2006年6月

2006年6月25日(日)  夜の街にて
 土曜夜の12時をかなり過ぎた時刻にも、街はまだ多くの人々が行き交う。小さな酒場のカウンターには、背中が隙間無く並ぶ。カラオケボックスの派手なゲートでは、絶え間なく人が出入りしている。
 明るいビルを背景にして、時折タクシーが加速してゆくがもう最終バスも過ぎて、車道だけがほの暗い。歩道に背を向けて手すりに腰かけていると、行き交う人々の華やいだ声が聞こえる。近づく車の助手席の若い女性と視線がからまると、彼女の心地が一瞬に伝わる。
 待ち合わせていた長男が着いた時、私の中に広がりつつあった週末の光景が一挙に狭まった。

2006年6月4日(日) アルベルト・スギ氏の絵画盗作問題
 国画会会員で洋画家の和田義彦氏が、イタリア人画家アルベルト・スギ氏の絵画を盗作したという話題である。テレビの報道等を総合すると、本人は盗作を否定し、「アルベルト・スギ氏のモチーフを用いたり共同制作したが、全体として独自の創作であり、スギ氏のものより優れたものである。」という。
 アルベルト・スギ氏は「和田氏の盗作である。和田氏とは以前から面識があり熱心なファンであるが、画家であることは知らなかった。発覚後和田氏が来て謝罪し、告訴しないことを懇願した。」という。和田氏のサイン入りの謝罪文の存在も報道されている。盗作であることは間違いないようだ。
 アルベルト・スギ氏について。イタリアの有力な画廊によると、イタリア絵画界の第一人者で、現在国際的な活動をしている画家としては3指に入る著名な画家とのことだ。一方和田義彦氏は、今年度の芸術選奨文部科学大臣賞を受賞するなど、日本の現代洋画家として著名とのこと。

 私はこの二人共に知らない。かなり絵画好きの人でも、どちらも初めて聞く名前ではないか。だが問題は、アルベルト・スギという画家が、美術館の学芸員や日本の洋画画壇の中枢にいる大家たちにも知られていなかった、ということだ。アルベルト・スギ氏が、現代絵画で世界の3指に入るという話は割り引くとしてもイタリアで第一人者ということはほぼ間違いないだろう。フランスとイタリアが現代も洋画の最高峰であるだろうが、ニューヨークが最高という評価があるかもしれない。そのイタリアの画家として現在最高の評価を受けている同氏の絵画を、和田氏を評価した日本の大家達が知らなかったということは明白である。
 日本の洋画の創世記は海外で評価された画家達によって開かれた。だが、現在の日本画壇は世界には関心が無く、とりわけ洋画界(!)では何の交流もないということだ。そもそも日展を最高峰とする美術展の権威にも疑念が生ずる。「著名な美術展で入賞すると百万円単位のお金がかかる」とも聞く。日本の美術界はすでに茶道や華道のような権威付けと集金のシステムであるのかもしれない。
 かなり以前、朝日新聞で「日本画」というものがなぜ存在するのか、という記事があったと思う。岡倉天心が明治以降の西洋至上の風潮を批判し、日本の美術の価値を説いたが、それは偏狭なナショナリズムではなかった。現代の日本の美術界の閉鎖性は、日本の美術の価値は日本人にしか判らないという思い上がりと、「大家の先生」達の利己心の産物だといえるのではないか。
 国内には建物ばかり立派な美術館がたくさん建設された。美術に触れる機会を増やすのは結構だがそれ以上に、見方や感じ方を伝えることが大切だと思う。高階秀爾の「名画を見る目」(岩波新書)のようなことが、「大家の先生」や美術評論家と言われる人達の仕事ではなかろうか。ルーブルで、数名の先生らしい大人が、小学校低学年ぐらいの子供を15人ぐらい引き連れて、「落ち穂拾い」の前で子供を床に座らせ、熱心に話していたことを思い出す。小中学校の美術の先生であっても、1枚の絵について数分でも語れる人がどれほどいるだろうか。
 日本の現代作家による美術展には国際交流が必要だ。海外の評価を取り入れるのは簡単で、海外のアカデミーから推薦された人を審査員に加えればよいのである。日本の美術家が海外の美術展に応募することはさらにたやすい。

国画会 http://www.kokuten.com/    ヤフーニュース「絵画盗作問題」http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/picture_plagiarism/


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