2007年6月


2007年6月3日(日) 坂井泉水が亡くなった

 ZARDを初めて知ったのは、もう15年以上も前だろうか。CDショップで素直な声が耳に入った。イメージが明確な詩となじみやすいメロディーがとても気に入って、その場でアルバムを買った記憶がある。若い頃ほど音楽を始終は聴かなくなったが、その後私の車にはいつもZARDのカセットがあった。カセットがCDになったが、今も車に積んである。
 若い人に、「どんな歌手が好き?」と聞かれて、「ZARDかな、元気が出るから」とこたえたことも何度かあった。テレビでは短いカットしか見たことが無いが、ちょっと古風な顔立ちも好ましい。彼女の歌は、これからもたぶんずっと私のドライブのお供であるだろう。


2007年6月16日(日) 恋愛古典小説3題

 恋愛小説というのは、人生の若い時期に限らず、読みたくなるときがあるものらしい。新品同様の文庫本がブックオフでいずれも105円。しかし小さすぎる活字。


□ ツルゲーネフ「初恋」岩波文庫、米川正夫訳、1933年第1刷発行、1988年第49刷発行。[ツルゲーネフ(1818〜1883)ロシア中部オリョール地方生まれ。スペイン人歌手と結婚しパリに住んだ]
 本屋で米川正夫という懐かしい名前を見つけた。高校時代に河出の全集で読んだドストエフスキーやトルストイが、この人の訳だった。

 16歳の少年が、生涯ではじめての清純な、烈しい熱情を燃やして、身も心もささげつくしている「女王」が、他の男性への恋に悩んでいることを察し、やがてその対象がほかならぬ自身の父であると知った時の驚きと悲しみ、その間の微妙な心の動揺が、いかに繊細にまた深く描かれていることか。また物語の中にはまれにしか現れない父親の特異な性格が、簡潔なタッチによって、如何に美事に彫り上げられているか。最後に女主人公ジナイーダの暴君と女奴隷の両面を内部に秘めた、驕慢であると同時にあくまで女性的な人間像の完璧さ、−これらすべてが少年の若々しい感覚を通して描かれているために、そこはかとなき甘美な感傷につつまれていると同時に、生活経験を積んだ中年男の手記という形式で描かれているために、行間に自然と現れてくる観察の精密さも的確さも、読者にとっては不自然に感じられない。このような意味で、「初恋」はまさに天衣無縫の芸術作品であって、ポリス・ザイツェフの言葉によれば、「トルストイ、ドストエフスキイさえ羨望を感ずる」ほどである。/以上は米川の解説から。

 ジナイーダは、かしこく愛くるしく美しい姿態を持ち、彼女にあこがれる青年達を意のままにしていた。読者は少年同と同様にジナイーダに支配され、その彼女が他の男性に支配されていることを知り愕然とするのだ。少年が青年になるまでの内面が深くつづられているが、一方彼女の内面は伺い知ることができない。多くの男性読者は自分の恋を追体験する心地がするだろう。


□ コレット「シェリ」岩波文庫、工藤康子訳、1994年第1刷発行。[コレット(1873〜1954)フランスブルゴーニュ地方生まれ。ジャン・コクトーの友人]
 女性作者の女性訳者による解説。「コレットがなにより人生を愛し、快楽を求め、ときにはペンを握りながら恨みをはらしたりもする、ひとりのどん欲な女だった」

 若くて魅力的な男性シェリは、49歳のレアの愛人であった。少年時代からシェリにとってレアは、大きな安らぎを得られる母性、つまり完璧な女性であった。だが、家庭を持ち成長したシェリが、長い旅から戻ったレアを訪ねた翌朝、レアは彼を愛していることに気づき以前のように二人で暮らすことを決意するが、シェリは決然とレアのもとを去る。

 ツルゲーネフの「初恋」とまったく逆転した、女性からみた男性の魅力、そして女性の内面が深くつづられている。


□ ジョルジュ・サンド「愛の妖精」岩波文庫、宮崎嶺雄訳、1936年第1刷発行、1989年第63刷発行。[ジョルジュ・サンド(1804〜1876)フランスベリー地方生まれ、リスト、ショパンの恋人]

 フランスの田舎の農村に生まれた、双子のランドリーとシルヴィネは仲が良く、いつも一緒に過ごし成長したが、ランドリーが他家へ奉公に出、シルヴィネが実家に残った後、次第にそれぞれの道をゆく。村の嫌われ者だった野生の少女ファデットは、ランドリーへの恋のために、聡明な女性に成長してゆく。美しい農村の自然を背景にして、三人の感情が細やかに描かれている。ファデットが恋をした相手に自分の気持ちを懸命に伝えようとした態度や言葉が心に残る。



END