各国や地域の料理                 2008.11.09更新 


スペイン          2008.9.28作成     2008.11.7追加、更新

 スペインは「山を越えると国が変わる」と言われるほどに地方毎の個性が強い国であり、食文化から見ても細かく分けようと思うときりがない。だがさるスペインの評論家は、地方ごとの最も基本的な料理を基準にしてスペイン全部の料理は4つに分けている。この分類によれば、まずカンタブリア海に面した北部全域がフランスの影響が見られるとして「サルサ(ソース)の地帯」。南部が「フリートス(揚げ物)の地帯」、東部は「アロセス(米)の地帯」、そして内陸部の大部分が「アサードの地帯」というひとつの地域としてまとめられている。

 アサードとは、焼いた肉のこと。スペインでアサードと言えば、直火かオーブンの火で炙って焼いた肉のことを意味する。しかも、肉は少なくとも大きな固まりのまま、できれば丸ごと焼く。豚、仔羊などの丸焼き、シャコやウズラなど野鳥の丸焼きなどがスペイン内陸部の代表的料理である。そのルーツは、8世紀から15世紀までのキリスト教徒とイスラム教徒の領土争いによりスペインの国土の殆どが戦場となり荒廃した。だから、中世のスペインには宮廷料理は生まれず、野営地の大きなたき火の上でぐるぐると回して焼き上げられる豚や羊や牛のアサードだったのだ。
 昔のアサードは薪の火を焚いて、その上でアサドールと呼ばれる肉炙り器で肉をぐるぐるまわしながら焼いた。その後薪を使ったオルノ(オーブン)が登場し、それからさらにガスや電気のオルノが登場したが、アサードだけは昔ながらの薪のオルノが好まれる。薪の香りでいちだんと風味豊かに焼き上げることができるからである。今日でもアサードを売り物にするレストランでは「オルノ・デ・レーニャ(薪のオーブン)あります」というのが一番の宣伝文句である。
 スペインでアサードに好まれる肉とは仔羊、仔山羊、仔豚など。若くて柔らかい肉ほど美もとされ、最高とされるのは生後間もない乳飲み子(レチャッソ)。仔羊の場合はまだ草を食べない生後六週間ぐらいまでがもっとも好まれる。しかし仔羊はまだ草を食べていなくても母羊は草を食べ、その草の味が乳の味に影響し、ひいては仔羊の肉の味を左右する。あるいは草を食べ始めた仔羊ならもちろん優れた牧草地帯のものほど味がいいし香りもいい。最高の肉を探すには、土地の質、草の種類、羊の種類、飼っている環境など色々な条件がそろわなくてはならず、そしてスペイン人が言う最上質の仔羊の産地は旧カステーリャ地方なのだ。

 スペインの北西部ガリシア地方というのは、スペインらしからぬ地方であり、言語はポルトガル語に似たガリシア語であり、スコットランドのバグパイプをガイータと呼んで、フォークダンスを踊る。この地方の名物がエンパナーダである。本来の役割はタパス(おつまみ)であったようだ。エンパナーダという名前はエンパナール、つまりパンで包むという意味のの言葉に由来し、伝統的なエンパナーダは、分厚いパン生地に様々な具をはさんでオーブンで焼いたものである。これは中世のガリシアにおいてすでに人々の生活に密着した存在であったらしい。また、バリエーションはたくさんあり、皮の部分は小麦のパン生地が主流だが、トウモロコシ粉で作ったパン生地もあり、イーストを使うものも使わないものもあり、硬いものもやわらかいものもある。中身は肉、魚、貝ありとあらゆるものが具として使われる。

