2002年10月

2002年10月28日(月) 社員による発明の正当な値段−週間ダイヤモンド11/2号より
 青色発光ダイオード(LED)の開発者である中村修二・カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授(48歳)がかって勤務していた日亜化学工業を相手に特許権の帰属確認などを求めた訴訟の判決が9月19日、東京地裁であった。中間判決では「日亜に特許の権利を譲渡する暗黙の合意があった」として、特許権は会社側に帰属するという内容。中間判決というのは特許権の帰属先を巡る争点だけを判断したもの。教授は仮に特許権が会社にあるとされた場合、譲渡した対価の一部請求として20億円を支払うように求めている。今後は会社が発明者に支払うべき「相当の対価」の額に絞って審理が進められ、来春にも最終判決が示される見通しである。経過は以下の通り。中村教授は日亜に勤務中の1990年、高輝度青色LEDの開発に成功、その中核技術は404号特許として登録された。日亜はこの発明もあって年間売上高を約200億円から800億円に伸ばしたが、教授が得たのは2万円の報奨金だけであった。そこで@会社は青色LEDの発明を中止させていたので特許法35条に規定する職務発明ではなく、自由発明にあたる。A当時特許を会社に譲渡する契約はなく、発明者に特許権があることすら知らなかった。仮に職務発明だとしても会社は相当の対価一部として20億円を支払うべきである。
 人工甘味料アステルパームの製法特許を巡り発明を担当した味の素の元社員が正当な対価を受け取っていないとして、特許権の帰属確認と20億円の支払いを求める訴えを東京地裁におこした。訴えたのは味の素プロセス開発研究所長や東海工場長を務めた成瀬昌芳(61歳)。成瀬氏は中央研究所に勤務していた82年、低カロリーで砂糖より200倍甘いと言われるアスパルテームの製法を開発。ダイエット食品などへの応用を中心に大量生産への道を開いた。これを受けて味の素は同年以降、製法などに関する特許を日米で出願し、88年に日本、92年にアメリカで特許が成立する一方、特許使用のライセンスを欧米企業に供与した。味の素は2001年、社内に新設した「特許報償規定」の適用第一号として、アスパルテームの開発者6人に計1200万円の報奨金を支払った。その際特許の発明寄与率を成瀬氏が6分の5、他の共同開発者は6分の1と認定し、成瀬氏は1000万円受け取った。これに対し、成瀬氏側は、「報奨金は社員としての功労に対するもので特許を譲渡したときの対価は一銭も受け取っていない」と主張する。味の素の資料などから会社があげた利益を元に「相当の対価」を約100億円と算定し、その一部としてまず20億円の支払いを求めた。本人の言「企業は利益に大きく貢献した特許の発明者にもっと報いるべき。特許法35条をうまく運用すれば企業の研究者に対して「現実感のある夢」を与えることができる。」
 終身雇用・年功序列を軸にした日本の雇用慣行では「発明は会社のもの」という意識が一般的であった。だが本来特許法は「産業上利用することができる発明をしたものは特許を受けることができる」(29条)と社員の保護を前提にし、「社員が特許権を会社に譲渡した場合、相当の対価の支払いを受ける権利がある」(35条)と規定する。雇用の流動化がすすみ、優秀な研究者・技術者ほど海外に頭脳流出する傾向が強まる現状で、企業の中には社員の発明に高額の報酬で報いようとする動きもでている。−以上週間ダイヤモンドから
 
