2002年8月

2002年8月30日(金) 東電の原発故障の隠蔽について
 原発を使う理由は四つある。ひとつめは「原発は安全である」。第二に、「原発は発電コストが5.9円/kWで、石油火力10.2円/kW、石炭火力6.4円/kWよりも安く最安価(99年12月通産省試算)」。第三に「化石燃料の枯渇や供給停止に備える」、というものであるが、ウランもいわば化石燃料であるので、核融合炉やプルサーマルの技術が前提となる。第四には、「CO2の発生が無いので火力発電所などと比較して地球温暖化防止に役立つ」というものである。

 安全について。スリーマイル(1979)以降の世界的な原発建設反対運動の際、電力会社やメーカーは安全キャンペーンを盛大に展開した。「原発は安全ですよ」と言い続けた。そしてチェルノブイリ(1986)以降先進国での原発建設はほぼ凍結され、北欧諸国では廃止に向かった。科学者や技術者の正しい態度は「原発は危険ですよ」と言い続け、厳密なリスク評価とリスクヘッジ(回避)のための適正なコスト支出を定める。その上で、最終的なリスクを公開し、許容できるかどうかを住民や有識者に常に問いかけることであろう。

 今日のニュースは「電気事業法の通産大臣への報告義務に違反」である。チェルノブイリでは「重大な規則違反があった」から日本ではあのような事故は起こり得ない、との説明がなされている。ところが国内の最近の事故をみると、「規則違反は日常茶飯事」である。この点が最大のリスクであることが認識されていない現実を見ると、どうやら原子力発電所は現在も尚危険きわまりない存在であると言える。

 発電コストについて。原発のコスト計算は、「火力が15年と言われている耐用年数を40年として計算していること」と「コスト計算が困難であるという理由で、放射能による汚染物質の処理を含めた解体費用を含んでいない」「周辺地域の整備費用としてばらまかれる千数百億円の国庫負担が含まれていない」と言う点で発表された当時から批判されている。明確な数字が不明だが、原発は石油火力よりもコストが高いというのが定説である。

 化石燃料の枯渇や石油ショックについて。現在火力発電の中心である石油の埋蔵量は39.9年、天然ガスは69.0年、ウランは64.2年、石炭は227年(いずれも1999年時点)とされており、2020年以降増大するエネルギー需要を満たすために物理的に十分な埋蔵量があるとされている。化石燃料では石油の埋蔵量の65%は中東に集中しているため供給不安定性が高いと言われている。石炭は全世界に分布しており供給の不安定要因は低い。天然ガスは開発が石油ほど進んでおらず、未発見埋蔵量が大きいと考えられている。ウランは、北米、オーストラリア、中部・南部アフリカ、旧ソ連が主な地域とされている。
 現在化石燃料として最大の生産量である石油の埋蔵量は他の化石燃料と比較してやや少なく、OPECなど生産国側の需給調整による供給量や価格の変動が大きい。人類は産業革命以来爆発的に増大するエネルギー需要を「エネルギー利用の効率化(省エネルギー)」という方法でまかなってきた。このことを「ソフトエネルギーパス」という。今後も省エネが進み電力需要も水需要のようにいずれは下降局面を迎えるだろう。近年電力会社がようやく様々な規制を緩和して、太陽光や風力、民間による発電事業などにより、エネルギーの多様化が始まった。発展途上国のエネルギー不足が解消する2020年頃以降、石油への相対的な依存度はしだいに縮小してゆくのではないか。

 地球温暖化防止について。今後炭素固定技術が今後急速に進むと考えられており、CO2を排出しないことが原子力発電の決定的なメリットとは言えない。

 結論として、日本の国や電力会社には原発のような複雑なシステムを安全に利用してゆく能力がない。他の発電方式に比べてコストが高い。以上から原発は我が国では廃止すべきである。
 [資料] 「エネルギーに関する公的な文献」  http://mext-atm.jst.go.jp/Ti/Ti01_f.htm

