵画を盗作したという話題である。テレビの報道等を総合すると、本人は盗作を否 定し、「アルベルト・スギ氏のモチーフを用いたり共同制作したが、全体として独自の創作であり、スギ氏のものより優れたものである。」という。
 アルベルト・スギ氏は「和田氏の盗作である。和田氏とは以前から面識があり熱心なファンであるが、画家であることは知らなかった。発覚後和田氏が来て謝 罪し、告訴しないことを懇願した。」という。和田氏のサイン入りの謝罪文の存在も報道されている。盗作であることは間違いないようだ。
 アルベルト・スギ氏について。イタリアの有力な画廊によると、イタリア絵画界の第一人者で、現在国際的な活動をしている画家としては3指に入る著名な画 家とのことだ。一方和田義彦氏は、今年度の芸術選奨文部科学大臣賞を受賞するなど、日本の現代洋画家として著名とのこと。

 私はこの二人共に知らない。かなり絵画好きの人でも、どちらも初めて聞く名前ではないか。だが問題は、アルベルト・スギという画家が、美術館の学芸員や 日本の洋画画壇の中枢にいる大家たちにも知られていなかった、ということだ。アルベルト・スギ氏が、現代絵画で世界の3指に入るという話は割り引くとして もイタリアで第一人者ということはほぼ間違いないだろう。フランスとイタリアが現代も洋画の最高峰であるだろうが、ニューヨークが最高という評価があるか もしれない。そのイタリアの画家として現在最高の評価を受けている同氏の絵画を、和田氏を評価した日本の大家達が知らなかったということは明白である。
 日本の洋画の創世記は海外で評価された画家達によって開かれた。だが、現在の日本画壇は世界には関心が無く、とりわけ洋画界(!)では何の交流もないと いうことだ。そもそも日展を最高峰とする美術展の権威にも疑念が生ずる。「著名な美術展で入賞すると百万円単位のお金がかかる」とも聞く。日本の美術界は すでに茶道や華道のような権威付けと集金のシステムであるのかもしれない。
 かなり以前、朝日新聞で「日本画」というものがなぜ存在するのか、という記事があったと思う。岡倉天心が明治以降の西洋至上の風潮を批判し、日本の美術 の価値を説いたが、それは偏狭なナショナリズムではなかった。現代の日本の美術界の閉鎖性は、日本の美術の価値は日本人にしか判らないという思い上がり と、「大家の先生」達の利己心の産物だといえるのではないか。
 国内には建物ばかり立派な美術館がたくさん建設された。美術に触れる機会を増やすのは結構だがそれ以上に、見方や感じ方を伝えることが大切だと思う。高 階秀爾の「名画を見る目」(岩波新書)のようなことが、「大家の先生」や美術評論家と言われる人達の仕事ではなかろうか。ルーブルで、数名の先生らしい大 人が、小学校低学年ぐらいの子供を15人ぐらい引き連れて、「落ち穂拾い」の前で子供を床に座らせ、熱心に話していたことを思い出す。小中学校の美術の先 生であっても、1枚の絵について数分でも語れる人がどれほどいるだろうか。
 日本の現代作家による美術展には国際交流が必要だ。海外の評価を取り入れるのは簡単で、海外のアカデミーから推薦された人を審査員に加えればよいのである。日本の美術家が海外の美術展に応募することはさらにたやすい。

国画会 http://www.kokuten.com/    ヤフーニュース「絵画盗作問題」http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/picture_plagiarism/

