2003年 10月

2003年10月25日(土)PM   「景観から歴史を読む」NHKブックス、1998年10月発行。足利健亮(あしかがけんりょう)著。京都大学大学院人間・環境学研究科教授。人文地理学会会長、条里制・古代都市研究会会長など。

 年齢と共に歴史に関する読み物を手にすることが多くなった。時代小説よりも本書のような考古学的なアプローチが好みだ。それにしても先月まで住んでいた摂津高槻からほど近い、京都、滋賀、奈良、大阪にこそ歴史があるのだ。
 本書から、大阪と京都の道路の名称の意味について。

 大阪では東西の道を「通り」、南北の道を「筋」と称す。特に土佐堀、長堀、東横堀、西横堀に囲まれた船場と道頓堀までの間の島之内に典型的に現れている。近世末における道路と屋敷割りは、町を構成する20軒から30軒の屋敷が東西方向の道を挟んで南と北から対峙する。屋敷は南北に長く20間。したがって南北道には数軒の横壁か堀だけが面していたのである。つまり東西の「筋」は家々の横壁か堀が延々と続く、通過専用の横丁に過ぎずなかった。これに対して東西の「通り」は家々が間口を開いて櫛比(しつぴ)する賑やかなメインストリート(=町通り)だったのである。
 東西の「筋」の多くに橋の名称が付いているのは、沿道に「御堂」が建ったような希な例は別として、一般には個名を付けようがなかったため、道を出外れたところの堀に架かっている橋の名を借りて個名にしたと解釈できる。南北に流れる東横堀や西横堀がなぜ「横」堀なのかも、大阪では東西方向の町通りがメインで「縦」。従って南北が「横」とされたからである。

 京都は筋は殆どない。都の条坊制の一つの坊を4×4=16の小区画に分けたその一単位は、平城京では「坪」と呼ばれ平安京では「町」と呼ばれた。その大きさは1辺40丈=120mの正方形で大路・少路によって四面を画されていた。
 この「一町」全部が一人の高官の宅地というケースもあるが、一般役人や職人などは一町を「四行八門」に割った32分の一町(横30m×縦15m)の区画を与えられた。町は四面が土塀で囲まれ、各面に一つ開かれた門を経て勤め先の工房に往復する暮らしだった。
 ところが9世紀頃から生産活動や生産物の交換が職人の集住する町で行われるようになるに連れ、町の周りの土塀を壊し家々が競って四辺の街路に直接面して商売を始めようとする流れを生み出し、11世紀おわり頃には家々が四面の街路にばらばらに顔を向けるようになる。
 さらに13世紀末には、この4面が独立した「町」となり、15世紀には道路を挟んだ向かい同志で「町」となるのである。
 なお鴨川以西に残る「図子」(=辻子、ずし)という道路名は、町通りになる前の道。「突抜」というのは中世の町の広がりの外に分布する新しい道であった。

 如何でしょうか。大阪や京都を多少なりとも知っている人にはおもしろがっていただけると思う。私は東京から来られた方に、「大阪の道は東西が「通り」、南北が「筋」と言うんです」などと簡単に申し上げていたが、正しくは大阪の道は東西が表通りという意味の「町通り」、南北は通路という意味の「筋」と申し上げるべきでした。
 地名には歴史があり、時には千年以上前に遡る意味があり、長い人間の暮らし、つまり文化を伝えるものなのだ。この本では著者自身が発見したこと、発見のきっかけや理由が述べられているので、推理や問題を解くように楽しめた。学生時代に歴史をこんな風に教わりたかったなー。教科書ははしょっても、郷土史を丁寧に教えるべきだ。歴史は現在そうあることの理由だ。なぜそうなったか、という事実を知ることは、どうあるべきかということを考える強い動機になる。

2003年10月25日(土)AM  久々に落ち着いた週末だ。東京転居で遠距離通勤となったので読書がはかどる。本棚を片づけていて、買ったまま一部しか読んでいない本が案外多いことに気付いた。当分読む本に困らない。

 「日本の川を旅する」新潮文庫、野田知佑(のだともすけ)1982年刊行。
  この本は古典だ。野田知佑という著者もあまりにも有名である。カヌーツーリングがアウトドアスポーツとして認知されるきっかけになった本である。
 昭和55年頃は水俣や阿賀野川の水銀汚染、田子の浦の製紙廃液汚染などの公害問題が社会問題として充分に認知され、下水道が本格的に普及してきた時期でもある。だからこの本が書かれたのは日本の川がもっとも汚かった頃だ。
 著者は1038年熊本生まれ。子供の頃菊池川で遊んだ著者は川の楽しみや美しさや川で生活する者の暮らしを伝えたかったのだ。そして川の汚染を訴えたかった。当時コンクリート護岸やダムは現在ほどには批判されていなかったが、野田は川魚の生態をきちんと伝えてこれらをきちんと批判している。

 「日本の川を行くのは哀しい。それは失われたものの挽歌を聞く旅だ」
 野田の言葉に共感するのは、私も幼い頃に父の故郷の兵庫県龍野市の、揖保川で遊んだからだ。神戸育ちの私が毎夏父の実家へゆくと、学齢以前の頃には大きな子が面倒を見てくれた。父の実家は揖保川の堤防のすぐ脇にあったから、少し大きくなると丸一日水着のまま川で遊んだ。当時の龍野の子供達にとって、揖保川が全てだったろう。今もたまに訪れる揖保川には子供の声は無く、薄汚れた河原と色の付いた水がただよう川になった。
 
 私は、実はアウトドアという言葉がきらいだ。コマーシャリズムに外面だけ作られたニセモノ臭さがつきまとう言葉だ。本当のアウトドアとは自分の内面を見つめる旅であり、モノやスタイルではなかろう。しかしこういう本に触発されて、みんながカヌーでなくとも川へ出かけてもらいたいとは思う。でもこの本を、シーカヤックを初めて5年になる弟や、幼い頃から一緒に山へ行った息子に薦めるのは良いとして、子供に与えるのは躊躇する。今や川は子供達のものではないからだ。

END