2008年3月


2008年3月23日  「日本人」に関する3冊

 「日本人とは何か」加藤周一 講談社学術文庫 GABに既出
  『造形的な感覚の鋭さと、ものの考え方の日常生活に即して経験的であるという著しい傾向と、その二つの条件の下に、たとえば日本人と「自然」との独特の関係が生じた。』
  伝統的な日本人の感性や思索をたたえている。岡倉天心の再来だ。この本はかなり以前に読んだもので、本GABにも既出。

 「日本人の知恵の構造」 樋口清之 角川文庫
  作者は考古学者である。だが考古学にとどまらず、生物学、人類学、民俗学、歴史学など、日本人のルーツ、古代の生活から現在までの芸術、宗教など習俗を幅広く調査、考察して「日本的なもの」に迫る。科学者らしく、緻密な事実をたくさん集めて見せてくれるところが楽しい。やや古めかしい倫理観がのぞけるところがほほえましい。

 「ものの見方について」 笠信太郎  朝日文庫
  政治経済面に組織的に現れた行動から、イギリス、ドイツ、フランスについで、日本について書かれている。作者が新聞記者として実際に見聞きした同時代の事実に基づいている。国別ではやたらとドイツ哲学は詳しいが、そこはそう言うものか、と信じるしかない。


2008年3月9日 「温暖化防止のために」 清水浩 ランダムハウス講談社 2007年12月7日発行
 以下本書の要約。

 (温暖化のメカニズム)
 温暖化とは、CO2が赤外線を吸収するため、これが大気中に増えると本来放出されるべき熱エネルギーが地球に蓄積されて温度上昇を招く。温暖化の影響については、台風や竜巻、熱波など自然災害の増加、気象変動による砂漠化の進行や森林崩壊、北極や南極の氷の融解によるさらなる温暖化の進行や海面上昇、生態系の変化による害虫や感染症の増加ということだが、本書ではどのくらいCO2が増えたらどの程度これらの影響が出現するかという、いわば定量的な記述はない。

 (CO2の排出源)
 日本におけるCO2の排出分野は、エネルギー転換部門(発電所、精油所)が32%で、この内のほとんどが火力発電所である。その次は我々の生活に必要なものを生産している産業部門が31%で、製鉄所と化学工業がもっとも大量のCO2を出しておりそれぞれ全体の10%である。その次は運輸部門で排出量は全体の20%であるが、自動車によるものがほとんどを占め全体の18%である。その次は業務で、商店、オフィス、学校、病院、ホテルなどが9%。家庭が5%である。残り3%が廃棄物処理である。
 たとえば、家庭では電気を使うようになったため統計上CO2の排出が少ない。だからエネルギー転換部門の排出を実際にエネルギーを消費した各部門に振り分け、部門別のCO2排出量をみる必要がある。エネルギー消費ベースで見た部門別C02発生量はでは、産業部門42%、運輸関連は20%で、運輸部門の大半は自動車のため率が変わらない。業務部門では20%、家庭は15%。10年間の変化を見ると、産業部門は省エネが進み変化は少ないが、業務部門では50%の増、家庭は40%の増となっている。
 これらから、発電と自動車と製鉄の3つの分野で総排出量の60%となっている。将来的には電気の需要がさらにすすみ、3つの分野で95%のCO2が発生することが予想される
 世界のCO2排出量は270億トンであり、発電が33%、産業が24%、運輸が20%、民政が20%、その他が2%。アメリカのCO2排出量は60億トンであり発電が42%、運輸が33%、産業が15%、家庭が6%、業務が4%。アメリカのエネルギー消費ベースのCO2排出量では運輸が33%、産業が28%、家庭32%、業務18%である。世界のおける鉄の生産量は年間11億トンでありCO2排出量は全排出量の7%である。製鉄でのトンあたりのCO2排出量は世界平均が日本での排出量の1.2倍である。