2004年9月4日(土)  「日本美術傑作の見方・感じ方」 PHP新書

 日本美術は、ローマやイタリアルネサンスの美術などと比較しても優れておりまた先んじていたという。著者の田中秀道は元東大教授、現東北大学大学院教授 で西洋美術史の第一人者。日本美術にも斬新な論考を発表しているとのこと。「新しい歴史教科書を作る会」会長である。西洋の美術を専門としてきた学者が国粋的な政治運動のリーダーであることは興味深い。未だに西洋に弱い日本人というのは正しいが、誤った優越感の方がはるかに問題だ。日本の歴史の本質を知りきちんと批判することこそ日本人のアイデンティティーを大切にすることにつながる。
 [補足]「新しい歴史教科書」の日中戦争のところを読んでもらいたい。現在の日中関係を理解するためには何の足しにもならない。こんな教科書が使われてはいかんと思う。
「新しい歴史教科書」の内容 
http://www.tsukurukai.com/05_rekisi_text/rekisitext_index.html#
「批判」 http://www1.jca.apc.org/aml/200106/22352.html


 本題。著者は美術品の評価基準は特定の民族的、宗教的な感情に依拠しない古今東西に普遍の「人間性」「精神性」をどこまで深く表現しているか、ということに尽きると言う。そして日本の美術を西洋以上だとする。日本の美術品について、ほんの少しの有名なものだけしか知らない私であるが、中国や西洋の著名な 彫刻や絵画と比べても、品格があったり人間性や感情を深く表現していたり、写実性があったり斬新さがあると感じることが多かった。日本の美術を知る多くの 人がそう感じているとも思っていた。だから著者の主張には大いに共感する。美術書は数多いが美術品としての価値を明言しているものはほとんど見たことがない。著者が世界的にも一級品だという美術品を以下に紹介する。ぜひゆっくりこれらの実物を見てみたいものである。

 ◎はパルテノン神殿に残る彫像、ミケランジェロ、ダヴィンチ、レンブラント、フェルメール、ルーベンスらの最高傑作に相当するとしているもの。また著者が作家を推定しているものを☆で示す。

アルカイスム(古拙主義)600〜710
[止利仏師(鞍作止利=くらつくりのとり)]
 ☆法隆寺の五重塔をはじめとする建築  日本独自の伽藍配置でパルテノンに匹敵すると言う。
  「釈迦如来像=飛鳥大仏」(飛鳥寺)  後補の跡が著しい。
  「釈迦三尊像」(法隆寺金堂)
  「救世観音像=夢殿観音」(法隆寺夢殿)
[山口大口費=やまぐちのおおくちのあたい]
 ☆「四天王像」(法隆寺金堂)
◎☆「百済観音像」(法隆寺大宝蔵院)
[アノニマス=作者不詳]
  「弥勒菩薩半跏思惟像」(広隆寺) 新羅から聖徳太子追善のために贈られたもの。
  「弥勒菩薩半跏思惟像」(中宮寺) 日本で作られた。
  「玉虫厨子、捨身飼虎図」(法隆寺) 日本最古の絵画作品、最古の油絵
◎ 「法隆寺金堂壁画」  昭和24年に焼失。フレスコ画。作者は4名。釈迦浄土図は世界最高クラス。

クラシシスム(古典主義)710〜780
[当麻寺の仏師=氏名不詳の個人]
  「四天王像」(当麻寺)
  「五重塔初層塑像(釈迦涅槃)」(法隆寺五重塔)
  「維摩居士=ゆいまこじ」(法隆寺五重塔)
[将軍満幅] 当麻寺の仏師の弟子
  「八部衆像」(興福寺)   「阿修羅像」など
  「十大弟子像」(興福寺)   六体のみ現存
[国中連公麻呂=くになかのむらじきみまろ]
  「廬舎那仏=るしゃなぶつ」(東大寺)  大仏。1,180焼失。現在の大仏は江戸時代初期に作られた。
 ☆「執金剛神像=しっこんごうしんぞう」(東大寺三月堂)
  「不空羂索観音像=ふくうけんざくかんのんぞう」(東大寺三月堂)
◎☆「日光菩薩像」(東大寺三月堂)
◎☆「月光菩薩像」(東大寺三月堂)
◎☆「四天王像」(東大寺戒壇院)
 ☆「十二神将像」(新薬師寺)
◎☆「鑑真和上坐像」(唐招提寺)

