2007年1月


2007.1.27(土) 「定刻発車」三戸祐子 新潮文庫
 「日本の鉄道はなぜ世界でもっとも正確なのか?」とのサブタイトルが付けられている。日本の鉄道の自然環境、社会環境、歴史、技術に関するルポと分析の書。以下同書の要約である。

 (定時運行の実態)一列車あたりの遅延は、JR東日本(2003年データ)では新幹線が平均0.3分、在来線が平均0.8分。新幹線の96.2%と在来線の90.3%が定刻に発着する。定刻とは遅延1分未満を言う。英、仏、伊の鉄道もおおむね90%の定時運転率だといわれ、TGVは91.8%である。ただしこれは14分以上遅れなかった列車の割合。
 (自然環境)日本は山地や河川が多く、平野も起伏に富む。海岸線は入り組んで平地が無いところもある。台風や地震も多く、多雨のため土砂崩れがあり、大雪の降る地域もある。ところが世界ではもっと厳しい自然環境もあり、砂漠の地では車輪と線路の間に挟まる砂が列車の運行を阻み、極寒の地では油圧系統まで凍る。熱帯多雨の地域では路盤のゆるみが定時運転の阻害要因になる。世界のどこの鉄道にとってもそれぞれの自然環境とどう闘うかがそれぞれの鉄道の技術になり、定時運転の方法になる。
(歴史)日本の陸上交通は本格的な馬車時代を経験しておらず、大量の物資や人を車で移動させるための広い道が整備されていなかった。大きな貨物は主に川や海を通って運ばれ、人は陸を歩いて移動するというのが江戸時代の交通の基本であった。宿場は人が一日に歩ける距離に設置され、日本の都市は人が歩ける感覚で鈴なりになって発展した。この交通状況で現れたのが鉄道であり、明治政府は鉄道を何か特別のものを運ぶための輸送手段というよりは、技術として追求していた。鉄道はアポロ計画のように文明開化の象徴であり、明治政府の偉大さの表現の手段であった。
 線路が延びると鉄道への期待も大きくなった。西南戦争をきっかけとして、また日清、日露戦争を経て軍人や軍事物資を運ぶ手段として役立つことが認識された。日本の輸出産品である絹糸や絹織物を上州方面から横浜の港まで運ぶのにもおおいに役だった。鉄道に産業の発展が追いついてきたのが明治の中頃であり、その後は加速度的に機能を高めていった。幕府が日本の地形を自然の要塞として活用し社会の安定を保つ道を選択してきたのなら、明治政府以降の日本はこの地形を変え鉄道を走らせ、大量の物資や人を移動させることによって軍事的または経済的に発展する道を選択した。
 江戸時代の人々の時間感覚について。鐘によって人々に時刻を知らせる江戸時代の時鐘システムは、村々の寺の梵鐘を受け皿として全国一斉に成立した。17世紀の中旬から18世紀頃に全国3万から5万の時鐘があり、武士の登城、商家の開閉店、農家も水田に水を引く時刻を決めた。鉄道以前の日本の社会が庶民にいたるまでが「一刻」とか「半刻」という時間感覚を持ち、それによって人々が日常生活を律し、組織し、記録していた。
(社会環境)奈良平安時代の駅制では4里(16km)毎に一駅を置いた。日本の都市は鈴なりになって発展し、したがって短距離輸送の需要が大きく駅間が短い。短距離移動では人は煩雑運転を求め、短い運転で煩雑運転をする場合、正確な運行管理が必要になる。
 大正初期には一次大戦による経済活況により輸送量が急増し、人口も明治初期の1.5倍となったが、輸入が著しく制約された大戦中のため車両類はあまり増やせず、使用効率を向上させて対処する必要があった。少ない車両を往復させて多くの貨物や人を運ぼうとすると列車は定時運転が必要となる。さらに、私鉄の育成策がとられ、大正8年には国鉄が1万キロにたいし、私鉄が3,227kmとなり、ライバルとの競争上サービス向上の観点からも定時運転に向かわざるを得なかった。
(技術)大正10年には国鉄の規定の大改定が行われた。規定とは運行ノウハウであり、このころ日本独自のものとして日本全国の鉄道をひとつのシステムとして合理的に管理運営する方法が完成したと考えられる。また、1920年代には大都市における職場と住居の分離傾向がはっきりとし、大勢のサラリーマンが都心と郊外を往復すると言う日本の都市生活の原型が作られてゆく。
 戦後昭和30年代初め、蒸気機関車から電車となったが、蒸気機関車は投炭の技術によって性能に大きな差が出た。途中駅では秒を惜しんで給水する必要があった。電車は動力が分散しているため故障に強く、加速もよい。折り返しも容易である。昭和30年代から40年代にかけて、日本の製造業の高い品質を獲得してゆき、線路や信号機、電力設備、通信設備にいたるまで、鉄道全体が恩恵に浴した。また電力の供給も安定してきた。クォーツ腕時計が開発され、時計の精度も向上した。運転士の時計は明治以来すべて貸与されている。こうして誰もが秒単位の運転ができるようになり、日本の製造業の高品質が確立したことによって合理的で緻密な定時運転の技術も確立した。
/以上、新潮文庫「定刻発車」より。

