2004年 10月

2004年10月24日(日)   水道事業の災害対策
 水道の災害対策に要する費用は誰がどのように負担すべきかという議論がある。まず、水道事業の財源について。水道事業では基本的には市町村が事業主体となり国庫補助制度がない。水道事業体が実施する水道施設の建設改良費は起債によってまかなわれる。この起債は毎年償却され送配水のための電力費、浄化の薬品費、人件費などの維持管理費用と共に基本的には料金収入によってまかなわれる。そして年間支出の7割ぐらいが減価償却と利子負担である。人件費が2割、電気代や薬品代は1割以下である。
 水道事業は料金収入のみによる独立採算制が原則であるが、中小規模事業体の経営は困難で、また水道料金の値上げには住民の抵抗が大きく首長選挙にも影響する。水道料金を抑制するため多くの事業体では一般会計から、たとえば配水管の敷設費用などに一定の基準を設けて水道会計を補填しているのが実態である。
 大規模な宅地開発などがあると、新規水源のための負担や処理施設、配水施設の新設が必要となり、起債が大幅に増えて水道料金を値上げせざるを得なくなる。これに旧市街地の住民が反対するのは良くある話で、新規の住民から水道加入金を徴収したり高額な料金を設定したりすることは判例でも認められている。

 水道事業の災害対策と、災害の種類や程度の予測について。水道施設が被害を受けるような災害は洪水により取水施設が埋没したり浄水場が冠水することもあるが、大地震による配水管路の破損が最大で、そのほか取水施設や浄水施設の土木構造の破損がある。災害対策とは以下のようなことが挙げられる。配水管網のブロック化と配水本管(水量が大きい主要な配水管路)の継ぎ手のフレキシブル化。飲料水確保や応急給水のための設備。台帳や図面などの保全と整備、復旧工事への応援態勢の整備、また非常用発電設備や災害に強い情報伝送用ネットワークの構築などがある。
 災害によってはその程度と起こりうる確率がある程度予測されている。崖崩れと水害については全国について確度の高い予測がなされている。昨日の新潟中越地震は大きな活断層によるものでは無いそうだが、判明している活断層が公開され予測時期は数十年単位ではあるが発生確率の予測がなされている。津波は地震直後に規模と地域と時間について正確な予測が可能である。雹や竜巻、雷の発生は予測しがたいが、発生直前にはある程度把握可能である。崖崩れ、水害、地震、津波については市町村よりもっと詳細な地区別の被災可能性を明確にし、公表すべきではないか。また直前に予測されるような災害は現在は消防が運用する防災放送しかないが、個人や世帯への通知方法では多様な手段が提案されている。

 水道事業の災害対策費用の負担方法について。国庫補助の対象とすべきだという意見もあるが、事業体(市町村)の負担とすべきで災害対策投資は需要家(利用者)自身が選択すべきこと、という意見のほうが有力である。水道は事業毎に水源の安定度や水質が異なり施設整備の歴史的な経緯も異なるため、災害対策を含め水道施設をどのように整備すべきかということは需要家が自ら決定すべきことで、従ってその費用も負担すべき、という意見である。なお近隣の事業体と協調して取り組むべき事柄については、国が基準や法制度を整備すべきこともあり、災害の予測とともに動きが鈍いと言える。補助を付けないことには資金の必要な規制や指導はできない、という仕組みが私には奇異に思えるのだが。
2004年10月23日(土)   飲料としての水道
 東京都水道局は水質目標として残留塩素を国基準の4割、有機物質は2割としておいしい水を作る事業を始めた。浄水場ではオゾンと生物活性炭を使った高度浄水処理でおいしい水を作る。砂濾過などの通常処理に加えることでカビ臭やカルキ臭の原因物質を取り除く。マンションなどの貯水槽も無料点検する。都内には約22万個の貯水槽があり水道利用者の4割がその水を使っている。タンク内が汚れていれば水も汚れる。水道水をそのまま処理せずに飲むことが全くない、という人が50%を超えた。−以上23日付け朝日新聞より。