バロック(動勢様式)(1,150〜1,300)
[康慶]運慶の父
  「善殊像」(興福寺南円堂)   法相六祖像の内
[運慶]
  「大日如来像」(奈良円城寺) 前時代のマニエリスム(様式主義)950〜1,010の形式性から脱し切れていない。
  「阿弥陀如来像」(伊豆・願成就院)      (同上)
  「阿弥陀如来像」(逗子・浄楽寺)「脇侍像」  (同上)
  「恵光童子像」(高野山・金剛峯寺)
  「制多迦童子像」(伊豆・願成就院)
  「八大童子像」(高野山・金剛峯寺) 二点は後代のもの
  「不動三尊像」(蓮華王院)  父康慶と制作
  「仁王像(吽形)」(東大寺南大門)運慶の作と言われてきたが統一感がない。一門一派の共同製作ではないか。
  「弥勒仏坐像」(興福寺北円堂)
 ☆「空海像」(高野山三宝院)
 ☆「大日如来像」(足利・光得寺)
◎ 「無著・世親像」(興福寺北円堂)
[快慶]
  「阿弥陀三尊像」(兵庫・浄土寺)
  「孔雀明王像」(高野山・金剛峯寺)
  「阿弥陀如来像」(東大寺俊乗堂)
  「僧形八幡神坐像」(東大寺八幡殿)
[定慶]
◎ 「金剛力士像(阿形)(吽形)」(興福寺)
  「十二神将像」(興福寺東金堂)
[湛慶]運慶の長男
  「千手観音坐像」(三十三間堂)  通称三十三間堂は妙法院蓮華王院本堂
◎☆「婆藪仙人像=ばすうせんにんぞう」(三十三間堂) この像の含まれる二十八部衆像は全て湛慶作と考えられ傑作。
◎☆「摩和羅女像」(三十三間堂)     (同上)
 ☆「風神」「雷神」(三十三間堂)
  「運慶像」「湛慶像」(六波羅蜜寺) 湛慶像は世界初の自分の肖像
  「重源上人像」(東大寺俊乗堂)
[康勝] 運慶の四男
◎ 「空也上人像」(京都・六波羅蜜寺)
[藤原信実]
 ☆「源頼朝」(神護寺) 「平重盛像」「藤原光能像」と共に父隆信の作とされている。頼朝像が優れている。
[住吉慶仁]
◎☆「平治物語絵詞」(東京国立博物館、ボストン美術館他)
[作者不詳または略]
  「信貴山縁起絵巻」
  「伴大納言絵巻」
  「源氏物語絵巻」
  「明恵上人像」(高野山)
  「山水屏風」(神護寺)

ロマンチシズム(浪漫主義)1,450〜1,600 
[雪舟]
  「秋冬山水図」(東京国立博物館)
  「山水長巻」(山口・毛利博物館)  「四季山水図」の内

ジャポニスム(日本様式)1,760〜1,945  
[俵屋宋達]
  「白象図」(京都・妙心寺養源院) 400年前のピカソ
  「松図襖」(京都・妙心寺養源院)
  「風神雷神図屏風」(建仁寺)
  「舞楽図屏風」(醍醐寺)
[尾形光琳]
  「燕子花屏風図=かきつばたびょうぶず」(東京・根津美術館)
  「紅白梅図屏風」(静岡・MOA美術館)
[河合玉堂]
  「凍雲篩雪図=とううんしせつず」(東京・川端康成記念館)
[喜多川歌麿]
  「ポッピンを吹く女」  「婦女人相十品」の内の一枚
  「浮気の相」     「婦人相学十躰」の内の一枚
[葛飾北斎] 北斎=東洲斎写楽
  「市川鰕蔵の竹村定之進」  歌舞伎役者の大首絵
  「二代目大谷鬼次の奴江戸兵衛」 (同上)
◎ 「富嶽三十六景」    七十歳を過ぎた作者の集大成。「神奈川沖浪裏」「信州諏訪湖」など。「神奈川沖浪裏」の海外での評価はモナリザに比肩する。
[安藤広重]
  「東海道五十三次」   「庄野」「蒲原」「日本橋」「藤沢」「吉野」「桑名」など。
  「江戸八景之内唐崎夜雨」
  「比良暮雪」
  「洗場」    「木曾街道六十九次之内」
/以上
 興福寺の仏像は質素な建物に一堂に並べられており、ゆっくり眺めることができる。近鉄奈良からすぐ近くだ。