 企業の研究開発投資はリスクを伴う。本来企業活動そのものがリスクを伴うものである。企業が実施している研究開発の内、実際に企業に収益をもたらすものは少ない。その意味では研究開発の成果は企業に帰属すべきものだ。しかるに企業の社員はリスクがないか、というと自分は好きな研究さえできればよいという昔気質は別として、優秀な研究者ほど企業へ行きたがらないぐらいに個人の成果を公正に評価し報酬で報いようという企業は少ない。優秀なヒトを使えないことの結果として、日本企業は先端分野で勝てないと言う現実がある。香港では優秀な日本人を集めるために日本人の居住区まで作り高給で日本人を招聘していると聞く。企業の業績を直接左右するような特許や発明だけでなく、個人の業績評価をきちんと実行することが求められている。
 昔の日本では労働者の質が高く、企業では末端労働者を大切にして全員参加の小集団活動や提案制度などを通じて労働者全体の質を高めつつ高い生産性を確保してきた。しかしながら質においては発展途上国の労働者に次第に追いつかれ、賃金では競争力を完全に失った。これからはクラスデバイド(階級分担。すなわち役割を分担して仕事に従事する。一握りのエリートを高給で処遇し開発や経営に従事する)が求められるのではないか。普通の労働者からみればつまらん世の中かも知れぬが企業文化はそうならざるを得ない。そうなったらそうなったで、また60年代に戻って階級闘争でもやれば良いか。しかし昔と違って労働者の流動化がすすみ企業への帰属意識が薄れ職業そのものへの愛着や執着も弱まったので、闘争は無理か。せいぜい「ノー」といえる位かもしれぬ。

2002年10月25日(金)  携帯電話の機能[2] (昨日の続き) 
 17.非接触ICカード機能について。
  現在私はざっとみて30枚ぐらいのカードを持っている。クレジットカードや銀行カードは昔からあったが、定期券、回数券、スイカ(関西の人は知らないかも知れないが、JR東日本の補充可能なプリペイドカードで、自動改札の機械にかざすだけで乗車賃が自動的に引き落とされる。定期と一体のカード。切符を買う人がずいぶん少なくなった。これだけでもJRは大儲け)。病院の診察券、航空会社のポイントカード、レンタルCDの会員カード、百貨店やスーパー、家電量販店などの会員カード、ホテルの会員カード、ガソリンスタンド、ハイウェイカード、テレカ、社員証、印鑑登録カードなど。
 携帯電話に非接触ICカード機能を付加することは簡単である。カード申し込み時の個人情報開示は数段階に分割して本人の認証によって自動的にデータを転送する。そして店舗側の情報も自動的に携帯側と店舗側のマスターに書き込む。当然支払いはクレジットまたはプリペイド方式で自動にする。
 店舗の商品情報などを会員個人に通知するサービスを一手に握れるほか、莫大なマージンやロイヤルティを稼げる。本人認証機能は携帯電話側で、声紋や指紋チェック機能を付加すれば理想的である。

2002年10月24日(木) 携帯電話の数年先の機能[1]
 携帯電話は1995年頃から普及し始めて、当初は通話機能に加えて、電話帳、通信記録程度の機能であった。現在はボタン入力によるメール機能、インターネットの閲覧機能、簡単なゲーム程度のプログラム実行機能に加えて最近は簡易なデジカメ機能を搭載したものが増えている。そして、年間4000万台も売れて、日本人のほぼ3人中2人ぐらいが持つようになった。

 ここでは、携帯電話に今後付加される可能性がわずかでもある機能を洗い出し、それぞれの機能別に生まれてくる事業を考えてみる。なんだか昔受講させられた「特許創出のための創造性開発訓練」みたいではあるが。

