2007年3月


2007.3.10(土) EUが2020年までに温室効果ガス20%(1990年比)削減で合意
 2013以降のポスト京都議定書交渉に向けてEUが先進的な取り組みを示した。再生可能エネルギー(水力、風力、地熱、太陽光などの自然エネルギー)の割合をEU全体で20%に増やす。輸送用燃料の10%をバイオ燃料にする。

 地球温暖化防止に関する世界と日本のこれまでの動きについて、以下おさらい。
 1997年12月、京都で開催された「気候変動枠組条約第3回締約国会議(地球温暖化防止京都会議、COP3)」で、先進国(条約の付属書Bにあげられる国々) から排出される温室効果ガスの具体的な削減数値目標や、その達成方法などを定めた「京都議定書」が合意され、各国の締結手続きを経て2005年2月16日に発効した。

 本年1月29日〜2月1日に開催されたIPCC(気候変動に関する政府間パネル)で、第4次報告書第一作業部会(自然科学的根拠)報告書要約(SPM)が承認され、報告書本体が受諾された。これによると、地球温暖化が生じていることを断定し、人為起源の温暖化ガスが原因であることをほぼ断定。内容は下記を参照。
 気候変動に関する政府間パネル 第四次報告書 http://www.env.go.jp/press/file_view.php?serial=9125&hou_id=7993
 
 1997京都会議以降ちょうど10年経過したが、状況は明白に悪化しているとのことだ。EUは熱心に見えるが、各国の事情を抱えて内実はバラバラだといわれている。だが、その多様性から生じた合意こそ、さらに複雑な状況にある諸国の、前向きな動きに一抹の希望を与えるものだ。−この程度に心許ない状況ではある。 

 平易な(単なる)解説→「京都議定書目標達成計画」 http://www.kantei.go.jp/jp/singi/ondanka/kakugi/050428keikaku.pdf 首相官邸「地球温暖化対策推進本部」HPより


2007.3.11(日) 水道水の安全性に関する水道事業体アンケート調査結果(2007.2.26日本水道新聞記事)
 水道水の飲料水としての信頼が失われつつある現状については、「危機感を持っている」38.6%、どちらかと言えば危機感を持っている」41.4%。そして8割を超える水道事業体が何らかの対策が必要であると認識している。
 安全でおいしい水道水の供給について事業体の取り組み内容(複数回答)では、「直結給水化」47.4%、「貯水槽水道の指導強化」33.6%、「高度浄水処理、膜ろ過導入」28.5%、「水源涵養」28.1%、水質管理強化」24.5%、「残塩低減、鉛管解消その他」16.2%となった。/日本水道協会による水道事業体のアンケート結果。以上水道新聞より

 水道水の飲料水としての信頼性が失われつつあるということを、水道を供給する側は十分に認識し対策の必要性を強く感じている。対策の内容を簡単に説明する。直結給水と貯水槽水道というのは、ビルの貯水槽の管理が適切で無く水質悪化の要因であるため、貯水漕をなくす(直結給水)という話と、貯水槽を有する水道の管理を向上させる、という意味。高度処理や膜ろ過というのは水質向上のための新しい処理方法である。
 
 都市の水道では下水(を処理して河川へ放流した水)が重要な水源となっている。関西地区では十年以上もカビ臭のある水道が供給されてきた。水質の悪い原水を飲料水として処理するためにはエネルギーとテマヒマがかかる−つまりコストが高いが、日本の水道事業がトイレの水までをも飲料水を供給することの是非について、これまでにはさしたる議論は無かった。日本の水道が、「飲料水を供給する」とわざわざ宣言して、水源水質がかなり悪い水道も、手間とカネをかけた高度処理を行い全量を飲料水として供給することを再確認したのはつい最近のことである。(2004水質基準改正)
 水道水が安心して飲用されるためには、水源がそのまま飲めるぐらいの水質であることが必要だ。泳げる川から取水された水なら誰もが安心して飲む。水道事業は水源を守り、水源の水質を向上させることが求められている。なお、貯水池(ダム)はそれ自体が水質を悪化させるのだ。

 きれいな水を輸送することについて。水道のコストの内で最大のものは輸送費なのである。具体的にいうとポンプの電気代である。また、水道料金の格差の原因で最大のものは、新たな水源確保のためのダム建設負担金である。原油と比べると水道は価格が1/1000であり、水を船やトラックで輸送したり、パイプラインで数百キロも輸送できないのはこのためだ。ところがペットボトルの水はガソリン並みの価格だから、フランスから輸入して国内のすべてのコンビニにまで送り届けることができる。水輸送はコストと、貯水過程の水質管理という問題がある。しかしダムを作るぐらいにカネをかけられるなら、トンネルやパイプラインで水系(自然の地形で水が集まる流域)をまたぐぐらいの工事は可能だ。


