タッグ・マッチ編

1967年(昭和42年) 1月18日 台東体育館 NWA世界タッグ選手権
アントニオ猪木 2−1 ジョニー・バレンタイン
ヒロ・マツダ      エディ・グラハム   
1.猪木(17分13秒 体固め)バレンタイン
2.グラハム(7分38秒 回転エビ固め)マツダ
3.マツダ(8分10秒 体固め)グラハム

 猪木は米国武者修行時代にNWA世界タッグ王座を奪取した。猪木の帰国に際して返上されたが、東京プロレスとの合同興行として行われた国際プロレスの旗揚げシリーズで、マツダとのタッグが復活し、NWA世界タッグ王者チームを名乗った。
 猪木のアントニオ・ドライバーとマツダの逆さ押さえ込みで王座を防衛した。


1967年(昭和42年) 5月26日 札幌中島スポーツセンター アジアタッグ王座決定戦
アントニオ猪木 2−0 アイク・アーキンス    
吉村道明        ワルドー・フォン・エリック
1.日本組(5分50秒 反則)外人組
2.吉村(8分28秒 体固め)アーキンス

 東京プロレス崩壊後、猪木は日本プロレスに「第9回ワールド・リーグ戦」の途中から復帰。次期「アイアン・クロー・シリーズ」では早くも王座挑戦の機会を得た。吉村のパートナー大木が韓国で交通事故を起こしたためにアジアタッグ王座を返上。猪木がパートナーとなって王座決定戦に挑んだ。
 1本目は外人組が反則暴走。2本目は吉村がアーキンスの攻撃をリバーススープレックスで返して勝利した。


1967年(昭和42年)10月31日 大阪府立体育会館 インターナショナル・タッグ選手権
アントニオ猪木  2−1 ビル・ワット   
ジャイアント馬場     ターザン・テイラー
1.日本組(14分8秒 反則)外人組
2.タイラー(3分34秒 体固め)馬場
3.馬場(4分38秒 体固め)ワット

 馬場、吉村組が保持した日本プロレス最高峰のタッグ王座、インタータッグが、ワット、タイラー組に奪取された。海外流出の危機に際して猪木が起用された。BI砲としては19戦目でここまで無敗だった。
 猪木がタイラーを牽制する間に馬場が16文キックで3本目を取った。猪木は吉村、大木を抜き、日プロのナンバー2の座を不動のものとし、BI砲による黄金時代の幕開けとなった。


1969年(昭和44年) 2月11日 秋田県立体育館 インターナショナル・タッグ選手権
アントニオ猪木  2−1 ウイルパー・スナイダー
ジャイアント馬場     ダニ・ホッジ     
1.スナイダー(21分32秒 体固め)猪木
2.猪木(3分25秒 リングアウト)スナイダー
3.猪木(3分42秒 卍固め)スナイダー

 猪木が日本プロレス最後の試合となったファンクス戦の他に、BI砲は2度敗れて王座を転落している。その1度目が元USヘビー級王者「原爆男」スナイダーと現NWAジュニア王者「鳥人」ホッジの王者コンビだった。王座転落、リターンマッチで奪回と1勝1敗で迎えたシリーズ最終戦での決着戦となった。
 猪木とスタイナーがライバル意識をむき出しに激しく闘った。猪木が卍固めを決め、馬場が16文キックでホッジをカット。初防衛に成功した。


1969年(昭和44年) 8月13日 大阪府立体育会館 インターナショナル・タッグ選手権
アントニオ猪木  2−1 ディック・ザ・ブルーザー 
ジャイアント馬場     クラッシャー・リソワスキー
1.(4分10秒 両者リングアウト)
2.猪木(4分15秒 卍固め)クラッシャー

