2004年 6月

2004年6月12日(日)  ベルリンの壁(NHKアーカイブ「ヨーロッパピクニック計画」-1993放送)
 東ヨーロッパとNATO諸国の間には、第二次大戦後3500kmの壁が作られた。ハンガリーは1988年に国民の西側諸国への旅行を認め、1989年5月にはオーストリア国境の鉄条網を撤去し始めた。そして、8月19日、ヨーロッパピクニック計画という名の平和の祝典という名目で国境の町にハンガリー滞在中の東ドイツ人を集め、この日一日、東ドイツ人がオーストリアへ越境することを黙認したのだ。ハンガリー動乱を経験したハンガリー政府は、再びソ連の介入を受けないように、国家が直接関わることなく国境警備兵の武装解除という方法で越境を助けた。このときオーストリアへ越境した東ドイツ人は900名である。
 東ドイツ人のオーストリアへの越境が成功したと聞いて、東ドイツ国民が続々とハンガリーに入国してきた。そして9月11日、ハンガリー国境は全面的に解放されたのである。このときソ連ゴルバチョフ書記長は国内の保守勢力に手こずりつつも、東欧諸国の多くが経済の破綻と政治的な行き詰まりに直面しており、NATO諸国に取り込まれない前提で民主化を進めるしかないと考えており、ハンガリー国内に6万人のソ連軍を擁しつつもこれに介入しなかった。その結果、実質的にハンガリーからは西側への移動が可能になった。そしてソ連の東欧諸国への影響力の低下を背景に、東ドイツ国内ではホーネッカー議長の圧政に抗議して大規模なデモが実施されるようになった。その結果ついに東ドイツは1989年11月9日、午後10時、国民の海外への移動を自由化し、ベルリンの壁はその意義を失なった。壁を破壊し壁によじ登る当夜の市民の熱狂は今も記憶に新しい。
 壁崩壊後5ヶ月の間に東ヨーロッパの政権は全て入れ替わり、ロシアの望みと異なり西側体制に吸収された。そして1991年にはソ連邦自身も崩壊したのだ。

 1990年の初夏、私は壁崩壊から半年後の西ドイツにいた。ドイツの古い美しい港町ハンブルグの木陰に、薄い水色のトラバントという東ドイツ製の小型車が止まるのに気づいた。小さな子供連れの東ドイツ人の家族が降り立つのを見て、私は感動を禁じ得なかった。東ドイツ人はひとめでわかる服装だったが、周囲の西ドイツ人達はもちろん声をかけたり特別扱いするわけでもなく、暖かいまなざしで見ていたように感じた。壁崩壊はドイツ人のみならず、ヨーロッパの誇りであり喜びであったと思う。そのことを、たまたま現地へ行って実感できた。

 NHKの放送を見て、当時の記憶や感動がよみがえった。人の動きから壁の崩壊が始まった。そして東欧諸国の民主化が瞬く間に広がった。壁崩壊からまだ14年しか経っていない。あのころよりも人類が多少なりとも進化したのなら、南北朝鮮のことも統一や民主化を目指した動きに結びつけてゆく時ではないか。そこに日本の果たす役割もあろうかと思う。

 2004年6月5日  世界の中心で愛を叫ぶ(映画)
 高校生時代の仲が良かった彼女は白血病で死んだのだが、大人になってもその彼女が忘れられない男(大沢たかお)。彼=サクが田舎の高校生だったころ、彼女=アキと過ごした日々のシーンが何とも甘酸っぱくてたまらん。アキ役の長澤まさみが人気だが、サクの無垢な少年時代を演ずる森山未來のほうが私は好きだ。主人公が今の彼女(柴崎コウ)と、よりを戻すところがやや納得しにくい。だが、四国香川の小さな漁村(庵治町:あじちょう)の風景と80年代後半の音楽を背景にした物語には、だれしも昔の自分の断片的な記憶とないまぜになって、とても感傷的になってしまうのではないか。「泣けるよ」という若い友人達の言葉がこの映画の全てだ。

 「冬のソナタ」。ユジン(チェ・ジウ)はキツネ顔で好みのタイプでないし、ミニョン(ペ・ヨンジュン)も不自然に見えたし、だいたい家の中でもコートを脱がないしマフラーをとらないところはおかしい。はじめはその程度の印象のドラマだったが、土曜の夜中という良い時間に放送されていて、一度最後まで放送をみるとたちまちはまった。実らない愛というストーリーは常に支持されるのだ。
 2000年頃に韓国で大ヒットしたドラマで「秋の童話」というのがある。主演のソン・ヘギョという女優が私のお気に入りなのだが、このドラマと多くのキャストが重なり、ソン・ヘギョもはじめの頃登場していた。こちらは込み入った家族の事情という設定で、若い男女4名の恋愛が繰り広げられ、主人公二人の死で終わる。願わくばずっとこのパターンで新しいドラマを作り続けてもらいたい。

 純愛映画が大勢に支持されることは、ヒトが求めるものが変わらないように思えて好ましい。それとも純愛はいつの時代も郷愁に過ぎないからこそ支持されるのかもしれぬ。

END