 ペルディス(うずら)のアルカンターラ風というのは、フランスでむしろ有名な料理だ。アルカンターラとはポルトガルとの国境地帯のエストゥレマドゥーラ地方の小さな村の名前である。エストゥレマドゥーラは昔から修道院がたくさんあって、修道院の料理が発達していた。ナポレオンの軍勢がおし寄せてきて、アルカンタラの町に駐屯したジュノー将軍が、この料理のレセタを見つけてパリの奥さんに送り、パリで流行したために「アルカンタラ風」と言われるようになった。この説には異を唱える人もいるとのこと。
 この辺りは樫のドングリを食べて育つイベリコ豚の産地でもある。イベリコ種というのはスペイン独特の豚の品種であるが、この豚で作る生ハム(ハモン・イベリコ」は生ハムの最高峰であるからである。この豚の肉を熟成させて作るハムは「ハモン・イベリコ・デ・ベジョータ」と呼べれ芸術品のようなハムである。

 スペイン料理にオリーブオイルは欠かせない。アサード(焼いた料理)にせよ、ギソ(煮込み料理)にせよ、必ずオリーブ油を使う。フリトゥーラス(揚げ物)にはいうまでもなくたっぷりの油が必要である。中央部カステーリャ地方のごく庶民的な料理であるソパ・デ・アホ(にんにくのスープ)の作り方はニンニクをたっぷりのオリーブ油の中でこんがりと熱するところから始まる。トルティージャ(ジャガイモのオムレツ)は薄く切ったジャガイモをオリーブオイルの中で煮ることからはじまる。この低温の油の中でゆっくりと素材を加熱するソフレイールという調理法はスペイン独自のものである。
 オリーブ油とはスペイン料理においては調味料なのである。スペインの家庭に毎日のように登場するエンサラダ(サラダ)では、レタス、トマト、タマネギというなんでもないごくありきたりの素材を盛り合わせた大皿に調味していく。塩、白ワインビネガー、香りの良いオリーブ油だけで薫り高いサラダができあがる。「塩は几帳面な人に、酢はけちな人に。油は気前のいい人にかけさせる」これは言い換えると、「塩はきっちり適量を、酢は控えめに、油はたっぷり」という意味である。アンダルシア地方は良いオリーブの産地である。

 バスクは美食の地である。ビスケー湾沿いでも最も東寄りのフランスに隣接するバスク地方沿岸部は、良質の魚介類の宝庫であり、スコットランド海域で漁をしてきたタラ漁船もバスクの港で荷揚げし、最高の品質の干しダラ(バカラオ)が作られる。内陸の沃野では質のいい野菜がとれ、牧草地帯で育った牛や豚の質も良い。
 スペインではつい最近まで優れた料理人といえばバスク出身と相場が決まっていた。バスク人の勤勉でガマン強い気質は料理人に適しているのかも知れない。またバスクの人はスペインでも随一の食いしん坊として名を馳せてきた。「チョコ」という伝統があり、料理好きの男性が集まって自分たちで料理を作って楽しむという同好会のようなものなのである。
 タパスというのはおつまみ全般を指す言葉であるが、地方毎に特色がある。アンダルシア地方ならシェリー酒にハブーゴ産の生ハム。ガリシアではリベイロの白ワインにタコのパプリカ風味、というようにタパスとワインは一体となって歴然とした食の文化圏を形作っているのだ。バスクはこのタパスを芸術の域にまで高めた地方であり、サンセバスチャン一帯ではピンチョスという楊枝で突き刺したこの地方独特のおつまみであるのだが、これをより洗練され凝ったものにし、新しいタパス文化が生まれるにいたった。

 以上は、渡辺万里「修道院のウズラ料理」現代書館による。この本は食べ物紀行にもかかわらず、味の表現がほとんど無く、味のこと以外にも主観的な表現が少ないのが、むしろ想像力をかき立てられる。料理以外の情報がさほど多いわけではないのだが、風土や歴史にも興味を抱かせられる。読者は、本書に何度も登場する料理や地名などのスペイン語を、読むほどに覚え、彼の地への親近感を抱き、また彼の地に誘われる。
 スペイン料理といえばパエリアぐらいしか知らなかっのだが、これはスペイン東部のレバンテ地方(バレンシア)の料理にすぎない。我が家の冷蔵庫に欠かさない生ハムは、カステーリャ地方の産とのことだ。