2004.5.16(日) 「明治日本美術紀行」 フリーダ・フィッシャー 講談社学術文庫

 フリーダ・フィッシャーというのはドイツ人の女性美術史家。明治期に東洋美術、とりわけ日本と日本美術に惹かれ1898年(明治31)年から1912年 (明治45年)まで5度、足かけ10年以上にわたる訪日の際の日記を、本人が1938年に出版したものである。フィッシャー夫妻は日本の美術品を多数収集 し、1913年に(旧)ケルン東洋美術館を開館した。
 この本には当時の日本画門流の徒弟制度の実態、正月や祭りの風俗や旧家の家中行事が詳細に記述され、美術家だけでなく著名人が多く登場する。彼らの言動 がそのまま記録されている。作者は日本人の自然への感受性の高さと、庶民や子供の礼儀正しさを賞賛している。そして、日本の美術を深く理解し愛した。

 20代前半で結婚し新婚旅行で3年間、初めて日本に滞在したドイツ人女性の異文化体験は、むしろ現在の日本人に近い感覚であっただろう。そして明治期の 日本には、目に見える日本があったような気がする。日本の美術がそれまでは寺社や旧家に私蔵されてきたものが初めて姿を現し、そのころ西洋美術が日本に 入ってきたがゆえに、日本の美術として初めて捉えられた瞬間でもあったと思う。

 「日本人とは、日本人とは何かという問いを、頻りに発して倦むことのない国民である」、「人間(日本人)の行為の規範は自然に超越する権威に由来するの ではなく、自然に内在する権威に由来する。」、「寛容と不寛容との区別のない一種の経験主義を通じて、『より高い生活程度』ではなく、『より幸福な生活』 を目指す道があるかもしれない。(中略)そこにはキリスト教と個人主義の作らなかった、一種の文化、決して断絶していないわれわれの伝統、日本にとっての 創造の希望がある。」(いずれも「日本人とは何か」加藤周一)

 中国の漢以前の美術について。「儒教は芸術の自由を制限するものであった。倫理への奉仕に縛られて芸術は、自然、工芸的なものとなった。(中略)たとえ それが装飾的なものにとどまっていたにしても、それは決してブルジョワ的低俗の次元にまで落ちることはしなかったであろう。何となれば、アジアの芸術は、 それが持つ普遍的没個我なるものの宏大な生命によって、そうした共感の欠如というようなもっとも縁遠い危険からは、永遠に救われているからである。(「東 洋の理想」岡倉天心)

 日本の美術を西洋美術から守ろうとした岡倉の中国美術への評からもわかるように、明治期以前の美術は、「日本人とはなにか」という問いに一定の見方を与 えるものだ。高価な美術品は当時の庶民には縁遠いものであっただろうが、その美術品を生み出したり賞賛したのは日本人多くの感受性だ。そしてこの本のころ の日本には、今や失われた明治の日本の田舎や町の風景があった。人は因習と封建的な家族制から脱していなかったかもしれぬが繊細な美意識があった。

 「明治日本美術紀行」は、私が親近感を抱くドイツの町ケルンにゆかりのある作者という点もあったが、この本は美術好きでなくとも楽しめるいわば日本人論 である。詳細な注釈と訳者の解説というより研究論文が付属している。白黒の図版が小さいが多数挿入されている。文庫本なのにこのシリーズはやや高価なのが 難。
 というわけで、希望者にはお貸ししますよ。
END