2007.3.24(土) ライブ体験
 パソコンを始めた頃から登録していた同窓生サイト(この指止まれ−最近ゴタゴタがあって評判を落としたサイト)には、メール機能がある。3月初め、私の出身中学の同窓生からメールが届いた。茨木市のスーパーで無料のコンサートをやるので、買い物がてら来てほしい、というもの。『Breathe Sound(ブリーズサウンド)』というギターとヴォーカルのユニットとのこと。メールはヴォーカルの女性からのものだった。このサイトを通じて同じクラスだった同窓生からメールをもらったことは何度かあったが、見知らぬそれも私よりかなり若いであろう同窓生からのメールは初めてだった。自分たちのことを知ってもらいたいという熱意と行動力にちょっと感心もしたので、簡単な返事を送った。「ご案内ありがとうございます。私は東京在住ですので、今回拝見するのは難しいのですが応援させていただきます。ご活躍を期待しています。」という素っ気ないものだったが、今度は直接メールが届いた。返信のお礼と、3月19日から5日、初の東京ツァーで、「石田様もご都合の合う日があればぜひ、応援しにきてください!」とのこと。それで、小さなライブハウスに今週19日の月曜、あまり気乗りしないと言う長男を誘って二人で行ってきた。

 東京ツァーの初日は、南青山の「月見君想(月見ル君想フ)」。青山通りベルコモンズのある南青山3丁目から坂を下って直ぐ。1階入り口に立てかけられた黒板を見ると、当日は18時から5つのグループが参加するらしい。狭い階段を下りて重いドアを開けると小さなカウンターがありそこでチケットを購入する。1ドリンク込みで2,800円というのは長男に言わせると相場らしい。そこは二階席であり、隅に照明のコントロール席がある。奥の階段を下りると一階席(地下2階)で、小学校の教室ぐらいの広さだ。正面にステージ、側面はバーコーナーになっている。おつまみ程度の軽食と、飲み物がもらえる。、椅子席は少ないが奥の壁際のテーブルの、先客の隣に腰掛けて開演を待った。
 一つめのバンドは名前を忘れたが男性5名のグループで、生ベースとパーカッションを交えキーボードの男性ボーカルがポップス系のオリジナルを歌う。ややそれぞれの音が分離せずPAは余り良くない。だが、小さなライブハウスは演奏者の表情もよくわかるし親密な雰囲気がする。二つめはPeace Standardという女性二人のグループで、数年前に大阪から東京に来て音楽活動を続けているとのこと。歌の合間に大阪弁で客に話しかけるのが、自分の気持ちを率直に伝えていてとても好ましかった。応援参加のパーカッションのきれいな女性(MARI)と中年のキーボード奏者が抜群の安定感で曲も楽しめた。バンドが入れ替わると、観客もだいぶ入れ替わる。二階席のほうが人が多かったようだ。

 Breathe Sound(ブリーズサウンド)はボーカルの女性とエレアコの男性というデュオだ。ジャズポップというのか、落ち着いた雰囲気のオリジナル曲を、抜群の歌唱力で聞かせる。ギター(エレアコ)もうまい。観客は大半が二十歳前後だろうが、もう少し大人向けの曲だ。狭いライブハウスだとミュージシャンの人柄まで伝わるような心地がして、とても楽しめた。演奏が終わり、二階席のテーブルに出てきた彼らを待ち受けて、CDをいただいて握手をして店を出た。長男と表通りへ出た所の居酒屋(中へはいると蕎麦屋だとわかった)で、おでんを肴に日本酒を飲みながら、ライブのことをあれこれと話した。たまにロックのライブに出演することもある長男も、楽しんだとのことだ。

 会社帰りに安いライブハウスで生の演奏を聴いて、軽く飲んで帰るというのも結構なもんだ。ライブハウスがたくさんあるのは知っていても、どういう傾向の音楽をやっているのかはバンド名だけではなかなかわからない。大阪ブルーノートのようなメジャーなライブハウスでは、高いしチケットはなかなかとれず、当日ふらっと行って構えずに楽しむというのは難しい。ライブハウスは、グループのウェブサイトに頼るのみではなく、不特定多数の観客を集めるために、音楽の傾向をある程度統一したり、入り口に出演者を詳しく紹介したり、当日券の残数を携帯サイトに表示するような努力をすべきだ。居酒屋チェーンは数多いが、ライブハウスチェーンのようなビジネスもありと思う。この分野は事業としてもあまりにも未開だということがわかった。


2007.3.24(土) 下流志向 内田樹(うちだたつる) 講談社 2007年1月30日発行
 著者は神戸女学院大学文学部教授、1950年生まれ。専門はフランス現代思想、映画論、武闘論。教育学や心理学の専門家ではない。

 安井至の「市民のための環境学ガイド」「下流志向から何を読み取るか」という一文が2月末に出た。
 「現時点で学校で起きていることの実態を、そのすべてではないだろうが、見事に説明している本のように思えた。これが事実だと仮定したら、一体、今後どのような対策を取れば良いのか。教育再生委員会に、そんな解が出せるのか。」(安井至)
 この本の要約は安井教授のサイトを読んでもらいたい。このサイトを見て、私も本書を読んでみる気になった。

