最近、ニュースなどでよく使われるようになってきた言葉・・・「平等」。 試しに家の中にある辞書という辞書を片っ端から調べてみると、だいたい次のような言葉が書かれている。 ・すべてひとしいこと。差別のないこと。 ・差別がなく等しい。 ・人間が政治的、経済的、社会的に差別されないこと。 まとめれば「お互いに全く同じで違いがない」ということになりますね。 さて・・・最近この平等を使った代表的な言葉が「男女平等」。 女性は昔から社会的立場や経済的地位や収入など、様々な部分で男性よりも差別されてきたのは誰もが知っている歴史。 しかも、同じ仕事を同じ分だけ働いても「女性」という性別が理由だけで立場を低くされていました。 そんな不等な差別に我慢できなくなった女性達が立ち上がり、ようやっとできあがった法律が「男女雇用均等法」。 今では政界をはじめとして一部分ではあるけれども、様々な場所でいきいきと働く女性の姿を見かけるようになったのですが・・・どうもこの「男女平等」は最近いい加減な言葉となりはじめているようです。 「上司であるあなたは、女性というだけで私を差別している んですね?」 どこかのオフィスから聞こえてきそうな言葉です。 オフィスにおいて「男女平等」をかかげ会社側に賃金や待遇の改善を求める女性社員の活動をときどき見かけます。 が、よーく見てください・・・そうやって勝ち得た「平等」の中身は差別だらけだということを。 「どーして? 女性という理由だけで差別されることがなくなったし、男性社員とも対等に話し合えるようになったから仕事量も増えたし、会社も喜んでいるわよ?」 という女性がいたら、その人は目先の欲望だけで「男女平等」を説いていた人ですね? 最初にも書いたように「平等」とは差別のないこと。 ならばなぜ、男性がとることのできない「生理休暇」や「育児休暇」をとる女性がいるのでしょう? また、古いオフィスにありがちな「化粧室に鏡がない」という意見もなぜ女性側にだけ設置されるのでしょう? 「そんなの決まってるじゃない、身体の構造が違うんだから! 男なんて子供作ったらはい終りでしょ? 女性はさらに自分の身を削ってお腹の中の赤ちゃんを育てていかなくちゃいけないんだから」 確かにその意見はごもっとも、その通りですよ・・・でも、それではあなたが非難していた男女差別になりませんか? 仮に育児休暇を例えにしてみれば男性にも与えることによって女性側は夫にいろいろと育児の仕方について教えることができるのではないですか? 週二回の休みだったら「たまの休みなんだから・・・」と男性側に逃げられてしまう事もあるのでしょうけれども、これが「育児休暇」として休んでいたら・・・。 そう、男性側は逃げられませんね、なんと言ったって「育児のために休暇をとっている」のですから。 ましてや会社側から保証されているのですから、金銭面に関しても問題はありません。 へりくつと言われるかもしれませんが、本当に「男女平等」を実行するのならばなぜ女性側は今まで持っていた待遇を捨てないのでしょう? また、なぜ男性側にそれと同じだけの待遇が与えられないのでしょう? 女性サービスデー、女性だけの特典などといった待遇はあちこちにあります。 インターネットも例にもれず、女性専用のサービスがあちこちで見かけられるように・・・。 ただ、これらの待遇は決して女性側から行っただけのものではないという事実もあります。 そう、女性のリピート率や宣伝効果を利用して「男性側から意図的に行われている」ものもあれば、たんに女性から好かれるように、女性に好意を持ってもらえるようにといった「単なる下心」も・・・。 女性はそれらのサービスを望んでもいるし喜んで受けてもいますが、未だかつて「それって男女差別じゃないの?」と店員やサービスを行っている人に対して文句を言ったり裁判を起こしたりする人を見たことがありません。 給料や地位の差別はしてほしくないっ、でも女性だけのサービスは受けるというのは立派な「不平等」じゃありませんか? きっと全ての女性がそう感じていることでしょう・・・いや、言わなくってもきっとそうです。 私だってそんな待遇は大喜びですから。(笑) 本当に男女間の平等を求めている人が戦っているのならば、私個人のくだらない意見である以上のようなこともちゃんと実行してほしいと思います。 また、男性側も今まで暗黙の了解だった男女間の不等な差別を取り除いて共に同じ環境で仕事ができるようにした方が良いと思います。 よく年配者の「女の下で働けるか」とか「女に指示されるなんて屈辱以外の何ものでもない」などどとバカげたことをいう人がいますが・・・女性だって同じだし、勤続年数だけで地位を上げた無能な人の下で働くのは性別など関係なく誰だってイヤです。 いつだったか詳しい時間は忘れてしまいましたが、現在の女性大坂府知事が大騒ぎしたことがありました。 大相撲の優勝杯授与の時に本来ならばその都道府県知事から直接手渡されるはずの優勝杯が、大相撲協会の「土俵は神聖な場所であり、女性は何人たりとも入ることは許されない」という一言で、その女性府知事が「不等な男女差別」と言い出したのがきっかけでした。 第三者的立場でしか見れない私も当時さまざまなニュース番組を通じてこの騒動を見聞きしましたが、「単なる一個人としての欲望」という結論にしか考えられませんでした。 大相撲協会の中に「知事杯は大相撲の開催された都道府県知事の手によって絶対に手渡されなければならない」なんて決まりはないんですから。 優勝力士に花束を届けようとしたまだ幼い娘でさえ、さまざまなVIPでさえ出来ないことをなぜたんなる1人の府知事にできましょう? 「今は伝統だってどんどん形を変えてきているんだから・・・」といった意見もありましたが、それは単にそうしなければならない基盤の小さな場所での出来事であっただけ。 私は女性だからといって意味のない差別をすること自体ナンセンスだと思うし、特別男性が偉いと思ってもいません。 けれど、同じく扱うのならその待遇は本当にどちらにも同じようにするモノだと思っています。 そう、最初にも書いたように社会的、経済的、政治的全てにおいて・・・。 女性側にもそう望んでいる人はいるのでしょうけれども、どうしても最近の報道に取り上げられている「男女平等」は女性側の不平等の望みという感じにとれる部分が多いです。 そう言う人達は ↓ 「男女雇用法」 ↓ 「経済的男女平等」 などといった言葉を使って主張をしてほしいです。 それならば勝利した時に誰も文句をいう人などいないでしょう。 きちんと言葉に適した平等を勝ち得たのですから。 |