 1.ボイス入力やキーボード入力機能、手書き入力等によるメール入力機能の強化
 2.動画録再機能、TVラジオ等の放送受信
 3.表示画面の高精細化および表示画面の大型化
 4.音楽再生機能、MDやSDメモリーカードなどの汎用メディア入出力
 5.ボイス(音楽)レコーダー機能
 6.GIS機能(現在位置自動計測および地図表示機能)、方向表示(磁石機能)
 7.血圧計、心電図記録、糖度計、尿分析計、唾液分析計、体温計、万歩計
 8.バイブレーター、アブトロニック、ひげ剃り、電動歯ブラシ、ライター
 9.懐中電灯、キーホルダー、スタンガン、杖、痴漢よけブザー、カイロ
10.筆記用具、消しゴム、ホッチキス、はさみ、定規、カッター、筆箱
11.電波時計、世界時計、目覚まし時計、電卓、カレンダー、スケジュール管理
12.電池の長寿命化(太陽電池、燃料電池、皮膚の温度差発電)
13.スキャナー機能、プリント機能、コピー機能
14.望遠鏡、顕微鏡、暗視スコープ
15.防水、パラショック、耐熱、耐寒
16.デジカメ機能(手鏡機能)フラッシュ付き
17.スイカ機能(非接触ICカード)、クレジットカード、IDカード、店舗共通会員カード
18.楽器機能
19.ホームサーバー端末機能
20.ユニバーサルデザイン(点字、音声、大きな文字表示、大きなボタン、色彩切り替え)

取り敢えず項目のみあげてみました。他にもまだまだあると思います。

2002年10月20日(日)  生命と遺伝子[1]
 本日、高校の恩師で所属部活動の顧問であった橋本先生の特別講義を受講する機会を得た。講義のテーマは「生命と遺伝子」である。生命の特徴は、「個体を維持する能力を持つ」。生命活動を支配するのは生体内での化学反応を促す有輝触媒である酵素である、という。生命のもう一つの特徴は、「種族を維持する能力を持つ」。つまり個体には寿命があり子孫を残すことにより種を維持する。38億年前に誕生した生命は、初めは染色体を一組持つ一倍体細胞生物しか存在していなかったが、20〜15億年前になると染色体を二組持つ二倍体細胞生物が登場した。二倍体細胞生物は父親と母親の両方から一組ずつ染色体を受け継ぐ有性生殖をおこなう。有性生殖においては、染色体の組み替えが起こり遺伝子がまぜこぜにされ、さらに受精というシステムを経ることにより、親とは違った新しい遺伝子の組み合わせを持った新個体が生まれる。受精卵に異常がある場合は排除される必要がある。また、遺伝子を次世代に残した親の個体は存在の意味が無くなる。これらを確実に抹消するために、死というシステムが出来上がった。(以上、橋本先生の特別講義テキストより)

 以下、生物の進化と遺伝子について。少しずつ書き足してゆく予定。

2002年10月20日(日) 米のイラク攻撃はテロを絶てない−大阪産業大学中川講師(平和学)の在学生370人の調査結果 (11日付け本文と関連あり)
 ほぼ9割の学生が米のイラク攻撃によってもテロを根絶できないと答えた。米国のイラク攻撃を「指示しない」71%。「指示する」13%。日本の態度、「日本は中立を保ち外交絵調停役を果たすべき」52%。「米国への経済支援にとどめるべき」18%。「かかわるべきでない」14%。同講師は「非戦の意識が予想以上に強かった」と話している。−20日朝日新聞朝刊による。

 平和学というからには平和を目指すための学問なのだろう。「戦争とは平和なり」(11日記事を見よ)についても聞いてみたいものだ。
 昨年9月11日ブッシュの「これは戦争だ」という言葉は、「本来テロは犯罪であり犯罪捜査は法に則って行われる。しかし今回のテロ行為には、たとえ米国民の犠牲やアフガン民間人の犠牲があろうとも米国軍の軍事力を十分に発揮してテロ組織(アルカイダ)を壊滅する」という意味である。米国は昨年のテロをイラクとの開戦の口実にしようとしているが、むろんテロ対策がイラク攻撃の真の目的ではないことは明白である。アメリカ自身の軍事および経済的な覇権のために一般市民を犠牲にするような軍事行動はテロと同様に許されるものではない。