2002年8月27日(火)  8/31週間ダイヤモンド「決算書の裏を読む」より
 米国では不正会計と不祥事の嵐が吹き荒れた。株価偏重が元凶だ。株価をつり上げようとして米国企業は堕落した。今や米国人の約8割が、「米国企業のCEOの殆どが不正を働きそれを許されていると考えている」としている。そこで米証券取引委員会は六月末、不信感の払底を狙って、決算数字の正しさを保証する宣誓書の提出を命じ7月末に制定された企業改革法では不正に手を染めた企業幹部には最長20年の禁固刑が科せられることになった。−以上週間ダイヤモンドより。
 記事ではこのあと会計操作の手口や業界毎の会計の曖昧さについて問題提起している。アメリカの株価の下落原因として、企業の情報公開に対する不信が大きいということだ。ここでも企業の業績の実体を透明化する必要性が提起されている。日本では不正企業と癒着している官にも「最長20年の禁固刑」を科すべきだ。例えば日本ハムの不正は会社ぐるみだが、責任は農林省を頂点とした業界の体質にある。いわば業界ぐるみの犯罪だ。みんな実刑を科すべきだ。

2002年8月26日(月)  外断熱工法    週刊朝日8/30、9/6号山岡淳一郎「築30年」からの創造、より
1.外断熱工法がこれまでの内断熱工法と比較して優れているのは明白。しかし建築コストが10%以上上昇する。
2.スーパーゼネコンの研究員 「1社が新しい工法や技術を開発してもなかなか認められない。大手のゼネコン、ハウスメーカー、ディベロッパーが官主導の実験プロジェクトに参画し、あうんの呼吸で技術レベルがならされ、新技術は日の目を見る。技術はピラミッドの上から下へ横並びで伝わってゆく。」
3.旧建設省の建築物防災対策室は85年、「耐火構造の外壁に対する外断熱工法の取り扱いについて」という住宅局建築指導課長通達が出され、言っての加熱試験をパスしなければ建設大臣の認定が下りない制度がうまれた。認定をとるには300万〜400万円の耐熱試験料が必要となり、経済的に余裕のない業者は手を引いた。
4.中堅ゼネコンの幹部「ディベロッパーは、まず土地情報を得て建設用地を仕入れる。その土地の立地条件などから売値を坪辺り150万とか160万と決める。一個の売値×販売戸数が総事業費。そこには利益、販売経費、工事費、土地代、全てが含まれる。土地神話は崩壊し、あらかじめ売値をおさえられ、工事費は一時坪単価40万円を着るむちゃくちゃなたたき合いになった。高い街断熱なんて歯牙にもかけられない。過去のデータは全部内断熱で、それなりにグレードの高いものを作ったとあればわざわざ外断熱にはしない。外断熱に踏み切るには事業計画段階でのトップの英断が必要だ。」

 外断熱工法では四角い凹凸の少ない外壁となる。建築家は自ら創案した意匠や外壁の素材の自由度を優先しがちであろうと思うので設計者も外断熱工法は受け入れにくい。コスト面で購入者は受け入れにくい。耐火構造、工法の標準化、コストの点で行政が受け入れにくい。しかし湿度コントロールが重要な日本では現在の内断熱工法よりは優れた工法であるようだ。30年前からこの工法の普及に努力してきた人たちがいた、という話である。住宅行政への批判。
 ここでも官の責任は重大だ。やるべきことをやらなかった役人個人を処罰すべきだ。公務員の勤務評定を第三者機関による行政監査で実施すべきだ。GEのように常に下位10%をクビにして人材を流動化すべきだ。

2002年8月24日(土) 電磁波健康に影響−朝日新聞8月24日朝刊より。下に引き続き健康の話題。
 高圧送電線や電気製品から出る超低周波の電磁波(0.4マイクロテスラ以上)がおよぶ環境では子供の白血病の発症率が2倍近くになる、という調査結果が国立環境研究所などによる初の全国疫学調査の中間解析の結果ででていることがわかった。WHOなどは昨年、電磁波で小児白血病の発症が倍増するという同じ結果を発表している。今後日本でも欧米並の電磁波低減対策を求める声が出る可能性もある。
解説:超低周波とは送電線や家庭用電化製品から出る低い周波数の電磁波(50Hz、60Hz)のこと。携帯電話は1ギガHz前後の高周波。超低周波の強さは高圧送電線の直下では最大20マイクロテスラ、通常は1マイクロテスラ前後の磁界となる。家電製品は距離が離れると急激に減衰するのでほとんどの一般家庭の平均磁界は0.1マイクロテスラ前後。−以上、朝日新聞24日付け朝刊ヘッドラインより。