 水道の水質基準は食品としてのペットボトルの約10倍厳しく、規制値としての安全性は水道のほうがはるかに高い。国産ペットボトルの水は加熱滅菌されているものもあるがヨーロッパのペットボトルは一般に加熱されていない。エビアンはかすかに土臭さを感じることがあり、これには放線菌が存在する。ペットボトルと水道水の違いは、原料となる水がペットボトルの多くは山間の水質の良い水で、都市部の水道水源はダム湖のカビ臭のある水や下水処理水の混じる河川水であることである。だが子どもの頃から「生水を飲まない」と言われることや、最近では「PRTR(有害化学物質)」などへの不安もあって、水道水への飲料水としての信頼が薄れている。今春懇談した中規模事業体の幹部は、「家族みんながペットボトルを飲んでいる」といっていた。彼の地は酒どころで知られるが、水道水源の貯水池でカビ臭が発生するため浄水場は活性炭で真っ黒である。「水道水は飲料を前提としなければ高度処理が不要となるのでコストが押さえられるのではないか。飲料水はペットボトルで良い」という議論もなされている。

 一方水道事業の側は昨年水道法を改定し今年は水質基準を改訂し、あらためて「水道は飲料水である」ことを確認した。そして我が国の水道事業のリーダーである東京都水道局は安全でおいしい水の基準を独自に作成し、水源林の保全や需要家に管理責任がある貯水槽までも無償で検査することにしたわけである。マンションなどの貯水槽は水道のシステムの中でもっとも脆弱なポイントであるからだ。ちなみに横須賀市では貯水槽を極力減らす立場から、8階までの直結給水、15階までの水道局による加圧給水を進めている。

 飲料水としての信頼を取り戻すためには、本質的には水源のダム湖や河川の水質向上が条件である。子どもが泳げるような河川水を飲料にするのであれば誰しも水道水を飲む。都市の下水処理水は中水道として循環利用するか海域への放流が望ましく、できるだけ上水道の水源とすべきでない。
[資料]東京都水道局「安全でおいしい水プロジェクト」の水質基準 
http://www.waterworks.metro.tokyo.jp/press/h16/press040519-1.htm

2004年10月16日(土)  水俣病最高裁判決
 遅すぎる判決だが、最高裁の判決は国と県の責任を明確に認めた。上下水道や公共事業に関わる者として、水俣のような良く知られた公害の原因やそれらの結果としての法整備に対して相応の知識があっても、被害者が今も苦しんでいることや訴訟が続いていることには関心が薄れていた。

 「水銀に全身を侵された人々の苦しみに気づきながら、職務を果たさなかった公務員には使命感が欠けていたと言われても仕方がない。(中略)ハンセン病患者を理由もないのに隔離し続ける。薬害エイズの危険に気づきながら手を打たない。そんな行政の体質は水俣病でも無縁でなかった。行政の不作為の罪は許されないことが、はっきり示されたのである。(16日付け朝日新聞社説)」

 朝日の批判は正しいが、公害以前にさかのぼって報道の姿勢をも明らかにすべきだ。私が若い頃、少なくとも朝日ジャーナルではレポートが幾度となくみられた。だが企業や行政がやったこととやらなかったことを深く追及するものではなかったと思う。報道は違法であることを証明することが使命ではない。市民の生活や将来に関わることについて、いつどこでどんなことが起こったのか、またその原因を深く追求し事実を白日の下に晒すことだ。そのときに弱者や少数者の視点を忘れないことだ。

 日本では住民の安全と健康を守るべき行政が、結果として常に企業側に立ってきた、行政自らの責任逃れや怠慢を放置してきた。それがいつもずっと後にならないと明るみに出ない。言われてきたように「公害」という言葉自体が責任を曖昧にするための言葉である。行政の各組織の分掌規定をみると、はなはだ抽象的で理念がない。組織目標が明確でなく具体的でない、したがって責任が明確でないのだ。企業ならどこでもある数値目標を行政にも設定して、結果をきちんと評価する。他省庁や他組織との交渉や調整がもっと重要になってくるはずで、そういう議論を公開もすべきと思う。
2004年10月11日(月)  中曽根康弘 10日サンデーモーニングにて
 相変わらずイヤなヤツである。以前から小泉を「ポピュリズム(大衆迎合)」と批判しているが、中曽根は相変わらず権威主義の権化だ。「総理大臣は厚みが必要」「光と影」とも言う。中曽根の選民的(?)、支配的な感覚が良くあらわれている。
 妄言がご丁寧にも今朝の朝日にも載っていたからまた腹が立った。「教育や安全保障、社会保障の問題もある。首相は総合病院の院長でなければならない。郵政という外科だけで、内科や神経科が欠けている」。郵政民営化に関して、「方向性には賛成だがやり方に不安と心配がある」「総務会と参院という二つの関所がある」と言い、脅しをかけている。田原も安易に迎合して、「木を見て森を見ず」ですな、とはほとんど太鼓持ちである。