 (CO2削減目標)
 地球温暖化防止京都会議では、先進国の削減量が数値化され、90年の排出に比べ日本は6%、アメリカは7%、ヨーロッパ8%の削減を2008年から2012年の間に達成することが義務づけられた。この規制値に対して日本では2005年の段階で90年に比べて逆に12%増加しているから、規制値を達成するためには18%削減が必要となり、ほぼ達成不可能と考えられている。
 2007年6月のハイリゲンダムサミットでは、2050年までに温室効果ガスの世界的排出量を半減またはそれ以上削減するという目標が策定された。この目標値は、一人あたりのCO2排出量を公平にするべきと考えると、現在の世界全体の排出量270億トンを66億人で割ると4トン/人となり、これを半減すると2トン/人。現在日本のCO2排出量は13億トンであり一人あたり10トンであるから、世界の排出量を50%にすることは、日本の排出量削減を80%にする必要がある。同様にアメリカは90%削減する必要がある。
 さらに、温暖化の影響を産業革命からの気温上昇を2度から2.4度に押さえるとすると、2050年におけるCO2の排出量を2000年比で85%削減する必要があるという報告もある。この場合、一人あたりの排出量は0.6トンとなり、現在日本が出しているCO2のわずか6%となり94%の削減量となる
 発電所と自動車と製鉄からのCO2排出が無くなれば、95%の削減は可能であり、本書はそのための技術について述べている。

 (技術の評価方法について)
 技術評価には、米で使われ始めた下記表現で示される技術の到達度、世界中の人が恩恵を受けられるかどうかという公平性、長期にわたって使えるという持続性が、技術選択の前提条件である。
 魔の川−アイデアを形にする難しさ
 デスバレー−試作品を商品化する難しさ
 ダーウィンの海−商品を大量に普及する難しさ
 必要条件は、その対策が100%実効されたときにCO2がどれだけ削減されるかという最大効果量、その技術を実現するための資源が十分に確保されていること(資源制約)、環境対策をしたら新しい利点が生まれるような技術(環境調和型技術)。
 十分条件は、新たな問題を生じないこと、限界コスト利用の容易性が挙げられている。「新たな問題」では、大きな危険をもたらす可能性がある技術として核融合炉が挙げられている。また、有害物質を原材料として使うような技術。あるいは、新たな不公平をもたらす技術をでないこと。不公平としてはバイオマスやバイオ燃料は、人間の食料を燃料にすることを基本としているため公平性が損なわれる、としている。限界コストというのは、十分に大量生産がされ、かつ合理的な製造法が取られたときに実現可能なコストであり、たとえば原材料が希少で高価な材料を大量に使うもの、製造工程の複雑なもの、多くの部品を使う技術は検討の範囲外とされている。最後にその技術が万人に使えるような「利用の容易さ」を挙げている。
 これらを満たす技術は、内燃機関自動車や、高炉と転炉による製鉄技術、火力発電のような、時代を画する技術となる、という。