 電磁波の健康への影響は80年代からたびたび話題になってきたが、当時はアメリカでも電力会社の政治的な影響力が強く、電磁波の健康被害に関する論文は一時的に話題になったのみで葬られてきた。電界や磁界の人体へのなんらかの悪い影響は当然あるだろうと思っていたのは私だけではなかったと思うが議論そのものが一般にはあまり知られていなかった。このようなテーマについては日本では従来からアメリカの動きに追従して規制が実施されるが今回もそのパターンどおりである。人類の進化史上に無かったものはことごとくまず疑ってかかる必要があるのではないか。もちろん高周波についても人体への影響がある可能性がある。

2002年8月24日(土) B i z T e c h M a i l 朝刊  2002/08/23 より
 心身共に健康な高齢者を対象とした二重盲検試験で、イチョウ葉エキスの認知機能改善効果は、実はプラセボ並みに過ぎないことがわかった。健康な人が、「ボケを防ぐ」ことを期待してイチョウ葉エキスを飲んでも、あまり意味はなさそうだ。研究結果は、Journal of American Medical Association(JAMA)誌8月21日号に掲載された。 イチョウ葉エキスは、ドイツでは医薬品、日本や米国では健康食品として販売されている成分。血管性痴呆やアルツハイマー病の人を対象としたプラセボ対照試験で、少なくとも4週間毎日服用すれば、痴呆の進行がわずかに遅くなることが確かめられている。−以上、ビジテックメール朝刊8/23より。購読申し込みは→http://bizmail.nikkeibp.co.jp/
 ともあれアルツハイマーの治療薬が発見されるのは時間の問題、といわれている。

 私もガンになってわかったのだが「免疫力を高める」または「抗ガン作用がある」「末期ガンが治癒する」というような食品が数限りなくあり、例えば「アガリスク茸」というのもそのひとつなのだが、各社から販売されるようになると、また特別な「アガリスク茸」というのが売り出される。大体月数千円から数万円分を何ヶ月もの間服用することになっている。ほぼすべてが科学的に調べれば何の効果もないものなのであろうが、多くは有効成分が明確でなく、金と時間をかけて実験しない限りは医学的な判断が難しいと思う。一方新薬の発見の重要な方法として、インドネシアなどのジャングルで原住民に伝承されている薬草を採取して有効性を確認するようなやりかたがあり、モモの葉やアロエのような民間療法や伝承(漢方はその極致)がでたらめであるとは思わない。しかし最近は学者が論文でキャベツが良いとか言い出すと早速テレビがその学者を呼んで番組にするから始末が悪い。「健康食品というものは多少の毒性で健康になるというものだ。http://plaza13.mbn.or.jp/%7Eyasui_it/Slim.htm」という意見もある。まったく健康(人体への影響)についての情報は多すぎるうえに客観的な評価が難しい。少なくとも売り手自身のほめ言葉は信用しないことか。もちろん大手の製薬会社や食品会社であっても、である。

2002年8月23日(金)「常用雇用者比率」 −三井住友銀行発行、日本総合研究所編集マンスリーレビュー’02.8月号より
 雇用者に占める常用雇用者の比率をみると、男性20才から24才の年齢層では1975年に94.7%だったが、2000年には80.4%に下落している。すなわち仮に雇用されても臨時的な雇用形態が増えている。世代毎に見てもどの世代も年齢を重ねるに従って常用雇用者比率が上昇して行くが、若い世代ほど常用雇用者比率が低い。就業形態が多様化していることに加え、若い世代における職務スキルの蓄積不足がその後の常用雇用者としての就業機会を狭めると考えられる。−三井住友銀行発行、日本総合研究所編集マンスリーレビュー8月号より