2002年10月18日(金) 海外の大手小売業の日本市場への参入が困難な理由−ダイヤモンド社「経」5月号東大教授伊藤元重「グローバル経済の本質」より。
 この20年、海外から日本に向けて外資系の小売業が参入してきた。玩具のトイザらス、アパレルのGAPやエディーバウアー、薬・化粧品のブーツやセフォラ、大型ホールセールクラブのコストコ、ハイパーマートのカルフール、インターネット書籍販売のアマゾンドットコムなどである。一般的に外資系の小売業が日本市場で大きな成功を収めているとは言い難い。なぜ日本市場への参入が難しいのか。よく言われるのは、日本市場には様々な規制や慣行があって、これが海外企業にとって参入障壁となっている、という理由だ。確かにこうした面が無いわけではないが、日本政府が規制緩和に取り組んできた結果、現在では規制による参入障壁はずいぶん小さくなった。日本独自の取引慣行が海外企業の参入を難しくしているという面もあるだろうが、これは日本に限ったことではない。アジアでも欧州でもその地域独自の慣行があり、外からの参入の障壁になっている。多国籍型の小売業と言われる巨大な小売業は、それぞれの地域の慣行や規制を突破して、国際的な出店を続けてきた。こうした企業が日本ではまだ十分な成果をあげていないのは、日本独自の要因があるからと考えた方がよいだろう。一言で言えば、日本の流通市場における競争は非常に厳しく、たとえ力のある多国籍型小売業でも、日本の消費者にあった形の商売をしない限り、利益を上げるのは難しいということだ。(以下略)−以上、ダイヤモンド社「経」5月号より。

 この後、日本には魅力的な商品があふれているという具体性のない話で終わるが、その通りだと思うので日本の商品の魅力について述べたい。
 例えばコジマはGEの冷蔵庫を販売している。大きくて安い。ところが電気を喰い騒音が大きく、なによりも扉を開けてがっかりするような商品なのだ。日本の家庭の冷蔵庫に何がどれくらい入っているかGEは研究する気が無いらしい。せめてまねぐらいしろ、といいたいようなただのハコである。アメリカのスーパーへゆくとわかるが、商品の大きさというか、梱包の量が日本より数倍大きいのである。でかいままで冷蔵庫へいれるならちまちました棚は必要ないというのがアメリカの冷蔵庫である。
 日本人の食生活では食品や調味料の種類が多い。だから日本の冷蔵庫は扉を開けると、どこに何を収納するかが一目でわかり、食品の出し入れや掃除のしやすさなどの細かいことまで考えて丁寧に作られている。そして野菜の乾燥を防いだり氷温貯蔵ができたり、照明や温度調整など機能も格段に考えられている。シャープの両側から開けられる扉なども、日本の台所の狭さを考えると大変便利な機能だ。
 例えば35年ぐらい前の「暮らしの手帳」では、日用品や家電製品の商品テストを行っていた。当時は大半の商品で長年使い込まれた外国製品の機能のほうが優れ、いまでも石油ストーブやトースター、魔法瓶などの記事を覚えている。基本機能の差が歴然としていただけでなくデザインや色彩も国産品が随分チャチに見えた。ところが今や大半の海外製品は国産より劣る。
 ディジョンのマスタードを食べ終わった。マスタードでは世界一有名なブランドで、香りが良い。ところがプラスチック容器のふたに小さな穴があいていて、そこからマスタードを出すと初めは分離した油ばかり出てくる。中身が減ってくると硬質のプラスチックなのでいくら容器押しても出てこなくなる。しかたなく中蓋も外してスプーンで取り出すが、容器の肩の所はスプーンが届かないのだ。現在の日本ならこんな商品が売り出される可能性は絶対無いだろう。