 交通関係の仕事と縁ができて、このような書物も手に取るようになった。日本の鉄道システムというものが、歴史や文化と深く関わって現在の形があることが具体的に良くわかった。社会基盤というものは多かれ少なかれ同様であろう。また巨大システムは広範な技術や人に支えられており、単独では存在し得ないものなのだ。したがって簡単に海外へ移設できるものでもない。ものを売ることに比べ、海外でシステムやサービスを売ることはよほど困難だろうとも思う。


2007.1.8(月)  「君たちは厳しい気候に生きる」 ジェームズ・ラブロック 日経エコロジー12月号インタビュー記事より
 ジェームズ・ラブロック氏は「生物圏が地球気候と大気組成を、生物が生きていく上で最適な状態に調整・維持している」というガイア仮説を提唱。現在では地球そのものを大きな生命体のようなものと考える「ガイア理論」となり、それに基づく研究は地球生理学と呼ばれる。ガイアとはギリシャ神話の空と海を生んだ女性。2006年1月に、同氏は「温暖化は既に引き返せる地点を越えてしまった。今世紀が終わるまでに10億人以上が死ぬ」との論文を発表した。

 以下ラブロック氏のインタビュー発言より。
 今後どんなエネルギーを選択してゆくべきかという問いには、ひとつの答えはなく地域ごとに最適なエネルギー源は異なる。人口密度が低い小国なら自然エネルギーで賄うことも可能だが、英国やドイツ、日本など人口密度の高い大都市を抱える国では今の文明水準を維持しようとすれば、自然エネルギーに頼るのは無理だ。現在我々が持っている唯一の選択肢は、原子力しかない。巨大な風車は田園の豊かな風景を台無しにするし、太陽電池は未だにコストの問題が解決できておらず貧しい国々には高すぎる。バイオマスの利用は、食料に必要な農業活動さえ既にガイアの負担になっているのにエネルギー用に作物を栽培すればさらに大きな脅威だ。現在の農業生産から出る廃棄物を使うのなら問題ないが、燃料を得るために新たな農地を増やすべきではない。
 今後暑い夏が常態化してゆくにつれ、欧州でもエアコンの利用が増え電力需要が急増してゆく。こうした事態に対応できるエネルギー源は原子力発電しかない。しかし英国やドイツ、スウェーデンなど欧州の主要国では今後、原子炉を解体して減らしてゆくという政策をとっている。原子力発電では最終的に残る放射性廃棄物に対する嫌悪感が大きいのだが、セメントで固められ地中深く埋められた放射性廃棄物が自然界に悪影響を及ぼすことはない。原子力発電がもっと社会から受け入れられるよう説得していく必要がある。簡単ではないが世論は一夜にして変わる。温暖化の影響により、多くの死者を出す悲惨な自然災害が起きれば、一般の人々はもっと真剣にその対策を考えるだろう。
 温暖化ガス排出量の上限を国毎に決めた京都議定書は、その成り立ちから考えても極めて政治的な産物である。政治家が票を目当てに単なるジェスチャーとしてまとめ上げた面が大きい。しかし実際に温暖化を防ぐ効果はほとんど無い。自然エネルギーの助成を得たり排出権取引を活発にしたりする効果はあるが、一部の企業が潤うに過ぎない。排出権取引は温暖化問題の深刻さとはかけ離れた「お金」目当ての仕組みである。温暖化問題を国際協調体制によって解決してゆくのは難しく、温暖化の影響が深刻になるに従い、各国はエネルギーや食糧問題に自ら答えを出さざるを得なくなるだろう。
/以上日経エコロジージェームズラブロック氏のインタビュー記事から要約。

 自然エネルギーの問題は指摘の通りだ。世界の膨大なエネルギー需要のなかで限定的な役割しか期待できない。バイオ燃料はブラジルで実用化されており各国でアルコールをガソリンの代替燃料として利用拡大の方向にあるが、主たる原料となるトウモロコシは貴重な食料でもあり、広大な耕地と農業用水を必要とするため増産は多くを望めない。バイオマスは新エネルギーの中ではコスト的に有利なのだが、アルコールを製造する場合にはそうではない。新エネルギーでは様々なアイデアがあるが、現在の石油に変わる規模のエネルギー源となりうるものは無い。
 排出権取引についても、ラブロック氏の指摘はただしい。先進国の企業は、発展途上国で排出権取引のネタを探し回り、排出権取引で得られる利益に見合う処理施設を建設投資しようとしている。排出権取引は新たな利権を生み出しただけのように見える。膨大なエネルギーを消費する建設が行われ、その総合的な効果はよくわからぬのだ。CO21トンあたりの排出権の市場価格次第で投資が行われる仕組みである。京都議定書については、ラブロック氏にこき下ろされているブレア首相のみならず、多くの先進国はまじめに取り組んでいないことが、彼の言葉を裏付けている。
 いささか悲観的だが、大きな人的被害がでたときに、人類は原子力を次のエネルギーとして受け入れてゆく、というのが彼の結論である。この結論は目新しいものではなく、今や学者や政治家や技術者の多くがそう考えているはずだ。


END