 能力と意欲の低い層が失業と就業を繰り返す、いわば流動層になって雇用調整の受け皿機能を果たしている。若年層はサービス産業を主体として比較的就業機会が多いので一層流動化の度合いが大きい。現在の日本の雇用状況は、年功序列から職能別給料への大きな流れが始まる予兆ではないか。この10年は日本の経営者が自信喪失した10年であったが、最近ではGE的アメリカ企業もまた然り。ワールドコムやエンロンの破綻は、企業の公正さと情報公開の必要性を再認識させた。この二点が日本の企業に求められている変革だ。

2002年8月23日(金)米国企業収益と雇用の行方 −三井住友銀行発行、日本総合研究所編集マンスリーレビュー’02.8月号より
 米国企業の人件費調整は賃金調整よりも雇用調整に依存する傾向がある。景気と雇用の変化を見ると、従来は景気の落ち込みが雇用の減少ペースを上回っていたが、今回の’01.1〜3月期から’02.1〜3月期においては雇用の減少ペースが景気の落ち込みを上回った。具体的には実質GDPが年+1.7%で拡大を続けた一方、非農業就業者数は▲1.4%のペースで減少した。過去5回の景気後退局面での実質GDP、非農業就業者数の落ち込みの平均がおのおの▲2.4%、▲1.1%であったことを踏まえると今回の局面では景気がプラスを維持したにもかかわらず雇用の落ち込みが過去の局面を上回ったことになる。こうした大幅な雇用削減が行われた理由としては、以下の2点が指摘できる。第一に、ディスインフレを背景に名目の売上高が落ち込む一方で、コストの価格への転嫁が困難な状況のもとで、企業収益の悪化はマクロ経済実体以上に大幅で深刻なものだった。加えて株価バブルの崩壊やITゲームの終焉に伴い過剰債務や過剰資本ストックなどの構造問題が表面化した。こうした中、企業は収益体質の改善に向けて従来を上回るドラスティックな雇用削減に踏み切ったものと考えられる。同時多発テロは企業マインドを下押ししリストラへの取り組みに拍車をかけた可能性も指摘される。第二に、米国の雇用システムは元来世界的に見て柔軟だったが、90年代にその傾向がさらに強まった可能性がある。具体的には業務のアウトソーシングや人材派遣、インディペンデント・コントラクター(独立契約者)などの活用が進展したほか、全社的には好調であっても不採算部門では人員を解雇するなどレイオフが恒常化したことで、労使双方のレイオフに対する抵抗感が薄まったと推測される。こうしたことで、企業は固定費としての色彩が強い人件費を速やかに調整する素地を整えてきた。その結果、企業は景気の変動や外的なショックに対応し、迅速に雇用を調整することが可能になったと考えられる。実際今回の景気後退局面では、人材派遣が中心的な削減対象となっている。削減JN数全体(167.4万人)に占めるj人材派遣の割合は38%に登り、前回kの景気後退期90年7〜9月期から91年1〜3月期の8%とくらべ大幅に上昇している。
 以上を踏まえて先行きを展望すると、各種調整圧力の残存に加えて、テロの再発に対する懸念や企業会計疑惑の紛糾など、先行き不透明感が払拭しきれない状況下、企業の収益体質改善に向けた取り組みは当面持続し、その結果雇用コストは抑制される公算が大きいと見込まれる。企業のこのような姿勢は、家計にとってみれば所得の下押し圧力となり、景気全体の回復を阻害する一因となるこうしてみると景気の本格的回復はしばらくは期待できないと判断される。−三井住友銀行発行、日本総合研究所編集マンスリーレビュー8月号より

取り敢えず記事のみ。マクロ経済学情報なんてこんなもんでいいんか。半年前の断片的な数字に都合良い材料をあわせて感覚的な結論としている。アメリカの個人消費はどうか。301Kはどうか。オイルマネーは。経済ど素人なのでこのあたりがわからん。

