2004年 7月

2004年7月24日(土) 1級河川の水質−大和川はワーストワン。国土交通省7日発表。7月19日付け下水道新聞より。
 全国109の一級河川の1097カ所(河川長の概ね10kmにつき1カ所)の河川毎の平均値で比較。97.5%で鮭鮎が住めるBOD3ppm以下。8割の河川で泳げるといい、10年前と比較してかなり改善されたとのこと。以下ランキング。

 良い方は@後志利川(北海道)A荒川(新潟)B豊川(愛知)C宮川(三重)D大野川(大分)。
 悪いほうから@大和川(奈良)A綾瀬川(埼玉)B鶴見川(神奈川)C中川(埼玉)D牛渕川(静岡)
となっており、大和川のBODは5.3ppm。全国一汚い川がこのデータなら悪くないと思うかもしれぬが、下流の水質は20ppmを越えているのではないか。数年前はワーストの河川はみんな20ppmを超えていたように思う。その場合下流では100ppmつまり下水を倍に薄めたぐらいの無惨な水質だったのだ。日本の河川はもう少しでどこでも泳げるようになるというようなような雰囲気だ。しかし6月の保津川では保津峡下りの船はにぎわっていたが見た目にはとても泳げる水質ではなかったし、五反田で毎日眺めている目黒川は時折魚がはねることもあるが真っ黒だ。実感として日本の河川の8割が泳げるということはないだろー。

 「全ての日本の川を泳げる川にする」というような目標を掲げても、ようやく現実的に受け止められるぐらいの汚染レベルになった。行政の施策はこのような、多数の人が共感するわかりやすい目標を掲げることが、縦割りの行政が新たな仕事に取り組む様な場合に効果的だ。インフラや防災や生活環境について、日本人は比較的価値観を同じくし、モラルは低いが仲間はずれを恐れるゆえムラのルールには従順である。だから地域の自然環境や住民の仕事が似通っているほど共通の目標が立てやすいのではないか。もちろん川で水遊びするものは川で生活するものへの配慮が前提であるし、それを学ぶことが水遊びの最大の収穫でもある。市町村合併は行政の地域性を希薄にし、単に効率化だけを目指すものだ。地方はその個性を磨いて魅力にするような行政が必要と思う。

 都市と田舎の情報格差が薄れてきたので、今や知的な仕事こそ田舎向きである。オーストラリアやマカオに移り住む日本人のリタイヤが多いと言うが、安い土地や新鮮な食い物や美しい自然はもっと身近なところにもある。そこで行政は医療や教育の質を高めて、自然を守り伝統的な行事を復活し地元の産業を育てるのだ。いつもの話になった。
2004年7月18日(日) 奈良二題
 先週土曜朝、大阪駅から環状線を経由して法隆寺駅まで乗車した。早朝かなりの雨が降ったので鉄道線路沿いの大和川は増水し、茶色い水がかなりの早さで流れていた。そこに大量のゴミが切れ目無くつながって流されてゆくのだ。茶色い枯れ枝より遙かに多いペットボトルや発泡スチロールやなんだか解らぬが色の付いたゴミが延々と続いて運ばれて行く。大和川は今も汚濁度上位の河川だと思うので、増水時には大量のヘドロと河川敷に捨てられた大量のゴミが一気に大阪湾に運ばれて行くわけだ。車窓の思いがけない光景に、暗澹たる思いがつのった。

 知人の告別式の後、法隆寺まで歩いたが、低いなだらかな山をみているとおだやかな気分になる。奈良の良いところは京都のような緊張感がなく、和やかな気分になれることだ。法隆寺の土塀は白い漆喰がすっかり剥がれ落ちて雨でかなり浸食され土がむき出しになって明るい茶色の土そのものの色だ。形もやわらかな曲線になり、塀をしばらく辿っていると山道を歩いているような錯覚をする。土塀は何度も作り直されたことだろう。モノに永遠を求めないことが、人を穏やかな心地にさせるのかもしれない。
2004年7月4日(日)  マーロンブランド<http://www.paoon.com/star/1274.html> 
 好きなタイプの俳優ではない。ゴッドファーザーでアカデミー賞を拒否したのは、ハリウッドがアメリカの先住民族に対する差別を助長してきたからだ、という。それはハリウッドのせいではなくアメリカ文化のせいだ。コッポラ監督以前にハリウッドから干されていた彼のハリウッドに対する個人的な怨恨にすぎないようにも思える。