 郵政民営化のねらい。(竹中平蔵による)@250兆円が民間の金となって、透明化できる。(190兆円が政府補償がついた定額預金だが、10年間でゼロになる。莫大な金が民間による効率的な投資にまわる。)A2万5千の郵便局がコンビニ以上のサービスが行える。(現在は業務内容が法で規制されている)B公務員90万人中28万人が削減できる。C投資信託はビジネスとして困難だが競争により利便性が高まる(現在黒字)。

 小泉政権を支持するわけではないが、自民党の票と金を自ら断ち切って、官の死守する財源をも削減することが郵政民営化のねらいである。これまでの政権は財政削減すら困難だった。最近では政府補助金を削減する動きに対して、中央官庁が市町村に対して補助金削減に対して反対決議を強要しているとの報道もあった。民営化して財源を失う代わりに財政規模を縮減し官の事業を減らす。NTTのように株を売却して借金を精算し出直す。事業が黒字で民営化が容易なのは郵政事業だけであるから、順序はただしい。もちろん中曽根も田原総一郎も「外科」と言い、わかっているのだ。旧内務官僚の中曽根は(歳をとるにつれ一層)特権的な官と一部の政治家が牛耳る日本を夢想しているだけである。

 私自身の仕事に関わることは公共事業が大幅に削減されることである。それはさておいて、住民や企業のためのインフラ整備について詳細な評価をして、行政は従前の財源の固定的な配分を廃することになるだろう。そのためには市町村の首長の任命する特別職を増員して官の要職を握り、既存の利権団体の利益調整的な行政を転換して、ポピュリズムと言われようが首長の意志が明白に反映するような行政を目指すことではないか。明白なビジョンとリーダーが求められる時代、というべきか。町村合併がすすんでいるが、今が良い機会と思う。
2004年10月9日(土)  「鳥が教えてくれた空」三宮麻由子(集英社文庫)
 作者は4歳の時にどうやら医療事故で両眼を失明し、色彩についておぼろげな記憶があるだけである。作者は庭に来る雀の鳴き声で朝の時間を知るようになり、次第に季節を聞き分けられるようになる。そして野鳥の声を聞くことによって、突然空の広さを知った。笹原を吹き渡る風の音に感動したり、森の中で落ち葉の音に聞きいったりする。

 サンコウチョウ(三光鳥)は「ツキ、ヒ、ホシ、ホイホイホイ」と鳴くといわれている。作者は山中でサンコウチョウの声を聞いて、初めて夜明けの感覚を味わったという。野鳥を通して山野や森の景色をかなり理解できるようになった。作者が飼っていた身近な鳥はソウシチョウである。一羽ずつ鳴き声が異なるので聞き分けられるし、カナリヤよりもずっと賢くて慣れると名前を呼ぶと近づいてくる。巣箱を開け放つとそろってどこかへ飛んでいってしまうが二時間ぐらい経つとちゃんと戻ってくる。

 この本を読んで、もう15年ぐらいも以前にラジオで聴いた番組を思い出した。鳥の声を延々と放送するのだが、それぞれの鳥の生活やその鳴き声のシチュエーションを楽しそうに語ってくれるのである。アナウンサーも素朴に問いかけて一緒に楽しんでいた。今も印象に残る番組である。録音が手に入るなら手に入れたいものだ。DVDで画像の入った良いものがあるかもしれない。