2002年8月22日(木) 埼玉県志木市の「教育特区」構想 −日本経済新聞8月22日付け朝刊より
 小学校低学年で「25人学級」を導入するなど新しい教育政策を打ち出している埼玉県志木市は、21日、地域に開かれた学校作りのために、企業人や市民等を対象に免許がなくても期限付きで正式の教員として採用し、一方で現職教員を企業などに派遣する研修制度の導入も視野に入れた構想をまとめた。
 実現に向けて同市は地域限定で国の帰省を大胆に緩和する「構造改革特区」の教育分野での指定を目指して8月末までに政府に対し提案する。小中学校の教員採用は現在、都道府県教委が行っているが、構想では志木市教委が独自に採用できるよう埼玉県教委に採用手続きの一部を変更してもらう。
 このほか、休日に小中学校の国者などを地域に解放するため、新たな規制緩和の実施も検討、学校を市立から「地域立」と位置づけて市民に「自分たちの学校」との意識をより強く持たせるという。志木市は「教育特区」のほか、現在600人の市職員を20年後には半数以下に削減する計画をまとめている。教育分野では不凍港の小中学生が自宅で学習するのを支援する「ホームスタディ制度」や、おとしよりと児童が机を並べて学習する「リカレントスクール」などを導入している。 −− 以上、22日付け日経朝刊記事より。
 
 文部科学省の教育統制の下で、志木市がなぜこういう試みができるのかということについて調査する価値がある。たぶん改革は地方から始まる。地方の活性化が全体の活性化につながれば良い。竹下のふるさと創生の1億円で金塊を買った村があった。補助金を地方に渡してもどうせろくな事に使わないという(官僚達の)意見もあるが、地方を生かす方法論を提起すべき。一方低レベルの民度を向上させる必要アリ。「おまえは何様だ」と言われそうだが。
 公教育では例えば「新鮮な野菜の見分け方」とか、高学年では「食品添加物」とか「家庭の医学」のような「生きる知恵」と、一方政治や地方自治への知識と関心を高めるような教育が大事。昭和初期に始まったマニファクチャ(工業化)社会が求めたのは型にはめ易い労働者の育成と大量消費マーケットとしての都市化(地方からみると過疎化)推進であったが、前者のための公教育のありかたは転換すべき時期を既に逸した。個性豊かな、自ら考え自ら行動する人間を育成するための教育が必要だ。

「解説] 政府は、「経済財政運営と構造改革に関する基本方針2002」いいわゆる「骨太の方針第二段」を6月25日閣議決定した。このなかで「経済活性化戦略」の柱の一つとして「構造改革特区」の創設を挙げている。「特区」とは、特定の地域を対象に公的規制の緩和等の優遇措置を与え、これにより投資の促進、集客や貿易の拡大などをはかるもの。英国の「エンタープライズゾーン」、中国の「経済特区」などがよく知られている。我が国は従来1国2制度になるとしてその採用には消極的であった。(中略) 特区に求められる効果を上げるための条件は自治体主導の考え方を徹底することである。自治体としては地域の特性を生かすような特区構想を企画できるかどうかが問われる。ただし、地方財源の構造から見て税源委譲等の地方分権改革も同時に進めてゆく必要がある。

[追記10.5] 10月6日付け朝日新聞朝刊記事より。
 構造改革特区に手を挙げたのは、10分野426件だが、教育分野では44件の提案があった。埼玉県では6市。東京都では4区2市。東北、北陸、四国では提案がなかった。@保育園幼稚園の年長組と小学校低学年を一緒の組織で生活習慣から教える。(ニセコ町)A他の教科を減らして国語と算数の時間を増やす。(東海村)B金物職人をものづくり専門の先生として採用する。(三条市)C林業学習。(和歌山県龍神村)D韓国と交流するため韓国語の授業をする。(長崎県美津島町)E教育委員会を通さず市町村長が運営する学校を設立(大垣市)F所属高校の枠を超えたクラス編成(愛知県)
 少人数学級:昨年の法改正により公立小中学校では都道府県の権限で定員は40名以下とすることができる。山形県を始め全国で少人数学級が拡大している。
 学区の自由化:97年の文部省通知で「通学区域制度の弾力的運用」が出されたのち、学校選択制が広まっている。特に地方では学区の地理的矛盾を解決する要素が強い。
 教員独自採用:都道府県や市町村が独自の予算で学校に配置する人員を増やすことがある。「指導助手」「補助教員」と名称は様々だが実施市町村がある都道府県は34に登る。栃木県では全体で600人の非常勤講師がいる。講師として採用するケースでも教員免許がない場合もある。

