白鳥の湖


H・アール・カオス『白鳥の湖』☆☆☆

H・アール・カオスの名前は、私にとって「過剰なる挑発」という言葉と同じ意味を持つ。たたみかけてくる場面展開、華麗な照明、押し寄せてくる音楽、それらが渾然一体となって見るものに刃を突き付けてくるからである。

決然と屹立し客席に一瞥をくれるダンサーの姿はいつも自信に満ちており、たとえばこっけいな場面や、悲しみの場面ですらも、観客へ向けられた攻撃的な心持ちには、いささかのゆるぎもない。

そのような挑発に観客がどうして耐えられるかというと、そこに、白河直子の存在があったからである。観客は彼女の立場に立つ事で自らの寄る辺を知り、挑発的な闇の世界と向き合う事ができた。

まさに、白河直子は混沌の闇に差し込んだ一条の光であった。

光なくしては、闇は闇足りえることはない。攻撃の対象を失った混沌は、目の前で空回りしているかのように、私には見えた。それは先入観の成せる技であったかもしれないけれども。。。

皮肉な事に、彼女のいない舞台を見て、改めてその才能の凄さを知らされたような気がする。たとえば、悲しい顔をし、悲しそうなしぐさをしても、そこには「悲しそうな演技」があるだけである。彼女の場合は、そういう演技とは全く関係なく、ただそこにいるだけで感情がストレートに伝わってくるのである。ダンサーというよりは、むしろ哲学者に近い。これはもうダンス以前の才能であるといえよう。

たとえ、白河直子なくしても、ダンサーの中には、魅力的な個性を持った人がいるのだけれど、今回、闇の包囲網としての性格がきっちり与えられていたためか、自由に場を盛り上げる、というまでには至らなかったような気がした。いつの日か、彼女らの個性にあわせた、今までのカオスにはみられなかったような、やさしさとか素朴さのような、全く別の何かを表現した舞台をみたいような気もした。


H・アール・カオス『白鳥の湖』☆☆☆

【構成・演出・振付】大島早紀子
【会場】横浜・ランドマークホール 【日時】94.10.7 19:30

時かけ



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