 BI砲が2度目の王座転落を喫したのが、ブルーザーとクラッシャーの「本家・極道コンビ」だった。最強外人タッグといえば、ハンセン、ブロディの超獣コンビだが、オールドファンにとっては、ブルーザーとクラッシャーである。BI砲が挑んだリターンマッチである。
 1本目は極道コンビが暴れ回り、両者リングアウト。2本目はクラッシャーがメリケンサックでパンチ攻撃に出たが、これを奪い取った馬場が反撃、32文ロケット砲で吹き飛ばし、猪木につなぐ。すかさず猪木が卍固めで王座を奪回した。


1970年(昭和45年)11月 5日 台東体育館 第1回NWAタッグ・リーグ決勝戦
アントニオ猪木 2−1 ジョニー・クイン    
星野勘太郎       ニックボック・ウインクル
1.ニック(33分30秒 体固め)星野
2.星野(15分20秒 体固め)クイン
3.60分時間切れ引き分け
延長戦 猪木(12分9秒 卍固め)ニック

 春のワールド大リーグ戦に匹敵するシリーズを秋にもという日プロの思惑で生まれたタッグ・リーグ戦である。BI砲では優勝確実であり、猪木、星野組、馬場、ヒライ組、大木、小鉄組、吉村、小鹿組などの即席チームが参加した。外人組の本命はアーニー・ラッド、ロッキー・ジョンソン組だったが、予想に反してニック、クイン組と猪木組の決勝戦となった。
 60分フルタイムの熱戦のでも決着が着かず、延長戦で猪木が卍固めで優勝を決めた。


1971年(昭和46年)11月 1日 東京体育館 第2回NWAタッグ・リーグ決勝戦
アントニオ猪木 2−0 バディ・オースチン 
坂口征二        キラー・コワルスキー
1.坂口(5分50秒 体固め)オースチン
2.猪木(9分57秒 卍固め)コワルスキー

 第2回のNWAタッグ・リーグ戦はメンバーが一新され、猪木は後に新日プロで黄金コンビと呼ばれる坂口とタッグを結成した。
 坂口が柔道殺法の上四方固めで1本を先取、猪木が卍固めを決めると同時に坂口が阻止に入る絶妙のコンビネーションで2本目も連取し、猪木は2年連続の優勝を果たした。


1973年(昭和48年)10月14日 蔵前国技館 世界最強タッグ戦
アントニオ猪木 2−1 カール・ゴッチ
坂口征二        ルー・テーズ 
1.テーズ(19分35秒 体固め)坂口
2.坂口(10分22秒 体固め)テーズ
3.猪木(13分40秒 回転足折り固め)ゴッチ

 日プロから坂口が新日プロに合流、猪木との黄金コンビが結成されて半年、無敵の快進撃を続けた。そこに立ちはだかったのが「神様」ゴッチと、猪木対ゴッチ戦のレフェリーを務めて刺激を受け、復帰を果たした「鉄人」テーズだった。「世界最強タッグ戦」と銘打たれ、90分3本勝負で行われた。
 テーズのバックドロップと坂口のアトミックドロップで1対1で迎えた3本目、ゴッチのローリング・クラッチ・ホールドが猪木に決まるかに見えたが、一瞬の逆転で猪木のジャパニーズ・レッグロール・クラッチホールドが決まった。


1979年(昭和54年) 8月26日 日本武道館
アントニオ猪木   1−0 アブドーラ・ザ・ブッチャー
ジャイアント馬場      タイガー・ジェット・シン 
猪木(13分3秒 逆さ押さえ込み)シン

 伝説の夢のオールスター戦のメイン・イベントで8年振りに復活したBI砲がブッチャーとシンという新日、全日のトップ外人レスラーで史上最悪の凶悪コンビと対戦した、まさに夢の一戦。
 猪木はブッチャーをブレーンバスターで投げ、延髄斬りの連発も見舞う。馬場もシンに16文キックを見舞った。連携ではシンを2人がかりでアームブリーカーに捕えた。最後は猪木が一瞬の逆さ押さえ込みでシンに勝利した。
 試合後、猪木が「馬場さん、やろう!」とシングル対決をアピール、馬場も「よし、やろう」と応えたが、遂に両雄の対決は実現しなかった。


