2008年10月


2008年10月20日  世界金融危機

 「世界1400兆円失う」 朝日新聞の11日付けの1面トップの見出しだ。前日の東証終値は8,200円だ。世界金融危機のプロセスについて。18日(土)付け記事より、やさしい解説。
 「政治力も軍事力も図抜けたアメリカに、世界からカネが集まり、消費が活気づき、外国から物資や製品を買い、代金がまた流れ込んだ結果、世界最大の借金国になった。アメリかは202兆円の債務超過だが、製造業は競争力を失い、イラク派兵で出費もかさみ、国際収支は大赤字で借金はさらにふくらむj一方である。グローバル化は金融自由化を世界に広め、複雑な金融商品が開発され、マネー経済が開花した。潤沢な資金が利益の源泉であり、米国に集まった資金が向かった先にサブプライムローンという低所得者向きの住宅市場があった。住宅価格が下落すると、米国経済は逆回転をはじめ、売りに出る住宅が下落を加速させ、担保価値を下げ、クレジット消費にブレーキをかけた。一方、金融界では金融商品としてのサブプライムローンの証券化により、損失が世界にばらまかれた。」

 18日付けの元大蔵財務官行天豊雄氏の記事。「実体経済の黒子だったはずの金融が富を生み出す主役になり、地球規模で一体化した国際金融市場を舞台に猛烈にふくらんだ末パンクして、世界同時不況を起こした。新型の危機だ。レバレッジ(この言葉も有名になった)を利かせて元本の何十倍にも信用をふくらませたりというカジノ化した取引が横行した。だが米国内では金融資本主義の発達自体は間違っていなかったと言う人が多い。本来持つべき透明性や公平さ、なにがしかの倫理観の欠如があり、リスク管理体制や透明な会計、監視体制を市場に組み込むことを怠っていたと見る。
 資本主義は人間の欲望を動力として使うダイナムズムが強みだ。しかし他方に社会主義という強力な対抗軸があったために、福祉国家という形でその要素を取り込みながら持続的な成長を果たしてきた。ところが冷戦に勝利した後、市場が万能だとする新自由主義に基づく「ワシントンコンセンサス」に覆われてしまった。
 国際金融市場には責任を持っている人が誰もいない。今後の政策が、従来への反省を含んだものになるのか、新たな社会モデルが提示されるのか、そこが今後の分かれ目になる。米国人が自らを矯正する力がどのくらい残っているかだ。
 もう一つは、米国の過剰消費経済がどう変わるかも重要な要素だ。今回の危機は単に金融市場や金融産業だけの問題でなく、米国の国際的威信の失墜や、覇権国としての地位の低下、ドル本位体制の終わりの始まりなのかも知れないという不安を感じた。実体経済が上向くには2010年〜2011年頃までかかるだろう。日本や中国を含む他国が、対米輸出に依存する体質をどう変えてゆけるのか、米国の選択は世界に対しても重い選択を迫る。今回の危機は世界の構造問題そのものを問うている」


 17日付けの東大教授岩井克人氏の記事。「日米欧の金融当局が共同歩調を取り、金融機関への国家資金の注入に素早く動き、一応功を奏している。資本主義は本質的に不安定さを持っている。ケインズは市場経済は不安定であり、政策によるある程度のコントロールが不可欠であると考えた。世界大恐慌の後この考えが特に米国の政策の柱になり、成功した。ただ、成功が行き過ぎて、景気対策のための国家機構が肥大しすぎて、無駄が大きくなった。そこで60年代から英米を中心にミルトン・フリードマンを中心とする新古典派経済学が思想として優位に立ち始めた。市場経済は国家の介入や規制をできるだけ少なくし、純粋化すればするほど効率化と安定化が達成されるとする考え方である。それが80年代にレーガン政権やサッチャー政権の経済政策の理論的裏付けになり、今や経済学の主流派の位置にある。近年はいわば、新古典派の考える理想郷をつくる壮大な実験がグローバルな規模で行われていたと考えていい。今回の危機で実験は破綻した。
 資本主義はなぜ不安定なのか。それは基本的に投機によって成立しているからだ。貨幣自体が純粋な投機と考える。今回の金融危機の震源のサブプライムローンは多くの金融商品と組み合わせて厚く積み上げられ、世界中にばらまかれることでそのリスクは表面から見えなくなった。こうした金融商品は多くの人の間で安定的に取引され、直ぐに換金できると思われていた。あたかも貨幣のように見えてしまった。その隠されたリスクだったサブプライムローンが破綻すると、ドミノ倒しのようにすべての金融商品の信用が失墜したのが今回の危機の本質だ。今後ドルの価値が大いに揺らぎかねない。
 新古典派経済学者の言うような目標とすべき理想状態はなく、セカンドベストを目指すしかない。危機の度に国家資金の注入やある程度の規制など理論的に裏付けられた対策でパッチワークをしてゆくしかない。資本主義のなかで人々は自由という禁断の果実の甘さを知ってしまった。その甘さの中には原罪的な不安定さが含まれている。でも自由は手放すべきではないし手放せないだろう。」


 今回の金融危機の結果、多くの金融商品が、リスクが大きな投機と見なされた。多額の投資が引き揚げられ、多くの金融商品が消滅するだろう。市場経済では投資が沈滞すると、生産だけではなくすべての人間活動が沈滞もしくは逆回りするのだ。カネに換算可能な価値はすべて低下したが、そのカネがふたたび投資につぎ込まれないと、価値は回復しない。その際は価値の再評価がなされる機会となるだろう。

 今回の金融危機は人類のこれまで限りなく繰り返されてきた失敗のひとつに過ぎないが、アメリカの地位が低下し、カネを持つ中東や中国に経済の主導権が移ることが危惧されている。だが、多極化こそ安定を生むのでは無かろうか。情報化によって透明性が高まり、世界が注視するなかでの異文化の衝突は、多様性を保持する結末になるだろう。いささか楽観的ではあるが。


2008年10月28日 文化勲章
 ドナルド・キーン氏が文化勲章をもらった。キーン氏がすばらしいと思ったのは、司馬遼太郎との数多い対談だった。この人の話す言葉は、美しい日本語である。しばらくすると表現が美しいのではなく、言葉に込められたキーンさんの感性が美しいのだ、ということに気づく。



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