レフトハンド・マシーン


燐光群『レフトハンド・マシーン』

「遠い世界に‥‥」(大不満大会(^^;)

坂手さんは、どうやら、僕の手の届かない遠い世界に行ってしまったような気がします。今回の芝居も、というか、僕の心には響いて来ませんでした。残念ながら‥‥。素材として、女子高生コンクリート詰め殺人事件を扱い、その四人の犯人たちが裁判の末、左手教育を受けてお国の為に戦場に行き、そこで教育係りとして拉致されていた、ウネに出会い、その死に関わり、人道上の理由から、国際的に避難が集中。そしてふたたび裁判。「北の国」は、ウネなる女は存在しなかった、と明言したため無罪となり、それどころか戦功によって叙勲。やがて日本に帰った四人は、土地の強制収用の反対闘争に関わることとなる‥‥。といった内容の物語である。ひとつひとつの素材は、重い内容であるはずなのだが、使い古された観もあり「何をそんなに拘っているのだろう」という印象しか持てない。てんこもりの概念だけがうわ滑り、伏線は全て尻きれトンボ。本当に切実な問題としては響いてこない。冒頭のシーンは結局意味不明だし、「左手は疎外されてきたので、その左手を鍛える事によって人間性が回復できる」みたいな考え方も理解できない。いまさら、北朝鮮のスパイや、「お国の為」なんて、絵空事にしか思えない。それを大真面目にやっているので、かえってしらけてしまう。

シリアスな演技の中に、今回何故か、滑稽なギャグが入っていたけど寒くなるだけ。人民裁判のシーンでの、傍聴人を含めた全員一致でなければならない、という仕組みは、偶然かもしれないが「12人の優しい日本人」の二番煎じみたいだし、出てくる検事は、「熱海殺人事件」の伝兵衛さんのパロディのようだし‥‥。一人浮いてた山上優さんがお気の毒でした。

一人の人が、複数の役を演じるのも不満。ついさっき、重要な役で出た人が次の場面で、全く軽い役で出てくるのは興ざめ度をいや増すばかり。今回は特にそれが顕著でした。あと、どうして「コンクリート詰め」にしたのか、の謎が解明されなかったのも不満。台詞の中にあった「とても墓標には見えない!」を膨らませてくれたら、僕好みの展開になっていたかも‥‥。

ひとつの言葉を、もっと切実さと共に描く方法は必ずあるはずです。手垢のついた言葉たちをいたずらにもて遊ぶのではなく、もう一度生命を吹き込んでやるのが脚本の使命ではないでしょうか。

ラスト、左手で食事をする中年夫婦の向こうに、戦場の四人が浮かび上がる。「まだ左手は動くか?」「左手を訓練することによって、左手は、本当の自分以上 の自分になる。この手のままに生きて見よう」(このセリフはうろ覚えです)そう言い左手で銃を構える。最初は自分のこめかみに、続いて観客席に‥‥。このあたり、人間性の回復ということがいいたかったのかな、と思いましたが、もしそうなら、あまりにも遠回りでした。


燐光群『レフトハンド・マシーン』
作・演出:坂手洋二
会 場 :下北沢ザ・スズナリ
期 間 :1993/3/16 〜 3/23
観劇日 :3/19 19:00〜 椅子席最前列(前から4列目)、右より

時かけ



観劇印象レビュー[ TOP | 93年 ] 時かけ