 安井教授の要約内容を一部補完しておく。
 「学びからの逃走」について。子供が家庭では何もしないことを求められ、消費主体として存在するから、学校では「教育サービスの買い手」となる。消費においては、自分が価値を理解できないものは商品として認識されない。教室は、教育サービスと自らの「不快」という貨幣の等価交換の場である。「授業を受ける苦痛」に見合う対価を「教育サービス」に見いだせないから、子供は授業から逃走することに努力する。不快が貨幣として子供に認識されたのは家庭が源である。サラリーマンの夫は働いている姿を家族に見せることはなく、彼の表現する「疲労感」によって記号的に表出される。家事は育児以外には劇的に軽減されたから、妻が家庭内において記号的に示しうる労働とは、夫の存在それ自体に耐えていることである。家族の中で「誰がもっとも家産の形成に貢献しているか」は、「誰がもっとも不機嫌であるか」に基づいて測定される。これが現代日本家庭の基本ルールである。つまり子供が「不快貨幣」を認識したのは彼の家庭である。
 「労働からの闘争」について。「自己決定したことは、いかに自分に不利益な決定であってもかまわない」という若者達の病態が日本型ニートである。若い人が言う「クリエイティブでやりがいのある仕事」というのは、当人に大きな達成感と満足感を与える仕事というこだが、「雪かき仕事」は自分にどんな利益をもたらすかではなくて、周りの人たちのどんな不利益を抑止するかを基準になされる。だから自己利益を基準に取る人にはその重要性が理解できない。

 安井教授が言うように、本書には何の解決策も示されていない。教育学の専門家でないからわかりやすい論理構成になっており納得できる、とも言っている。だが、教育学や心理学の専門家であれば科学的手法によって、調査してデータを集めて、統計解析をした上で論証するはずだ。授業に背を向ける子供達とそうでない子供達の家庭環境を調査することはさほど難しいはずがない。むしろそういうことを教育学者や文部科学省が怠っていることを指摘すべきではないか。教育基本法に「国を愛する心を涵養する」と書けば解決すると考えているわけではあるまい。
 マイナスイオンには科学的に反証するが、この手の社会科学的なイデオロギーにも、話題にする以上はきっちり反証してもらいたい。この本は本筋と関係のないところでデータを並べたり、他人の著作を持ち上げたり、大方が共感するエピソードが必要以上にちりばめられていて、健康補助食品の宣伝用に御用学者が書いた本に似てうさんくさい。根幹部は思いつきに過ぎないが、他人の著書で補強した論理構成は強力であり、ベストセラーの王道を押さえた本ではある。

 かなり以前から学校崩壊が言われ、いじめが公式に再認知され、教育基本法の議論があったりその前には「新しいなんとか教科書」ができた。教師や教育学者は何もせず、状況は変わっていない(のではないか)。内田仮説はぜひ専門家に検証してもらいたいが、他人の仮説を検証する学者はほとんどいないだろう。私もそんな単純な話ではなく、社会構造の変化が複合的に影響していると思うし、卑近な対症療法もあるはずだ。もし内田仮説が正しいなら、授業を全部ゲームにする手がある。子供は自分の獲得した知識に応じてなにがしかのゴールドを獲得しさえすれば喜んでゲームに参加するだろう。日本のゲームメーカーの実力なら小中学校レベルの知識をゲームにするのは容易だ。学力は飛躍的に高まり、コミュニケーション能力や倫理観も、ゲーム形式で獲得されるだろう。唯一の問題は個性を育てることかもしれない。

 雪かき仕事はコミュニティの中で存続し得た。自分が役割を果たさないと自分自身が不利益を被ったのだ。とはいえ、他人の喜びを自分の喜びにするような感覚が希薄になった。今の子供は感謝されたことがないからだとの本書の主張は正しいかもしれぬが、社会のサービスが多様になって相互依存度を低くしたという面もある。結婚しない人が増えつつある。家族や地域のつきあいが希薄になっても、友人関係が希薄になったわけではない。インフラや社会が豊かになれば、個人に依存しなくても生きてゆけるのだ。昔は就職も結婚も人生の重要なことを、決めたり影響力の大きい父や教師のような権威者がいた。今は権威者がいなくなり「自己決定せざるを得ない」という状況があるのだ。ニートというのは、むしろ「自己決定の責任をとりたくないという病弊」なのではないか。政府のニート対策は、「再チャレンジ」しかない。自分で再チャレンジするようならニートにはならぬ。勤労は国民の義務であるから、強制的に自衛隊に入隊させると良い。兵隊の訓練では、上官の命令に服従し自己決定しないということが重要な訓練とされているから、良い兵隊になるかもしれぬ。(冗談)


END