 現在工業製品の多くはアジアの各国で生産されているのだが、生産場所を移転しただけで実体として日本企業が製造していることに変わりがない。昔、工業製品はドイツで設計し、日本で製造し、アメリカで売れと言われたが、今や、日本製品は絶え間ない改良が続けられ、工業製品の商品力は恐らく世界一だ。この理由は、モノ作りに関わる日本人の多くが自分の仕事に深い愛着を持ち、よりよい製品を生み出すことに執着する気質にあると思う。日本人がこのようなプロ意識を失わず、そして生産と開発は分かちがたいとするなら、商品性を一層高め世界で競争力を保持するには、再び日本で生産するようなものもあるかも知れぬ。
 海外の製品のほうが魅力的なのは一部の食品、デザインやブランド力で太刀打ちできない衣料品、需要の少ない高額な商品類。そしてただ安価であることが商品性であるようなベーシックな衣料品や日用雑貨品類だ。
 現在の産業の基盤技術はコンピュータとバイオ関連技術である。日本企業は独創性を評価しないので、少数の天才が凌ぎを削るコンピュータやバイオ関連の商品開発力が弱い。またこれらは巨額の開発投資が必要であり、経営者は大きなリスクを背負いつつ強力なリーダーシップを発揮せねばならない。ところが日本の大企業にはそのような文化が無い。集団指導体制と規制や業界に守られた日本の大企業の経営者は安全な選択しかできないのだ。結果として自動車や家電・精密機械などの成熟市場で優位には立てるが、コンピュータやバイオなどの先端事業で圧倒的な勝利を得ることはないだろう。国内企業はもはや国内産業(1次産業も含む)の基盤を作り得ない。結局ボーダーレス社会におけるグローバル企業が全産業の基盤技術において世界を支配し、ドメスティックな企業が二次的な製品によって国や地域の文化を伝承するという棲み分けになる。すなわち、日本人はその長所を受け継いでゆくが、もはや日本企業がそれによってグローバルな発展を遂げる時代ではないということだ。
(20日、部分的に修正)

2002年10月11日(金)  対イラク武力行使について
 昨日の米下院に続き米上院も、イラク攻撃に関してブッシュ大統領に米軍が単独で武力行使できる権限を与えた。
 10月18日付け週刊朝日ワールドブリーフィング(船橋洋一)より。 「イラクは現在日産150万バレルの石油生産量だが、サダム・フセイン後5年以内に日産700万バレルまで増産可能。そうするとサウジ、ロシア(日産770万バレル)につぐ世界第3位の石油大国となる。イラクが600万バレル程度の生産体制にはいるとOPECが崩壊すると言われており、それは米国の望むところである。湾岸戦争のときの戦費は600億ドルだったが、今度は一千億ドルを下回らないと予測されているが、イラクの石油をその一部に当てればよいとの声がある。石油に目がくらんでイラク戦争を押し進め、石油をあてにして戦費調達を考え、石油頼みのイラク債権を思い描く。イラクの石油をめぐってだれもが捕らぬタヌキの皮算用を始めている。この戦争は危ない。」
 アメリカはイラクに傀儡政権を擁することによって石油の市場価格を意のままにし、多額の戦費を使っても石油で賠償させられると計算しているのだ。

 「アメリカ合衆国国家安全保障戦略」は、地球上の全土で絶対的な軍事的支配を確保し維持しようという国家目標を公にしたものである。核拡散を阻止する責任を単独で担うために自らがグローバルな統治者となることを提言している。この軍事力の帝国主義的論理は、法律的にも道徳的にも認めることはできないし、この上なく危険な幻想である。阻止するはずの核拡散と核戦争を引き起こす可能性があるのだから。この政策を拒否する私たちは、その欠点を実証するだけでは不十分である。かって核軍縮は平和運動の目的であった。それが戦争の推進者によって取り込まれたのだ。オーウェルの警句である「戦争とは平和なり」があらたな現実味を帯びてきた。平和運動はこの新しい状況に対処していかなければならない。(ジョナサンシェルから大江健三郎への書簡−11日付け朝日新聞)
 アメリカは核だけでなく通常兵器もぬきんでた戦力を保有することを宣言したということだ。そしてその軍事力の経済的負担は支配される側が負うわけである。