 私は山へよく歩きに行ったが、高山では鳥は少ないのか印象に残るのは雷鳥とイワツバメぐらいだ。低山では私はやや耳が良くないし気づかないことが多いのかもしれぬ。キツツキは声(というより音)が大きいから良く見かけた。林の中では沢山の鳥の声をきくけれど、これらを聞き分けて見えぬ鳥の姿を思い描いてみたいものだ。

 野鳥の声が集められたサイト   小鳥のさえずり  森のコンサート

2004年10月3日(日)  NEET "Not in Education,Employment or Training" 2日付け朝日新聞朝刊より
 義務教育終了後、進学も就職もせず、職業訓練を受けていない若者を指す。英国のブレア政権が使い始めた。英国では16〜18歳のニート率が1割に迫る。日本では高学歴でもニートに近い実態があることから、対象年齢を15歳〜34歳に広げ非労働力の内通学も家事もしていない無業者をニートと位置づけ、その数は03年で64万人、10年前の1.6倍とのことだ。まっさらな状態で会社に入り、給料をもらいながら仕事を覚えそのまま定年まで同じ会社に勤め続ける。そんな高度経済成長に合わせて構築されたシステムの機能不全がニートを生み出す素地になっているという。

 詳細:03年の15歳〜34歳の総人口は3,376万人。そのうち労働力人口2,201万人の内訳は、社員や公務員、農林水産業従事者をのぞくとフリーター217万人、完全失業者は164万人である。非労働力人口1,171万人の内訳は学生と主婦をのぞく64万人がニートである。ニートには非行型、自己実現追求型、引きこもり型、自信喪失型に分類される。

 厚生労働省はニート対策を「若者人間力強化プロジェクト」と名付け予算要求。合宿形式の集団生活で若者自立塾の新設などを盛り込む。NPO「育て上げネット」はニートを対象に「若年者就労基礎訓練プログラム」を始めた。−以上10月2日朝日新聞による。

 若年層の雇用について。企業の立場からみると、時間をかけて新人を育てても今は事業の先行きが見えにくいから新人を雇用すること自体がリスクである。だからリストラ後も新規雇用を押さえ補助的な仕事は派遣社員、同一企業グループ内の配転や定年後再雇用で戦力を維持しようとしている。このような状況を見ると、今後絶えず変化が予想される社会環境のなかで、企業は必要な能力を有する人間を必要な期間だけ雇用することを望むようになりつつある。だから必要なスキルや経験を有する人材を期間を定めて契約する雇用関係が増大する。

 日本の企業の多くがようやく中国をはじめとするアジアの国々に関わる仕事をするようになって、たとえば中国人を雇おうとするなら、相手の能力を正しく評価し能力相応の責任と権限と給料とを与え、その社員が企業情報を持ち出さないような管理がきちんとできるか。雇われる方は自分の能力と企業のニーズををきちんと把握し、数年ごとに企業を移動しながらキャリアアップしてゆくことができるだろうか。このような雇用関係はすでに海外の多くの先進国の雇用関係であるらしい。しかし今から欧米の雇用関係を構築するよりも、今の雇用関係の強みを発揮できるならそのほうが良い。

 日本の企業の管理職は権限が及ぶ自組織内のみならず、上司や会社全体の情報を把握し複雑な人間関係を横断的に構築して、課長ぐらいでも会社全体の立場での判断を要求されるようなことが多い。そしてこういう「筋の良い人」たちの総意でゆるゆると進路を無難な方へ舵取りをしているのが会社の実態だ。神経をすり減らしながら実はひとりひとりの権限は小さく、責任も少なく従って給料も少ないのだ。自分の能力を権限が及ぶ範囲の部分的な組織の業績向上のためにそそぐことに専念できるような仕組みになっていない。

 だから新規事業に取り組んだり、事業の方向性や発展性が見極めにくい組織だけは、契約社員主体のチームをつくり明確な目標と期限を設定して取り組むような方法が良いのではないか。そういう組織が次第に増えてゆけば、いずれは契約社員による組織が企業の中枢を占めるようなことも生じうる。一方業界や企業グループとのややこしいおつきあいもちゃんとできるというわけである。既存の利権を守るような事業や、多少手が後ろにまわるような危ない部分も身内だけなら隠し仰せるというわけだ。
END