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2008・9・2 御在所岳裏道4合目にある藤内小屋は土石流により、 |
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ここより下流にある日向小屋も写真のような被害を受けた。 |
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土石流で運ばれた岩の除去作業。小屋仲間のボランティア。 この日は、CBCTVが取材に来ていた。 |
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2008年暮れの藤内小屋 雪の中、復旧作業が進んでいる。
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神戸からも大学生の子供と、その友達を加え、
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剣岳雪渓登山 2008・8・13〜15 黒部ダム〜内蔵助平〜ハシゴ谷乗越〜
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内蔵助平 黒部ダムから4時間30分 ハシゴ谷乗越までは、予想外によく整備されていました。真砂沢ロッジに18:00着。 |
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真砂沢ロッジ前でテント泊 |
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1時間ほど登り、上部のガスと、他のパーティの撤退を見て、登頂をあきらめる。はるか下に剣沢が見える。雪渓の締まりもよく、ピッケルを杖に、快適に登っていただけに、残念。 お昼前に剣沢小屋に到着。風と雨模様のため、小屋泊とする。午後2時半頃から、強風を伴った雷雨。頂上をあきらめ、撤退したことが正解で複雑な気持ち。夜中も風雨が激しく続いていた。 |
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15日、相変わらずガスのなか。剣沢小屋を6時に出発。大山さんは、食事が進まず、同室の静岡の2人パーティに同行し、雷鳥沢を下り、アルペンルートにて下山。大町温泉で落ち合う約束。 石川さんと私は、ガスと風のため、3000Mの稜線歩きは中止し、内蔵助小屋から 内蔵助谷を下りました。小屋から内蔵助カール雪渓のトラバースが続き、神経を使いました。 |
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内蔵助谷の雪渓。稜線を外れてから、風は止み、標高が下がると青空も。 |
内蔵助谷最下流。丸山東壁。稜線からダムまで今日すれちがった登山者は2人のみ。夏の北アルプス内蔵助谷は4人だけが満喫できました。
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黒部川から鳴沢岳又は赤沢岳。あの山の真ん中を扇沢までトンネルが掘られている。黒部川を渡ってダムまでの最後の登り、約180Mは気力の勝負。トロリーバス乗り場に 名古屋帰宅は9時40分。 |
山 歩 き |
北アルプス後立山連峰南部はこまくさの楽園でした。 |
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2005・8 北アルプス 不動岳からの烏帽子岳
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左から石川、大山、臼井 大山さん 石川さん |
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上河内岳から聖岳・赤石岳・荒川岳 |
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聖 岳 |
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2006・8 雲ノ平 |
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黒部川最源流から三俣蓮華岳 |
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北アルプス裏銀座鷲羽岳より槍・穂 23才から会社の同僚と始めた登山。東京近郊の奥多摩、奥秩父から丹沢の沢登り、北、南、中央アルプス、越後、上信越、那須等、仲間と独学で実践してきました。 日本山岳会東海支部、K2登山隊長で遠征出発2週間前の黄金週間に、穂高で雪崩に遭い亡くなられた徳島和男さんとは、仕事を通じ親交を持ち、藤内沢でアイスクライミングを教えてもらいました。 50代、高校の同級生である友人が3000m峰をすべて歩くという目標をたて、パートナーを依頼され、一緒に歩きました。私が登山計画を作成し、南アルプス北岳、間ノ岳、農鳥岳、塩見岳、荒川岳、赤石岳、聖岳で南は完了。北へ移り、乗鞍岳まで付き合い、,あと(仙丈、富士、立山、槍、穂、御岳)は大丈夫とのことで終わりました。 |
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