1980年(昭和55年)12月10日 大阪府立体育会館 第1回MSGタッグ・リーグ優勝戦
アントニオ猪木   1−0 ハルク・ホーガン
ボブ・バックランド     スタン・ハンセン
猪木(17分35秒 逆さ押さえ込み)ホーガン

 全日の世界最強タッグ決定リーグ戦の大成功で恒例となった年末のタッグの祭典は新日でもMSGタッグリーグ戦として開催された。これまで名勝負を展開してきたバックランドと帝王タッグを結成し、ハンセンとホーガンの超強力タッグに勝利し、優勝を果たした。


1983年(昭和58年)12月 8日 蔵前国技館 第4回MSGタッグ・リーグ優勝戦
アントニオ猪木   1−0 ディック・マードック
ハルク・ホーガン      アドリアン・アドニス
猪木(11分10秒 体固め)アドニス

 前年優勝のディフェンディング・チャンピオンとして超人とのコンビを再結成して臨んだリーグ戦。優勝戦では絶妙のコンビネーションを見せ、ホーガンがマードックに、アドニスにとアックス・ボンバーを連発したところへ猪木が延髄斬りで勝負を決め、連覇を達成した。


1984年(昭和59年)12月 6日 広島県立体育館
アントニオ猪木       1−0 ストロング・マシーン1号
アンドレ・ザ・ジャイアント     ストロング・マシーン2号
ジャイアント(13分7秒 片エビ固め)2号

 当初予定されていた猪木、坂口組対ホーガン、アンドレ組が、ホーガンの負傷欠場により流れ、変わってマシーンズ憎しで一致した猪木とアンドレが急きょ夢のタッグを結成。コンビネーションも良く、マシンズを軽く蹴散らした。試合後、アンドレは猪木のダーッを真似るパフォーマンスを見せるなど上機嫌だった。


1985年(昭和60年)12月12日 宮城県スポーツセンター IWGPタッグリーグ戦優勝決定戦
アントニオ猪木 1−0 藤波辰巳
坂口征二        木村健吾
藤波(31分53秒 飛龍原爆固め)猪木

 IWGP初代タッグ王座を決めるリーグ戦は、ブロディーとスヌーカの突然のボイコットにより師弟タッグ対決が決勝戦となった。
 坂口が左足を痛めて戦闘不能状態となり、集中攻撃を浴びた猪木が、最後は飛龍原爆固めで藤波から初のフォールを奪われるという歴史的な結果となった。


1990年(平成 2年) 2月10日 東京ドーム
アントニオ猪木 1−0 橋本真也
坂口征二        蝶野正洋
猪木(15分43秒 体固め)蝶野

 前年7月に国会議員となってから猪木が3年振りに坂口と組み、売り出し中の若手だった橋本、蝶野を相手に、国内で初めて行った試合である。2度目の東京ドームで、全日との対抗戦が行われた大会のメインイベントで行われた。試合前のインタビューで、橋本は「時が来た」、猪木は「やる前に負けること考える馬鹿がいるかよ」と吠えた。試合後には初めて「1、2、3、ダー」が行われた伝説の一戦である。
 猪木は47歳直前、議員生活でコンディションも悪く、橋本の蹴りにフラフラになりながらも最後は蝶野に延髄斬りを決めて辛くも勝利した。


1990年(平成 2年) 9月30日 横浜アリーナ デビュー30周年記念試合
アントニオ猪木      1−0 ビッグバン・ベイダー
タイガー・ジェット・シン     アニマル浜口    
猪木(17分45秒 体固め)浜口

 猪木のデビュー30周年を記念する試合で、最大の宿敵であったシンとタッグを結成。バレンタイン、テーズ、ニック、パワーズ、ルスカ、アンドレ、ハンセン、ロビンソン、マツダのライバルたちも来場した。
 シンとのコンビも問題なく、最後は浜口に延髄斬り3連発を決め、フォールを奪った。試合後は猪木とシンがお互いを称え合う。