アフリカ         2008.11.08作成

(マサイの朝食) マサイは朝、牛の群れの中から健康な若い牛を1頭引き出してくる。一人が牛の角を抱え一人が胴。一人がしっぽをつかむ。もう一人が革ひもで牛の首を軽く縛る。のどのたるんだ皮膚に静脈が浮かび出る。それを弓で射て傷を付ける。突き刺さってしまわないよう射手の手加減は慎重だ。矢が跳ね返り傷口からとろとろと血が流れ出る。その血を皮で作った水筒に受ける。次に採った血を勢いよくかき回す。棒の先に血の繊維素がこびりつく。十分ほどかき回すと血は固まらなくなる。それにほぼ倍の量の牛の乳をまぜる。血のにおいは全くせず、乳のにおいのほうが強い。マサイは野菜や穀物などはいっさい口にしない。土から育つものは不浄だとする考えがあるのだ。食べるのは肉、乳、血だけである。それでも壊血病のようなビタミン欠乏症にならないのは、牛が作ったビタミンを生き血から摂取しているためらしい。

(インパラ) ケニヤでは野生動物の狩猟が一切禁止されているが、養殖飼育の場合は除外される。ナイロビ郊外には大がかりな野生動物の養殖牧場があり、シマウマやトムソンガゼル、インパラ、ヌーなどを育てており、肉は観光客相手のレストランに卸され、ステーキや串焼きになって出てくる。インパラのまだ暖かいフィレブロックが手に入った時、刺身で食べたいと思った。野生動物の寄生虫はふつう胃腸や肝臓にいる。肉にはいないはずだが、解体するときに内臓をいじった手で肉に触っているかも知れないので肉の表面には気をつけた方がよい。包丁をその都度洗って、ブロックの表面を1センチ厚にそぎ捨て、インパラを生姜じょうゆで食べた。上等のヤギ刺しの味だった。かなりの野生動物を刺身で食べたが、うまかったのはインパラとトムソンガゼルだ。キリンの刺身の肉は硬くぱさぱさでインパラにはとても及ばない。ケニアの大衆はふだん肉など口にできない。そのため食肉目当ての密漁が後を絶たない。密猟者はキリンやカバ、ヌーなどの大型動物をねらう。旧式の単発銃を使い、一回に一頭だけのつましい密漁である。象やサイの密漁は牙や角が目当ての組織的な大規模密漁だ。自動小銃を使いあるだけの弾丸を撃ち込んで失血死させ、牙や角だけ切り取って逃げる。バズーカを使うグループもある。生きるための食肉密漁でも捕まれば商業密漁と同罪である。

(ウガリ) 日本人の米の飯にあたるのが東アフリカではウガリである。トウモロコシの粉を熱湯でこねて団子程度の柔らかさに練り固め、それをちぎって煮込み汁に漬けてたべる。原料は白トウモロコシで味はほとんど無い。我々が焼いて食べるトウモロコシはスイートコーンと呼ばれる黄色の種類で、アフリカでは好まれない。甘みが強すぎて主食には向かないためだ。黄色トウモロコシの粉がイエローメイズで、家畜の餌にしてしまう。ウガリの副食となる煮込みは肉とタマネギをいため、それをトマトで煮込んだものだ。味付けは塩で、トウガラシを適当に加える。肉の脂と塩味、トマトの酸っぱさ、ぴりっとくる辛さがアフリカの気候とよく合う。トウモロコシができない地域ではウガリのかわりにヤムイモ、キャッサバ、ヒエなどを食べる。粉にして熱湯でこね、団子程度に練り固め煮込みに漬けて食べるという食べ方はウガリと同じだ。材料が違ってもこの調理法はアフリカ全土で共通している。ナイロビあたりで煮込みに入れる肉はふつうヤギ肉だ。ヤギ肉が買えないときはヤギの臓物である。1キロ百円ぐらいだ。臓物を買う金もないときはスクマウィキという「一週間がんばり抜く」という意味の名前の、野菜だけの煮込みとなる。

