猪木の生い立ち

 ブラジルから猪木を連れ帰った力道山が、日系ブラジル人2世として売り出したものの、実は猪木は純粋な日本人である。
 猪木が生まれた年は太平洋戦争のまっただ中で、日本は最も苦しい時代だったが、事業を手広くやっていた猪木家は比較的裕福であった。
 小学校に入学したときは身長は前の方だった。大きくなってきたのは小学校3年くらいからで、5年のときには全校で1番大きかったという。その頃は温厚な性格で動作が緩慢だったことから、寛至の名にちなんで、兄たちからはドンカンと呼ばれていた。
 小学校6年の頃、三男・相良寿一氏(祖父の姓を名乗る)の手ほどきで空手を習ったが、まだこの頃の猪木は格闘技に興味を示していなかった。
 中学1年のとき、猪木の身長は180センチあったため、誘われてバスケット部に入部する。しかし、入部間もなく上級生のしごきに反発し、大喧嘩の末、退部した。
 その後、猪木は、四男・快守氏のすすめで陸上部に入部する。走るよりも砲丸投げに興味を持ち、中学2年のときには横浜市の中学陸上大会に砲丸投げで優勝した。
 戦時下にしては、比較的平穏な日々を送っていた猪木だが、この後、激動の時代に身を投じることになる。

○猪木家・家系図                    
         先妻                 
         |                  
         |ーーーーーーーーー長男 健郎    
         |        |         
         |         -次男 康郎    
         父 猪木佐次郎            
         |                  
祖父 相良寿郎  |ーーーーーーーーー長女 千恵子   
|        |        |         
|−ーーーーーーー母 文子      -次女 久江    
|                 |         
祖母 久               -三男 (相良)寿一
                  |         
                   -三女 京     
                  |         
                   -四男 快守    
                  |         
                   -五男 宏育    
                  |         
                   -六男 寛至    
                  |         
                   -四女 佳子    
                  |         
                   -七男 啓介