サクラパパオー


ラッパ屋『サクラパパオー』☆☆☆☆☆

遊眠社がなくなってしまった現在、自信をもって勧められる数少ない劇団の一つです。劇団名も、サラリーマン新劇喇叭屋、から、ラッパ屋、へ変わりました。

「舞台のカタストロフ」

舞台の面白さはいろいろあるけど、その中の一つに、舞台上の全てが静止してしまい、一種、異常状態のまま、セリフだけがたんたんと綴られて行く、というのがあります。これは、一種の舞台破壊なのだけれど、その間は、ひとつひとつのセリフが、痛いほど伝わって来るのです。それまで築き上げた舞台のエッセンスを突然なくしてしまい、観客を、それまでと全く別の次元に投げ込み、無音のまま舞台を続ける、という手法です。

例えば、「ピピン」で、舞台の大道具を全てし舞い込み、照明も無くし、衣裳もはぎ取り、これでも愛を語ることができるのかい、と主人公のカップルを挑発する場面があります。全てを無くしたところから、一歩一歩積み上げて行く、そういうシーンです。ラッパ屋では、前回の「ハリウッド・マンション」でも、一人一人が見栄を切る、そんなシーンがありましたが、今回も見せてくれました。

題名からして、全ての観客が、この馬が勝って芝居が終わるのに違いないと思っていたサクラパパオーが、あろうことか死んでしまい、サクラパパオーの霊が現れた時、一転して、みんなが狂気に憑かれたかのように、饒舌に喋り出す瞬間‥‥。観客はそれまでのコメディとは別の空間に誘われていたのです。この辺りの、観客の予想を裏切り、一気に自分の懐に引き込む脚本は、見事です。これだけの才能がコメディしか書かないのは勿体ないという気すらします。逆に言えば、上質のコメディだからこそ、これだけの才能を必要としているといえるのかも知れません。グランドホテル形式で、次から次へと登場する多彩なキャラクターとそれぞれの関係が密接に絡み合ったまま、クライマックスへと進んでいきます。中でもヘレンのキャラクター設定が見事でした。

裏方もプロの仕事です。なかでも音響は、スピーカーをキンキン云わせながら、舞台上から客席を自由に駆け回るサクラパパオーの存在を「飛び出す立体ステレオ音響」で、見事に表現しました。それぞれの登場人物の思いが最高に高まったときの、奇跡のようなひとときでした。

ラッパ屋で泣ける、とは思わなかったので、これは嬉しい誤算でした。

それから、あまり競馬の事は知らないのだけど、実況中継の名文句がまたいいです。あるレースがアイドルの名前で統一してあれば、次のレースはシェークスピアの作品から、その次は、映画の題名から、とお遊びも混ぜて、レース展開も誠にしゃれていて見事です。

「スプリング・ハズ・カム、スプリング・ハズ・カム。サクラが散って春が来た。最後の春は、忘れられない春になりました!」サクラパパオーが死んで「サクラ散る」。引退前のスプリングメモリーが勝って「最後の春」ひとつひとつのセリフがびんびんきてます。競馬のアナウンスの面白さを、競馬をやったことがない私にも、存分に味あわせてくれました。

ラッパ屋を見るのは、正直、怖さが半分あるんす。今度こそこけるんじゃないかなと‥‥。けれど今回もそんな不安を吹き飛ばしてくれました(^_^) あ〜ぁ、良かった(^_^)

競馬を一度もやったことがない、時かけ



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