2002年10月9日(水) 市町村合併に伴う水道事業経営に関する課題
規模別家事用平均料金(H14.1現在)−9.30日本水道新聞より抜粋
給水人口区分 使用水量平均料金 単位[円] 職員数
[人]
10m3 20m3
100万人以上 1,508.2 2,516.5 1,512
30万人以上〜50万人未満 1,123.3 2,532.1 注)351
3万人以上〜5万人未満 1,407.5 2,928.1 18
0.5万人以上〜1万人未満 1,703.3 3,397.7
全国平均 1,508.2 3,113.6 31
最大価格 3,250 6,190
最低価格 355 700



 本年4月1日現在で営業中の末端給水1,892、用水供給72の調査による。料金格差は10m3当たり料金では9.7倍、20m3では8.8倍である。小規模ほど高料金となる傾向がある。
−以上9月30日付け日本水道新聞より。

 表中の職員数はH11水道統計による。
 注)は25万人以上〜50万人未満のデータである。

 




 水道会計は独立採算性を原則としており、水道料金は施設の維持管理費や労務費、電力費などと、建設費の償却費用などの総費用に見合う額が設定される。一般に建設費の70%は配水管渠の費用であり、維持管理費の相当分も配水施設の更新費である。従って人口密度の低い地方では経営効率が悪い。
 一方専従職員の数は給水人口あたりで比較すると小規模がさほど効率が悪いデータにはなっていないが、数名では料金事務程度しか行えないのが実体である。小規模事業体では特に施設管理は業者任せになっている。
 市町村合併により管理が統合される場合でも配水施設の効率の問題が解決されるわけではない。しかしながら職員数は相対的に増えるため技術職員の配置が可能になる等、管理の質の向上が期待できる。
 料金格差については法では必ずしも市町村毎に統一する必要はない。しかし市町村では施策の統一と公平性を確保することが望ましく、水道料金に限らず公共料金は統一すべきである。その場合、公共料金が値上げとなる旧市町村にとっては合併の大きな弊害となる問題がある。
 料金体系を統一することは料金徴収事務の効率化のためにも必要である。厚生労働省がガイドラインを作るべきではないか。また、公営企業の透明性を高めることが事業の効率性を高め料金制度についても住民の支持を得ることができる。厚生労働省では現在公表されている統計データ以外にも情報公開を推進するために、そのガイドラインを作成すべきである。
 一方、事業体では職員の組織横断的活用を進める必要がある。例えば一人の土木技術者が水道部門に属していても、下水道や建設事業全体に取り組めるような仕組みや、大規模事業体が小規模事業体の人的な支援を可能とするような仕組みが必要である。職員の教育訓練などは民営化に適した事業であるが、教育、訓練においては大規模事業体の支援が必要である。

2002年10月4日(金)  行政サービス京田辺トップ − 4日付け日本経済新聞朝刊
 トップテン。1.京田辺市、2.豊中市、3.伊丹市.4.綾部市、4.姫路市、6.大津市、6.茨木市、6.小野市、9.吹田市、9.西宮市、9.三木市。
 総合トップの田辺市は教育面が手厚く、豊中市は少子化対策、伊丹市は高齢化対策の得点が高かった。分野別では「公共料金等」は水道料金の安い高砂市、下水道料金や住民票手数料が安い吹田市と茨木市が同点首位。「高齢化対策等」では介護保険料が安い綾部市。特養老人ホームの定員数が多い相生市。バランスがよい豊岡市がトップ。「少子化対策」では認可保育所での延長保育、保育料が比較的安い豊中市。「教育」では市立図書館の蔵書数が多い八日市市、「住宅・インフラ」では大阪市と西宮市がトップ。
 近畿ではサービス度は平均を上回るが、財政の硬直性を示す経常収支比率が要注意ラインの80%を超す「高サービス・財政悪化型」だ。豊中市、泉佐野市、芦屋市など全体の半数近い41市である。次に多いのがサービスが全国平均以下で財政も悪い堺市、大和高田市、泉大津市、和歌山市。サービス度は低いが財政に余裕のあるのが長浜市、洲本市。  −以上4日、日経朝刊より。

