とあるはれた日、一組のカップルが仲良く注文した品を持ちテーブルへとつく。 その時に鳴る彼女の携帯電話。 「ごめんね・・・先食べてて、ごめんね」 彼女は右手を顔の前に垂直にたてて「ごめんねポーズ」(^人^)をとりながらも近くの扉から外へと飛び出して行く。 彼氏の方は「ぷーっ」とふくれ顔。 律儀にも食べようとはせず彼女を待っているのだが、とうの彼女の方は楽しそうに話を続け、彼氏と視線が合うと「ごめんねポーズ」(^人^)をとる。 が、話を終わらせる様子もなく時間はゆっくりと過ぎて行く。 しばらくして、 「ごめんね、ホントにごめんね」 と「ごめんねポーズ」(^人^)をとりテーブルへと戻ってくる彼女。 彼氏は視線をあわせる事もなくムッとした表情のまま固まっていたのだが・・・。 「ごめんね」 突然笑いながら「ごめんねポーズ」(^人^)をした彼氏。 見れば彼女の注文した品物が一つ無くなっていた。 かなり前に放映されていた某ハンバーガーショップマ×ドナ×ドの宣伝。 ご覧になった方もいるかもしれないが「うちの品物はランチに最適ですよ」とか「待っていられないほど美味しいですよ」などなど、いろいろなメッセージが受け取れるのだろうが私がこの宣伝を見た瞬間に頭の中に浮んできた言葉はたった一言、 「ぶん殴ったろかい、この女!!」 である。 さて、今ではほとんどの人の生活の一部分となってしまっている携帯電話。 恋人や両親、新聞、テレビなどは無くなってもいいけれど携帯電話だけは離せられないという人も多い。 別にそれは個人の自由だし別に携帯電話という代物が悪いわけでもない、実際に携帯電話は便利だしそれがあったおかげで事件が解決したケースもある。 が、よ〜く考えてほしい、 「本当に今出なくちゃならないほど重要な内容なの?」 という事を。 宣伝を例にしてみれば、人生平均年令が80歳だとした時に、大切だと感じている恋人といられる時間ははたしてどれくらいあるのでしょう? 「ちょっと待ってて」 の一言での別れが一生の別れになってしまったら? 結果的にはその恋人と人生を共にしている状態の人もいるだろうけど、それは今まで何も起こらなかっただけの事であって、すべての人にソレがあてはまるわけではない。 かかってきた電話に対して出る・出ないの決定権は所有者にあるけれど、留守番電話機能やサイレント機能があるのになぜそれを使わないのでしょう? 自分にとっては友達であっても一緒にいる相手には他人、目の前にいる人をその場に待たせて電話で話を始めたら相手に嫌な雰囲気を与えないだろうか? また、自分が思わないだろうか? 「私よりもそっちの方が大切なんだ・・・」 と。 間違えてほしくないのは、すべての電話を無視しろというのではなく、自分の置かれた状況に応じて出る電話を選ぶという事。 両親のどちらかが事故にあった・亡くなった、あるいは恋人に何かが起きたという電話ならば最優先事項、問答無用で出なければならない電話だ。 しかし、今では誰から電話がかかってきたかが当然のように分かるのである、選んで出る事は簡単。 また、選んで出た相手がたまたまどうでもいい話しかしなかった時は断ればいい。 「今、××と一緒だから、後でかけなおすね」 友達や両親、恋人ならば分かってくれるのだから。 それで腹をたてたり文句をいってくる相手だったら縁を切ってしまえばいい。 そんなちっぽけな人間、今後つき合ったってろくな事はない。 友達と楽しく過ごしている時、恋人との素敵な時間を過ごしている時、家族とのだんらんを過ごしている時、見ず知らずの人や自分にとって全く興味のない電話に出てこう感じた人がいるはず。 「むかつくなぁ・・・せっかく×××していたのにぃ」 そして、近くに人が居た場合大抵その事に関して愚痴るのである。(笑) その時に留守番電話機能を使用していたら? 恋人から告白を受けていたかもしれないし、子供や両親との絆が深まっていたかもしれないし、友達との会話はもっと楽しくなっていたかもしれない。 たまたまマク××ルドの宣伝を例にしたけれど、これはいろいろところで目にする行動である。 オフィス、喫茶店、映画館、道路、お店、電車、車・・・・・・。 携帯電話に出た事によって周りに与えるストレスはかなり大きい。 ほんの少し考えてみて下さい。 大切な人といる時間ぐらい無視する事ができないでしょうか? 電話で自分の生活を左右される事に対して疑問を感じないでしょうか? それと一つ重要な事を・・・。 出る電話を選ぶ行動をする事によって、目の前にいる相手がこんな事をいってくれるのです。 「電話にでなよ、遠慮しなくていいからさ」 って。 |