2002年8月16日(金) 終戦記念日。
 昨日は終戦記念日で、今年もY国神社の話題だ。えらい人たちは一様に口先では「二度と戦争を繰り返さない」と言う。彼らが繰り返して言う「不幸な出来事」とは戦争のことではなく戦争中にたまたま発生した事故という意味に過ぎない。だから未だに韓国や中国は納得しないのだ。
 二次大戦そのものが「愚かなこと」であったり、「過ち」であったとすればその責任を十分に取ったとは言えない人たちは困る。また身内を失った人たちは身内の死が「愚かなこと」になってしまう。しかし「愚かな過ち」であったのだ。国際紛争は常に私利私欲と権力闘争の結果であったし今もそうだ。
 スターウォーズの「侵略者と戦い自由(国、民族)を守る」という単純な図式は、何時の時代も戦争の大義名分であった。「相手が悪いから自分達は自由(国、民族)を守るためにしかたなく攻撃するのだ」と言われ、若者達は胸を張って戦争に行き、同じように胸を張って戦場に来た若者達と戦い、そして死んだ。

2002年8月15日(木) 延命サービスについて(ビジネスモデル)
 この話はこのページにはふさわしくないかもしれぬ。仕事の話である。
 先月末名古屋の下水道展のT社ブースで、電気部品のプリント基板の洗浄液を出品していた。説明員の話によれば洗浄液は販売しているが洗浄サービスは商売になっていない、とのこと。ねっとりと埃がこびりついてパターンが見えないぐらいに汚れたプリント基板が、見事に新品同様になったサンプルが展示されていた。
 T社の様な大電機メーカーの仕事は少なくとも洗浄液を売ることでは無かろうと思う。しかしカタログにあった「基板の洗浄サービス」という発想では売れませんよ。基板ではなく「装置の定期メンテナンス」というサービスを売るのだ。基板だけでなく接触部など盤丸ごとクリーニングする。基板は大抵汚れが原因で壊れるのだ。だからこの洗浄サービスは信頼性向上のための定期メンテナンスとして有効である。設置から10年ぐらい経過した装置の場合、盤内配線も交換すれば物理的寿命を延命するサービスになり、移設時や改造時のタイミングに実施できる。
 別の話。基板は生産終了後は在庫が無くなれば新たに製造することは出来ない。すなわち基板の供給期限が装置の使用期限になっている。従って、廃却された基板を回収して洗浄して試験した後基板をストックすれば、リユース事業になる。
 この話をいろんな人にしてみたが、一番熱心に聞いてくれたのは下水道展の説明員のお二人。次が工事関連部門の人。マル技は無関心。汚れ仕事は大T社の仕事にあらずと思っているのかもしれない。しかし客のニーズは間違いなくあるぞ。

2002年8月12日(月) 肥満研究最前線−(日経8月11日)
 肥満による症例:全身−高血圧、高脂血症。脳−脳卒中、睡眠障害。心臓−狭心症、心筋梗塞。肝臓−脂肪肝。膵臓−糖尿病。腰−腰痛。膝−関節痛。
 肥満研究:エネルギー消費を促進する薬:各国にて研究中。食欲を抑える薬:マジンドール(スイスノバルティス社)、グレリン(国立循環器病センターで基礎研究中)。脂肪の吸収を押さえる薬:オルリスタット(スイスロシュ社。欧米では実用化。日本で臨床試験中)。太るホルモンの働きを押さえる物質(京都大学で基礎研究中)

 現代では脂肪のない体がより美的で好ましいとされている。誰もがスリムな体型をめざし、若い人の大半は既に理想の体型を獲得している。そのための粗食はたぶん飽食よりは健康的だろう。一方食品添加物や環境汚染物質などへの漠然とした不安があり、高齢化社会を背景として健康への関心が一層高まっている。そこで低カロリーで栄養バランスの良い食事や食物繊維など食物の体への働きに対する情報や、薬品、医学の情報が求められている。さらに健康器具や活性酸素、マイナスイオンなど嘘か真かカルトもマウス段階の実験もごっちゃになるが、健康に関する大量の情報が氾濫している。、多くの情報を選別したり評価するためには、豊富な科学的な知識が必要である。
 「この分野に関する知識は、彼に聞けばわかる」という、いわば人のふんどし情報?のことを「メタ知識」という。というわけで、私も何か特殊な知識を獲得して、お医者さんや薬剤師さんや看護婦さんとは良き「メタ友達」(新語)でありたい。幸いにして「メタ親戚」(新語)に恵まれているが。