(サモサ) 東アフリカではどこでもサモサが食べられる。挽肉とタマネギなどの野菜を小麦粉の薄皮で三角に包み、ぱりっと揚げたものだ。サムサとかサンプーサと呼んでいる地方もあるが同じものだ。カレー味であっさりしていて日本人好みである。ひとつ二十円ぐらいで、三、四個も食べればお腹いっぱいになる。元々はインド南部の大衆的な食べ物だ。昔ケニアやウガンダなどの東アフリカ一帯は英国が植民地支配していた。英国はモンパサから内陸に鉄道を建設しようとした。しかし賃労働に慣れていないアフリカ人は指示された仕事をこなすことができず、同じ英国領だったインドから大勢の賃金労働者を連れてきた。そのインド人がサモサとともに住み着いたのである。サモサは南アやジンバブエにもある。旧英領でサトウキビ労働者として連れてこられたからだ。彼らの子孫は南アで百万人のインド系人社会を構成してアパルトヘイト解消に大きな影響を与えた。ケニアのインド系人社会は南アほど大きくないがそれでも八万人いる。彼らは活発で結束が固くお互いに助けあう。約束や納期をきちんと守る。まじめに努力し小さな商売からこつこつたたき上げる。しかし彼らはアフリカ人大衆から好かれていない。零細企業主や外資系企業の支配人としてアフリカ人労働者に直接接し、労務管理を死首を切るのは彼らだからだ。;小金をためているとも思われている。

(インジェラ) エチオピアはほかのブラックアフリカ諸国とはずいぶん違う文化がある。まず独自の文字がある。左から右に書くのでアラビア文字とも系統が違う。全く自前の文化なのである。ほかのアフリカの民族はついに文字を持たなかった。スワヒリ後など独自の言語を公用語にしている国でも、表記するときには旧宗主国から借りてきたアルファベットを使っている。音楽も独特だ。極めつきが食。インジェラである。テフという蕎麦に似た穀物の粉を練って大きな盆の上に延ばし、そのまま発酵させる。酸っぱいにおいのする複雑な味の薄いパンができる。これが主食のインジェラだ。その上に香辛料を入れてとろとろに煮込んだ肉汁をのせ、味がしみこんだところからちぎって食べるのである。煮込みはワットと呼ばれ、牛肉、羊肉、採り、卵など様々な種類がある。どれも香辛料が真っ赤になるほどたっぷり入っており、貧血を起こしそうなぐらい辛い。その辛さと酸っぱさ、肉の脂分が渾然一体となって何ともいえないうまさがあり病みつきになってしまう。アフリカでは最も洗練された食べ物だ。テフという穀物は延びても50センチぐらいの小さい植物で、穀粒の大きさは米の十分の一もない。従って面積あたりの収量も米の十分の一以下だ。脱穀するときはムシロに広げて牛に踏ませるのだが、小さくて軽いから風で粒毎飛んでいってしまう。何とも効率の悪い穀物なのである。しかしエチオピア人はインジェラを食べないと満足できない。トウモロコシ粉や小麦粉ではあの酸っぱさが出てこないのだ。そのためやせた農地でテフだけを作り続けた。生産性の低い主食穀物に頼っていたから干ばつで一気に飢餓におちいったとの見方さえある。

