WWF格闘技世界ヘビー級選手権

 新日プロは1975年にWWWF(79年3月WWFに改名)と業務提携し12月13日には猪木がニューヨークのMSGに初登場した。78年1月には藤波がMSGでWWWFジュニアヘビー級選手権を獲得。2月にスーパースター・ビリー・グラハム、6月にはボブ・バックランドが来日して、WWWF世界ヘビー級選手権が行われた。またウイリー・ギルゼンバーグ会長の死去で新会長に新間寿が選出されるなど、友好関係を強めていた。
 同年12月18日、MSGに2度目の出場を果たした猪木は、一連の異種格闘技戦でプロレスの評価を高めたとして、WWWF世界格闘技選手権の初代王者に認定された。この日、猪木は怪覆面テキサス・レッド(レッド・バスチェン)を相手に通常のプロレス・ルールで初防衛を果たした。
 以降、一連の異種格闘技戦にはこのベルトが賭けられ、ミスターX、レフトフック・デイトン、ウイリエム・ルスカ、キム・クロケイド、ウイリー・ウイリアムスを相手に防衛に成功。異種格闘技路線終息とともに、ベルトは封印された。
 そして1989年4月24日、初進出となった東京ドームで猪木はショータ・チョチョシビリと異種格闘技戦を行い、このベルトを賭けたが、異種格闘技戦で初の敗北を喫し、タイトルを失った。5月25日、大阪城ホールで行われた再戦では雪辱を果たし、ベルトを取り返したが、以降、防衛戦は行われていない。
 後にルー・テーズが発起人となって発足したグレーテスト18クラブのベルトに継承された形となるが、これもIWGPヘビー級のベルトと統一、一本化され、完全に消滅した。

1978年(昭和53年)12月18日 米ニューヨークMSG *初防衛
 アントニオ猪木(16分27秒 体固め)テキサス・レッド
1979年(昭和54年) 2月 6日 大阪府立体育館 *V2
 アントニオ猪木(3R50秒 逆十字固め)ミスターX
1979年(昭和54年) 4月 3日 福岡スポーツセンター *V3
 アントニオ猪木(6R1分19秒 TKO)レフトフック・デイトン
1979年(昭和54年)10月 5日 韓国・奨忠体育館 *V4
 アントニオ猪木(15分6秒 弓矢固め)ウイリエム・ルスカ
1980年(昭和55年) 2月27日 日本武道館 *V5
 アントニオ猪木(4R1分24秒 引き分け)ウイリー・ウイリアムス