 もう一つ健康に関する話題。冷え性について。
 冷え性には腹巻きがよい−土曜日のTV番組から。この話は信憑性がかなり高い。以前マイナス30度の冷凍庫内で、ヒーター付きのベストを着用すると手袋なしで作業ができるという実験を見たことがある。つまり、ボディを暖めることは血液を暖めるだけでなく手先や足先への血液の循環を促進する事になるのだ。この実験を知らなければTV番組の評価はグレーであっただろうと思う。実は以前のその実験を見たときから「冷え性には腹巻きだ」と先見的な主張をしていたのだが、飲み屋ネタには敏感な私でした。

2002年8月11日(日) 離日直前のフィリップトルシエへの船橋洋一によるインタビュー(週刊朝日7月26日)
 「いまの日本にはリーダーシップと個人としての表現力が欠けているというトルシエの日本観察はそのとおりではないか。トルシエは私に託した日本への伝言で、純一郎(小泉)的な「感動をありがとう」的なソフトな情緒ばかりが横溢する日本の現状に対する彼なりのハードなリアリティーチェックをしてくれたのだ。日本に一番必要なのは、この現実を直視するリアリズムであることを彼は言おうとしている。」

 わたしが大嫌いなトルシエのこの指摘(正確には船橋洋一の表現)は正しい。
 日本チームについて。
  「中田は日本チームのリーダーではない。」
  「日本ではかっての選手達が一種のおどけ役になってテレビでいろいろ話すことを好む。日本に必要なのはタレントではなくプロである。」
  「100%力を出してこない選手はいらない。」
  「外に飛び出して世界標準に挑戦する大志を抱く選手が必要。」
 帰国前だから言いたい放題だが、トルシエはこのような見方をしていた。これまで発言を押さえてきたということは彼が単なる感情の動物ではなかったということか。異文化体験豊富とはいえ、このフランス人のしたたかさと表現力は確かに日本人にはみられないものだ。

2002年8月5日(月)  日本人の責任感について
 今朝の日経一面「春秋」より。福澤諭吉は終生日本人に「独立自尊」ということを発し続けた。「学問のすすめ」では「独立とは自分にて自分の身を支配し、他に依りすがる心なきを言う」「人々この独立の心なくしてただ他人の力に依りすがらんとのみせば、全国の人は皆依りすがるひとのみにて」。記事は自ら身を立てよという福翁の言葉を実践すれば長期低迷を脱する道が開けるとして、お札の「顔」に残せ、という(他愛ない)話。
 「自ら考え、行動する」ということは、「自らの行動の責任をとる」ということである。他の何者にも束縛されないことは、自ら責任をとるという厳しさを前提とした「真の自由」である。ちょっと前フリが硬いので、私が好きな事例を。

 地下鉄の改札の話。ドイツは改札がない。駅の販売機で切符を買って地下鉄に乗り、降車時通路に置かれた小箱に切符を入れる。一日切符や定期もあるようで、切符を入れない人の方が多い。従って乗客が切符を買っていなくても他人にはわからない。この様子を見て、私は、「ドイツと言う国は個人が個人の責任を果たすことに信頼を置いた社会なのだ」と感心し、ますますドイツが好きになった。
 アメリカの地下鉄は、テレビで見たが改札には金属製の三本アーム式回転バーがあり、一人ずつこれを回してゲートを通過する。ときどきこの改札をかっこうよくひらりと飛び越える連中もいて、それを見ても誰も何も言わない。このシーンは映画のイメージなので実際の所はわからない。いずれにせよアメリカは個人が責任を果たす事に信頼を置いていないようだ。アメリカはたぶん改札がないとほぼ全員が料金を払わないのではないか。
 日本は改札があるがさほど厳しい改札ではない。自動改札機が閉じても軽い力であけられるし、かってはキセル天国だった。田舎では駅員がいない所も結構あって、ドイツとアメリカの中間ぐらいか。個人が個人の責任を果たす、という意味では日本人の習性というか、感覚が中間ぐらいという話である。