(アリ) サバンナでアリ塚をよく見かける。高さ2メートル程度のものはざらだ。アフリカの羽アリはかなり大きい。体長2センチ。羽を伸ばすと5センチほどもあり、おしりはぼってりとふくらんでいる。ナイロビ周辺では雨上がりの夜に大量に発生し、光りをめがけて集まってくる。その羽アリが食べられることを地元の青年から教わった。試しに羽をもいで食べてみると蜂の子のようなコクがあり口の中にほのかな甘みが広がった。これから繁殖をはじめ大家族を作る直前の昆虫である。蜂の子同様体の中には栄養分が一杯つまっているのだ。うまくない筈がない。それから雨の夜は窓をすべて開け放し、家族総動員で捕虫網を振り回すと一時間で小さなビニール袋に一杯くらいの収穫はある。羽をもぎフライパンで砂糖と醤油でさっと軽く炒めるとハチの子同様の香ばしい風味が出てくる。それを瓶に詰め冷蔵庫に保存しておく。タンザニアの飢餓が深刻だった時、救援団体の持ち込んだ援助食料が不足だった。彼らは大規模な羽アリとりをし、いためた羽アリをイモの葉に包んで子供達に配っていた。羽アリには50%のタンパク質、40%の良質脂肪のほかミネラルなどが含まれていて最高の栄養食品だという。

(サルを食べる話) 食文化というものは暑さ寒さや雨の量、地形、風土、その他もろもろの影響で長年かかってその地域で形成されてきたものだ。土地が狭くて冬が寒いため、犬を食べなければ生きていけなかった地域もある。それを別の食べ物で十分に生きていける地域の人々が、自分の基準だけで判断してはいけない。

(フーフー) ガーナの首都アクラの屋台飯屋で出てきたのがフーフーだ。やや黄色みを帯びていて絹のようにきめが細かく、光沢のある持ちだ。こしが強くて歯ごたえが良く、ほのかに甘みがある。そのつきたてのほやほやを涙が出るほど辛い煮込み汁につけて食べるのである。客はみんなフーフーいって食べている。だからフーフーというんです、と案内のガーナ人の青年が笑いもせずに言った。材料はバナナとキャッサバ粉である。店の裏手に木臼と杵があった。筋肉隆々の力自慢が上半身灘蟹なりドカドカおすごい勢いでつきまくる。それでも粘りが出てくるまで15分はついていなければならない。ブラックアフリカでは食文化が発達していない。手の込んだ食べ物、洗練競れた食べ物が無いのだ。地方独特の名物もない。そんなアフリカでフーフーは最高のうまさだった。フーフー文化があるのは西アフリカでもガーナ、ニジェール、マリ、ナイジェリアの一帯だけだ。そこになぜ食文化が発達したのだろう。王国があったからですよ、と青年がいった。千年前一帯は南北交易の中心地として栄えた。北のアラブ地域から塩や馬、穀物が。南の熱帯雨林地域からは金や奴隷、象牙が運び込まれ取引された。富が蓄積され権力が生まれた。十世紀頃ガーナ王国が誕生し、続いてマリ王国、ソンガイ帝国が建設された。そう言えばインジェラのあるエチオピアにも王国の歴史があった。アフリカ人による王国はそれ以上に発展することはなく、銃を持った西欧列強の進出の前に崩壊し消滅してしまうのである。

(バオバブ) バオバブは実をつける。長さ20〜40センチの長円形で、硬い殻に覆われている。アフリカの飢餓が最悪の頃、モザンビークの農村地帯の人々は、バオバブに頼って生き延びた。ジンバブエの難民キャンプで隣国モザンビークから逃れてきた人々の中に、前夜キャンプに着いたばかりという農民(51)がいた。「主食はトウモロコシだった。雨期の直前に種をまいたが、雨が降らずに立ち枯れてしまった。国境を越えてジンバブエで山羊を売りトウモロコシ粉を買って食いつないだが、十頭いた山羊は四ヶ月で売り尽くし、その後は売るものがなくなった。」 その後はウベレレの穂をもいで食べた。ウベレレというのはススキに似た背の低い雑草だ。しかし村人みんながとったので、ウベレレはすぐなくなってしまった。川が干上がって魚もとれない。野ねずみを捕まえ皮をはいで干し、肉をスープに入れて食べた。野ねずみは針金のワナで捕まえた。はじめは1週間で5匹ぐらいとれたのが、そのうち一匹もとれなくなった。 「バオバブの葉を食べた。干して粉にし、茹でて食べた。渋みが強かった。」 それからバオバブの種を食べた。「種を砕いて干し、それを粉にして食べた。1ヶ月で周辺のバオバブの実はすっかりなくなった。」 バオバブの実が無くなってから1ヶ月後、妻が弱ってきたためジンバブエに逃れることにした。何も食べずに五日間歩いた。妻は三日前途中の山道で歩けなくなり、「必ず迎えにくるから」と無人の小屋においてきた。キャンプにたどり着いて、トウモロコシ粉の主食と、肉の煮込みを食べさせてもらった。ふだんならごくありふれた食事だが、彼は食べながら涙が出てとまらなかったという。「妻を迎えに行くために、余分な食料をわけてほしいと頼んでいる。しかしいまも生きているかどうか・・」

