2011年10月


 2011年10月29日  目黒シネマにて。映画のあらすじは同パンフレットから抜粋。

○ イヴ・サンローラン
 2010年フランス映画。監督・脚本 ピエール・トレトン 出演 イヴ゛・サンローラン 語り ピエール・ベルジェ 

 1957年、21歳でクリスチャン・ディオールの後継者に抜擢され、2002年引退。半世紀の間仕事と私生活のパートナーであったピエール・ベルジェに看取られた。二人で収集した多くの美術品は、2008年没後ピエールによってサザビーで競売にかけられた。

 頂点を極めたサンローランの伝記映画だが、華やかさより寂しさがつきまとう。男性の愛人ピエール本人に語られるサンローランの私生活は、頂点にたった男の孤独と重圧のため、酒とドラッグにおぼれる日々だった。サンローランの死後、ピエールが二人で収集した数多くの美術品をサザビーの華やかな競売にかけたのだが、もしピエールが先に死んでいたらサンローランは美術品を売り払うことはできなかっただろうという。サンローランにはピエールや美術品やマラケシュ(モロッコ)の別荘が必要だったが、何もかも売り払ったピエールにはサンローランだけが必要だったのだ。
 

○ ダンシングチャップリン
 2011年邦画。監督・構成 周防正行 振付 ローラン・プティ

 「ダンシング・チャプリン」は、振付の巨匠ローラン・プティが1991年にバレエダンサー、ルイジ・ボニーノのために振り付けした舞台作品。日本にボニーノを迎えて映画化された第一部はダンサー達の60日間の舞台裏の記録など。第二部は再構成、演出、撮影されたバレエ「ダンシング・チャプリン」のパフォーマンス。草刈民代の最後のダンスとのことだ。

 第一部はレッスン風景だ。私は作品そのもの以外は見たくないのだが、レッスンの映像でわかるのがルイジ・ボニーノの人柄と草刈民代のプロ根性だ。彼が少年時代からバレエダンサーを目指したのは、ヌレエフを見たからだという。そして自分が目指したヌレエフと一緒に踊れたのだが、少年の頃のとてつもない夢を実現させた幸せな人生だ。本編のバレエは、素人目にもボニーノと草刈民代が良い。ボニーノは彼自身が言うように、チャプリンのまねではなく自分のチャプリンを演じた。


□ 目黒シネマ

 目黒西口から恵比寿方面へ歩き、ひとつめの交差点左向こう地下。
 近場の映画館をウェブで調べたいたら、早稲田松竹という懐かしい名前も出てきた。ここは昔二十代の終わり頃友人のアパートから近く、何度か通った。
 目黒シネマは昭和の香りがする映画館だ。若い男女の館員の雰囲気が大変良い。二本立て1500円。
 土曜の午後でかけた。200名収容だが、午後12:50の一本目から二本目が終わる17時過ぎまで、4割ぐらいの入り。20代、30代の女性一人が多い。若いカップルと壮年のカップルがあわせて2割その他が2割ぐらいだから半分以上がお一人様である。男もハンティング(知り合いの品のないイギリス人の用語)に行けばどうか。昼過ぎなのでおにぎりや軽食持参の人が多い。テレビ放映されにくい佳作を上映しているようなので、またたまに出かけてみたい。


2011年10月30日  日展

 六本木の新美術館の文句は既に書いたのでやめておく。
 日展は1階が会員以上と特選に選ばれた日本画と洋画だ。ド素人だから遠慮無く言うが、この程度でも一流か、と思うもの多数。特選の絵は今年は真っ黒の暗い絵が多かった。2階の第一室は入選者の絵で力作があった。洋画も似たり寄ったりである。
 良かったのは工芸。陶、磁、塗、染、織、鋳、竹、紙、革、七宝など、多彩で、足を止める作品が多かった。特に第三室の特選が並ぶ室は圧巻。
 母のために作品集を買ったが、会員以上と特選しか掲載されていないから、絵画は印象に残った絵がほとんど無い。 工芸は写真だと雰囲気がわかりづらいのだがやむを得ない。
 まあしかし、子供の時からでかけている日展を今年も楽しんできた。来年こそはポールボキューズでランチを食べることにしよう。


END