「スポーツ平和党」で参議院選挙当選

 かつてアントン・ハイセル(別掲)を手がけていたときに、農業リサイクルシステムを「いつか自分で政界に打って出て、国政レベルのプロジェクトにしてみたい」と思ったという。
 そしてソ連から初のプロレスラーを誕生させるべく、ソ連を訪問し、交渉を重ねていた頃に「天の声を聞いた」として出馬を決めた。準備期間不足、資金不足を理由に反対もあったが、猪木の意志は堅かった。
 党名に関しては様々な案が出た。「猪木党」(人名は使用禁止)、「闘魂党」などである。最終的には”スポーツを通じて世界に平和を”という猪木の意志が尊重されて「スポーツ平和党」となった。
 「消費税に延髄切り」「国会に卍固め」をキャッチフレーズに、素人集団の選挙戦がスタートした。まだ「1、2、3、ダァーッ!」も「ビンタ・パフォーマンス」もなかった頃で、「百万人握手の運動」を展開した。有名人やレスラーも応援に駆けつけ、特に猪木に付ききりで同行した馳浩は、このときに大きな影響を受け、後に自らも国会議員の道を選ぶことになる。
 結果は993,789票を獲得し、見事に当選を果たした。翌日開票で、夕方5時過ぎまで決まらず、最下位ながら滑り込みセーフというのも猪木らしい。
 私はこの日、仕事など手につかず、喫茶店に入り浸ってテレビばかり見ていた。