 アメリカの人種別人口について。
 マフィアはイタリア系移民を主体とし、20世紀前半の北部大都市の犯罪組織である。約100年前にイタリア系移民が大量にアメリカに移住したが、現在アメリカでもっとも多い人種はヒスパニックとアフリカ系。ついでアジア系である。60年代にユダヤ系からアジア系へ、アメリカを支える主役が交代した、といわれるが、これはアメリカの政治と経済を動かす力についての指摘だ。単純人口を見ると2000年の国勢調査ではアジア系は全人口の3.6%、2050年には10%に達すると予測される。アメリカ先住民(アラスカのイヌイットを含む)合計しても0.9%である。
 
 民族紛争
 現在の国際紛争は民族紛争だという。そこで国際紛争を知るためには民族の分布と歴史を知ることが前提となるのだが、知れば知るほど暗澹たる思いがする。昔みんな読んだと思うが、中学生の頃本田勝一の「ニューギニア高地人」、「カナダエスキモー」と順番に読んでいって、何となく民族は理解し合えるし文明の遅れはあっても(文明国の視点を脱しきれない点で本田が非難されていたと思うがここではふれない)同じ人類なんだ、という気分にさせられる。ところが「アラビア遊牧民」になると、本田も読者も見事に裏切られるのである。厳しい自然の中で民族を結びつけている宗教的な戒律と持てる文明国の賓客への排他的、依存的な態度に、ついに心を通わせることができなかった。そこで前の二作を改めて考え直してみると、本田を物理的に受け入れる従順な民族を自分勝手に解釈していただけなのかもしれぬ。とすると、本田は自分が見下していた相手に、認められていただけに過ぎない。相手の方が上手である。
 人種や民族や宗教がことなる相手を排除するのではなく社会的な公平、公正さを保ち、相手を認め自らの価値感を押しつけないことだ。だがムラでしか生活したことがない日本人にはそんなことはできないだろう。そこで、少数民族に学ぶことができるのだろうが、なにをどうやって学ぶのかということがわからん。


資料1 アメリカの人種別人口<http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/9671/2-3-2census.html>
資料2 アメリカの黒人
  アフリカから奴隷として連れてこられたアメリカの黒人は、南部諸州で農場労働力として使役された。1863年の奴隷解放宣言後も最高裁の「分離するが平等」と裁定すると、南部諸州では白黒分離が制度化された。1次大戦後北部諸州の労働力不足を背景に北部へ移動し始め、ニューヨークやデトロイトなど大都市の活発な製造業とサービス業に就労した。第二次大戦後に黒人の権利拡大が大きな流れとなり、1964年に公民権法が成立し南部における全ての合法的分離を廃止させた。一方この流れに白人の抵抗も激しく、60年代の南部は暴力が吹き荒れた。現在は北部の製造工場が縮小し都市が荒廃したのに対し、南部の経済は活性化し人種差別も弱まった結果、黒人の南部への回帰が進行している。南部黒人は中間階層化し荒廃しがちな都心部ではなく郊外に住む。南部の都市の人口が延びており、テキサス州ヒューストンは黒人にとって生活の室とコスト、就労機会、遊びの観点から黒人に最良の都市とも言われている。(民族世界地図、新潮文庫より)
資料3 アメリカ先住民<http://www.yorozubp.com/0401/040108.htm> ラストサムライへのコメント
資料4 イヌイット<http://www.tabiken.com/history/doc/C/C056R300.HTM> 

END