HCE


双数姉妹『HCE』

初見では、理解不能に陥りやすい劇団。これだけ、舞台の魔法にこだわりを持った劇団はほかに知らない。同じ言葉の組み合わせで、次々と意味を変えて行くやり方や、同じ会話に別の人物が入る事で言葉の対象が次々に変わっていく所や、視線が会った瞬間に止まる所や、頬寄せた瞬間に、動きが止まり、柱に持たれ掛かって眠る所、などなど。

今回の美術は、柱。その影から出てきたり、隠れたりのフラッシュバック的登場方法。一般に、役者の袖からではなく、舞台上に忽然と現れるには、普通は照明のスポットを出し入れすることによって、これを行うしかないが、沢山の柱を舞台上に配して、その影から、同時に何人もの役者を一度に出し入れすることが可能になる。これは画期的なアイデアだと思うが、今回は、全般的には、舞台美術はあまり生かされて無く、言葉のやりとりの面白さに重点が置かれていたようだ。

舞台の魔法にこだわったという点では、遊眠社を超えている。もちろん遊眠社はそれを目指したわけではないのだけれど。魔法に注目して、ここまでとことん遊び尽くす劇団というのは珍しいのではないだろうか。(ただし、私は山の手事情社は見てませんけど)

で、その魔法をとことん遊びつくした中から、微妙に感情の機微を掴まえ、感動をもたらす、という、魔法の絨毯を糸と針でつないでいくような、つなわたりで芝居を成立させつづけているような気がする。遊眠社は、この感動の喚起に主目的が置かれているわけである。が、双数の場合は、あえてその感動を排除していると見え無くもない。観客は感動から遠ざけられ、従って、ちゃんと物語に重きをおいた芝居が書けないのではないか、という意見も出てくるわけだ。

今にして思えば、「フーリガン」が唯一、物語を語ろうとした芝居だったのかもしれない。けど、私、初見だったからか堪能できなかったのよね〜。普通、舞台の魔法から始まり、物語に傾斜していくというのが普通の道筋だと思うのだが、小池さんの場合、物語から始まり、舞台の魔法の面白さの方にどんどん傾斜しているような気がするのである。これはこれで面白い方向だと思うわけだが、役者の実力がどんどんついてきた今、これからどういう芝居を作っていくのか、不安と期待を持って見守りたい。

時かけ


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