2017年05月


 2017年05月028日  「書と日本人」 石川九楊 新潮文庫

 字が汚いと言われ子供のころ書道教室に通わされた私にとって習字は苦痛だった。毛筆で字を書く訓練は無駄な努力だと思っていたし、そう思った理由は毛筆で書かれたものを既にほとんど見ることがなかったからではないか。
 日本の地名は言葉の伝承が先にあって、漢字は言葉の音を充てたものであることが多いということを知り、書き言葉が重要だという認識が一層乏しくなった。
 また、日本語の書き言葉の漢字かな交じり文は活字でみたときに多言語に比べて美しくないと感じたので、外国人に聞いたことがある。その答えは想像どおり日本語の文字は美しくない、中国語のほうが美しい、というものだった。
 そんなことで、日本語の書き言葉について深く知りもせず疎んじていたり軽んじていたと思う。
 私が書に少し関心を持ったのは、祖母が仮名書きの美しいかるたを大切にしていたこと、祖父が掛け軸を収集していたこと、母が年取ってから書を始めたことがある。しかし書展にでかけても相変わらずほとんどの書は読めず、せいぜい文字の雰囲気を感じるレベルで、書き言葉というよりアートの一分野との思いしか無かった。

 この本では文字と言語の関係を、漢字渡来以後漢文が日本でどのように使われていたか、またひらがなが生まれたことが日本語の感性豊かな表現を可能としたこと、書き言葉が話し言葉を作ること、漢字という表意文字とひらがなという表音文字、さらにカタカナがあることが外来語の導入を容易にし、明治以後の海外文化の移入を容易にしたことなど、文字の文化的機能を知ることができた。

 豊富な図板を挿入した本書は、筆者の学識だけでなく文字表現そのものへの情熱が注ぎこまれている。筆者は日本語は縦に書く言葉で、書事中心の東アジア文明は世界の大きな救いとして働くだろうと言う。

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