2005年11月

2005年11月12日(土) ミステリアス
 近くのブックオフで105円文庫が手にはいる。五反田のオフィスの1階には大型書店のAYUMI BOOKSがあるのだが、文庫本が800円ぐらいもするとちゅうちょする。酒なら1杯800円でも躊躇しないのがおかしいのだが。とにかく最近買ったのは井上ひさしの新釈「遠野物語」。
 遠野というのは岩手県の釜石から盛岡へ至る道を遠野街道(R386)というのだが、その中間当たりの山中で南部と言われる地方にある。北は早池峰山(1917m)。東の釜石方面が険しく、仙人峠、笛吹峠があって、峠のほうから遠野を通る猿石川は西の北上川のほうへ流れる。この地がよく知られるのは柳田国男の「遠野物語」のせいだろう。
 民族学者ならぬ民俗学者(井上ひさし)たる柳田国男の遠野は、間違いなくこの地方に伝わる説話を文字にしたものだが、井上の遠野は創作である。山中の狭い穴蔵で、いろりの自在鉤につるしたやかんで白湯を飲みながら、老人が語る話を、読者は聞き手たる「私」とともに、同じ穴蔵の中で聞き入るのである。時折老人がたばこを吸ったり私がお茶を飲んだりして、読者はものがたりの世界を行きつ戻りつしながら幕間の一息をつくのだ。
 説話の中には神秘なるもの、恐れ、のようなものが充満している。言い伝えてきた庶民の日常には理不尽なことばかりが多かったのかも知れぬ。迷信、因習、過酷な生活、いわれのない権威、信仰が生活を支配していたのかも知れぬ。そして庶民の日常を支配する最大の権威は自然であったろう。説話は自然の驚異のまえではささやかなミステリアスだ。説話は失われたが、それで日本人が何を失い何を得たのかはよくわからぬ。

END