 (発電は太陽電池)
 一般家庭の年間消費電力は平均5,500kwh。日本では変換効率10%の多結晶型太陽電池パネル1m2あたり100kwh/年の発電が可能であるから、建坪35坪ぐらいの家で総二階建てなら切り妻屋根の片側に設置する太陽電池だけでほぼ年間消費電力をまかなえる。また、太陽電池の製造エネルギーが、何年分の発電電力量に相当するか、というエネルギーペイバックタイムは現在約2年。生産量が増えれば1年程度になると予想される。製造コストは現在1kwあたり50万円であるため、1kwの電池で年間1000kwhの発電が可能とすると、20年で2万kwh、家庭の電気料金は25円/kwh程度であるので、約20年で設置費用と電力として回収できる金額が同額になる。実際には金利は含まれておらず現在は各種の補助金などの政策手段によって普及促進が行われている。なお、価格は製造量によって代わり、一般に工業製品は10倍の累積設置容量になると価格が約半分に安くなるという法則があり、これは学習曲線と呼ばれている。日本で必要な電力をすべて太陽電池でまかなうと、電気代は4円/kwhとなり、その時の生産額は16兆円となる。
 日本の消費電力については、現在1兆kwhであるが、将来電力の利用可能なエネルギー分野(自動車、製鉄など)がすべて電力に置き換わると、約2.7兆kwhとなる。さらに世界の全人口が現在のアメリカ人と同程度の電力を消費するとすると、究極の電力消費量は190兆kwhとなる。これを太陽光でまかなうと、世界の需要を満たすために現在の生産規模40万kwを6600倍、究極の需要を満たすためには2万4千倍の生産が求められる。太陽電池の製造技術は既にダーウィンの海を渡り始めている。公平性では、世界中で光りの当たらないところはない。太陽からのエネルギーは1m2あたり1.4kwhであり、現在の人類が使っているエネルギーは、太陽光のエネルギーの1/5000ですべてまかなえる。太陽電池を地球上の陸地面積の1.5%の面積を使えば全世界の究極の電力がまかなえる。陸地の13%をしめる砂漠地帯では発電効率が高く、砂漠面積の7%(全陸地面積の内)を使えば究極の発電量の40倍の電力が得られる。太陽電池の材料はシリコンとガラスであり、資源制約はない。
 他の発電方式として注目されているバイオマス発電について。太陽エネルギーからエネルギーとして植物に蓄える効率は0.1%とされている。メタノールを得る場合、NEDOの目標効率は30%である。このメタノールによって電気を起こそうとすると、その効率は40%ぐらいである。結局最大でも太陽エネルギーの0.03%程度が電力に変換されるのみであり、太陽電池に比べて300倍の効率の違いになる。バイオマスでは、陸地全体に植物を植えてエネルギーを得たとしても必要量の20%程度の電力しか得られず、最大効果量の点で抜本的な温暖化対策とはならない。新たな問題として、本来食料に使えるものが大量にバイオマスに使われると物価高や貧困誘発の問題が発生しうる。
 風力は、現実性、公平性、持続性は良好であるが、最大効果量は、全世界のエネルギー消費量と同程度であり、すべての陸地に100メートルの風車を1km感覚で設置することが前提条件となっている。現在設置が増えているのは風の強いところでは建設費を差し引いても採算が見込めるためであるが、実際に設置できる場所が少ない。

 (蓄電池)
 太陽電池の電力の安定共有には、電力をためる必要がある。リチウムイオン電池は、日本国内では二日分の総需要電力と自動車の最大3,600億kwh強が必要。現在500円/whで、5000回放電可能であるため、1kwhを蓄える費用は100円である。学習曲線を前提とすると、日本全体の需要を賄う4兆円程度の市場規模では0.8円/kwh、究極では40兆円、0.2円/kwhとなる。リチウムイオン電池は、ダーウィンの海を渡り始めた段階である。

 (自動車)
 電気自動車の効率は34%であり、エンジン自動車では8.6%である。自動車の価値は加速感と広さと乗り心地であり、いずれも電気自動車の試作車は優れた性能を発揮した。限界コストはエンジン自動車を下回る。現在の技術段階はデスバレーにさしかかった所である。

 (製鉄)
 電気により水素を作る。水素を使う水素製鉄では、酸化鉄を鉄にするときにCO2が発生せず水が発生する。技術段階は魔の川を渡る以前。

 (まとめ)
 太陽電池が、4主要技術の第一の技術である。夜間や曇りや雨の日のために必要になるのが、電力貯蔵用リチウムイオン電池である。第3の技術は電気自動車である。これら3つの技術が世界中に普及すればCO2の90%は削減できる。さらに産業関連で最も大きなエネルギーを使っているのが製鉄所であり、ここでは石炭が使われてきた。水素製鉄とすればCO2を出さない製鉄が可能であり、これらが全世界に十分に普及すれば95%以上のCO2が削減できる。新しい技術の普及速度は非線形的である。広まるときの変化は劇的である。これまで社会に無かった自動車やエアコンが普及するのには20年を要しているが、デジカメやCDのような、既存の技術が新しい技術に置き換わるのはわずか7年である。4主要技術はいずれも従来技術の置き換えである。

 以上は「温暖化防止のために」から。ちょっと長くなったが、太陽電池の所はなるべく詳しく紹介した。

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 本書は地球温暖化防止のために、日本及び世界はどのような方策を講じればよいのかという具体的な提案を行っている所に価値がある。地球温暖化の原因はCO2であり、CO2は確実に増え続けている、として、将来の排出元は電力会社、車、製鉄だとしている。