(豚) イスラム教で「酒、豚肉、ウロコのない魚介類」はタブーだ。中でも豚肉は邪悪視されている。酒をのみエビやイカも平気で口にするイスラム教徒の知人は豚肉は食べないという。豚を食べないのはユダヤ人も同じだが、「反芻しない動物は食べられない」と聞いて、合点がいった。牛、羊、山羊、らくだなどの反芻をする動物は草や葉を食べて肉になる。人間は草を食べないから牛や羊と人間が食物を巡って競合することはない。しかし反芻できない豚は草を食べることができなず穀物を食べる。つまり人間と競合する。イスラム教やユダヤ教が生まれた土地は農耕には不向きな半砂漠の荒れ地だ。せっかく作った穀物を豚に取られてはたまらない。豚肉は牛肉や羊肉に比べて臭みが無く柔らかくてうまい。金持ちや権力者は庶民から穀物を奪ってでも豚を育てようとするかもしれない。それを防ぐために「豚を食べてはいけない」と諭したのではないか。他人から不合理に見えても、その土地の食習慣にはそれなりの理由があるのだ。

(ラクダ) カイロのラクダ市は荷役用の市と食肉用の市とに別れている。食肉用は若い7〜9歳のラクダが中心で、一日に千頭近くが取引されるという。市場の回りには板張り長屋の小さな肉屋がずらりとならぶ。ラクダの肉は一番上等の部分でも1キロ百円ちょっとだ。見た感じでは牛肉と変わらず赤身できれいに脂が入っている。サーロインでラクダステーキを作ったが、強烈な脂くささでとても食べられない。脂を抜くには煮込んでシチューにするしかない。角切りにしてなべで似始めると脂分がどんどん浮いてきて、いくらアクをすくってもきりがない。あきらめてカレーにした。スパイスをたくさん入れて脂くささをごまかしてなんとか食べた。ラクダが草の乏しい砂漠を旅できるのは背中の昆布に蓄えた脂肪をエネルギーに変えられるからだ。エネルギー源となるその脂肪がこぶ以外の肉組織にもたっぷり蓄えられているということは、料理してみて初めて知った。人々は買ったラクダを裂いて干しておく。それでかなり脂が抜けるのだという。料理するときは干し肉を大量の野菜と一緒に煮込み、野菜に脂分を吸わせる。アパートの門番の老人は「悔いたくなる肉じゃない。羊肉が買える余裕があれば羊肉を食う」といった。

 「アフリカを食べる」松本仁一朝日文庫より。アフリカ駐在の朝日の記者が十五年ほども前に書いた本だ。朝日の夕刊関東版に掲載されたらしいが、私は当時読んだ記憶がない。
 政権や経済は変わっても、人々の生活は急激には変わらない。新聞のニュースやアフリカ観光の番組は数多く見たが、この本でアフリカのことが少しわかった気がした。


END
更新履歴 
2008.11.08 更新 「アフリカ」を追加
2008.11.07 更新 「スペイン」を追加。
2008.9.28 作成 「スペイン」をアップ

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