 この話は結構気に入っていた。しかし最近、この話の「責任を果たす動機」が、個人の理性に基づく責任感ばかりでないと思うようになった。
実は、ドイツでは時々車内検札がある。そこで無賃乗車が発覚するとたしか5000マルクと思うが、莫大な罰金を取られるのである。ドイツは単に自動改札機という投資を省いたに過ぎない。アメリカでは地下鉄の乗客である低所得者層が罰金を払えないのでこのような制度が成立しない。

 日本で自動改札が次第に高度化されて行くのは、警察が日本中の幹線道路の通過車両のナンバーを全て記録しているのと同様に気持ちが悪い。住民基本台帳ネットワークが本日から施行されるが官僚は常に国民を支配したがる。しかるに日本人はどちらかというと「支配されるのがまんざら嫌いでもない」国民であるような気がする。その理由は「個人が責任をとらない」で天気やお上のせいにする気質にあると思う。
 つまり日本人の多くは自由が好きでなく、独立したくないのだ。ポイ捨て平気ということは公徳心がない。脱税しても社会的な制裁を受けないし当人も罪の意識がない、理性どころかモラルが欠如している。ムラの因習を守るだけのアリのような民族である。

 しかし日本でもムラは公徳心の賜(たまもの)である。きれいでゴミ一つ落ちていない。ここにドイツがある。ムラというのは相互監視可能な排除されると困るような閉鎖集団である。しかしムラから排除されないために公徳心が維持されている、とは断言できない面がある。
 結局個人が個人として互いに認知されるような社会では前提として、ムラ的なゆるやかな集団が形成される必要があるのだろう。それが地域社会や同好の会や企業でも良いが、ムラ的に機能すれば個人が個人の責任を果たす動機が形成されるのではないか。

2002年8月2日(金) 天候リスク考
 天候リスクというのは雨で野球が中止になったら球場の弁当が大量に余る、というような数時間という短期的なものと、一方世界のトウモロコシの地域別作況によって商品相場が変動するというような季節的なものがある。温暖化による年次的な影響というものもある。天候リスクというものは明白に存在するので高精度の天候予測情報は高価な商品になりうる。

  天候予測は公民を問わず各機関の予測精度の評価方法が課題である。米の作柄は降雨量、日射量、平均気温に依存し日本では詳細な予測が行われている。屋外で栽培される穀物類の作柄はこれらの加工品を販売するメーカーの業績をも左右する。
 なお、穀物の自由な流通は互いに需要を補完する関係にあるから相場の極端な変動を抑制すると考えられる。しかるに消費される食物の種類が少ない地域があったとすると、その場合には価格変動リスクが大きい。ちょっと横道にそれるが食物の汚染に対するリスクも大きい。商売としてのリスクも同じ。

 短期の天候予測は雨量レーダーや観測網が必要。長期予測では衛星などの利用が必要であり、商品となる情報を提供できるのは大資本である。気象庁がカネをかけて予測精度を高めて情報開示をする必要があるか。税金を使うべきでなく、商売になる以上は民間の仕事とすべきかもしれない。

 雨量情報システムというのがあって、雨量レーダーによる雨雲と現在降雨量から、隣接地域の短期の降雨予測と流況予測が可能である。これは主として浸水被害防止のための避難勧告(命令)と雨水排水機場のポンプ設備の待機運転を目的としている。

 地震予知というのも観測に基づく数時間後の予知が可能であるとの研究が報告されている。仮に研究そのものの評価が十分に定まっていなくてもリスクの大きさが情報の価値を高めるので、予知情報は現時点においても販売可能である。例えば新幹線に乗る前にチェックしてみる、というような使われ方はあり得るだろう。
[参考] 串田嘉男のFM電波観測による予知 <http://epio.jpinfo.ne.jp/index.html>
     東海大学 電磁気学的な地震予知 <http://yochi.iord.u-tokai.ac.jp/eprcJ/index.html>
     岡山理科大学 ピエゾ効果による電界発生を動物が感知 <http://www.pisco.ous.ac.jp/>
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