 本書の不十分な点は以下の通り。
 1.CO2濃度が上昇していることは記述されているが、どの程度の濃度になるとどの程度の温度上昇になるかということは、明言されていない。
 2.科学技術の発達史、電池の原理、電気自動車の試作品の紹介など、冗長な所が多い。
 3.学習曲線により、工業製品は10倍の累積生産容量になると価格は1/2になるとして、価格が大幅に下がるとしているが、文献を調べると累積生産台数軸は対数とすべきかもしれない。規模が大きくなるコストダウンには限界があるだろうということだ。
 
 とはいえ重要な提言である。学者の専門領域は狭いが、このような大胆な提言を、もっとだれもがすべきだ。文化系の頭で十分理解できる内容であるし、技術の評価方法を丁寧にかみ砕いて述べている。専門分野でないことは他に意見を求め、紹介している。

 森林の間伐などの適正な管理は、無駄ではないが最大効果量が低い。バイオマスは既に穀物価格の高騰など、新たな問題が発生している。原子力については、核融合炉しか触れられていないが、原子力が本命という意見は既に最有力であり、ウランが採掘可能な2050年頃までは最有力の発電システムであろう。しかし自動車が電気になるという話は正しいかもしれぬ。少なくともエンジンよりモーターのほうが特性的に好ましいことは技術者なら常識である。課題は電気の補給(充電)だけだ。

 本書は都市環境フォーラム「低炭素化と都市計画」伊藤滋(早稲田大学特命教授)で伊藤教授が絶賛した書物。日建設計の主催する同フォーラムで地球温暖化に関する最近注目したテーマでは、 「環境イノベーションによる新しい文化の創造」山本良一(東京大学生産研究所)が地球温暖化の実態と要因について平易に解説している。また、「地球環境時代の森林経営と木材消費」速見亨(森林再生システム代表取締役) では、森林再生の方法論について解説している。

 以下は太陽光発電に関する最近の動向(2件)

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 スペインの太陽光発電(日刊工業新聞)
 スペインの太陽光発電の07年の年間導入量は、428MWで、260MWのアメリカ、230MWの日本を上回り世界一。
 累積導入量は593MWで、ドイツに継いで2位、世界4位で、2010年には設備容量で1200MWという見通しが出されている。

 成長の背景は、税額控除や発電電力を高い固定価格で買い上げるフィードインタリフ制度。またドイツより66%日射量が多いとのアピールもあり。2020年までに太陽光発電の割合を20%まで高めるのがねらいとのこと。08年9月までは現在の電力買い取り料金が適用され、その後の新料金では地上設置型で1KWあたり0.369ユーロ(約56円)という案が出ている。
 太陽電池:スペイン企業 イソフォトン、英米系 BPソーラー、韓国 ヒュンダイソーラー、米 アプライドマテリアルズ、中国 チント。
 集光式では技術開発と不急の研究開発を以下が進めている。スペイン 集光式太陽光発電システム研究所(ISFOC、プエルトリャノ)、カスティーリャラマンチャ大、ハエン大、マドリード工科大。以下集光式のメーカー:スペイン イソフォトン、ソル3G、CSLM、米 ソルフォーカス、独 コンセントリックス、米 エムコア、台湾 アリマ・エコ・エナジー。

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 シャープが太陽電池を増産(日経エコロジー3月号)
 シャープの太陽電池の生産能力は年間71万KWで世界トップ。大半がバルク(塊)タイプの結晶シリコン型で、薄膜シリコン型は同1.5万KWに過ぎない。
 現在の太陽電池市場は、変換効率の高い結晶シリコン型が主流だが、シリコン材料の不足が続く中、シリコン使用量が1/100程度で済む薄膜型が次第にコスト競争力を高めシェアを延ばしてゆくとみられる。
 葛城工場にある薄膜型太陽電池の生産能力を年間1.5万kwから同16万kwに増やす。これにより2010年に1KWあたり23円に下げる目処がたったとのこと。一般家庭での電気代削減による、設置コストの回収には20年必要だったものが10年に短縮され、経済的メリットによる購入が一気に拡大する可能性がある。
 さらに、シャープでは、2010年3月の稼働を目指す堺市の新工場があり、年間100万KWの薄膜型太陽電池を生産する計画を立てている。量産効果によりさらにコストが下がると見込まれ、設置後4.5年で元がとれれば、もはや必需品になる。