  先日(9月24日)の調査の近畿版である。地方版の話題だが京阪神在住の方は地名も良くおわかりと思う。姫路市は高サービスで財政がよい。一方和歌山や泉佐野は最低。行政の能力を評価されているのは間違いないのだが、例えば水道について。建設費の70%は配水管などの管路費。ところが都市圏は配水管延長当たりの給水栓数が多くて効率が良いが、田舎はどんなにがんばったところで効率が悪い。
 というように地方の特性によっていろいろあるんである。だから、様々な行政サービスについて、自分のところの現況や将来計画をくわしく公開し、他の市町村との比較や諸外国との比較も公開する。こうだからこうなんだ、と丁寧に説明する必要があるのだ。愚かしいのは国が全国じゅっぱひとからげに補助事業をでっち上げて立派すぎる道路や使えぬハコモノを作らせたことだ。だから自治体は、住民が望むサービスや地域の弱みを改善するような適切な投資に結びつくような自主的な財政出動ができない。地方ごとの特性に応じた創意工夫もできない。これでは投資が生きないだけでなく、地方の活性化にならないのだ。「住むヒトに知恵をださせること」やその結果「地域活性化の担い手を育てること」が地方の文化を伝承し育て、その結果として地域住民のコミュニティや地域への愛着も生まれるのでは無かろうか。

2002年10月3日(木) 
■ 国民のための電子政府実現に向けて − 日本総研「マンスリーデビュー」9月号より
 国連公共経済・公共行政部が加盟国の電子政府への取り組みを評価した結果、日本は190カ国中26位で、G8メンバー中最下位からロシアに次ぐ2番目となった。アジアオセアニア地区でも韓国に次ぐ5位。「政府のウェブサイトは限定的な双方向機能にとどまっている」「頑固な官僚政治に痛みをもたらすような相互運用の問題を解決できずにいる」と指摘された。
 問題は、@国民中心の視点から電子政府への取り組みが十分に行われていない。A電子政府への取り組みが政府や公共機関の構造改革(リエンアジニアリング)に結びついていない、ことが指摘できる。
 電子政府の目的は@IT導入による合理化、効率化の実現、A情報公開等を通じた透明性の確保、Bサービスの質の向上、にある。
 国連の報告書で上位に位置する国々は、「国民」を「顧客」と考えて「顧客満足の向上」「行政事務の効率化」「コスト対効果の最大化」を目指している。
 国民に関する様々な情報を取り扱う以上、情報管理体制を万全なものとし国民の信頼を得ることを前提とし、利用者である国民のニーズの反映と権利の保護に重点を置くと共に行政内部において自己変革を促していくような体制作りが求められる。−以上日本総研「マンスリーデビュー」9月号 野村氏による。

■ 住民基本ネットの本格的稼働に向けて − 日本総研「マンスリーデビュー」9月号より
 諸外国における国民ID番号制の概観および日本の問題について。欧米アジアのIT先進国ではシステムが既に導入されている。米、加、英、ノルウェー、デンマーク、スウェーデン、フィンランド、シンガポール、韓国では1936年(米)〜1970(ノルウェー)と早くから導入され、社会保障番号または住民登録番号としているものが多い。対象者は全国民または、全国民と永住者、としている。行政サービス分野では税務、社会保険、年金、統計、教育、免許、住民管理の大半を対象とし、住民管理だけを対象としているのは日本だけである。
 IT先進各国は個人情報を保護する制度の整備に注力しており、例えばフィンランドでは個人情報の開示は個人の承諾が必要となっており、情報の利用を監視するオンブズマン制度が有る。個人データ法、データ保護法、政府活動公開法、住民登録法、電子行政サービス法など多くの関連法が制定されている。シンガポールでは公務安全保障法によって情報を扱う公務員および民間人が守秘義務に違反した場合の罰則が厳しく規定されている。これに対し、日本では改正住民基本台帳法が成立したのみで情報保護の制度は十分とは言えない。
 今後我が国が住基ネットを本格的に稼働させひいては電子政府をスムーズに実現していくためには、個人情報を保護する制度を確立し、国民の信頼を高めていくことが不可欠である。特定個人の情報漏洩の禁止、第三者機関による電子政府の監督・監視、情報管理違反者への罰則などを規定した法制度の整備が望まれる。−以上 日本総研「マンスリーデビュー」9月号 大木氏による。
 
 
 日本の住基ネットというのは住民票の申請事務のみを対象としており、住民管理とは言えない。莫大な費用を投入して住民票の申請手続きを、全国何処からでも可能としただけである。それでも横浜市などには情報漏洩に関する法制度の不備を指摘され協力が得られない状態である。そもそも「国民総背番号制」に始まってこれまで政府が何度か国会に提出したこの種の国民ID番号制度の法制化が一度も成功せず、今回は氏名、生年月日、性別、住所の4つの情報だけに限って、かつ住民票の申請事務以外には使用しない、という前提でようやく始まった制度なのである。もちろん今後全ての行政サービスについてこの仕組みを拡張して行くのが行政のもくろみである。行政が国民を向いていないから国民に信用されていない、従って行政は国民をだまして無理矢理制度を作って、なし崩しに拡張して行くといういつものパターンである。消費税しかり、自衛隊もか。
 きちんと議論し合意を形成するという民主主義の手続きと、国民のための行政(政府)という民主主義の理念が、いずれも十分に実践されていないということが根本的な問題なのである。現実には国会が十分に機能しているかどうかという問題なのだが、与党はワンマン、野党は批判する能力もごり押しを止める力も無いようなのだ。

2002年10月2日(水)  企業が大学に望むものは−日経産業新聞(10月2日付け)より
 同紙による企業50社へのアンケート結果。
 企業が大学に求めるもの:一位、産学連携の重視。二位、先端研究に資金や研究者を集中。三位、海外の大学との共同研究を拡大。四位、入試よりも卒業を難しくする。五位、英語による講義などで教育の国際化を強化。
  大学の人事組織体制改革について:研究教育に対する外部からのチェックを強化する。二位、教員や事務職に対する成果主義の賃金制度を導入する。三位、学長など運営トップに外国人や企業経営者を積極的に起用する。
 国立大学の運営:一位、文部科学省から大幅に権限を委譲する国立大学法人にする。完全民営化は2社と少ない。
 私立大学の運営:一位、優れた私立大学に助成金を増やす一方、そうでない大学は思い切ってうち切る。
以上、日経産業新聞10月2日より。

 前日の同紙同テーマの連載記事をみても、企業はIT関連の生産技術の開発に取り組む研究者を高く評価している。上の結果を見ても少数の大学の、企業が求める先端分野に(国の)資金を集中して欲しいと望み、企業活動に直結した研究を評価している。一方大学が自ら特許を取得したり経営の独立性を高めるような動きは支持されていない。企業の本音が良く現れたアンケートだ。
 アメリカのように研究者自らがベンチャーを起業し、投資会社が投資家から資金を集めてベンチャー企業に投資をするという学が主導する方式よりも、これまで日本でそうであったように、大企業が大学と癒着してその成果を取り込もうという旧態依然とした発想である。企業にたかる学者と官に取り入る学者が大学を駄目にしたのではないか。人事の停滞や硬直化、客観的な業績評価ができないこと、社会や他国、他大学などとの交流ができないという閉鎖性が未だに日本の大学の問題だ。象牙の塔とは古い表現だが、大学は自由と独立性を確保することによって、独自カラーを発揮し大いにオープンな活動をしてもらいたい。ちなみに大学は今の2割ぐらいの学生数で十分だろう。中学校は生活、高校は職業に直結した技術を訓練する場にする。


 END