2008年3月1日 FDP
 
 液晶テレビを買った。42型フルハイビジョンだ。知り合いの連中に比べると、みんなとっくに買っているようなので、たぶん一番遅い方だと思う。一通りの機能をだいたい使ってみたが、なによりも期待以上の画面の美しさに驚いた。

 薄型ディスプレイの主要な方式ではプラズマと液晶があり、寿命や画像では液晶が優れるが、液晶は大型化が困難、応答が遅いという問題がある。私の仕事の上でもディスプレイはプラントの監視制御装置として重要なものであるから、年に二度の技術展にでかけ、関連情報にも注目してきた。ディスプレイ装置の細かい仕様についてはここでは触れないが、液晶ディスプレイの技術は、テレビ的な使用を前提とした場合は、ほぼ技術的な課題を解決して完成の域にある。難点を言えば、画像表示上の問題は早い動きの再生についてはかなり進歩したとは言え、まだ不十分である。最大の問題はプラズマも同様であるが消費電力が大きいことである。42型で300W近くの消費電力であり、夏場は普通の家庭ならクーラーの能力の1/3程度が無駄になる。バックライトの輝度を画面の暗い部分だけを落とすような制御をする技術もあるが、市販品にはまだ採用されていないようだ。画像の美しさについては、実は現在の技術はさらに進んでいて、フルハイビジョンの5倍の高精細画像の表示が可能である。実物を見ると絵画のような質感の画面である。これからは用途によって様々な特殊仕様のパネルが製造されるだろう。

 新しいテレビでは、従来のアナログに加えて地テジとBS、CSを視聴することができるが、地デジとBS放送の多くがハイビジョンであり、美しい映像に魅了される。この美しい画面を見慣れると、従来のアナログ放送並みの画質の番組はあまり見る気がしなくなる。私が好きなチャンネルというと、CSのナショジオ(ナショナルジオグラフィック)と、ディスカバリーチャンネルというのがある。大阪の実家ではCATVだったためにこれらを視聴することができた。これらは自然科学系のドキュメンタリーのみのチャンネルで、金と時間をかけた番組を放送している。いつチャンネルを合わせても、しっかりしたテーマと構成の番組を楽しむことができた。ところが、CSの番組は大画面テレビで近くで見るとやや画像のアラが目立つ。しだいに地デジとBSの中でも、画像のきれいな番組だけを選んで見るようになるのだ。大画面でもある程度遠くで見ると画像の精細度はあまり気にならないと考えていたのだが、ハイビジョン画像は内容よりも画像そのものの魅力が大きい。購入したテレビは、PC用の安価なハードディスクをUSBやLANで接続することが可能で、テレビ画面に表示される番組表をクリックするだけで勝手に録画してくれる。そしてまったく劣化のない画像でいつでも再生できる。それでこのところちょっとテレビ漬けの毎日を過ごしているというわけだ。

 放送と通信というテーマでは以前にもここに書いた。ウェブを通じて映画などのオンライン配信サービスが既に始まっている。オンデマンドというが、見たいときに見たい番組を選んでダウンロードするというものだ。しかし現在のところ、画質では放送が圧倒的に優位となった。ハイビジョンの動画伝送は200M、最近の圧縮技術だと50Mぐらいのスピードで間に合うのだが、末端だけ光にしても現在のウェブの全体的な環境の下ではハイビジョン動画の再生は困難である。
 従って今後十年以上も放送が衰退するようなことは無く、メディア(CDやDVDなどの過般データ記録媒体)の必要性は残り、HD−DVDに勝ったブルーレイディスクが使用される。だが、現在ICメモリが1GBでも二千円程度となっており、5年後ぐらいには50GBのICメモリが2千円ぐらいで出現するので、ブルーレイの寿命はさほど長くないのではないか。ハードディスクも無くなり、メモリーのサイズと信頼性は格段に向上するだろう。
 寂しいのは音質がおろそかにされていることだ。音の差は画質の差ほどにあきらかではなく、良いオーディオ装置は一部のマニアだけの高価なものになってしまった。放送の音質がCD並みに向上しても、再生装置は10年前よりも安物が使われている。



END